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ブロ友さんに教えていただきました金山の筋骨めぐりに行ってきました。残念ながらコロでガイドはお休み中。。。それでもフルマックスで楽しめました!!あまりに素晴らしい街並みと建物なので2回UPさせてください。街歩きする方は「飛山ドライブイン」に停車してOK。コーヒーをいただきましたがとても美味しかった!ドライブインさん〜このお方はアウトです笑飛騨金山駅かわいい。観光協会が閉まっています。。けれど地図など資料は手に入れられました。(ここでドライブインに停車していいのを
私が歌う娼婦の歌にはモデルにしている人がいる。ずっと昔に私を可愛がってくれた人。今はもう会えなくなってしまったけど娼婦の歌を歌う度にほんの数分間あの頃へ帰れるんだ。『街角に立つ女』Mさんは娼婦だった。昔、仕事帰りの深夜によく立ち寄った居酒屋で出会ったおばあちゃんだった。おばあちゃんなんて言ったらきっと目ん玉ひん剥いて怒っただろう。だけど…ameblo.jpさて今日の一曲はジャック・ブレルの曲から”アムステルダム”
【岡山県】遊里跡を歩く・岡山「西遊廓」(岡山市)202103(岡山市西中島町)前回の記事はこちら『【岡山県】遊里跡を歩く・岡山「東遊廓」(岡山市)202101』【岡山県】遊里跡を歩く・岡山「東遊廓」(岡山市)202101(岡山県中区東中島町)岡山市の代表スポットというと岡山城と後楽園。普通の観光客ならまずそっちに向…ameblo.jp岡山には70軒400人という規模の「東遊廓」があったが、"東"があるからには当然"西"も存在する。旭川に浮かぶ細長い2つの中州。
【岡山県】遊里跡を歩く・岡山「東遊廓」(岡山市)202101(岡山県中区東中島町)岡山市の代表スポットというと岡山城と後楽園。普通の観光客ならまずそっちに向かうだろう。しかし、今回の目的はそっちに非ず。(国土地理院地図を編集)岡山駅の東側に流れる大きな川「旭川」。かの岡山城も後楽園も中洲に位置しているが、その南側に目を移すと細長い中洲が2か所あるのがわかるだろう(上の地図で赤く囲っている箇所)。それが今回の目的地である。(国土地理院地図を編集)
成田山新勝寺境内大本堂と三重塔(境内は閑散としていますが、これが正月ともなると......)明けましておめでとうございます。すっかり更新の頻度が落ちてますが、気長にのんびりと書いて参りますので、見捨てることなく(苦笑)今後もご贔屓にお願いいたしますm(__)mさて、令和3年最初はちょうど初詣シーズンに合わせて、千葉県成田市。成田空港がある街として有名だが、元々は成田山新勝寺の門前町として繁栄してきた。創建は天慶3[940]年、あの平将門の乱の年で、反乱平定を祈願するために開
漁師町の赤線跡/旅愁のローカル線終着駅/小さな岬の突端青春18きっぷの日帰り旅、今回は関東の最東端にある千葉の最果て、銚子市。東京から特急「しおさい」で2時間弱、しかし今回は18きっぷなので各駅を乗り継いで2時間半の旅。何れにしても、ちょっとしたトリップだ。千葉県北東部に位置し、東京都心から100㎞程、県庁所在地の千葉市からでも65㎞なので、通勤圏どころか辺境の街。市の北側を利根川が流れ、太平洋へ注ぐ。酒器の"おちょうし"と形が似ているので「銚子」という地名が付い
煉瓦塀にアーチ形の入口、湯浅にはこんなハイカラな銭湯があったんですね醤油発祥の地「湯浅」には、名のある遊里が少なくとも3か所あったという。1.新地その1へ『【和歌山県】重伝建の街を歩く・有田郡湯浅町(醸造町)201907・その1』【和歌山県】湯浅(湯浅町)醤油発祥の地/全国的に珍しい醸造町の重伝建/遊里が3カ所も湯浅の街と言えばこの風景、堀に水がないのだけが残念ですがwちょうど1年前…ameblo.jp2.コンクリ街その2へ『【和歌山県】重伝建の街を歩く・有田
