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※震災遺構の写真があります。閲覧の際はご注意下さい。前後の記事はコチラから。2023南三陸慰霊の旅|「あずさ」に乗ってどこまでも☆梓エミリーさんのブログテーマ、「2023南三陸慰霊の旅」の記事一覧ページです。ameblo.jp高野会館(外観のみ)を見学したあとは、語り部バスの車窓から南三陸町防災対策庁舎を見た。私にとっての防災対策庁舎は、震災直後の瓦礫だらけの町に建っているものというイメージが強かったが、震災から12年が経った今では、きれいに整備された復興祈念公園の中
すっかり春の陽気になった屋久島です。明日の満月前ですがきれいな月。まだ西の空が明るいので色は薄いです。昼食はキッチンカ―で購入。写真と実物のボリュームが異なるのはいつものご愛敬。役場に確定申告に、隣でおっちゃんが若い女性担当者にぶーたれていて大変。フォーラム棟で写真展。3月11日が近いからでしょう。南三陸町防災対策庁舎。遠藤未希さんが犠牲になった庁舎です。通信に携わっていたものとして、マイクの前に座らずとも遠隔で放送できるのにもっと強く総務省に提案しなかったのがいま
今日Facebookで流れてきた記事の写真に、ハッとした。そこにある若い女性の顔は、決して忘れることのできない人だったからだ。11年前の東日本大震災の津波から、約1万人の人々の命を救って、自ら津波の犠牲となって帰らぬ人となった感動の逸話だ。続きは下記の画像をクリックで、Bloggerブログへジャンプ。【防災】東日本大震災の津波から1万人の命を救った「現代のオトタチバナヒメ」遠藤未希さんを忘れない地震前兆・超常現象研究家の百瀬直也が地震予知・災害・防災・予言などを探求するWeb/ブログ
今日はどんよりなのに20℃まで上がりました。竹林の片づけをやったら汗びっしょりになりました。冬の間の3kg増量から減らせるか?たらの芽初収穫。一つだけなのでてんぷらにせずゆがいて妻がマヨネーズで食べました。ガジュツの毛むしりで農道は賑やか。裏の畑は冬野菜が終了間近。とてもブロッコリーとは思えないまるで菜の花。大根の花。薹が立つと味が落ちます。今は女性に薹が立ったというとセクハラ?最後に収穫した大根。まるで八つ頭。父もこんなの初めてと驚いていました。今日
東日本大震災から11年。2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震。あの時、私は東京都江東区有明の職場にいましたが、私の記憶が確かなら、揺れ始めたのは、14時49分。この14時49分に気象庁は津波警報(大津波)を発表しました。東京都では、当初は14時46分ではなく、"14時50分頃"って言っていた人も多かったと思いますが、あの震源地から東京都までは、揺れが伝わるには数分かかると思います。東北地方太平洋沖地震がもたらした災害を東日本大震災と呼んでいますが、この震災で甚
災害ボランティアをしていたのにあまりにも被害の酷さに足を踏み入れることができなく…。生半可経験があるからこそ一度立ち入るとかえって来れなくなる恐怖。想像される以上の現地の混乱の様子、放射能への恐怖、震度9クラスの余震、再び起きるかもしれない巨大津波への恐怖、…。復興も進み、津波の跡が次々と撤去されるなか、ようやく被災地域に足を踏み入れました。一番記憶に残っている南三陸の防災対策庁舎最後まで避難を呼びかけた防災無線は多くの町民の命を救い、そして自身は3Fの防災庁舎の屋上に避難したものの
遠藤未希さん。。。貴女の事は、忘れないよ。東日本大震災発生時に、宮城県本吉郡南三陸町の防災対策庁舎で、町民に"早く!早く!高台へ避難してください!"と避難を呼び掛け、津波にのまれてしまった同町危機管理課職員遠藤未希さんの事、覚えていますか❓天使の声で、沢山の命が救われましたよね。喉元過ぎれば熱さを忘れるという諺がありますが、あの日の事を忘れ、危機感が亡くなった時、同じ過ちを繰り返すのだと思います。ここ東京都練馬区は、津波による被害は少ないと思いますが、それ以前に、大規模火災が至るとこ
ちょうど、五年前の記事です。何年くらい前からですかね。この日は、国旗を掲げることにしています。25日まで通して掲げてもいいんじゃないか、とも思っています。あと、12月8日ですね。今年からは、9月6日も。まぁ、言いたいことは犬死にであったかどうかとかバカなこと言ってんなってことですね。犬死ににするかどうかは後を託された、今を生きるボクたちの心持ちで変わるわけです。断ち切っちゃったら、犬死って見方もできる。
