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月読の光りを清み神島の磯曲の浦ゆ舟出す我は遣新羅使等の歌読み人知らず萬葉集巻第十五(3599)夜明けにはまだ遠い、──彼方までひろがる海原に、月読の言の葉が降り注いでいる。旅立ちの時間だ、──潮騒が寄せている。至るべき先はあまりにも遠く、そこにも月の光は注いでいるのだろう。船出の時間だ、──寄せる潮騒と、月読のまなざしの中に。Fantasia&Fuguein
■政治のアウトサイダー志貴皇子は、天智天皇の第七皇子として668年に誕生したとされています。天智天皇の皇子は、第一皇子が大友皇子、第二が川島皇子ですが、三から六番目までは不明で、壬申の乱後も生存していて、川島皇子とともに吉野の盟約に参加したということでしょう。時に推定年齢は11歳で最年少でした。幼年だったこともあり、天武朝では他の皇子たちに授けられた官位官職からは漏れています。持統天皇即位の前年(689)、「撰善言司」(よきことえらぶつかさ)という官職に就任しますが、これが記録に残る唯一の官
武庫の浦の入江の洲鳥羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし(万葉集3578)大船に妹乗るものにあらませば羽ぐくみ持ちて行かましものを(万葉集3579)武庫の浦の入江の洲鳥の親鳥がひなを羽ぐくむようにわたしをやさしく包んでくれたあなたあなたと離れてしまったら恋い死んでしまいます私が乗る大船に女を乗せて行くことができるのならおまえを羽ぐくんで持って行きたい
《マニフェステーション・レムリアン水晶》満月エネルギーはすごかった✨🤩夢でふたたびクリスタルワークを始めようとしている私に出会った✨✨✨これまでとは違う形で、私の新しい石との付き合い方を興味のある人に提供していきたい。そんな訳で、何年か前にマリリン&トーマスに選んでいただいたマニフェステーション・レムリアン水晶をシェア✨✨✨色々な角度から撮ってみました。一本の太いポイント水晶に、小さなポイント水晶が何本も貫通しています✨✨✨たまたま今朝気になった石だけれど、この石は対馬旅行に連れ
月読の光りを清み神島の磯曲の浦ゆ舟出す我は読み人知らず萬葉集巻第十五遣新羅使等の歌(3599)まだ夜は明けていない。この磯に、波音が見えぬ果てから響いている。月明かりが見せる水平線が、海原のかなたに光り、浮かび上がっている。旅立ちのときが来た。この磯に、岩は入り組んで波をまとい、──いま、ここから船出するのだ、月読が示すあの水平線のかなたへと。Mozart:SymphonyNo.41inCMajor,K.551
音頭の瀬戸にある「うずしお」からは倉橋島南側にある桂浜へ行きましたここの小高い丘にあるのが桂浜神社です今回初めて拝殿の裏手まで行ってみると立派な本殿があって1480年最修の国の重要文化財とあります再修の説の棟札によれば、時の領主平朝臣弘重・貞光・檀那平朝臣民部丞実時によって文明12年(1480)陰暦6月2日に再修された本殿は前室付の三間社流造・杮葺きで昭和57年に国の重要文化財に指定された(ひろしま文化大百科より)写真を撮ってないのですが本殿は
『愛国百人一首』の選定された12首目は雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の雪宅麻呂の絵札)大君の命(みこと)かしこみ大船(おほぶね)の行きのまにまに宿りするかもこの歌は、736(天平8)年に詠まれた歌です。聖武天皇(第45代)のときの歌です。歌の意(こころ)天皇陛下の御命令を謹んでお受け申して、大きな船に乗って進みな
園を訪ねる」可也山と引津湾の澄んだ青い海。小富士梅林は、可也山の南南西斜面、1〜2合目あたりにあります。今回は参加6人。小富士の天満宮。梅の開花は今年は少し遅いらしく、16日現在、2分咲き。うまく撮れませんでしたが、ハゼの木にメジロ。左手は弁天橋。橋がなかった時代は渡し舟だったそう!海が見える梅林。素晴らしい。麻と木との社長さんや、地元の人たちが整備されているそうです。有難いです。「梅林を透かし見下ろす海の紺」パンチキ(ぱんフレット。)さんのお祖父様の俳句だそう。
賀集江に鶴鳴き渡る志珂浦に沖つ白波立ち頻くらしも筑紫館に著いて遥かに本国を望んで悲しんだ歌読み人知らず萬葉集巻第十五遣新羅使等の歌(3654)かなた、故郷は遠く、国境が近い、──賀江の入り江に立てば海原は穏やかに、人の日々の物語を見つめている。誰を呼んでいるのだろうか、誰を探しているのだろうか、──鶴の鳴き渡る声が、入り江に哀しげにひびいている。志珂の浦には、沖からの白波が寄せているのだろう、──寄せる白波の
