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🌴🌴🌴大家好!中国語上達への道トレーナーのむうさんです。🌴🌴🌴2026年の介護帰国の時期が来ました。2019年から親の介護が少しずつ始まり、本格的に海外からの遠隔介護となってからまるまる3年が経ちました。いま現在までの遠隔介護は両親が頑張ってるのもあってなんとか回っている感じがあります。介護のための帰国なのでメインは介護!(当たり前ね!)毎日あちこち駆け回ってやらなければいけないタスクをこなす。出張みたいになってます😅ほ
こんにちはこんばんは老母の遠隔介護真っ最中の私相変わらず老母振り回してきますまるでどこまで自分が愛されているのかを測っているかのよう過去満たされなかった甘えたい心が暴走したりまあ、いろいろです全部叶えてあげることなんて出来ないし自分を犠牲にしてやりすぎてはいけない自己犠牲が溜まるとその反動がずばーんとくるし反動を起こしたことに罪悪感感じたりしちゃういろいろな自己対話が必要になってきます親に褒められたいという未消化な気持ちを持ったま
4月3日は昨年亡くなった母の90歳の誕生日。そして、葬儀後、初めての法要を行う日。なんだかんだあって、四十九日とかすっとばし、百箇日もすっとばし、すっかり過ぎた百箇日と称して誕生日に、宝塚の実家での初めての法要を行う。死んでしまえば、本人は、無。おそらく。生きている人間の、達成感、満足感、充実感…ご都合感。ご縁のあるお坊様を招き、ご縁のあるお供えを取り寄せ、ご縁を紡ぎたかったお店をリザーブ。31日に茅ヶ崎の自宅を出て、新幹線で実家のある宝塚へ。1日・2日となんだかんだ準備。
空き家となっている実家を片付けるのは本当に大変。特に遠隔介護の私。実家は一軒家でゴミ出しの日は当然決まっています。実家は自分が子供の頃から使っていたものやら親の残したものやら本当に大量に物がある。実際何があるのかわからないのでぜーんぶ広げて売れるものがあるか、リサイクルショップに持っていくもの、捨てるものに分類。ひたすらこの作業は続くのです。金属ゴミ、プラごみ。普通ゴミ。粗大ゴミ。もう決まった日に出すためにはその前日には実家にいなくてはならない。果てしない日々が続く。
現在、平塚のサ高住に居る認知症の義母。かつて暮らしていたのが熱海。夫の熱海の実家は、空き家になって4年近くが過ぎた。毎年12月25日、熱海でお墓参りをする。昨年は私の母が亡くなった後、それまで母が居た宝塚のサ高住を引き上げる作業を終え、車で自宅のある茅ヶ崎に戻る途中で熱海に寄った。12月19~23日:宝塚のサ高住片付け&私の実家滞在23日夕:浜松(休憩的1泊)24日昼:三島(花など墓参り品ゲット)24日夜:熱海の夫の実家着(1泊)25日昼:墓参り25日夜:茅ヶ崎(自宅着)
2026年に入って…・落語会(茅ヶ崎と藤沢の文化会館)・大学の新年会(新橋のホテル)・お寺で説法会(鎌倉「禅居院)」・プラネタリウム(平塚の博物館)・企画展とバックステージツアー(平塚美術館)・えぼし岩生き物講座(茅ヶ崎博物館)・赤とんぼ音楽祭(茅ヶ崎文化会館)・シニアライフスクール説明会(茅ヶ崎文化会館)・「東京タクシー」(港南台の映画館)・要約筆記養成講座説明会(神奈川県聴覚障碍者福祉センター)…etc.「スマホを切る」必要がある場所へ行った。並べて
昨年11月末に他界した母。見事なほどスパっと終わった、母にまつわる人々との関係。終の棲家だったサ高住の方々…お名前がわかっている方だけで6名ほど、ケアマネ、訪問リハの理学療法士さん、訪問マッサージの先生、デイサービスの担当者、かかりつけ医…それなりに濃密に関わっていた方だけでも10名超。母の命が閉じたのに少し遅れ、母の最晩年の社会がすべて閉じた。今、私がコンスタントに関わるのは…夫、義母、義母の終の棲家であるサ高住に関連する人々。義母と義母の最晩年の社会は、やがて母の時と同じ
兵庫県は宝塚の父母。神奈川県は茅ヶ崎の私。2020年頃から本格的に始まった、父母の介護。最短で数日トンボ帰り、2週間毎に3回なんてこともあったけど、1~2カ月間隔が最も多く、3カ月開けられたことも1回。アベレージで1カ月半くらい?遠隔介護。と私はずっと思っていた。茅ヶ崎に居るときも父母を宝塚でケアしてくださる方と連絡をとったり、彼らに必要なものを調達して送っていた。たぶん初期に始めたコープ宅配、母が「ようわからん!でけへん!」と言うので、私がネットで注文し、何を注文したかを整理した手紙を