かつて芸妓さんが行き交っていた細い通り、残っているのは朽ち果てた跡でした。醤油醸造などで経済的に潤った和歌山県湯浅町には、かつて3か所の遊里が存在していたという。幾人の先人たちがサイトなどで取り上げているのだが、いつもは参考にさせていただいている『全国遊郭案内』『全国花街めぐり』そして『全国女性街ガイド』などには湯浅に関する記述が一切ないのだ。町史に当たれば何とか出てきそうな気もするのだが......それはともかく、先人がサイトなどで紹介されている、湯浅に存在していたとさ
【和歌山県】湯浅(湯浅町)醤油発祥の地/全国的に珍しい醸造町の重伝建/遊里が3カ所も湯浅の街と言えばこの風景、堀に水がないのだけが残念ですがwちょうど1年前の夏に初めて和歌山県を訪れた。目的は2つで、一つが和歌山市に残る場末の遊里(といえばお分かりですね)、そしてもう一つが今回取り上げる湯浅町。当時は大阪を宿泊地としていたが、その大阪からは県都和歌山まで電車で1時間、更に湯浅までは40分強なので、大阪への通勤圏としては微妙な距離かと。人口1万人超という規模だが、実は醤
【東京都】台東区根岸”聖”と”俗”に挟まれた駅/”風光明媚な里”はいま/柳並木の奥に花街跡夜の鶯谷駅周辺。これがかつて”根岸の里の侘び住まい”と言われた風光明媚な地だったなんて思いませんよね今回は台東区根岸。根岸と言えば明治の俳人・正岡子規が終の棲家として居を構えた地で、「根岸の里の侘び住まい」というフレーズに象徴されるような風光明媚な地だった。「上野」旧1万分の1地形図=明治43年大日本帝国陸地測量部作成(国土地理院Webより)上記地図を一部抜粋して編集明治
【福島県】会津若松会津3日間の旅、最終日の前半は会津若松。芦名氏が鶴ヶ城を築いてから伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝と入り、江戸時代から保科正之が入城後は幕末までその流れをくむ親藩松平家の城下町でした。しかし、あの戊辰戦争で佐幕派の首領とされたことで薩長の攻撃を受け、城下町は灰燼に帰してしまいます(維新後に鶴ヶ城も廃城、破壊されます)。古くからこの地は漆器や醸造が盛んだった場所で、松平家の保護の下で商業が栄えていたのですが、戊辰後は彼ら商人たちを中心に城下町を復興させていくわけです。そ
【東京都】湯島(2019.09)久しぶりに都内のお散歩、今回は湯島から岩崎庭園、東京大学を経て、本郷とざっくりと歩きました。ざっくりといっても、相当の距離を歩いたんですが(苦笑)で、今回の湯島ですが、実は5年程前に一度歩いているんです。その当時は木造家屋やら看板建築やらがあちこちと残っていたんですが、近年の大手不動産の開発侵略の波はすさまじく、そのほとんどがなくなっている有様。その当時の湯島を歩いた際の写真はそちらにアップしましたのでご覧いただきたいのですが、現存していない建物の方
【京都府】西舞鶴(朝代遊廓跡)前回に引き続いて、西舞鶴にあった「朝代遊廓」跡を散策。舞鶴には3カ所遊廓が存在したと前回で書きましたが、いつも参考にしている『全国遊郭案内』には「朝代遊廓」に関する記述がありません。幸い、ググれば先人たちが散策した際にレポートしたのが出てくるので、それらも併せて見ていただけたらと思いますが、舞鶴の軍港建設が本格化し始めた明治23年に朝代遊廓ができたといいます(『遊郭をみる』より)。その対象は軍港建設の工事関係者だったそうで、明治時代には貸座敷38軒に芸娼
