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唐物を持たずは三畳ばかりなり持つは四畳半よりと心得よ室町時代、特に珠光~宗珠の時代、茶室(当時は座敷)は「お金持ち」の象徴です。そもそも、畳を敷き詰めることはなく部屋は板間で、壁も襖や障子で仕切るものであり、土壁などはありませんでした。その茶室は、唐物の所持によって許される茶室の大きさが決まっていました。冒頭の道歌はそれを詠んだものです(私が)。唐物のない茶は「小間の茶」、いわゆる「侘」であった訳です。これに対し、唐物のある茶は「広間の茶」、いわゆる
2月14日に入手、21日に読了。知らない人名が、たくさんでてきた。今風にいえば、昔の哲学者たち、だろうか。pp153-154にある太田道灌の逸話が好きです。ほかにも心に刻みたい言葉がたくさん収録されていました。読んで良かったです。
中次は三分回して開くるべし五分を過ぎるは誤りと知れ【口語訳】中次は三分だけ回して開けなさい。ただし、五分も回して開けるのは間違いだと知らなければなりません。【解説】中次は、薄茶器の一種で、最も古いものになります。切合が竪の中央にあることから「中次」と呼ばれています。この中次はその制作過程から、かっちりと留まる場所が決まっており、わずかに回して開けるようになっています。ですが、これを回しすぎると切立の漆が擦れてしまい、物によっては蒔絵などが駄目になります。回すのは指一本分。開け
釣り釜や今は昔となりぬるも炉風炉を不問釜を懸けりて道舜【口語訳】釣り釜というと、今は昔のこととなってしまいましたが、炉風炉を問わず釜を懸けていました。釣り釜は現在、新暦3月〜4月(旧暦二月〜三月)に懸けられるものとして定着していますが、利休以前では炉でも、風炉でも行われていたものでした。炉の時期、旅箪笥と共に用いられることの多い釣り釜ですが、小田原征伐において利休が始めたとされていますが、実はそれ以前から箪笥物と置き合わせて用いられていることが分かりました。その当時の箪
二度咲きの花は咲けども使はじと初物好きの吾妻人かな道舜茶花ではよく二度咲きの花は使わない(初物だけ)ということを言いますが、これは二度咲きが季節感を狂わすことから言われるようになったもので、明確になにかに駄目と書かれている訳でも、その理由を述べたものも見たことがありません。ただ、当流でも二度咲きの花は初花に劣るとして使わないですね。これは、人を迎えるのに初物でないことを嫌った武家の習慣のような気もしますし、私などからすると「花が無いよりいいじゃない!」と思ったり
風炉の時炭は菜籠にかね火箸ぬり香合に白檀をたけ風炉の時の炭道具や香のことを歌った利休百首です。菜籠【さいろ】は浅い、野菜を入れておく小振りの深い網籠のことだそうで、風炉用炭斗の利休好は鱗籠になります。浅めのものを平菜籠と呼びます。本来、菜籠は夏物で、冬は瓢であったものが、冬にも用いられるようになり、利休好にも炉用として「油竹」や「達磨」といった炭斗があります。炉用はやや浅く大振りのものを用いています。これに合せる香盒【こうごう】が、風炉は塗物、炉は陶磁器というのが定番で
日曜日、外出もせずに日がな一日漆器を磨いておりました。準備も含めていちばん大変なのはこの始末です。きれいに洗ってあっても、洗い痕などが残っていたり、指紋痕などがあったりします。こういうものは、漆の劣化につながるので、使い古しの帛紗で丁寧に拭き上げていきます。手脂を付けてはいけませんから、持つときは手ぬぐいで持ちまして、古い帛紗で拭き上げます。四時間ぐらい掛かりまして、全ての道具を拭き終えました。懐石の家具や仕舞ふに心得よ磨く心に始末の秘事あり
