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超がつくほどご無沙汰しております久しぶりにblogログインしましたm(__)m1年以上の空白で大変失礼します娘の近況報告をさせていただきます高校三年生になり、周りの子も進学やら就職やらでソワソワな空気感だったみたいです。一学期は進学組、特に指定校推薦に校内推薦を争う形になり、娘もそこに参戦。夏休みまで忙しく過ごし、二学期早々に無事に希望する大学に指定校推薦が貰える事に決定そして、11月、入試を受けまして、晴れて合格通知🈴が届きました👩🎓難関大学ではありませんが、こち
一言で言うと「ビビって」いた。とにかく、嫌われないように、円滑に行くように、赤点を取らないように、ということばかり考えていた。部活の仲間たちにも「本心」で話すことはできなかったと記憶している。しかし、高1の新学期というのは上手く考えられていて、みんなが知り合いになれるような行事が続き、私は用心しながらも、自然に友達ができていった。部活に入ったのも良かった。私は幾つか見学した後、軽音楽部に決めたのだが、その理由は、とにかく先輩達のライブがかっこよくて、自分もやってみたくなったからだった。そ
入学してすぐのことは、よく覚えている。とにかく、友達からは「目で人を殺そうとしてる」とイジられるほど、当時はメンタルが不安定だった。目は心の窓、というわけだ。何しろ不安だった。3年間通い続けられる自信も、友達と3年間良好な関係を保つ自信も、勉強の自信もなく、高校生活は全て不安だった。入学当初は、「不安」の2文字だけでしか表せない。でも今思えば、他のみんなも新生活に不安を感じていたはずで、周りから見たら、私もそんな1人に過ぎなかっただろう。
過年度受験を決意した時から、私が最も不安を感じていたのは、年齢のことだった。高校浪人は珍しい選択だ。私は人間不信だったから、入学後に、そのことで私に関する嫌な噂が広がって、また不登校になってしまうのではないか、と気が気ではなかった。だから入学の際、学校にも相談して、過年度受験生であることは公言しないと決めた。しかし一言で言えば、全て杞憂に終わった。この高校3年間、担任の先生を含めた全ての先生が「年齢を隠すこと」に協力してくださった。そう言った意味では、豪運だった。最初こそ、身体検査表や模
私は、高校生活を振り返って、この選択で良かった、と改めて思っている。もちろん、高1で不登校になり、保健室登校を続けながら過年度受験をしたときは、「もう1度人生をやり直したい」と強く感じていた。しかしながら、自分の行動を客観視できるようになった今だからこそ分かるのは、あの時思い切って必死に舵を切って正解だった、ということだ。私の場合は、別の高校へ進んだことで、新たな友だちや先生との出会いがあり、明らかに世界が広がった。このブログも誰かのためになれば、心の底から嬉しい。進学に限らず、自分の
この日はかなり緊張していた。それまで約1年、不登校だった時は、保健室登校も午前中だけだったし、行かない日もあった。今日から毎日登校できるのか、クラスメートに過年度受験(1つ年上)であることを知られたらどうしよう、など不安だらけだった。そして、校舎内を見学したことがなかった私は、その日初めて教室に足を踏み入れた。新しい制服に袖を通すことも、新しい教室に入ることも、とても不思議だった。そして同時に、ここで3年間過ごすのか、と感じた記憶がある。校門で撮った写真の私は、どこか不安げで曖昧な表情
名称が違うかも知れないが、合格後、事前登校日があった。制服や体操着の採寸をまとめて注文する日だったように記憶している。会場には、次々と保護者に付き添われた生徒が来ていて、漠然と、この人達が同級生になるんだな、と思ったりしたが、この日はあまり緊張しなかった。今思えば、進路が決まり、精神的に安定していたのだろう。
