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◯2022年12月18日から21日まで、第四回京都旅行をした。題して「大和三山・醍醐山参詣旅」と命名した。ここのところ、京都とその界隈を歩き続けている。その第四回が、今回の「大和三山・醍醐山参詣旅」で、ちょっと足を伸ばして奈良県橿原市に存在する大和三山を歩いて来た。今回が八回目の大和三山登頂になる。第一回1992年3月28日第二回2003年8月11日第三回2005年5月10日第四回2009年3月29日第五回2010年4月3日第六回201
◯NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集「邪馬台国の謎に迫る」が、昨日2024年3月17日の午後9:00〜午後9:50に、放送された。そのことについて、前回、ブログ『陳寿の倭国観』を書いて、「三国志」で陳寿が評価している東夷が倭国であることを話しした。それは、次のように記録されている。【原文】雖夷狄之邦,而俎豆之象存。中國失禮,求之四夷,猶信。【書き下し文】夷狄の邦と雖も、俎豆の象存す。中國禮を失し、之を四夷に求めるは、猶ほ信なり。【我が儘勝手な私訳】
◯いよいよ、今日、2024年3月17日、午後9:00〜午後9:50に、『NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集邪馬台国の謎に迫る』が放送されるらしい。前宣伝が何とも凄い。一昨日、ブログ『NHKスペシャル新シリーズ「古代史ミステリー」邪馬台国の女王』を書いて、昨日、『<邪馬台国>吉野ヶ里&纒向遺跡の研究最前線取材で新事実紹介』を書いた。◯こういう前宣伝を見ると、NHKの、この番組に対する意気込みが見て取れる。NHKのホームページでも、次のように案内している。NHKスペ
◯たまたま、インターネット検索していたら、次の案内が目に付いた。NHKスペシャル新シリーズ「古代史ミステリー」邪馬台国の女王・卑弥呼、倭の五王……最新の科学分析や考古学調査を踏まえ、知られざる日本の古代史ミステリーを歴史ドラマとして映像化!3月17日(日)、24日(日)総合午後9:00~9:49私たちが暮らす日本という国のルーツには、まだ解明されていない壮大なミステリーがある――。いま、そうした古代史の謎に迫る新発見が相次いでいます。
◯2022年12月19日、奈良県橿原市に存在する大和三山を歩いて来た。今回で、八回目の大和三山周遊である。日本では、古来、次の山々を大和三山と呼び称している。畝傍山(199.2m)香具山(152.4m)耳成山(139.7m)◯大和三山は、有名で、よく知られた山々である。ただ、それが何故、どういう理由で有名なのかを理解している人は、意外に少ない。そんな気がしてならない。◯大和三山を、最も詳しく、何度も記録している書物は、実は「万葉集」なのである。私見によれば、「万葉集」には香
◯畝傍山から香具山に辿り着いて、ブログ『香具山:西側登山口』から、『香具山』、『大和三山とは何か』、『天降り付く天の香具山』、『邪馬台国の風景』とあらぬ方向に向かっていると思われるかもしれない。しかし、もともと、邪馬台国三山の検証のために訪れたのが大和三山なのだから、この方向は、あながち、間違っているわけでも無い。◯ここまで来たら、どうしても『邪馬台国は何処か』と言う話に触れない訳にはいかない。多くの方々が、邪馬台国が畿内だとか、北九州だとか、佐賀吉野ケ里だとか、おっしゃって、枚挙にいとまがな
◯2022年12月18日、「大和三山・醍醐山参詣旅」へ出掛けて来た。今日は2024年2月6日であるから、もう一年と二ヶ月も昔の話になる。なかなかブログを書くのが追い付かない。毎日、二つもブログを書いていると言うのに。◯しかし、丁寧に書き続けるしか能が無い。継続は力なりを信じて。朝7時30分に家を出て、8時過ぎには宮崎空港に着いていた。飛行機はANA504便で、9時30分発、伊丹空港に10時40分到着の予定である。◯定刻に飛行機は離陸し、定刻に伊丹空港に到着した。ただ、その途中に、事件は起きた
○今日2024年正月4日は、所用で鹿児島に出掛けて来た。朝10時から午後3時くらいまで、時間が空いたので、それを利用して、枚聞神社へ初詣に出掛けることとした。○薩摩国一宮が枚聞神社である。ある意味、鹿児島で最も由緒正しい神社だとも言えよう。その歴史は古い。あまりに古過ぎて、その御祭神も御神体も、その名の由来さえ、見失っている。それが枚聞神社である。○まず、普通の人には、枚聞神社と言う名が読めない。枚聞神社と書いて、「ひらきき神社」と訓む。何とも珍しい名である。何故、そうなのか。まず、理解でき
