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寺社巡りと海ドライブ9月の天気の悪さが嘘のように、10月に入ってからいい天気の日が増えましたねまず最初に参拝したのは、浄楽寺。ここには、全国に22体しかない運慶の作品のうち、5体の仏様があるんです!すごいですよね。別途拝観料を払い、貸し切り状態の静かな空間で、じっくり参拝させていただくことができました。写真はNGだったので、ぜひ、実際に参拝されるといいと思います!本殿もすばらしかったです!立石の駐車場から。波の音を聞いているとこころが凪ます~ラ
御百度参り23日目馬島社✨⛩️✨家から歩いて行きました🚶♀️かつては白山社と言われていたらしいです。境内は立派な社叢(鎮守の森)に覆われています✨🌳✨隣接して、眼病平癒の寺として知られる明眼院があります😊日本初の眼科治療院、“明眼院”延暦21年に「安養寺」の名で創建され、日本初の眼科治療院として知られています。室町時代初期に治療が開始され、特に江戸時代には全国から治療を求める患者が集まったといわれています。後水尾上皇皇女の治療により「明眼院」の名を賜り、桃園上皇皇子
さて、ホテルニューアカオをチェックアウトした後は、伊豆散策へ出発!今回はまず、願成就院へ!私の小学生の時からの愛読書である、学研の図鑑『日本の歴史』シリーズ、今も手元に置いてありますが、その第二巻『中世の人びと』に載っている、北条時政公木像。ずっと本物を見たかったので、遂に行くことにしました!お寺は素朴な感じの閑静な佇まいです。こちらの本堂には、運慶・作の国宝である仏像が五体もいるため、お寺のパンフレットもそっちがメインで、北条時政公木像については載っていません…。
今日は晴れ☀️昨日も曇り☁️かと思ったら少し霧雨が降った東京ほんと油断ならないでも今日は大丈夫そうです大阪旅行記思いの外、長くなってる須磨寺の続き駅から続く商店街がここで終わり(昔は須磨寺までずっと続く参道だったはず)ここからは昔は須磨寺の敷地だったのかな須磨寺の山門までもう少し歩きますこの辺りもあの阪神淡路大震災の被害があったようです仁王門こちらの阿吽像は運慶と湛慶の作だそうです弘法岩この岩が弘法大師が五鈷を持っている姿に見える事からそう呼ばれて
浄楽寺のお十夜で運慶仏の特別拝観が開催されます。2026年(令和8年)10月19日(月)9:00~16:0011:00~学芸員による特別講演12:00~暗闇参り祈願13:30~14:30十夜落語瀧川鯉丸師匠15:00~十夜法要本堂入場無料当日は限定御朱印の授与・境内出店、宿坊「観」ではお抹茶も。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
大岩山毘沙門天にやって来たが雲の中?って感じの天候撮影には最悪だ駒立岩?何処だ?この足元の事?踏んじゃった大岩7石の1つと書かれているので他にも有るのだろうと?色々と案内が出てます745年聖武天皇の勅命によって行基上人による開創と書かれています本堂は1762年に建てられた境内図付きで説明が書かれている足利七福神の場所が掛かれているこれは今後の参考にしておく先が見えませんな車道を進めばショート
東海三十六不動尊第三十三番札所長い参道の途中にある無料駐車場に車を停め、妻と訪れた華厳寺最初に出迎えてくれたのは立派な仁王門年期の入った扁額安置されている仁王像は運慶作らしい運慶作の仁王像弁天様?なかなか本堂が見えて来ない広い境内法輪院やっと本堂が見えて来る多分、最後の階段を登る前に、右手の方へ入り込む魚藍観世音菩薩魚藍観世音菩薩像の横にある石仏が、ちょっと不気味…参道に戻って階段を上がると、やっと手水場です清めてから本堂へ参拝させて頂きます
先日、何年かぶりに神奈川県横須賀市の浄楽寺に参拝しました。運慶と弟子10人が文治5年(1189)に制作した、阿弥陀如来坐像・観音菩薩立像・勢至菩薩立像・毘沙門天立像・不動明王立像の5軀を所蔵しているお寺です。以前は予約するか、年に2日の御開帳日に参拝しないとお会いできなかったのですが、去年から常時拝観になりました。多分8年ぶりなので、常時拝観になってから初めて来ています。仏像好きな方でも、浄楽寺に来たことがない方が多くいらっしゃるかな?と思いまして、ざっくり行き