とにかく、自分に自信がなかった。「友達」ができるのか、「友達」と上手くやっていけるのか、「友達」と仲良くなることはできるのか、、、とにかく不安だった。でも、新学期は誰にとっても不安な時期だった。大抵の人が、知り合いが誰もいない、という同条件でのスタートになる。だから結果として、私の心配は杞憂に終わった。友達に恵まれて、とても楽しい高校生活を送れている。そんなみんなとも、あと半年でお別れだ。卒業アルバムには笑顔の写真を載せたい。
私が高校浪人を決意した際、一番懸念していたことは「地元の友達に知られたくない、会いたくない」ということだった。今は、留学などの理由から一年遅れている高校生がたくさんいることを知ったが、当時そんな情報もなく、学年がずれることは極めて異例だと思っていたからだ。それゆえ、受験校を探す時には、地元中学校の合格実績を見て、家から離れたエリアの、絶対に知り合いが進学していない高校であることを確認していた。もし、せっかく入学しても、誰かしら知り合いがいたら、とてもやりにくく、また通えなくなってしまうよ
以前、書いたかも知れないが、過年度受験をする際に、第一志望の高校で個別の事前相談(親子面談)があった。そこで、これまでの経緯を聞かれるままに話したのだが、過去に同じようなケースで高校浪人を経て入学し、大学進学を決めて卒業して行った先輩達がいると教えて頂き、更に先生が「大丈夫だよ」と言って下さったので、不安で一杯だった心がかなり楽になったのを覚えている。また、私が音楽好きと分かると、吹奏楽部を勧められ、ずっと八方塞がりだった私に、少し先の楽しみ、と言うか希望のようなものが見え、新しい高校生活が
私にとって「合格」は、不登校を終え、新たな高校に進学できる、という約束だと感じると同時に、これから3年間、周りと上手くやっていけよ、という合図でもあった。とにかく、不安だった。人間関係を拗らせて前の高校を退学していた私は、とにかく自分に自信がなかった。合格後は、進学先が決まったのと受験勉強から解放されたのとで、充実感や達成感があったものの、4月からの未知の世界が心配で心配で、しょうがなかった。今、高校3年生になった私は当時の私にこう言いたい。「大丈夫、楽しすぎる高校生活が待っているよ」と
第一志望の高校の合格発表は、併願校を受験しているときに発表されていた。併願校の帰り道、駅のホームで合否を確認したのを覚えている。「合格」、この二文字を見たときにガッツポーズをしていたと思う。合否を見る時が人生で一番緊張するなぁ。
実は、あまり緊張していなかった。今になって感じるのは、とにかく「自信」があった、ということだ。ひたすら過去問を解きまくっていたので、ほぼ全ての問題パターンを認識していた記憶がある。しかし、在籍していた学校を退学しているのに、もしここで合格を勝ち取れなかったら、、、。よく考えると怖い話だが、当時は第4希望校まで出願していたので、最悪その何処かには引っかかるだろうと思っていた。過年度受験を予定している人へアドバイスできるとすれば、この秋は幅広い偏差値帯で学校見学や面談を進め、特にセイフティーネ
過年度受験を決める時、正直、また受験なのかと強く思った。中学受験をした理由の中に、どこか「高校受験はしないで済む」という気持ちもあったからだ。とはいえ、結果的に自業自得(?)で退学した部分もあると感じていて、もう「やるしかない!」と腹を括ったのを覚えている。そして今年、高校に再入学した私は3年生になった。そう、また受験の年が巡ってきたのだ。思い返せば、入学当初はちゃんと通い続けて卒業できるのか不安だったが、ガラッと環境が変わって友達やギターとの出会いがあり、ここまであっという間だった。余談
私は、高校1年生の3学期に退学届を提出した。なぜなら、受験当日まで死ぬ気で勉強する覚悟を決めたからである。それには、ここを去らねばならなかった。最後の登校日のことはよく覚えている。面談室に当時の担任の先生、保健室の先生がいらっしゃって、「大丈夫だよ」と言って送り出して下さった。所属するところが無くなってしまうのは、とても不安だった。背水の陣。過年度受験をするには、それしか道はなかった。