○2023年10月12日に、一年ぶりに開聞岳に登って来た。現在、テーマ「ぶっ飛び香港」を書いている最中だが、4,5回、邪馬台国三山について書いてみようと思い、ブログ『久し振りの邪馬台国三山』を書いたのが、10月13日だった。○したがって、当初の予定では、数回で終えるつもりだった。それが『天孫降臨の世界山が畝傍山であること』『そらみつやまと』『邪馬台国三山』『開聞岳のホトトギス』『タカクマホトトギス』『鳴之尾牧場のホトトギス』『高隅山:御岳登山口のホトトギス』『開聞岳登山』『枚聞神社参詣』『邪
○前回、ブログ『邪馬台国三山とは何か』を書いて、奈良県橿原市に存在する大和三山の原型が、次の邪馬台国三山であることを書いた。・うねびやま=霧島山(1700m)・かぐやま=桜島山(1111m)・みみなしやま=開聞岳(924m)○日向国では、「うねびやま」は完璧に『うねっている山』として存在するし、「かぐやま」は申し分なく『光り輝く山』だ存在し、「みみなしやま」も『境界を成す山』として存在している。そういうことを、大和国の大和三山では説明できない。つまり、大和国の大和三山が日向国
○奈良県橿原市に大和三山と言う山がある。『邪馬台国三山とは何か』を考える際、その根底が大和三山にあることは、間違いない。大和三山がどういう山であるか。ほとんどの人は認識できていない。だから、邪馬台国三山など、夢のまた夢に過ぎない。○ちなみに、大和三山とは、奈良県橿原市に存在する次の山々を指す。・畝傍山(199.2m)・香具山(152.4m)・耳成山(139.7m)○ところが、この大和三山を、文化庁が2005年7月14日に、次のように改悪してしまった。・香具山(152.
○2023年10月12日に、開聞岳に登って来た。本当は、まず、薩摩国一宮である枚聞神社へ参詣してから、開聞岳に登るのが筋である。なぜなら、開聞岳をご神体とする神社が枚聞神社なのだから。○その枚聞神社参が薩摩国一宮であると言うのも、意義深い。それは、もともと薩摩国を代表する神社が枚聞神社であることを意味する。少なくとも、一宮制度が成立した当時、枚聞神社が薩摩国を代表する神社であったことは、間違いない。○その枚聞神社が鎮座ましますのは、鹿児島県指宿市開聞十町になる。そこは、ちょうど開聞岳の真北に
○2023年10月13日に、ブログ『久し振りの邪馬台国三山』を書いて、その最後に、次のように記している。・昨日、2023年10月12日に、久し振りに開聞岳に登って来た。道中、霧島山や桜島山がきれいに見えた。それで、久し振りに大和三山とは何か、邪馬台国三山とはなにかについて、書いてみたい。「ぶっとび香港」の最中だが、数日、この話を書くことになる。○ここにあるように、2023年10月12日に、久し振りに開聞岳に登って来た。その時の様子を次に書こうと思いながら、ホトトギ
○今日、2023年10月16日、午前中に、ブログ『開聞岳のホトトギス』を書いて、その最後に、次のように書いている。・今年、まだタカクマホトトギスを見ていない。できれば見に出掛けたい。開聞岳は、なかなか魅力溢れる山である。この山が耳成山であり、邪馬台国三山の一つであることを、誰も認識できていないのが残念である。○午後から時間が空いたので、急遽、予定を変更して高隅山に、タカクマホトトギスを見に出掛けて来た。我が家から高隅山は100㎞くらいだろうか、たいへん近い。現在、無料の有料道
○毎年一回は開聞岳に登っている。確認すると、・2014年2月11日・2015年1月16日・2016年1月9日・2017年11月11日・2018年11月30日・(2019年)・2020年9月26日・(2021年)・2022年9月7日29日○以前は、1月2月に開聞岳登山をしていた。それは枚聞神社への初詣を兼ねて出掛けていたからである。それが9月になったのは、2020年からになる。開聞岳には、9月末に登るのが良い。そのことを理解したのが、2020年9月26日
○先日、2023年9月22日(金)午後10時から、『NHKアナザーストリー:平成の吉野ケ里ブーム』と言う番組を見て、驚いた。その番組は何とも凄まじい暴露話であった。NHKと朝日新聞の情報操作で、吉野ケ里ブームが誕生したと言う、何とも後味の悪い話だった。○そのことについては、次のブログに、詳しく書いている。・テーマ「海の民の肥国をさるく」:ブログ『NHKアナザーストリー:平成の吉野ケ里ブーム』NHKアナザーストリー:平成の吉野ケ里ブーム|古代文化研究所(ameblo.