鎌倉市本尊閻魔大王1250年、建長寺の開山である蘭渓道隆(大覚禅師)の弟子、智覚禅師(桑田道海)によって開山されました。亡者が冥界で出会う10人の王を祀ることから「十王堂」や「閻魔堂」とも呼ばれています。本尊の「閻魔大王座像」は、仏師・運慶の作と伝わっています。一度頓死して閻魔大王の前に引き出された運慶が、「自分の姿を彫刻して人々を善い道へと導くなら、現世に戻してやろう」と言われ生き返った後、歓喜しながら彫刻したとされています。そのため、どこか笑っているように見えることから「笑い閻
HP/コンセプト/プロフィールSHOP/スピリチュアルメッセージこんにちは、VanillaSky・スピリチュアルコンサルティングサロンの昌美です。ゲスト回のポッドキャストをUP致しました。左脳で戦ってきた社長が、和事で「自分のリズム」を取り戻したお話となります。論理と効率を重視し、左脳で人生を切り拓いてきた経営者・大竹さん。三味線や着物、俳句などの「和事」と出会い、余白・間・揺らぎ・脱力を体感することで、直感が働き、自分本来のリズムへ。仕事や身体、人生に起きた
鎌倉杉本城④杉本城🏯“中先代の乱”で死んだと思われていた北条氏得宗家の御曹司の北条時行が生きていました。諏訪頼重が機転を効かせて、逃してくれました。『中先代の乱【鎌倉/勝長寿寺跡】』中先代の乱【鎌倉・勝長寿寺】北条高時の遺児次男の北条時行が、信濃で挙兵します。若干10歳の総大将です。実質の軍を動かしていたのは、諏訪大社…ameblo.jpその後北条時行は、南朝に属します。鎌倉幕
2011-2-24…前略黒字は私。瀬谷さんによれば、明治以降、運慶には「近代的な芸術家」のイメージが託されてきた。例えば夏目漱石は『夢十夜』に運慶を登場させ、「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出す」と、天才芸術家ぶりを表現している…中略しかし、今回は、密教信仰の中心とされる大日如来像を集めることで、「芸術家というより、一貫して密教尊像を作り続けた『仏師』としての運慶の姿を伝えたかった」と瀬谷さん。一方で、「個性が強く、
奈良まほろば検定一級目指し(*^_^*)第53回(53)の答え:イ斑鳩町にある中宮寺の本尊、国宝「木造菩薩半跏像(伝如意輪観音)」は、飛鳥時代の彫刻を代表する最高傑作です。アルカイックスマイルと呼ばれる優美な微笑みと、片足を組んで頬に指を触れる気品ある姿が特徴で、「世界三大微笑」の一つにも数えられています。名称:国宝菩薩半跏像(伝如意輪観音/半跏思惟像)時代:飛鳥時代(7世紀)安置場所:聖徳宗中宮寺(奈良県生駒郡斑鳩町)特徴:樟(クスノキ)材を用いた木造で、人間味あ
奈良まほろば検定一級目指し(*^_^*)第52回(52)の答え:ウ木造弥勒如来坐像【年代】鎌倉時代【所在】北円堂【指定】国宝【技法】寄木造、彩色、彫眼、桂材【法量】像高141.9cm北円堂の本尊像で、弥勒菩薩が56億7千万年後に成仏した姿です。像内には建歴2年(1212)の年号が書かれた願文などが納入されており、また台座内枠には源慶、静慶、運賀、運助、運覚、湛慶、康弁、慶運、康勝ら慶派仏師の名が黒書されます。源慶が中心になって造られたのですが、彼らを統率してい
HP/コンセプト/プロフィールSHOP/スピリチュアルメッセージこんにちは、VanillaSky・スピリチュアルコンサルティングサロンの昌美です。「いい友達がほしいなら、美意識を育てよう」友達は「気が合う」「楽しい」だけで作るものではありません。損得や快不快とは別に、自分は何を美しいと思うのか。損をしてでも選びたいものは何なのか。美意識を育てることで、人の中にある価値や魅力を見つける目が養われ、人生の財産になる出会いにつながっていきます。https://o
