ブログ記事404件
11月20日に亡くなった母。死亡届は翌日葬儀屋さんから提出され、その後の市役所で諸々の手続きは11月27日に行った。市役所関連以外の年金や生命保険などの書類が年内に何だかんだ届き、年明けにそれらの処理を進めた。そんな日々の中で1月末日に届いたのが…母の居住地であった宝塚市からの「高齢者バス・タクシー運賃助成券廃止のお知らせ」。対象はもちろん、すでに他界した母だ。死亡届を出しているのに、行政関連の手続きは終わってるのに、連動していないの?父の時もそうだった。「市政70周年の式典に
昨年11月20日母(89)が亡くなった。主治医の都合で死亡確認は翌日=公的な死亡日は11月21日となった。真の四十九日は1月7日、公は1月8日。そして今日、2月27日は真の百箇日だ。百箇日?!父が亡くなった後にお坊様にいただいた…実際には葬儀屋さんが用意した…今後の法要のスケジュールなるものの中に見つけた文字。私は初耳だった。社会人になるまで3世代で暮らしていた夫曰く、「爺さんたちがやってたぜ、お供えしたり線香あげたりして」。ネットで調べると…出苦忌(しゅっくき)や卒哭忌(そ
死後に必要ないろいろな手続き。サクッと記入すればOKもあれば、なんだかんだめんどくさいものある。できるだけ早くとせかされた中で一番めんどくさかった「未払い年金の請求)」を終えた後、生命保険の請求手続きへ。なんと、まあ、簡単!私の身分証明(マイナンバーカード)のコピー&振込先の記入で完了!民間と行政の違いをまざまざと見せつけられた気がした。生命保険の請求は3年の猶予があるらしいが、別件で保険屋さんとやりとりをしていた中でついでにという感じで。これだけラクちんならついでもアリとやっちまった
香典返しというものは、四十九日のあと1カ月以内にするものらしい。母の四十九日は1月の7日。ということは、2月の第一週あたりまでがリミット。なんだけれど、私はワケあって百箇日である2月27日にピタッと合わせて香典返しが届くよう手配した。まず、品物のセレクト。母が最晩年にお世話になった宝塚のサ高住。ここで3時のおやつによく登場していたスィーツ。で、送るからにはやはり味見をしなくっちゃ!しかし、私の住む茅ヶ崎ではまず手に入らない。私は数年前に「カンブリア宮殿」(テレビ東京)でこのお店が紹介され
母の四十九日は1月7日だった。宝塚に居た母、茅ヶ崎在住の私。どちらで法要を行うか?その日、私は茅ヶ崎に居たが、10日には実家にいた。結局法要らしい法要はしていないけれど、7日と10日、茅ヶ崎でも宝塚でも花を飾り、母が好きだったイチジク(冷凍)やらわらびもちなどなどを供え、線香やろうそくに火をつけたりはした。母に読経をあげてくださった浄土真宗のお坊様は言う。浄土真宗では、亡くなった瞬間に成仏してあの世に着かれている。法要はやるにこしたことはない、くらいの気持ちでいい。目的は、故人
宗教にはまったくこだわりがないけれど、母を浄土真宗で送った。もちろん父も浄土真宗。なぜって?父の実家が浄土真宗だから。知らなかったぁ~父が亡くなるまで。葬儀屋さんに宗派を聞かれ、父の弟、私にとっての叔父に電話して初めて知った。叔父が最初に教えてくれたのは、お寺の名前。ちゃうちゃう、知りたいのは宗派なんですよぉちょっと待って、調べるケぇ(広島弁)私がPCでお寺を検索して宗派を突き止めた瞬間、叔父からLineで「浄土真宗」という文字が送られてきた。そんなもんだよね、今どき。さらに今どき主
2025年11月29日(土)、母の葬儀をした。葬儀後には、市役所に保険関連などの死亡届やらの手続きへ。茅ヶ崎to宝塚と、遠隔介護だった私。12月1日(月)の午前中には、茅ヶ崎へと帰路に就く予定だった。幸い、葬儀前に数日余裕があったので、27日(木)に宝塚市役所へ。つまり、火葬と死後の手続きはどっちが先でもいい。死亡届を出しておかないと火葬はできないが、これは葬儀屋さんが火葬の手配と同時にやってくれるのが定番らしく、私もお任せした。葬儀屋さんからは事前に「おくやみ手続きハンドブック(宝塚市