○私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。そのことについては、次のブログに詳しく書いている。・テーマ「大和三山」:ブログ『万葉集が記録する大和三山』万葉集が記録する大和三山|古代文化研究所(ameblo.jp)○意外なことに、大和三山を最も詳述しているのは、「古事記」や「日本書紀」では無くて、「万葉集」なのである。したがって、誰もが「万葉集」を通じて大和三山を理解している。そういう事実を誰もご存じ無いから、妙な大和三山認識がまかり
○奈良県橿原市に、大和三山が存在する。日本で古代を考えるなら、絶対に外せない山が大和三山であり、邪馬台国三山なのである。今回は、その邪馬台国三山の話をしてみたい。まずは、地元、奈良県橿原市が案内する大和三山から見ておきたい。大和三山とは大和三山(やまとさんざん)とは、橿原市に位置する香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)の三山をいいます。平成17年に名勝指定されました。そして、大和三山に囲まれるように、日本で初めての本格的な都であった藤原京の藤原宮跡(ふ
○本来なら、ブログ『三山信仰』からそのまま『大和三山』へと続けるつもりだった。しかし、その前に、どうしても天皇家の故郷が邪馬台国では無くて、狗奴国であることを説明しておく必要を感じた。こういうところに、「古事記」や「日本書紀」の歴史観を見ることができる。必ずしも「古事記」や「日本書紀」の記録が正しいわけではない。○当古代文化研究所の専門は和歌である。したがって、「万葉集」を研究しているうちに、大和三山に悩まされて困った。それが日向国の研究へと発展して行ったことになる。不思議なことに、誰も言及し
○昨日、ブログ『日本考古学最大のミステリー邪馬台国論争に新展開!』を書いて、考古学と邪馬台国や卑弥呼が無関係であると言う話をした。それをそのままにしておくのもひどい話である。しっかり、吉野ケ里がどういう位置にあるかを明らかにしておく必要がある。それで、『吉野ケ里と邪馬台国』と題して、その関係性を明らかにしておきたい。○それには、まず、邪馬台国が何処に存在するから明らかにする必要がある。邪馬台国は中国の正史「三国志」に書かれている史実である。それに拠れば、次のようになる。【渡海三国】
○日本最古の史書とされる「古事記」には、九州島を次のように記録している。次生、筑紫島。此島亦、身一而、有面四。面毎有名。故、筑紫国謂、白日別。豊国、言、豊日別。肥国、言、建日向日豊久士比泥別。熊曾国、言、建日別。○この記録が何を意味するか。それを理解することはなかなか難しい。それは誰も九州をご存じ無いからに過ぎない。「古事記」が案内する九州四国、・筑紫国:白日別・豊国:豊日別・肥国:建日向日豊久士比泥別・熊曾国:建日別で、当時、最も栄えていたのが「肥国:建
○大和国の一宮が何処か、ご存じだろうか?大和国の一宮は大神神社と申し上げる。奈良県桜井市の三輪山に鎮座まします。大神神社と書いて、「おおみわじんじゃ」と読む。知らないと、まず読めない。つまり、三輪山の神の社が大神神社だと言うことになる。○前回、ブログ『大和国一宮、大神神社の御祭神が大物主大神であること』で、大神神社の御祭神は大物主大神だと案内した。大物主大神は天皇家の神様ではなくて、出雲神だと言う話もしている。○大和国の一宮が斎き祀る神が出雲神だと言うのは、どうしても納得できない。大和国を
○前回の最後に、こう書いている。・つまり、邪馬台国を代表する風景が、次の邪馬台国三山だと言うことになる。うねびやま=霧島山(1700m)かぐやま=桜島山(1111m)みみなしやま=開聞岳(924m)・邪馬台国三山は、もちろん、信仰の山である。その信仰が修験道になる。中国から日本へ伝来した、最も古い仏教になる。その最初の場所が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島になる。硫黄島を訪れると、そういうことがよく判る。是非、お出掛けを。当古代文化研究所で