【京都府】西舞鶴(朝代遊廓跡)軍都ともに生まれた遊廓地を訪ねてかつて海軍鎮守府が置かれた舞鶴市。元々は東舞鶴市と舞鶴市という2つだったのを昭和18年に一つに合併し、現在の市域ができました。ちなみに、元の舞鶴市というのが今回の西舞鶴、田辺城を擁する城下町として古くから栄えてきた街です。軍都として繁栄してきた舞鶴にはなんと3カ所遊廓が存在していました。東舞鶴の「竜宮遊廓」、中舞鶴の「加津良遊廓」、そして今回の「朝代遊廓」です。宮津から京都タンゴ鉄道で再び西舞鶴へ、そこで降りて散
【京都府】宮津二度と行こまい丹後の宮津縞の財布が空になる丹後の宮津でピンと出した古くから謳われている「宮津節」の歌い出しですね。元々は宮津「新浜遊廓」で江戸時代から謳われたお座敷歌で、広く日本各地に広まっていきました。西廻り船の寄港地で賑わいを見せた宮津の港、各地から訪れた船乗りや商人たちが近くの「新浜」で散在し、上記の泣き言を言いながら後にした、といった感じでしょうか。それ位に宮津の「新浜遊廓」は祇園と並ぶ、いやそれ以上の格式だったと言えますね。前回に
【奈良県】大和郡山「洞泉寺町」金魚の城下町のもう一つの遊廓前に取り上げた「東岡町遊廓」の他に、大和郡山にはもう一か所遊廓が存在していた。それが今回の主役、洞泉寺町遊廓。上の地図を見てもお分かりのように、東岡町からは徒歩で4~5分かかるかかからないかという近さである。県都を差し置いて二か所も遊廓を抱え、あまつさえ「箕山新地」なる遊里もあったわけだから、結構お盛んだったといえる。***東岡町から次の目的地へ向かう途中に出くわす「大門湯」という銭湯。遊
※2018年10月の記事を2019年8月加筆修正【広島県】呉市朝日町広島県呉市……横須賀、舞鶴、佐世保と共に海軍鎮守府が置かれた街で、現在も海上自衛隊の地方総監部があり、戦前戦後通じて"海軍の街"であり続けている。そして、軍都には必ずといっていいほど遊里が存在するもので、前述の4つの鎮守府が置かれた街には例外なく遊廓が存在していたが、とりわけ呉には遊廓が2つあった。一つが「吉浦遊廓」、そしてもう一つが今回取り上げる「朝日遊廓」だ。***その「朝日遊廓」だが、呉
【奈良県】大和郡山・東岡町消えゆく色里の残骸へ......早朝の滝井新地周辺をぶらっと歩いた後は一気に奈良県へ。3年ぶりに入ったのだが、あの時は生駒宝山寺の遊里を散策しただけだったので、本格的に散策するのは今回が初めてかも。もっとも、奈良には高校の修学旅行で京都ともども行ったことあるんだが、記憶があまりないwまあ、じっくり歩きたいところなんだが、普通の観光客と違って寺院巡りとかはあまり関心がないのですよね(苦笑)しかし、県内には古い街並みがぎょうさん残っていて、とても1~2日です
【和歌山県】湯浅醤油の街「湯浅」の遊里めぐり、「新地」、「コンクリ街」に続いて今回は「久保里」と呼ばれるエリア。上の地図で言うと、熊野古道の西側にあたる箇所になる。この辺りはかつて、三味線の音が流れる風流な街だったそうで、恐らくは芸妓主体の花街だったんだろう。場所的にも、醤油商の旦那衆が御贔屓していたのではないだろうか。***スタートは熊野古道の立石道標から。銅板張りの店構えがこの道標を避けるような形で建っているのが面白い。天保9年
【和歌山県】湯浅醤油醸造街として、熊野古道の宿場としても港町としても繁栄した和歌山県湯浅町。決して大きくない街には、確認されているだけで3~4カ所の遊里が存在していた。その一つが、前回の「湯浅新地」で、これは駅にある観光案内版でも「旧茶屋街」として紹介されている。その「新地」を後にして次に向かったのが今回のメインである「コンクリ街」だ。しかし、その途中には"知られざる遊里"ではと言われている場所があり、往年の街の繁栄ぶりを思い知らされることになる......***