高校受験まで1ヶ月になった1月頃、私は本気で勉強していた。朝、起きてから食事や休憩を挟んで深夜まで、ひたすら勉強していた。ここで頑張らないと、来春から行く所をまた探さなければならなかったので必死だった。とにかく、志望校の過去問を解いていた。きっと、あの時、過去問に載っていた問題全ての解き方を覚えていたと思う。その位、解き方を詰め込んでいた。私は数学に苦手な単元があったのだが、過去問で解らない所があると、当時通っていた個別塾へ聞きに行き、類題のコピーを貰って解きまくった。解法は受験用の参考
お久しぶりです!今日からまた投稿を再開していこうと考えています!この夏休みの間、受験勉強に追われていたので、全く投稿できませんでしたが、私にとって、とても充実した時間でした。それについては、改めて。また、不登校で悩んでいる方に少しでも役に立てるような体験談を綴ろうと思います。私自身、当時から考えたら、こんなに高校生活を楽しみ、大学受験に全力投球しているなんて想像できませんでした。もしこの冬、過年度受験を目指している人がいたら、この秋は、受験可能な学校へどんどん見学に行ってみて欲しいです
保健室登校を続けていた私だったが、3学期に入ってから「休学」を申し込んだ。つまり、受験勉強のために、保健室登校を休止したい、と申し出たのだ。担任の先生は快く受け入れて下さり、しばらく「休学」することとなった。今考えれば、一年の間に色々な経験をしていた。小学生の頃には考えられないような人生を送っていたな、と思う。でも、この経験は私にとって糧になっている。これからもハプニングを乗り越えていける自信の様なものになっていると感じるのだ。
高校受験のために模試を受けるなんて考えてもいなかった。模試会場に行くのは、大学受験の時だと考えていたのに、かなり早めにに行くことになってしまった。当時、学校の教室に入ることが久しぶりだったので、何だかとても新鮮だった。模試については前にも書いたが、私の場合、第一志望校の判定が良かったので気を良くしていたら、過去問が思っていたほど出来なくて、かなり焦った記憶がある。模試を受ける目的は雰囲気に慣れるとか、時間配分を考えて解く練習とか色々あるが、私個人としては、過去問の正答率を上げる方が、よっ
これは本当にしんどかった。いずれ、これを書かなければならない時が来ることは分かっていたのだが、いよいよこれで無所属になってしまうのだと思うと、とてつもなく不安だった。そして、それはまた、後戻りをすることができないことも意味していた。両親からは、退学届を必ず自分で担任の先生に渡すようにと言われていた。当然だとは思っていたものの、なんとも辛かった。もう、こんな思いは二度としたくない。
私の場合、不登校=孤独であった。人間関係が理由で中3の終わりに不登校になり、周りの同級生が全員敵に見えていたことや、小学校時代の友人とは連絡を取っていなかったことなどから、近い年齢で話せる人は居なかった。さらに前にも書いたが、家庭内でも罪悪感を抱えていたため、母以外とはあまり話さない生活が続いていた。他に言葉を交わすという点では、学校の先生方、塾講師の大学生や室長だけ。そんな生活はとても辛かった。だからこそ、私の体験をこのブログで共有することで、誰かのヒントになり、救われる人がいたら、、
夏休みは最高だった。1番の理由は、言い方が良くないかもしれないが、「合法的に休める」からだ。周りの学校も大体が休みになるので日々の葛藤から逃れられる。そんな夏休み中も、塾には相変わらず通っていた。前に書いたかも知れないが、私は塾に通っていると、自分が不登校生ではないように思えて、とても気が楽だった。過年度受験への不安はあったけれど、夏休みは最高だった。