○三山と言えば、何を思い出すだろうか?インターネットで検索すると、コトバンクの次のページがヒットした。三山(さんざん)三つの山。特に、天香久山、畝傍山、耳成山の「大和三山」をさす。また、月山、羽黒山、湯殿山の「出羽三山」、熊野本宮、新宮、熊野那智大社の「熊野三山」をもいう。三山(さんざん)とは?意味や使い方-コトバンク(kotobank.jp)○別に、ウイキペディアフリー百科事典にも三山項目がある。しかし、ウイキペディアフリー百科事典の三山項目には、日本全国の各
○2022年7月に五島列島の福江島を訪問した。もちろん、テーマ「海の民の肥国をさるく」旅の一環としてである。その福江島訪問をブログ『福江島から長崎へ』で書き終えて、福江島訪問をまとめる作業をしている。それをブログ『肥国:建日向日豊久士比泥別の国』から昨日のブログ『邪馬台国』まで続けている。○できる限り、こういう機会に振り返って原点に立ち返ることが大事だと考える。もともと、日向国から始まった話なのだが、甑島を経て、天草から五島列島まで到達した。お陰で、多くの情報を手に入れることができた。そういう
○前回、ブログ『三世紀の日本』で紹介したように、「三国志」魏書、東夷伝の『倭人条』が案内する倭国三十国は、次のようであったとした。【渡海三国】・狗邪韓国・対馬国・壱岐国【北九州四国】・末廬国・伊都国・奴国・不弥国【中九州二十国】・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)【南九州三国】
○開聞岳には、毎年登るようにしている。此処数年間を振り返ってみると、次のようになる。●2014年は2月11日に開聞岳に登っている。・書庫「指宿探訪」:ブログ『開聞岳に登る』https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38550347.html●2015年は1月16日に開聞岳に登っている。・書庫「邪馬台国三山」:ブログ『2015年:開聞岳登山』https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39374408.h
◯昨日は、ブログ『道の駅:長島』を書いていて、後半は、甑島が「コ+シキシマ」である話になって、何とも、始末の悪いブログを書いたと反省している。道の駅「長島」からは、きれいに甑島が見える。そのことを書いていて、つい、「コ+シキシマ」の話に夢中になってしまった。◯その甑島を何度も訪れる契機となったのが霧島山高千穂峰登山だった。これまで、幾度となく話しているが、霧島山高千穂峰は天孫降臨の世界山なのである。天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊が地上に降り立った時、最初に発した言葉が、次の勅になる。此処は韓
〇神武天皇について、ウイキペディアフリー百科事典では、次のように案内している。神武天皇神武天皇(じんむてんのう)は、日本の初代天皇。諱は彦火火出見(ひこほほでみ)、あるいは狭野(さの、さぬ)。『日本書紀』での名は神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)。『日本書紀』・『古事記』によれば天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫とされる。奈良盆地一帯の指導者長髄彦らを滅ぼして一帯を征服し(神武東征)、畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)に遷都して日本国を建国した
○文化庁が大和三山を、2005年7月14日に、香具山・畝傍山・耳成山と案内したことで、日本の大和三山はとんでもない被害を蒙っている。大和三山は、あくまで、畝傍山・香具山・耳成山と案内するのが正しいし、それが日本の伝統的な大和三山の案内の仕方である。○それは日本創成期に、畝傍山が日本を代表する世界山だったからに他ならない。「古事記」や「日本書紀」では、それを天孫降臨の世界山として記録している。畝傍山が大和三山の筆頭に来ると言うのは、そういうことである。文化庁には文化が無いので、そういう認識ができ