秋桜(コスモス)って書くって知ってた?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう三宅由佳莉さんの歌唱力(ソプラノ)はひと味違いますね?災害復興支援、本当に有り難う御座います、戦争ではなく人命救助こそ「国防」ですから。南三陸町に於いて命懸けで避難を呼び掛けた遠藤未希さんの事を私は一生忘れません!(上司の「お前も早く逃げろ」の声を振り切ってまで叫び続け…)振り返り思い出すのが「供養」だと思います。
今日で東日本大震災から8年を迎える。2011年3月11日14時46分18秒に、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km、深さ24kmを震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。地震の規模はマグニチュード9.0で、観測史上最大の地震だった。今年3月9日時点の死者は死者1万5897人、重軽傷者は6156人、警察に届出があった行方不明者は2533人にのぼり、収容された遺体の60体の身元が確認されていない。日本人が忘れてはならない東日本大震災である。凄惨な災害ではあったが、現場の自衛官や警察官、消防士
●霊能者を超える天使の声東日本大震災を振り返ってみて、もう1つだけ書いておこうと思う事があります。それは、こういう大災害が起きると、よくこんな質問を受ける時があります。「未来を予知出来るはずの霊能者の方達は、なんで、この大震災を予知出来なかったのですか?」とか、「こんな大災害を予知出来ないのなら、インチキじゃないの?」など。確かに、霊能者って、よく相談者の方に、「来年には結婚しますよ
少し風はありましたがポカポカの一日でした。畑仕事におじいちゃんおばあちゃんが励んでいました。山の畑でも父と叔母さんが黙々と作業していました。洗濯物は外なので私が干すのですが、布巾は妻がキッチンハイターで洗浄して、風呂場へ行く手すりに干していたので父がステンレス棒があるからと手すりの上に干すスペースを作ってくれました。父をとても尊敬できるところです。昨夜はに十三夜祭月に向かって集落の安寧をお祈り。米・塩・里芋・とこうをみんなで一口ずついただきます。なますとにゅう麺は
南三陸町で、震災発生の際、住民に避難を呼びかけ、多くの命を救った遠藤未希さんの事を書いた東日本大震災・命がけのアナウンス(2015年12月04日)のお母さんの事がこの「続編」の様にかかれていました。東日本大震災・命がけのアナウンス~遠藤未希さんと母親美恵子さんのこと~より前の年2010年7月に、未希さんは、ある男性との婚姻届けを出しています。そして、この年2011年の9月10日には結婚式を挙げる予定でした。また、母親の美恵子さんは、喪失感と絶望感を
(続きです)一生かけて守りたかった。みきさんを幸せにすることが、あなたと出会ってからの夢だったから。人生をかけようと思えた初めての人だったから。まだ何もみきさんにしてやれてないよ。みきさんは俺と結婚して幸せでしたか?誰に対しても優しさを与えられる人。自分を犠牲にしてまで防災無線を続け、たくさんの人の命を巨大津波から守った人。愛した人はたくさんの人を護ったんだよと自分に言い聞かせています。この日水道が開通。給湯器が使えたため、頭を泣きながら洗いました。みんなの前で泣く
(続きです)地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れ
遠藤未希さんのご主人のブログです。読んでみて下さい。地震、大津波五日目2011/03/1523:58まずはこの記事を読んでみてください。~~YAHOOニュース3月14日引用~~http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110313-00000032-maip-soci東日本大震災「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸毎日新聞3月13日(日)22時37分配信東日本大震災の発生から3日目の13日、明らかになりつつある被害状況は
南三陸町と言えば、どうしても彼女を思い浮かべてしまいます。ネットを見てみると、『美化し過ぎだ』とか、『そこまで大きな津波が来るとは思わなかったから、逃げなかったんだろう』とか、冷たい言葉が容赦なく飛び交っていたりしますが…。三階建ての二階部分にいて、6mの津波が来るとわかれば、危険な事ぐらいわかるでしょう。しかも最後の方は(恐怖で)声が震えていたらしいです。それ程怖かったら、普通なら防災放送そっちのけで逃げますよね(実際、襲来した津波は10mを越えています)。YouTubeを見ると、『