関連ブログとして、姉妹サイト「ブログで旅する」から、中国に関連する日本史の記事を抜粋して紹介させていただければと思います。本日、ご紹介させていただく記事はこちら!【河内長野市】くろまろの郷ってどんなところ?名前の由来やアクセス大阪府南部に位置する河内長野市に、奥河内くろまろの郷という観光施設があります。くろまろの郷とはどのような施設なのでしょうか。また、名前の由来は何なのでしょうか。奥河内くろまろの郷の施設情報、名前の由来やアクセスを紹介します。blotabi.net日本史の
関連ブログとして、姉妹サイト「ブログで旅する」から、中国に関連する日本史の記事を抜粋して紹介させていただければと思います。本日、ご紹介させていただく記事はこちら!遣隋使、遣新羅使、遣唐使になった高向玄理とは?姓の由来は?607年に隋に渡った小野妹子。翌年、608年に、小野妹子は再び隋に渡りましたが、小野妹子に同行した者の中に、高向玄理という人物がいました。高向玄理とはどのような人物なのでしょうか。高向玄理の生涯と姓の由来を紹介します。blotabi.net日本史の教科書に登場
旅の始まり。くたびれた身体を引きずって、レンタカーの手続き。旅の始まり。国道脇のスペースに車を停め、小道を下る。西の漕手東側小船越から、小さな船なら丸木に乗せて西側ここ西の漕手まで曳いて、大きな船なら乗り換えて、大陸へと向かった。水面が綺麗で。古代人はここでどんな言葉を掛け合って、旅に出たんだろ。和多都美丸。船名もまたそそられる(人様の船だけど)謎
【桂浜(かつらがはま)】倉橋島は、「長門島(ながとしま)」と呼ばれていました。古くから瀬戸内海の交通の要衝でした。桂浜は景勝の地です。ここに、天平8年(736年)に派遣された遣新羅使(けんしらぎし)が停泊して歌をのこしています(▽白砂青松)…【万葉歌碑】万葉集(巻十五)には八首の歌が載せられている。一首のみ下に書き出します。…余談ながら、碑の建設は「紀元2603年」となっています。昭和18年(西暦1943年)のことです^^(文字の部分を拡大します)…「我が命を長門
とっくに立秋も過ぎたのに、残暑も厳しく、まだ水辺が恋しい時季ですね。滝壺に落ちる水音が聞こえるような、冷たい飛沫を感じるような、そんな美しい滝や渓谷の風景は癒し効果があり、ストレス解消にも役立ちそうです。今回の画像はaknyasuhikoさんに提供していただきました。大分県を中心に阿蘇山系のスケールの大きい大自然や植物などを記事にされています。山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも
長月朔日今月も健康で幸運な日々でありますようにさてJR呉線安芸津駅の北にある祝詞山八幡神社へ行きました(のりとやまはちまん東広島市安芸津町風早)ここは万葉の碑があることで知られています天平8(736)年、大使阿部継麻呂・副使大伴三中が率いる遣新羅使が、風早の浦で船泊りした夜に詠んだ歌です『わが故に妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり(巻15-3615)』『沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを(巻15-3616)』説明
こんばんは私のブログにお越し頂き、ありがとうございます。五感六感センスアップコーディネーター&万葉集セラピストのいくちゃんこと幾島健司です。万葉集には日本人の優れた感性の原点があります。万葉集を使って五感・六感をセンスアップして、安心で楽しく生きるヒントをゲットしましょう。本日は太陰太陽暦で7月13日です。ハイ、いつも通りのふつ~の日でございます(笑)その1からの続きです。万葉集にはいろんな動植物が登場しますが、細かい分類まではしていな
今から約1300年前の遣新羅使の航路をたどって佐賀県唐津市神集島へ。万葉集3681〜3687の7首の歌の歌碑巡りの旅。神集島に着いてすぐ神集島万葉集の会代表のTさんと出会い、なんとTさんのご好意で島を案内して頂けるとの事🚗道中、島にまつわる色々なお話を聞けてとても中身の濃い良い旅になりました。一つ写真撮り忘れ⬇︎底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足姫命、天ノ兒屋根命を祀っている「住吉神社」⬇︎⬇︎捕鯨の際の不慮の事故を供養した「鯨恵比寿」あと鬼塚古墳や神宮皇后ゆかりの場所など⬇︎