宝塚市民だった母が、昨年の11月末に永眠した。葬儀を終え、宝塚市営の長尾山にある火葬場へ。長尾山は、実家からも葬儀場からもすぐ山手って感じなのにぐるっと大回りしてかなり登っていく。2年前の父の時、私は霊柩車の助手席いた。今回は、夫の車で霊柩車を追走。なぜって父の時、運転手さんがとにかくおしゃべりで、車窓の風景…父母と過ごした幼少期などに想いを馳せることができなかったからだ。轍は踏まなきゃぁ~荼毘にふす直前、読経を上げていただいた。お坊様とは3度目の逢瀬2年前、同じこの場所で父の時に
11月29日は、亡き父の93歳の誕生日。というワケで、11月20日に89歳で亡くなった母の葬儀を29日に行った。たまたま父の誕生日が近かったから。父へのプレゼントって意味合い?!というより、実家を離れてから30年以上、毎年欠かさず何かしら贈って来た父母の誕生日。介護にどっぷり漬かっていたこの5年、誕生日を意識する余裕はなかった。2人が亡くなってようやく、生前の平和な時代の状況に戻れた…そんな感慨深さも相まって決定した。父、私、夫、義母、親しかった叔父夫婦、そして連絡がとれないもうひとりの
都会の火葬場はどこも激混み。1週間近く待たされるなんて、ザラだそう。昨年の11月末に亡くなった母、兵庫県は宝塚の場合、せいぜい2~3日でOKだった。2年前に父が逝去した折も、確か最短で3日と言われた記憶がある。20日に亡くなり、主治医の事情で死亡診断書は21日、そして私の都合で葬儀&火葬は29日。逝去から9日後なので、できるだけイイ状態で保つために「エンバーミング」という処置をしてもらった。私の場合はこちらの希望での遅い葬儀&処置なワケだけど、とっとと通夜・葬儀をしたいというか、昔ながらの当
昨年の11月20日(木)、宝塚のサ高住で母が永眠した。茅ヶ崎在住の私は、21日(金)にスマホのデータ受け取り(10月末に故障したデバイスから抽出)の予約をしていた。24日がリミットで、これを逃すとデータは2度と手元に戻って来ない。なんと間が悪い!いざ受け取ったデータは、新しいスマホに自然と戻っていたものとほとんど変わらない内容。最悪!11月22日(土)茅ヶ崎から母のいる宝塚へ茅ヶ崎で用事が入っていたがリスケ手配。小田原まで夫に車で送ってもらい、新幹線に乗る。いつものように新大阪からJ
母は昨年、宝塚のサ高住で看取ってもらった。サ高住という視点での備忘録は書いたけれど、母の終いの流れとして別角度からも記しておかなくちゃ。2025年の春と秋の2回、危ないかも?な数日があった。私は3月初旬、5月頭、7月中頃、10月初旬と帰省していて、危ないかも?は4月頭と10月末と記憶している。その前にも時々、食欲が落ちたりとにかく眠ってばかり…といったことはあった。そして復活するとモリモリ食べ、デイサービスにおしゃれして出かけ、サ高住のイベントにも積極的に参加していた。いつでもおかしくな
2023年9月末に父が他界。10月1日に葬儀、10末に終の棲家だったサ高住を退去。茅ヶ崎と実家のある宝塚を行き来している、遠隔介護な私。葬儀の後に自宅に戻り、再びサ高住退去へ。そして自宅に戻った。でもって、また四十九日に行く?つまり、逝去から四十九日の間に、3回帰省する?1回1日2日じゃ終わらない!1週間以上の滞在。いやはや、2回で精一杯だった。お坊様からいただいた法要のスケジュール表を見ると、「百箇日」なる文字を発見!お正月明け、1月4日とある。コレだ!葬儀後の父の法要は、命日からバッチ
昨年の11月末、宝塚のサ高住で亡くなった母の遺品について、使うか?捨てるか?寄付するか?リサイクルに出すか?保管するか?思いのほか、巡らせることが多かった。ひとつひとつにフォーカスしていけば、いくらでもネタ?!はありそうな勢い。が、備忘録として、もっと重要なことがあるんじゃぁ????●年金ストップ&+α●携帯電話解約年金は母の場合、パートに出ていた時期があるので企業年金と国民年金の両方。電話をするだけで済むかと思いきや、小難しい書類が送られてきて、なんだかんだ書類を揃えて返送しなければ
昨年11月の末に、母が永眠した。実家からほど近い宝塚のサ高住に最晩年の3年を過ごした彼女。実家にもそれなりに遺品はあったが、サ高住から持ち帰ったものは直前まで使っていたので、遺品色?!も色濃かった。なぜだろう?どうしようもなく排除したい遺品があるなぜだろう?私の日常にするっと溶け込むものがあるなぜだろう?その中間的で、もったいないからしばらく使って処分すっかはたまた、思い出し笑いしたり苦笑したり。なんとなく和むものもある。じっくり遺品を分析すると…①報われたか報われなかった