保健室登校をする中で、もちろん毎日元気に通えるわけではなかった。自分で納得して登校しているのだが、どうしても行きたくない日があった。今でも原因は分からない。私は単にサボりたかっただけなのか、精神的ストレスがあったのか、保健室登校を続けることへの不安なのか。多分、色んな思いが混ざり合って、心のバランスが取れていなかったんだと思う。別の高校に過年度受験をして通っている今、不思議なことに、そういう不安定な状態からはすっかり抜け出した。誰でも感じる、面倒くさいな〜、サボりたいな〜という気持ちは
私は、不登校になってからというもの、とりわけ最初の頃、罪悪感で一杯だった。やはり、学校に通わなくていいのだろうかという不安な気持ちと、両親に申し訳ないという気持ちがあったからだろう。兄弟が普通に登校している事に対する後めたさもあるだろうか。だから家では家族と遭遇するのが嫌で、食事も素早く済ませ、会話も必要最低限にし、なるべく顔を合わせないようにしていた。それ程、罪悪感があった。悩んでいる自分を見られたくなかった。辛かった。
保健室内にトイレがあった。私は休み時間になるとそこへこもっていた。いわば定位置だ。何故かというと、保健室には怪我をしたり、具合が悪くなったりした生徒が結構来る。時には顔見知りも来る。それが私にはとても負担だった。保健室登校をしている事を、あまり知られたくなかったからだ。だから同級生との遭遇を避けるために、休み時間になると、ほぼ毎回トイレに入っていた記憶がある。先生に伝えたことはなかったが、気づいていただろう。この気持ちは自分でも、どうにも出来なかったから、教室に戻るなんて、とても無理だ
私は個別学習塾に通っていたのだが、そこへ通うのもだんだん苦痛になっていった。理由は、小学校時代の同級生が多く通っていたからだった。当時、私は高1にも関わらず高校受験の準備をしていたので、いつか彼らに不登校だということがバレるのではないかと危惧していた。その塾には大変お世話になった。特に不登校になった直後は2次募集の相談。その後、過年度受験の準備。大学生講師の方々とは勉強の合間に雑談もし、孤独だった私には救いだった。大学に合格したら、塾へ報告に行きたいと思っている。
私が保健室登校をしていた時の話だ。いつも通り、3限目の間に保健室に登校すると、担任の先生に「個別授業やらない?」と提案された。保健室ではなく、面談室へ移動し教室で行っている「羅生門」の授業を受けさせていただいたのを覚えている。今考えれば、特別サービスでしかない。多分、どの先生でも出来ることではなかったと思う。なぜ当時は気づけなかったのだろう。あの時は、クラスへ戻らなければならない気配を少しでも感じると、人一倍警戒心が働いて、私は頑なになってしまっていた。そのような私に、根気よく付き合
お久しぶりです。ようやく、定期テストが終わり、時間に余裕ができました。この定期テスト期間中、生活習慣が逆転してしまい、直すのに必死です笑また今日から投稿していくのでよろしくお願いいたします!
私は小学生の頃から、プロ野球チームの東京ヤクルトスワローズファンだ。かつて保健室登校をしていた時、あるゲームに出会った。それが、スマホゲームの「プロスピa」、プロ野球チームを作って遊べるというものだ。登下校の際、大好きなスワローズを自分のチームに重ねて常にこれをプレイしていた。今思えば、このゲームに没頭することで気を紛らわせることができ、不安から助けられていたのかも知れない。ゲームに救われることもある。
とにかく人目が気になっていた。3限から4限の間に保健室登校をしていたのだが、こんな中途半端な時間帯に1人でいる私が、他の人からどう思われているのか、とても気になった。駅までの道、駅構内、学校に入る時、全てにおいて気にしていた。例えば、学校の近くでマンション建設工事をしているところがあって、私は毎朝、その前を通らなければならなかったのだが、必ず同じ男性作業員が入口の警備をしていた。私は、彼に見られるのが苦痛だった。きっと、何故こんな時間に?と思われていたに違いない。しかし、今、感じること