昨夜訪れた夜間東大寺にいたく感動しっぱなしのわたし。752年に開眼供養をしてから幾度の兵火によって見た目の変化はあったにせよ、聖武天皇が発願してかたこれまでの1200年以上にも渡り、ここに座す大仏様。当時の人はどんな風にこのお姿を見ていたんでしょうか。。。みなさまこんにちは!奈良が大好きでエステティックサロン女性専門LotusLandと男性専門men'sLotusを経営している香月です慶派と呼ばれる運慶快慶達が活躍した鎌倉の時代は、定朝様(ジョウチョウヨウ)と呼ばれる細目
一日おきに出掛けたり子守だったりで疲れが抜けきらない、そんなお年頃🙄長谷寺から安養院には行かず、鎌倉駅経由で杉本寺に向かいます杉本寺も四万六千日で観音様の功徳日なので入山料は終日無料です杉本寺の山門前に着きました仁王門が見えます杉本寺と言えば、この苔むした石段です通行は禁止🈲です大蔵弁財天本堂まで上がって来ましたおっ!回向柱とお手綱があるぅ~坂東観音霊場も午年は本尊ご開帳ですから回向柱が立ってるのね〜杉本寺の縁起と写メはこちらから↓本堂は茅葺屋根ですお堂に上がりお詣り
今日は何だか筆が進むので連続投稿~清瀧寺の後は後輩をナンカ面白いアザラシのキャラクターがいる水族館で降ろして1人行動🚗自分の趣味ばかりで振り回したら可哀想だからねっ(とか、いい人ぶってみたけど単純に1人でしっかり見たかっただけw)あっそんな事書いたの見られたら・・・まっいいか😆こちらは雪蹊寺(せっけいじ)山中ではなくて町中に有りました駐車場も真ん前でした😊四国八十八か所の石標案内板滲んでて読めにゃい仕様とりあえず〜由緒〜815年に弘法大師に
血曼荼羅を観にトーハクの平成館へ高野山の坊さんからご祈祷を受けることができる企画や、世界文化遺産登録などで、盛り上がっていた当時、ガラケー用の蒔絵シールのグッズが懐かしい。運慶、快慶という仏師の作った仏像が好きで仏像を観覧するようにしていました。(血曼荼羅への注意書に人間の頭蓋骨に血を注ぎ描いたものではないと当然書いてあります。お猿さんの頭蓋骨で、、塗料の種類はちょっと覚えてないけど、その赤い色の塗料の中から何らかの成分が出たのか、、、見上げるほど大きな曼荼羅を眺めて、ごちゃごちゃと考えた記
HP/コンセプト/プロフィールSHOP/スピリチュアルメッセージこんにちは、VanillaSky・スピリチュアルコンサルティングサロンの昌美です。Literallylife記録大変楽しみにしていた、トーハクの空海展へ。なんと、なんと、なんと、46年間お世話になり続けている故郷のお寺の観音様が展示されていてびっくり。まさか上野でばったりお会いするなんて。嬉しい。こんなに間近でじっくり拝見できる機会はなかなかないので、失礼なくらい眺めさせていただきました。
同じ事何回も間違える何でなんだろう😕😕康尚と康勝。康尚(こうじょう)平安時代中期。定朝の父康勝(こうしょう)鎌倉時代初期。運慶の息子。⚫︎康尚は藤原道長に仕えた先祖。貴族のために働く。定朝を生んだ日本仏師全ての祖!!⚫︎康勝は鎌倉時代の天才仏師運慶の息子、四男。代表的な作品は。。康尚作唯一の作品同聚院の不動明王坐像すごい大きな不動明王さん。藤原道長ゆかりです。他にも広隆寺、千手観音菩薩遍照院、十一面観音菩薩康勝といえば今私が朝活している東寺御影堂の
17持国天像興福寺中金堂所在の四天王像をベースとした像長5センチ程のフィギュアである。古くからある寺院の多くは、その歴史の中で盛衰を繰り返している。それに伴い、仏像も本来祭られていた寺院から、他の寺院に移る場合もあった。また、同じ寺院内でも、本来祀られていた場所から移ることもあったと考えられる。以上のことを踏まえて、この四天王像の本来祀られていた場所を考えると、やはり謎である。現在の興福寺には、北円堂、南円堂、中金堂にそれぞれ四天王像が安置されている。現在、中金