昨年の暮れ、亡くなった母が終の棲家としていた宝塚のサ高住を退去した。サ高住からほど近い実家には、遺品が山積みになった。その中から、平塚のサ高住にいる義母が使えそうな…衣類や尿取りパット、車椅子用のクッション、タオル…をまず選んだ。次に、私が使えそうな消耗品…使いかけのシャンプーや歯磨き粉、ボディクリーム…を取り出した。続いて、義母には向かないが私が使えそうな衣類をセレクト。私の茅ヶ崎の自宅に持ち帰った。トップス、ボトムス、靴下、下着、タオル、ハンカチ…衣類+αの布もの。すべてではないが、
2023年10月末亡くなった父の終の棲家だった伊丹のサ高住を退去この時、引き上げてきたトイレットペーパーや歯磨き粉などの消耗品、まだ、使い切れていないものがある。使いかけはさすがになくなったが、新品でストックしたばかり!なんてものが、宝塚の実家にはまだいくつか残っている。2025年12月末亡くなった母の終の棲家だった宝塚のサ高住を退去この時、引き上げてきたボディクリームに歯磨き粉、シャンプー…使いかけをなんとか使い切ろうと、今奮闘中。新品もあり、かなり手ごわい。これ以外にも、母や義母
2026年も1カ月が過ぎ、すっかり2月。なんだかんだ追われているせい?!新しい年が始まった感覚がなかなもてないのだけれど…。正月帰省、どうする?の時期に目にしたニュースに思いをはせる。諸物価高騰の折、帰省費用を捻出するのがツライ!なんてのが多かった。茅ヶ崎to宝塚。自宅から実家へ、遠隔介護な私。父母へのサポートがエスカレート式に増えていった、この5年強。軌道に乗せたぜ!と、3カ月近く帰省しないですんだ時期が1度だけあった。短いときは1~2週間でとんぼ返り。アベレージでどれくらいだろう…
いつまで番外編が続くのか…そろそろ本題へ戻ろう!なのだが、遠隔介護が終わって2カ月余り。落ち着いてくると、「理想のサ高住」そのものの考え方も微妙に、変わってきた。例えば亡くなった母の終の棲家となった、宝塚のサ高住。ここで何よりありがたいと毎日のように感じていたことがある。サ高住スタッフ10名余+私+夫でのLineオープンチャット・本日の朝ごはん、昼ごはん、夜ご飯…毎日ではないけれど、行事食やらちょいと珍しいやら母の好物的な時に。・お風呂上りさっぱり、カルピス堪能中!・デイサービスから戻
宝塚のサ高住で3年間過ごした、母。11月20日に永眠し、そろそろお香典のお返しリミットがやってきた。ふさわしいのは何か?明石出身の母、よく明石海苔を親戚に送っていた。宝塚の老舗のお菓子屋さんも贈答によく利用していた。この2つは、間違いないと思うのだが、何度もリピートしていて、芸がない?そもそも香典返しに芸なんて必要ないのかもしれない。半年前にいとこが香典返しとして送ってくれた「カニ缶」はめっちゃ嬉しかった。いとこにもその両親にもまったく縁もゆかりもない品だが、相手に喜ばれるならそのほう
11月20日に母が永眠した。気がつけば、2度目の月命日が過ぎた。香典返しだなんだかんだ…まだまだ母にまつわることは終わらない。母の終の棲家となった宝塚のサ高住にしても、さよならしたはずが…11月26日だったか、サ高住の方々3名と夫&私の5人で会食をした。母を偲んで的な。そして12月20日のサ高住退去。このあと、サ高住の方1名とサシで、実際には夫と私の3人で食事をした。お礼の意味もありはありだが、それより「確認」したいことがたくさんあったのだ。本当の本当の終末期、亡くなる1カ月
ども~かかりんと申します。私は現在下は7歳、上は99歳の方たちと日々かかわらせてもらいながら、生活の質を上げていく仕事をしています!私自身の属性は女の子と男の子を夫と一緒に育てながら犬をめでるアラフォーです。今年から遠隔介護も始まりさあ大変。子どもはまだまだ手がかかるし、仕事も忙しいし、けれども私と仕事でかかわってくれる方(利用者さんといいます)から日々いろいろなヒントをもらって、私だけにとどめるのはもったいない。ヒントをもらったまま漠然と日々を過ごしていたら、なん