おはようございます🎵さて、今朝は、《今朝の日めくり📆》にちなんで、【今】についてシェアしたいと思います😄。今今と今という間に今ぞ無く今という間に今ぞ過ぎ行くという道歌があります。今はすぐに過去になります。未来はすぐに今になります。今をしっかり生きて、過去にすがることなく、しっかり未来を見ること。これが大事なんでしょうね・・・😌。だって、今が精いっぱいの人に未来を見る余裕はないだろうし、今が精いっぱいの人は過去の失敗を繰り返す可能性もありますからね・・・😌。今なん
鎧(よろい)、兜(かぶと)、甲冑(かっちゅう)・・・昔、武士が戦に出るとき身につけていたもの。敵の攻撃から身を守る防具、プロテクターですね。この武具、鎧について。興味深いことを聞きました。具足の結構は求めず兜はよく吟味せよ首に添えて敵に行くものなり道歌ですね。甲冑といった武具について、私は詳しくないのですが・・・調べた内容を少し。鎧や兜については、呼び方には諸説あるようです。この道歌では、具足(ぐそく)と兜(かぶと)の言葉があります。この場合、具足は肩から下、胴体に装着
わきちゃんこれは去年の紫陽花、すっごく綺麗で交差点で信号待ちの人や、お散歩中の人が写真を撮ったりゆっくり眺めていったりしてたんですが、、、今年はつぼみが固いうちに、1本残らずつぼみのついた枝だけ全部切り取られて持っていかれてしまいましたと言っても、この紫陽花私の持ち物というわけではないのですよ。うちのマンションの目の前の街路樹の下に植えられている紫陽花です。私はベランダガーデニングをやっていて、植え替えた土の廃棄場所に困っていたのですが、区に問い合わせたら「少量ずつ燃
「道歌清談」(昭11)の作者八波則吉先生道歌恋の歌(1)赤坂日枝神社で3回もらったおみくじの和歌道歌恋の歌(3)ことわざ?謙虚な人をあらわした歌道歌恋の歌(5)神様は神様を慕うものを見捨てない道歌恋の歌(6)熊野古道の神様の御託宣道歌恋の歌(7)月はいつも頭上に輝いている道歌恋の歌(9)-1神様の存在を魂で感じ取る道歌恋の歌(11)新しく何かを始めたあなたへの励ましの歌道歌恋の歌一覧わきちゃんこのブログで道歌を紹介している👆けれど
和本江戸期狂歌「道歌百人一首/一休禅師世の中百首」合1冊/絵入古書古文書/木版摺りです。13+13丁。中本。木版刷り。『データ』【書名】道歌百人一首/一休禅師世の中百首【巻冊】上記の2冊が1冊になっています【著者】恠亭紀賤丸【成立】江戸後期
"ブログ"21日チャレンジ8日目。"暗記"21日チャレンジ11日目の今日は「岩もあり(道歌)」。道歌という言葉もわからずネット検索。Wikipediaによると「道徳的な、または教訓的な短歌をいう。様々な体験から出た世智であり、訓戒である。」だそう。道というと武士道とか茶道とかにも使われるが、詩吟も吟道という道。それは詩吟を窓口に生き方を学んでいくもの。私はまだまだ歩き始めたばかり。無知すぎるのでしっかり学び、そして次世代へ繋いでいこう。"暗記"21日チャレンジ記録は以下。1日
ブックレビュー、ですー。道歌。wikiによると「どうか」とも読むみたい。アニメでお馴染み、一休禅師が仏の教えを分かりやすく教えていたとか。面白かったので探してみました。わかりやすそうな書籍、少なくて。。。道歌入門悲しいときに口ずさめ楽しいときに胸に聞けAmazon(アマゾン)233〜4,290円Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る入口が一休さんだったので仏教的なのかと思っていたら、生活訓、な感じでした。菜
得体のしれない不吉な塊がまたやってきました。ぼんやりとした不安といいますか、やる気にならないのですね。抑うつ性反応神経症です。いつ起こってくるかしれません。やっかいです。あれほど好きなことがイヤなことになってしまいますから。もう、布団ひっかぶって寝ているよりありません。時期を待つしかありません。私の神経症、治りません。昔は本当に一日、布団かぶっていました。外界と完全に遮断しました。夜も昼も闇、光と音が恐怖だったんですね。今だってそうですが、年を取ったのか、環境が変わったせいか、反応が違った