貯めに貯めたり、5年分の確定申告。3月16日(月)の締め切りに、5年分一気&ギリギリでポストイン!6年前、国税局から査察!なるものが入った。介護に突入した両親のお財布を一手に管理し始めていた私。当時、静岡県の三島在住で、父母のメインバンクである都市銀行がない!記帳できるATMさえ、三島にはなかった。そこで三島で大手を振っていたスルガ銀行の口座を開設。そして…父母の口座から私名義のスルガへ。少しずつお金を移していた。もし、父が他界して口座凍結になったら!光熱費やなんやかんやの引き落と
11月末に他界した母。最晩年を宝塚のサ高住で過ごした。12月いっぱいは、実に多くの郵便物が着た。いつものサ高住、訪問リハ、デイサービス、薬局などなどの請求書に加え、行政やらの死後の手続き関連…。1月は前月の請求書に対して支払った、領収書関連。行政物が少し。2月になると、すべてがピタッと止まった。そいうえば、父の生前、父も最晩年はサ高住にお世話になっていたので、2人分の郵便物が着ていた。父が亡くなって3カ月目には半分程度に減ったワケだけど、母だけでもそれなりの数があった。毎日毎日
婦人科系健康診断で再検査になった友人の妹ががんで亡くなった車で接触事故をおこした風邪が長引いてなかなか咳がとまらない若い人の事故死をニュースで聞いた…etc.両親より先に死んだらどうしよう。2人の介護が始まって少し経った頃から、時々、脳裏をかすめた。今、もし私に何かあったら、夫に全部おっかぶせることになる。ぼんくら?!夫にできるわきゃあない!とにかく真っすぐなレールを敷いて軌道に乗せ、先のビジョンを明文化しておかねば!実際には、そんな余裕はなかったけど、さ。父が2年半ほど前
今日は重い腰を上げ、実家の確定申告の書類を見てあげようと思いまして。書類にわかるところだけ書いていき父の年金のことで電話をしたら、帰った時に見つけた年金機構のハガキじゃわからないので(1月に届くやつがなかった)欲しいハガキがなかったようで。なので、通帳でその時期の年金額を教えてもらおうとおもったが、通帳の見方が分からないのでイライラしてきて挙句に「やらなくていい!!」と切られた。母の老健の支払いは母の通帳からなんとかやって方が底を尽き。今後はどうにか工面しないといけないのだが。父
11月20日に亡くなった母。死亡届は翌日葬儀屋さんから提出され、その後の市役所で諸々の手続きは11月27日に行った。市役所関連以外の年金や生命保険などの書類が年内に何だかんだ届き、年明けにそれらの処理を進めた。そんな日々の中で1月末日に届いたのが…母の居住地であった宝塚市からの「高齢者バス・タクシー運賃助成券廃止のお知らせ」。対象はもちろん、すでに他界した母だ。死亡届を出しているのに、行政関連の手続きは終わってるのに、連動していないの?父の時もそうだった。「市政70周年の式典に
昨年11月20日母(89)が亡くなった。主治医の都合で死亡確認は翌日=公的な死亡日は11月21日となった。真の四十九日は1月7日、公は1月8日。そして今日、2月27日は真の百箇日だ。百箇日?!父が亡くなった後にお坊様にいただいた…実際には葬儀屋さんが用意した…今後の法要のスケジュールなるものの中に見つけた文字。私は初耳だった。社会人になるまで3世代で暮らしていた夫曰く、「爺さんたちがやってたぜ、お供えしたり線香あげたりして」。ネットで調べると…出苦忌(しゅっくき)や卒哭忌(そ
死後に必要ないろいろな手続き。サクッと記入すればOKもあれば、なんだかんだめんどくさいものある。できるだけ早くとせかされた中で一番めんどくさかった「未払い年金の請求)」を終えた後、生命保険の請求手続きへ。なんと、まあ、簡単!私の身分証明(マイナンバーカード)のコピー&振込先の記入で完了!民間と行政の違いをまざまざと見せつけられた気がした。生命保険の請求は3年の猶予があるらしいが、別件で保険屋さんとやりとりをしていた中でついでにという感じで。これだけラクちんならついでもアリとやっちまった