年末年始介護サービスお休みに入るところは多いです私の叔母か利用してる施設も今日からお休み今朝さっそく叔母から電話「今日飲む薬がないんだけど、、、?」飲み忘れるからサービスが入ってるのに誰も来ない日は薬のこと忘れないんだね年末年始の分は私が管理することにならざるを得ずあとで私が届けます今日で訪問看護ステーションの勤務は最後訪問看護師はこれで終わりだと思ってだけど叔母さんへの訪問看護はこれからも続きますねまだまだ働くんだわ私。
訪問看護師のはしもとです。仕事をしながら介護してるワーキング介護者のみなさん仕事中に電話がきて困ったことありませんか?私はなんとなく、叔母さんの介護をしています。叔母さんは、困ったことがあるとすぐ電話をしてきます。仕事中は出られないからね、と何度伝えても何かあれば、すぐ電話がきます。最近は、電話に出られないと留守電にメッセージを入れるようになりました。「〇〇で困ってるの‼️すぐ電話ちょうだい‼️」実はこれ、ものすごくいい👍たとえば、「電気料金の支
11月20日宝塚のサ高住に居る母が永眠した。ちょうど1カ月後、第1回目の月命日。12月20日母が3年暮らしたサ高住から完全退去した。16日の夕方、自宅のある茅ヶ崎から新幹線で宝塚の実家へ。17・18・19とサ高住に通ってコツコツ整理し、少しずつ実家へ遺品を持ち帰る。そして20日。車で後から駆け付けた夫が、テレビ台や椅子やワゴンなどの大物をピックアップ。すべてが完了した。連日通う間、私は母がサ高住で愛用していた洋服を着た。サ高住に入居してから私が母の好みを考慮しながら、もし気
最近、夫はよく口にする。ほたるさんに行けなくなるのは、淋しいね。ほたるさんだけが、ひと筋の光だったよね。私は、答える。ほたるさんとは、この11月20日に永眠した母の終の棲家となったサ高住。実家からもアクセスのいい宝塚の町中にあるサ高住。今、連日通って、退去のために着々と準備を進めている。母が暮らした3年間のあれこれが詰まっていて感慨深い。そして、少しずつ物が減って元通り…時計を逆回しにしているように、入居前の内覧で訪れた時の状態へと戻っていく。長かったようであっという間の宝塚サ高住
11月20日宝塚のサ高住に居る母が永眠した。11月29日亡き父の誕生日に葬儀を行った後、一旦、自宅のある茅ヶ崎に戻った。12月20日サ高住からの最終退去日と決めた。ココに向かっての準備に、再び、宝塚の実家に帰省している。約2週間ぶりに主亡きサ高住の部屋を訪れると…3年前の入居時、部屋に飾った絵が落ちていた。掛けていたフックの寿命だったよう。なんにでも寿命があるのだぁ。ちなみにこの「萩」の絵は、友人の画家が描いてくれたもの。丸いキャンバスの「月」も同じ作家のもので、今年6月に
11月20日に母が永眠した。実家近くの宝塚のサ高住を終の棲家とし、89歳、老衰だった。葬儀は今はやりの小さな小さな家族葬で行った。葬儀が終わった後に、親戚に連絡した。父方のリーダーともいえる叔父だけに電話で報告したのだが、あっという間に父方ぐるぐる情報が巡り、あっという間に複数の香典が送られてきた。気遣い不要。お花と線香代に。と言われたが…。おひとり2万とか3万とかって、まったく返さないわけにはいかないんじゃねぇ?1万の叔母には、とりあえず速攻で軽くジャブ。私が住む茅ヶ崎からほど近く&入
11月29日、宝塚で母の葬儀をした。今はやりの家族葬ってやつ。基本的には、とってもとっても満足している。が、ざざざざ、残念なことも、ちらほらちらほら。例えば…葬儀の翌日からかかってくる、電話攻撃!攻撃ってのは大げさだけど。遺品整理はどうされますか?相続税対策はどうされますか?同じ日に、別の担当者からだった。会社組織的に、別担当なのは、わかる。早いうちに抑えないと、他にとられるかもってのもわかる。が、葬儀の翌日やで!そして1週間ほど経つと、今度は…四十九日どうされますか?2日
父・母、義母で2カ所、計4カ所のサ高住を利用した。なんだかんだ比較して、1位を集めて私的・仮想・理想のサ高住をつくろう!と考えていた。最後のテーマを「看取り」と設定していたのだが、そうかそうか、看取りの後にも物語はつづく…父が亡くなった時もそうだった。11月20日宝塚のサ高住に居る母が永眠葬儀やら何やらの手配を終え、次に待っているのはサ高住からの退去である。26日福祉用具を返却29日葬儀30日退去の第一弾として衣類やら収納ケースやらを実家へ移動12月1日茅ヶ崎の自宅へ帰