洋花を入れるとあらば趣きの主たるものにぞなると知るべし道舜久しぶりの道歌です。この時期、ミモザの花の話題がよく取り上げられます。だからといって安易に茶花に入れる方を見るとざんねんな気持ちになります。こう言うと、「あの人は原理主義者だから」とか「うるさい人ね!」と反発されるのですが、少し勘違いをされているなーと感じます(笑)私は何も「洋花を絶対に入れてはいけない」と言っているのではありません。それが趣旨や趣向であるならば入れてもよいのです。私が大事にしているのは基本であ
最近、つい手が滑って(=ポチって)、斯様な本を手に入れて・・・(汗)あの、『頓知話・・・』で有名な『一休禅師・・・』(=一休宗純和尚・・・)が、生前、詠み残したと云う(=『想われる』も含む・・・)『訓え歌(=道歌)・・・』を集めた一冊である・・・!表紙には、『三十一文字(みそひともじ)の法(のり)の歌・・・』と云う副題が添えられて居る・・・。ジジイが、一休禅師の道歌に出逢ったのは、もう遥か昔も昔で、その歌は、『骨かくす皮にはたれも迷(
『誰もみな体からだは母の形見なり傷をつけなよおのが体に』木村まさ子さんの講演会で教わった道歌です。木村まさ子さんは、ご先祖さまからずーっと繋がってきた、この体は、一番近いご先祖さまであるお母さんの形見です。「傷をつけなよ」というのは、「自分を大切にね」という意味が込められているのです。と、教えて下さいました。木村まさ子さんの講演会にzoomで参加した大好きな友達のAちゃんと、この道歌のお話をしました😌Aちゃんは、私に、「私は乳がんの手術して、胸や背中を傷付けてしまった。
https://gamp.ameblo.jp/darkpent/entry-11904765914.html【茶道】茶筌の扱い|「の」の字|池袋に近い板橋「橋袋」の茶道の教場《月桑庵》~習心帰大道~gamp.ameblo.jpかなり前ですが、茶筅の「の」の字の所作について記事に纏めましたが、今回は「検(あらた)めて」の部分に注目します。この「検(あらた)めて」というのは何をしているかわかりますか?漢字を見ればわかるとおり、検査をしているのですよね。では、なんの検査か。
湯を入らば茶溜まり外し茶に掛けず尻より垂らせよ香り大事に道舜【意味】(茶盌に)湯を入れるときは、お茶に掛からないよう茶溜まりを外して、柄杓の合の尻を周るように湯を垂らすと香りを大事にできます。【解説】抹茶の上にお湯をかけない(柄杓の合の尻から垂らして入れる)と・抹茶の香りが立ちやすい・ダマになりにくいという2つの効果があります。香りが立ちやすいのは、抹茶に湯を掛けないと抹茶が下から湯と合わさるので、香りが立ち上る流れに蓋をされないためです。湯に溶けた抹茶が上から蓋
私の合気道の師匠(甲師範とする)は、若い頃に弓道の経験はあったが、合気道との出会いはかなり遅く、よく「もっと早く合気道と出会っていればなぁ。」と冗談半分に語られていたのを思い出す。就職してからかなりのちになって、山口県で合気道と出会い、のめり込んでいったようである。甲師範の師匠(乙師範とする)の人間としての素晴らしさに惚れていた点も、大きかったようである。その後、仕事の転勤の関係で姫路市へやってきて、乙師範の勧めもあり、全く縁故のない姫路の土地で合気道の指導を始める。その中で、合気
(歌)櫓も梶も棹も取手のわたしぶねたのめる君がこころまかせに(私感)一旦、ある渡し船に乗ったならば、乗客に出来ることはほぼない。櫓も梶も棹も全ては船頭さんたちにお任せである。こういう時に「あそこに岩があるから、もっと右に」とか素人が心配してもどうしようもない。神経とエネルギーを無駄遣いするだけである。当然、一つの譬えとして詠んだ歌であるわけだが、色々なものに当てはめてみることができる。手術前の患者さんの心の持ち方をこの歌から考えてみるのもよいだろう。ストレスがたまりすぎて