すんごい久しぶりに丸四年間働いてた某所へ伺いました受付のお姉様はぜんぜん変わってなくて相変わらずお綺麗でしたお目当ての国宝、法華経(運慶願経)と安倍晴明五行印由緒書を観れて満足ですー館内は撮影禁止私の勤務していた頃から国宝の展示替えがあるのでまた行きたいですが…在宅介護と仕事の隙間のみが私の自由時間です
HP/コンセプト/プロフィールSHOP/スピリチュアルメッセージこんにちは、VanillaSky・スピリチュアルコンサルティングサロンの昌美です。ポーラプレゼンツバレエザニュークラシック2026想像を超える素晴らしさ、胸が震えて、感動のあまり泣けちゃうくらいだった。ダンサーのそれぞれの個性が美しく圧倒的に技術に裏打ちされた自己表現が眩しく振り付け、衣装、音楽のアレンジ、演出全てがオシャレを極めていて、こんな素晴らしい舞台が国産で見られる日本はまだまだそん
13龍灯鬼・天灯鬼興福寺の天灯鬼像、龍灯鬼像をベースとした像長7センチ程のフィギュアである。運慶の子である康弁が、龍灯鬼像を1215年に造像したとの記録があることから、天灯鬼像も含めて康弁作と云われている。これらの像は、燈明を灯すための灯籠を備えているのが特徴である。静と動の対ではあるが、邪鬼独尊像は大変珍しい。仏像における鬼は、天邪鬼のように仏法の力で抑え込まれているイメージが強い。そんな中で、龍灯鬼像の上目遣いの表情を見ていると、鬼の気持ちも理解してほしいと語
12金剛力士像東大寺南大門の金剛力士像をベースとした像長12センチ程のフィギュアである。東大寺南大門の金剛力士像は木造の8メートルを超える巨像である。普通、金剛力士像は門外に向かって立つが、東大寺のこの像は向かい合って立つ珍しい形式である。その理由は不明である。運慶と快慶が、阿形・吽形をそれぞれ分担して造像したと、長い間考えられていた。そして、阿形・吽形どちらが運慶の作かと云われたものであった。しかし、1980年代に解体修理した際、阿形から快慶、運慶の銘が、吽形か
5大日如来坐像円成寺の大日如来像をベースとした像長7センチ程のフィギュアである。大日如来は、密教において最高の中心仏である。そのため、本来は密教寺院の多宝塔に祀られている場合が多い。両界曼荼羅においては、金剛界の中心仏であり、智拳印を結んでいる。この円成寺像は、わが国で初めて制作年と作者名が台座に記されたことでも有名である。1176年、大仏師康慶と実弟子運慶の作とある。確かに仏像としては、玉眼挿入やシルエットなど鎌倉彫刻に通じる若々しい表現である。そのため、若き運慶の
HP/コンセプト/プロフィールSHOP/スピリチュアルメッセージこんにちは、VanillaSky・スピリチュアルコンサルティングサロンの昌美です。ピアノの発表会おわりました。ほっと一息。今回は、わたしなりに表現したいと思う音を、をちゃんと出したい、をテーマにしたので、エモーショナルな楽曲と、掴みどころのない楽曲対極を選んで見ました。ショパン24のプレリュードから一曲とサティグノシエンヌから一曲人前で弾くのは、恐ろしく緊張するけれど、普段なかなかない機会
晴れ。36度の猛暑日。昨日読み始めた「龍華記」。すごく面白かった。今まで、治承・寿永の乱における南都焼打ちについて、自分は平家の重衡の視点から東大寺や興福寺が燃え上がるのを見ていたと思った。当時、強風に煽られて焼かれた奈良の寺院も民家も大変な被害を受け、貴重な大伽藍は大仏も含めて焼け落ちて、大仏殿の上に避難していた人々(平家物語では千余人としている)は焼死し、犠牲者は三千人以上におよんだ。この本は、平清盛が権勢を誇り、重衡が総大将として南都を焼き打ちするところから、平家の都落ち、滅亡、そ
<東山の御寺、泉涌寺(2)>大門から続く”降り参道”をおりた正面に建つのが「仏殿」、寛文八年(1668年)四代将軍「徳川家綱」によって再建された本堂だ。一見、重層建築のように見えるが、じつは多層にみせる<裳階(もこし)>が付いた一重入母屋造りの本瓦葺きで、大屋根の軒に扇垂木、組物は詰組・花頭窓などの唐様建築(禅宗様式)の建物である。(さっきのアノ広い道にはすっかり騙されたな・・・)白状すると、泉涌寺道をのぼっていく途中で左に伸びる広い道をみつけ、しめしめ