香典返しというものは、四十九日のあと1カ月以内にするものらしい。母の四十九日は1月の7日。ということは、2月の第一週あたりまでがリミット。なんだけれど、私はワケあって百箇日である2月27日にピタッと合わせて香典返しが届くよう手配した。まず、品物のセレクト。母が最晩年にお世話になった宝塚のサ高住。ここで3時のおやつによく登場していたスィーツ。で、送るからにはやはり味見をしなくっちゃ!しかし、私の住む茅ヶ崎ではまず手に入らない。私は数年前に「カンブリア宮殿」(テレビ東京)でこのお店が紹介され
母の四十九日は1月7日だった。宝塚に居た母、茅ヶ崎在住の私。どちらで法要を行うか?その日、私は茅ヶ崎に居たが、10日には実家にいた。結局法要らしい法要はしていないけれど、7日と10日、茅ヶ崎でも宝塚でも花を飾り、母が好きだったイチジク(冷凍)やらわらびもちなどなどを供え、線香やろうそくに火をつけたりはした。母に読経をあげてくださった浄土真宗のお坊様は言う。浄土真宗では、亡くなった瞬間に成仏してあの世に着かれている。法要はやるにこしたことはない、くらいの気持ちでいい。目的は、故人
宗教にはまったくこだわりがないけれど、母を浄土真宗で送った。もちろん父も浄土真宗。なぜって?父の実家が浄土真宗だから。知らなかったぁ~父が亡くなるまで。葬儀屋さんに宗派を聞かれ、父の弟、私にとっての叔父に電話して初めて知った。叔父が最初に教えてくれたのは、お寺の名前。ちゃうちゃう、知りたいのは宗派なんですよぉちょっと待って、調べるケぇ(広島弁)私がPCでお寺を検索して宗派を突き止めた瞬間、叔父からLineで「浄土真宗」という文字が送られてきた。そんなもんだよね、今どき。さらに今どき主
2025年11月29日(土)、母の葬儀をした。葬儀後には、市役所に保険関連などの死亡届やらの手続きへ。茅ヶ崎to宝塚と、遠隔介護だった私。12月1日(月)の午前中には、茅ヶ崎へと帰路に就く予定だった。幸い、葬儀前に数日余裕があったので、27日(木)に宝塚市役所へ。つまり、火葬と死後の手続きはどっちが先でもいい。死亡届を出しておかないと火葬はできないが、これは葬儀屋さんが火葬の手配と同時にやってくれるのが定番らしく、私もお任せした。葬儀屋さんからは事前に「おくやみ手続きハンドブック(宝塚市
宝塚市民だった母が、昨年の11月末に永眠した。葬儀を終え、宝塚市営の長尾山にある火葬場へ。長尾山は、実家からも葬儀場からもすぐ山手って感じなのにぐるっと大回りしてかなり登っていく。2年前の父の時、私は霊柩車の助手席いた。今回は、夫の車で霊柩車を追走。なぜって父の時、運転手さんがとにかくおしゃべりで、車窓の風景…父母と過ごした幼少期などに想いを馳せることができなかったからだ。轍は踏まなきゃぁ~荼毘にふす直前、読経を上げていただいた。お坊様とは3度目の逢瀬2年前、同じこの場所で父の時に
11月29日は、亡き父の93歳の誕生日。というワケで、11月20日に89歳で亡くなった母の葬儀を29日に行った。たまたま父の誕生日が近かったから。父へのプレゼントって意味合い?!というより、実家を離れてから30年以上、毎年欠かさず何かしら贈って来た父母の誕生日。介護にどっぷり漬かっていたこの5年、誕生日を意識する余裕はなかった。2人が亡くなってようやく、生前の平和な時代の状況に戻れた…そんな感慨深さも相まって決定した。父、私、夫、義母、親しかった叔父夫婦、そして連絡がとれないもうひとりの
都会の火葬場はどこも激混み。1週間近く待たされるなんて、ザラだそう。昨年の11月末に亡くなった母、兵庫県は宝塚の場合、せいぜい2~3日でOKだった。2年前に父が逝去した折も、確か最短で3日と言われた記憶がある。20日に亡くなり、主治医の事情で死亡診断書は21日、そして私の都合で葬儀&火葬は29日。逝去から9日後なので、できるだけイイ状態で保つために「エンバーミング」という処置をしてもらった。私の場合はこちらの希望での遅い葬儀&処置なワケだけど、とっとと通夜・葬儀をしたいというか、昔ながらの当
昨年の11月20日(木)、宝塚のサ高住で母が永眠した。茅ヶ崎在住の私は、21日(金)にスマホのデータ受け取り(10月末に故障したデバイスから抽出)の予約をしていた。24日がリミットで、これを逃すとデータは2度と手元に戻って来ない。なんと間が悪い!いざ受け取ったデータは、新しいスマホに自然と戻っていたものとほとんど変わらない内容。最悪!11月22日(土)茅ヶ崎から母のいる宝塚へ茅ヶ崎で用事が入っていたがリスケ手配。小田原まで夫に車で送ってもらい、新幹線に乗る。いつものように新大阪からJ
