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ご訪問いただきありがとうございますスモッキング刺繍の子供服と小物類を製作して、細々と販売しています。中1娘の学年末テストが無事終了し、夫と娘と3人で今シーズン初のスキーに行きました。毎年声を大にして言うけれど私は早くスキーを引退したい!オバサンの下手なスキーほど見苦しいものはありませんそれなのに…娘中学では2年生で宿泊行事でスキーがあるので娘のためにスキーを練習させたいと夫は言い毎年せっせと行くけれど、本音は夫自身がスキーを楽しみたいからということが透けて見えるところがいやらしい
12月13日、こんな風景を見ることができた。本格的な冬を迎える前のいっときの色あいだろうか・・・井や冬の最中にも時として見せてくれる顔でもあろうか・・・上の写真:大丸温泉駐車場からみた那須連山下:八幡つつじ平展望台の交通標識:左に上っていくと大丸温泉この黒い土の盛り上がりは?もぐら?那須疎水近辺の山茶花街道(私が命名)。左脇に小さな、しかし、投げ荒れの早い疎水支流あり。残念ながら白い花の山茶花はなかった那珂川上流にある板室温泉「グリーングリーン」。65歳以上であれば200
今年6月に2週連続で訪ねた那須野ヶ原散策一回目、那須疎水の蛇尾川伏せ越し吐口に移築保存された旧隧道を眺めた後は、伏せ越しの旧湧き上がりに向かいます。とはいえ、ここに何があるのかを知っているからそちらに移動しますが、事前知識なしでここに来た場合、案内板が移築保存の説明看板のみなので、あれだけを見て帰ってしまうのではないか?なんて、不安になります。うっすらとした踏み跡の先にあるのが、旧伏せ越しの湧き上がり。階段を下りて、ささやかな木道から蛇尾川の方に目を向けると、
今年6月に2週連続で訪ねた那須野ヶ原散策一回目、水無川の蛇尾川(さびがわ)の伏せ越しを西に抜けたところで、一旦南に2㎞ほど南下すると道路と那須疎水とが交差するのですが、そこから那須疎水沿いの未舗装路を北に向かうと那須疎水の蛇尾川伏せ越し吐口。ちなみに、前回までの洗い越しは道路の上を川が流れている地形、あるいは川床を道路が通過している地形のことを『洗い越し』と呼んでいて、これはどちらかと言えば自然地形、あるいは自然地形に最低限の人の手が加わった地形です。これに対して『伏せ越し
那須疎水の取水設備周辺散策、続きです。現在の那須疎水頭首工を眺めたところで、そこから右に目を向けると、こちらにあるのは余水吐き、あるいはゲートを閉じて取水しない場合に、導水路の水を川に戻すための排水路の石アーチの水門です。足元が泥でぬかるんで近づくことが出来なかった為、例によって上から一脚で360度カメラを突き出して撮影したアーチの様子がこんな具合。こちらを見ると分かり易いのですが、下流にあたるこちらには溝が付けられていて、溝に沿って上を見上げると、そのまま上か
新木ノ俣用水、旧木ノ俣用水を訪ねた後は、天気予報ではすでに雨が降っていておかしくない時刻。移動手段が自転車の私は、雨が降り出す前に最寄りの黒磯駅方面に向かいます。いえ、本当のことを言うと、この辺りは大田原牛に那須牛と銘柄牛のメッカですから、たまには美味しいお肉でも……と、思ったのですが、大田原牛をいただけるお店が、軽く調べて見つかったのは西那須野駅の向こう側。木ノ俣用水物件で時間を使いすぎたため、到着が13:30以降になりそうですが、昼の営業が14時までなので、ラストオーダー
2020/6/5那須疎水(なすそすい)とは「那須野が原の灌漑を目的とし、明治18年(1885)に国営事業として開削された那須疏水の取水施設の遺構であり、那須野が原開拓事業の象徴的施設」とのこと。(栃木県那須塩原市西岩崎230)上流の深山ダムから流れてくる那珂川の水を取り出して、延長16kmの水路を水が流れてゆきます。所々で分水して農業用水なんかに使われているみたいです。那須疎水の旧施設は重要文化財に指定されています。こちらは明治18年に造られた東水門。これは明治38年の西水門。