(歌)掃き捨つるちりだに積めばおのづから竹の子等までみなふとるらん(私感)掃き捨てたゴミが(ゴミために)溜まっていくと、それが栄養分になって太った筍が出てくるという内容。ゴミといっても江戸時代のゴミであるから、プラスチックやビニール袋が混ざっているわけではない。書き古した半紙とか土埃とか柿の皮、大根の葉といったところではあるまいか。こういうものが堆積したところはいつの間にか栄養分が豊富になり、たまたまそこに根を伸ばした筍は良く育つわけである。二つの面から考えられるように思
(歌)見渡せば敵も身方もなかりけりおのれおのれが心にぞある(私感)二宮尊徳の同じタイプの歌に「見渡せば遠き近きはなかりけり己おのれが住処にぞある」というのがある。「遠い」とか「近い」とか言っても、それは自分の居場所を原点にして言っているだけで、絶対的に「遠い」とか「近い」とかいうことはないと言っているわけだ。物事は自分の原点の取り方・価値観でどうにでも評価できる……さらに言えば、自分の狭い価値観で何をそんなに真剣に争っているのかということだろう。職場に行くと「敵」が
(歌)めしと汁木綿着物は身をたすくその余は我をせむるのみなり(私感)人間が生きていくにあたって、最小限度必要な物は何だろうか?二宮尊徳は最低限の食と衣服を挙げている。それ以外は不必要だというのである。人間の生活をよく衣食住に分けるけれども、ここには住すらも含まれていない。木の下にでも寝ればいいということだろう。本質でないものを削いで削いで削いでいくとここにたどり着くということだろう。究極の断捨離とも言えるかもしれない。現実生活をこれでやれと言っているわけではあるまい。こ
(歌)田をふかくよく耕してやしなへばいのらずとても米やみのらん(私感)菅原道真の「心だに真の道にかないなば祈らずとても神や守らん」(心さえ真実の道にかなっているのならば、祈らなくても神は守ってくださるであろう)を踏まえた歌であることは一目瞭然。祈るとか念じるとかいうことも大切ではあると思う。みんなの心を一つにするとか、思いやりの心を育てるとか、場合によっては潜在意識に接触して奇跡としか思えないような共時的現象を引き出すこともあるだろう。しかし目的に向けて合理的に考えて、合理的に行動する
(歌)月影のへだつる里はあらねども時雨るるほどはくらくこそなれ(私感)太陽も月も誰にでも平等に光を投げかけている。今日、私が漢字検定の勉強をあまりしなかったから光量を減らそうというようなことはない。それでも人間は運がいいとか悪いとか言って喜んだり嘆いたりする。たまたま雨雲が通り過ぎる時には家の中でじっと時を待っていればいいのだろう。さらに良いのはその時間を使って自分の勉強を進めたり、体力づくりをする事だろう。雨の日には雨の日の生き方があり、雨の日に晴れの日の生き方をしようとするから泥沼には
(歌)声もなく臭(か)もなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくり返しつつ(私感)それはそうだと思う。経典に真理が書いてあるのであれば、内容は人間を含め、天地の動きと一体で当然であろう。ただ、ほとんどすべての人はそれが読めないだけである。私も読めない。二宮尊徳ほどになると、それが読めて、道歌として表現もできるレベルになるわけだ。究極のところに行けば、文字に書いた経典は不用ということになる。ただ、そこに行き着くまでに私たちは紙に書かれた経典を熟読玩味し、修行しなければならないのだろう。
(歌)仮の身をもとのあるじにかしわたし民やすかれと願ふこの身ぞ(訳)この世を生きてきた仮の身を元の主に返し渡し、人々が安楽であれと願うこの身である。(私感)自分の死はすでに超越している。そして最後に残るのは想念であった。想念というのは死後も残るものらしい。二宮尊徳の場合はその内容が人々の幸福であり、広く大きく深い。人それぞれこの世での課題は違うであろうから、「障害を持った我が子の人生が幸福であるように」といった思いと二宮尊徳の想念の間に優劣は無いように思う。ただ、想念が残るというこ