母は昨年、宝塚のサ高住で看取ってもらった。サ高住という視点での備忘録は書いたけれど、母の終いの流れとして別角度からも記しておかなくちゃ。2025年の春と秋の2回、危ないかも?な数日があった。私は3月初旬、5月頭、7月中頃、10月初旬と帰省していて、危ないかも?は4月頭と10月末と記憶している。その前にも時々、食欲が落ちたりとにかく眠ってばかり…といったことはあった。そして復活するとモリモリ食べ、デイサービスにおしゃれして出かけ、サ高住のイベントにも積極的に参加していた。いつでもおかしくな
2023年9月末に父が他界。10月1日に葬儀、10末に終の棲家だったサ高住を退去。茅ヶ崎と実家のある宝塚を行き来している、遠隔介護な私。葬儀の後に自宅に戻り、再びサ高住退去へ。そして自宅に戻った。でもって、また四十九日に行く?つまり、逝去から四十九日の間に、3回帰省する?1回1日2日じゃ終わらない!1週間以上の滞在。いやはや、2回で精一杯だった。お坊様からいただいた法要のスケジュール表を見ると、「百箇日」なる文字を発見!お正月明け、1月4日とある。コレだ!葬儀後の父の法要は、命日からバッチ
昨年の11月末、宝塚のサ高住で亡くなった母の遺品について、使うか?捨てるか?寄付するか?リサイクルに出すか?保管するか?思いのほか、巡らせることが多かった。ひとつひとつにフォーカスしていけば、いくらでもネタ?!はありそうな勢い。が、備忘録として、もっと重要なことがあるんじゃぁ????●年金ストップ&+α●携帯電話解約年金は母の場合、パートに出ていた時期があるので企業年金と国民年金の両方。電話をするだけで済むかと思いきや、小難しい書類が送られてきて、なんだかんだ書類を揃えて返送しなければ
昨年11月の末に、母が永眠した。実家からほど近い宝塚のサ高住に最晩年の3年を過ごした彼女。実家にもそれなりに遺品はあったが、サ高住から持ち帰ったものは直前まで使っていたので、遺品色?!も色濃かった。なぜだろう?どうしようもなく排除したい遺品があるなぜだろう?私の日常にするっと溶け込むものがあるなぜだろう?その中間的で、もったいないからしばらく使って処分すっかはたまた、思い出し笑いしたり苦笑したり。なんとなく和むものもある。じっくり遺品を分析すると…①報われたか報われなかった
昨年の暮れ、亡くなった母が終の棲家としていた宝塚のサ高住を退去した。サ高住からほど近い実家には、遺品が山積みになった。その中から、平塚のサ高住にいる義母が使えそうな…衣類や尿取りパット、車椅子用のクッション、タオル…をまず選んだ。次に、私が使えそうな消耗品…使いかけのシャンプーや歯磨き粉、ボディクリーム…を取り出した。続いて、義母には向かないが私が使えそうな衣類をセレクト。私の茅ヶ崎の自宅に持ち帰った。トップス、ボトムス、靴下、下着、タオル、ハンカチ…衣類+αの布もの。すべてではないが、
2023年10月末亡くなった父の終の棲家だった伊丹のサ高住を退去この時、引き上げてきたトイレットペーパーや歯磨き粉などの消耗品、まだ、使い切れていないものがある。使いかけはさすがになくなったが、新品でストックしたばかり!なんてものが、宝塚の実家にはまだいくつか残っている。2025年12月末亡くなった母の終の棲家だった宝塚のサ高住を退去この時、引き上げてきたボディクリームに歯磨き粉、シャンプー…使いかけをなんとか使い切ろうと、今奮闘中。新品もあり、かなり手ごわい。これ以外にも、母や義母
2026年も1カ月が過ぎ、すっかり2月。なんだかんだ追われているせい?!新しい年が始まった感覚がなかなもてないのだけれど…。正月帰省、どうする?の時期に目にしたニュースに思いをはせる。諸物価高騰の折、帰省費用を捻出するのがツライ!なんてのが多かった。茅ヶ崎to宝塚。自宅から実家へ、遠隔介護な私。父母へのサポートがエスカレート式に増えていった、この5年強。軌道に乗せたぜ!と、3カ月近く帰省しないですんだ時期が1度だけあった。短いときは1~2週間でとんぼ返り。アベレージでどれくらいだろう…