私が住む那須塩原市は那須疎水といって農業用水などに供給する用水路がたくさんあります。那須塩原市はもともと酸性土壌の乏水地域だったそうですが、その土地に水を与え農業や放牧などで発展していった土地です。小さな用水路ですが、距離や供給の規模は大きく江戸時代から続く日本三大疎水の1つに数えられています。(散歩中に癒された用水路)少し前になりますが、用水路にビニールのゴミをポイと捨てる年配の女性を見てしまいました。その用水路になんの悪びれもなく、いつものことのように家から出てきてわざわざ用
那須山系から流れ出る那珂川と箒川の間に広がる扇状地帯を那須野が原という。しかし、そこは伏流水になっていたため、長い間不毛の地だった。その土地が、殖産興業という国策と、明治維新後の華族・士族の救済のための払い下げとが合わさり、当時の華族(侯爵、公爵、子爵、男爵)が西洋の貴族へのあこがれもあり、大農場と酪農をめざし、那須野が原開墾に乗り出した。その華族は薩長土肥政府だったから、薩摩、長州が数多く含まれていた。薩摩人は大山巌、三島通庸、西郷従道、松方正義などであった。時の権力者たちがきわめて
在職中はめったにできなかった紅葉狩り。やっとやっとで楽しめた。久しぶりにきた那須塩原市に、もみじ大橋があった。観光客であふれる土、日ではなく金曜日だったので、それほど込み合うこともなく吊り橋を往復し、もみじを楽しむことができたここに来る前は、もう盛りを過ぎているだろうと考えていたのだが、違った。もちろん山の方は終わっているのだが、ここの見ごろは来週あたりになそう。ということは温暖化が影響しているのであろう。深刻な問題として受け止めなくては。午後からは日本三大疎水に一つ那須疎水の旧疎
2018年は【明治維新150年】だと浮かれている輩がいる一方、明治維新の立役者の出生地である鹿児島県では『明治維新150年を記念して』立てられた旗が折られたり、川に捨てられたりという出来事が起きている。これは未だに【明治維新】を成し遂げた者たちへの不満が残っているからであろう。明治維新は日本国を近代化させ、軍国主義の国へと向かわせた。その最たる失敗が大東亜戦争である。明治維新を成し遂げた薩・長・土・肥は日本国の近代化を唱えたが、それは建前で本当の最初の本音は自分たちの
『ブラタモリ』を観ました!那須について何にも知らなかった・・・。進取の精神でこの地を開拓した先人達をリスペクト!だって、大自然の試練を乗り越えて掴んだ成功なんですから。大地に向き合う仕事ってスケールが大きいと思いました。那須の魅力を今に伝え、毎年1400万人の観光客が楽しい思い出をこの地で創る訳ですよね。とっても素晴らしいお話でした。9月下旬は宇都宮編なんですよね?ホームページで予告の画像見たらビックリ(笑)!ひょっとしてタモリさん達と二荒山神社の階段で談笑
那須疎水(なすそすい)栃木県北部の那須野が原には河川から水源の乏しい内地へ水を供給する為に大変重要な役割を担っている那須疎水と呼ばれる水道設備があります。この度、現役の那須疎水の周辺に旧疎水遺構が残されていると聞き急遽訪問することに。ちなみに【疎水】とは、飲料・農業用水を供給する用水路のことで同様の設備が日本全国に存在し今回の舞台、那須疎水はその疎水の中でも有名で猪苗代湖を源流とし福島県郡山市とその周辺地域を網羅する安積疎水(あさかそすい)、琵琶湖を源流とし滋賀県-京
倉庫の中で仕事をしても、汗だくにならないから、涼しさを感じる今日この頃。昨日は、1日遅れでお墓参り。土曜日に行こうとしたけど、お腹痛くて動きたく無かったので、日曜日になりました。産直でのお買い物も含むので、車です。お供えのお花。前日あたりに姉が来たらしく、既にお花は有ったけど、わたしのも追加。二人とも、桔梗を必ず選びます。母親が好きな花だったから。お参り後に、同じ町内(昔のね)の乃木神社へ。中学生くらいの時の遊び場でした。神社前を流れる那須疎水。昔の人が、水を引くために手堀した疎水