【和歌山県】湯浅醤油の街に残る遊里跡群和歌山から紀勢線(きのくに線)電車にコトコト揺られて50分、やって来たのが湯浅町。関西旅前半戦のメインともいえるこの街、紀伊半島中西岸の海が深く陸に入り込んだ入江に面しており、天然の良港として海から多くの物資が入ってきた。背後には有田蜜柑が採れる山地が迫っていることもあり、この港から蜜柑が各地に船で運ばれていったりもした。一方、陸路では熊野古道が通り、古代より京から参詣の途中で皇族や貴族が宿所として立ち寄ってきた場所で、参詣路が整備されるととも
【和歌山県・和歌山市】天王新地寂れゆく紀州路の女人街今回からしばらくお付き合いいただくのは関西の古い街並み、遊里のぶら歩き編。有休を利用し、大阪をベースキャンプとして、一日目は未踏の地・和歌山県へ。ミカンに梅にパンダ、徳川御三家の一つで世界遺産である高野山に熊野、南紀etcと観光的にネタがありまくりなのですが、当ブログではそれらは一切スルーw、初っ端からキワモノ的な場所に入ります。最初に訪れたのが県都・和歌山市、何となく東京と千葉の関係みたいに軽~く考えていたんですが、甘かった(笑
【東京都・台東区】浅草東京で観光に来たならまず外す人はいないのが「浅草」。休日ともなると雷門前辺りは観光客でごった返し、仲見世などは前に進めない程の大混雑。その賑わいの中心になっているのが浅草寺で、境内に入っても日本人よりガイジンが多いのが今ではテンプレ。しかし、今回のメインはそんな浅草寺門前とは対照的に閑静な、通称「裏観音」。現在も東京六花街の一つに数えられる現役花街で、その歴史は江戸時代中期まで遡ります。上の地図で浅草寺の北側の言問通り、東側の馬道通り、西側の国際
【埼玉県・川越市】川越川越を何度も訪れるたびに新たな発見が......だから街歩きはやめられないんです。前回の丸広百貨店を後にして、お馴染み"小江戸"蔵の街並みへ。本当ならこれがメインであるべきなのですが、実は本当の目的地はそこから北に外れた場所の一画。今回が3度目の川越ながら、前の2回は全くどこにあるのか皆目が付かなかったのですが、これぞ「灯台下暗し」だったのですね。蔵の街並みの北端である「札の辻」交差点からほんのちょっと北に行ったところで、あっけなく見つけちゃいました。その詳
【茨城県・筑西市】下館働きたい方、いかがでしょうか......(笑)真岡を後にして、再び下館へ戻ります。前回の真岡の項でも軽く触れたのですが、実は何気に交通の要衝地でもあったのです。東西にJR水戸線、南へ関東鉄道常総線、そして北へは真岡鐡道と3つの鉄道会社がこの下館から伸びています。ところで、かつては"茨城県下館市"と一つの独立した市だったのですが、平成17年のあの大合併で"筑西市"となったのでしたね。その中心となっているのが今回取り上げる下館。平安時代、平将門の乱に対応す
【栃木県・真岡市】真岡唐突な模様、その答えは後程......少し時が経ってしまったが今年のGWは世間的に10連休、しかし当方は職場柄かそれとはまったくの無縁で通常通りお仕事。それでもいつものように週一日の休暇はあるわけで、そんな日を有効利用とプチ遠出、日帰りで北関東遠征しました。東京から上野東京ラインで小山まで移動し思案、両毛線で栃木、足利、佐野方面と頭もよぎりましたが、今回選んだのが反対側の水戸線。予定としては沿線の下館や結城あたりと考えていたのですが、下館で下車して急遽予定