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なんとなーく勢いで広島から高松まで行く事になったので呉のあとローカルで高松へ。瀬戸大橋を渡ったのに陽が落ちて何も見えなかったのが残念😢。高松に着いたのは19時くらい。前日調べて朝予約したホテルはチェックインホテルが40005円と安かったのと新幹線を使わなければ高松へ行っても広島までの新幹線代と大差なかったのが高松へ行く決め手になりました。ライブ会場まで15分ほど。高松の駅前なかなか巨大な商店街が広がっててお店も綺麗やった。帰りは大阪まで高速バス明石海峡大橋
安易に広島にライブ見に行くねーと言ってみたものの実際来たら東京より遠いですやん。前日うっかり飲み過ぎたため広島着いてすぐホテルにチェックイン。ホテルのフロントのおねーさんCARPのユニホーム会いが深いですね。朝早く来るつもりやったのになぁ。広島の駅前は整備されつつあり工事中。市電の乗り場にレトロな電車と2両編成の今時の電車と並んで見れます。駅から20分ほど歩くと壮大に歓楽街が広がってます。元々商店街の端に歓楽街があったんだろうけど飲み屋が商店街を侵食しつつある
働きまくって働きまくって今月まともに家にいたのは25日のみ。なのに痩せなーい💧今月はライブも仕事帰りに手伝いに行ったくらい。さて、和歌山から三重県方面に抜けて行きます。立ち寄ったのは西新地。日方川の前に料亭美登利さん旧館と新館って感じで並んでます⤵️旧館の裏手やったかな。かき惣さん牡蠣料理のお店ですが玄関が空いてました凄ーい‼️素敵もぉお店の中が色々想像しちゃうくらい素敵な玄関。真ん中の四角いのが鑑札⬇️前回の投稿に間違えて載せちゃったスタンド割烹最初に
紅子さんの写真展へ行ってきました。写真集を出す前に一度吉原のカストリ書房さんで開催された時にお邪魔してます。去年も大道芸術館でたまたまお会いしました。覚えていてくれたんだよねー。カストリ書房の渡辺さんも覚えていてくれたんだー。嬉しい😊今回は飛田会館大阪だから行ってきましたよー。そしてなんとなんとingちゃんと一緒はじめましてなのに全然はじめましてな感じがしなかったー。会館までのnostalgicな商店街にきゃっきゃして全然進まない。同じ景色にときめく人との散策ってな
地元の人に聞がないと分からない、豊川稲荷の門前町と大通りの真ん中の絶対地元民しか通らない細い道です。突然現れた2階の飾り窓こうゆう感じのは始めて見ました!😲しっかり鑑札がありました。昭和33年の売春防止法以降は転業旅館だったのでしょう。ハッキリわかる建物はこの三軒でした。どんどん風化して無くなって行く前にこれて良かったです。
ここ数日でいくつかいい事がありました。1つ目は私の質問にいつも答えてくれている"伝わって来る存在"の主が分かった事です。私の質問の"答え"はいつも女の人の声(聞こえないのですが、何故か伝わって来るのです)だと私は感じ取っていました。この間、寝る前にストレッチをしていたら目に"黒鳥"が浮かんで来ました。(これは2つ目のいい事です)なんで"黒鳥"??と思って調べましたら黒鳥の意味から"これからの自分の事"が伝わって来ました。調べながら分からない事などをいつものように質問すると、い
浜松の帰りに再び三谷温泉口駅に降り立ってしまった。と、ゆうか気がついたら降りてた。春に行った時取りこぼした路地に行こうと思って、、、。降りて良かった。私の下調べはいつも甘いんだな。一泊の荷物の入ったリュックは重い、、、。前回行った時より遠くに感じた。ここ鑑札あり夜の雰囲気を想像するとなんとも艶っぽい感じがする。こちらも緑が相変わらずフリーダムです。前回逃したここお料理屋さんでメニューの看板。去年くらいのYouTubeだともぉ少し文字が読めた感じがしてる。もはや廃墟
マツコ部屋でもとりあげられた京都の橋本駅にある妓楼です。今回はまいまいツアーに参加しました!ここには昔80軒ぐらい妓楼があったそうです!この美しい建物を解体するのはもったいないと思った中国の方が買い取って旦那さんとリフォームしながら解放して見せてくれてます。ありがたいです😭避妊具の自動販売機があります!珍しい❗😲昭和初期まで、この廊下の窓から見える道が男性であふれかえってたので「男川」と言われたそうです。この地区の妓楼の家で生まれ育った80代の女性が案内してくれました。こんなに妓楼が注目さ
こちらも尾頭橋公園のまわりにありましま。自動販売機の所が遊郭の入り口でカフェーだったのでしょう、そして待合室だったと思われます。両側の柱はタイル張りになってますね。入り口と出口があるのも典型的な遊郭ですね!人が住んでるので、静かに静かに😓遊郭の近くには八幡温泉があります。遊郭→近くにお風呂がある。全くの民家なのか定かではないかが、カフェー建築にも見えますり尾頭橋駅さようなら👋
安城にライブを観に行くので立ち寄りました。JR安城駅で降りてレトロな商店街を通って路地に入ります。料亭が何軒かあります。近くに古民家カフェもありました。建て直されて綺麗になってますが当時のままであろう建物も。芸妓文化振興会とゆうサイトがあるので芸妓さんを呼ぶ事ができるみたいです。遺構として残る建物。入り口や建物の周りにゴミや雑草がないのできちんと管理されているのかと思います。↓なんか窓とか艶っぽいですよね。↓入り口2つ↓建具が素敵すぎ😍モダンな感じ例によって動画です
4月20日21日と27日28日5月3日とライブ三昧だった日々が終わり日常生活に戻りGWで忙しい現実に戻り隙間にに余韻に浸りながらの日々を過ごしております。自分の主催したライブのお礼が落ち着きまして普段のブログに戻ろうと思います。ライブ三昧の日々を送りましたが岐阜大阪に行ったので岐阜は商店街の中にある鑑札のある路地に行ってきました。その後フラフラと歩いていると何やら雰囲気のいい建物が、、、。あ!鑑札‼️自分の情報にない鑑札がありました。大阪もスタッフとしてお手伝いさ
風邪がやっと治った。咳と鼻水で体力が消耗。龍城蓮からこちらと反対側に行ったところに千鳥園とゆう遊郭跡があったそう。ストリートビューで探したけど解体されてる可能性もあったので松栄蓮にきました。歩いて歩いて2万歩くらい歩いたかな。お寺さんの前の遊郭跡。もっとフラフラ散策したら色々あったみたいだけど事前の下調べを怠ったせいです。と、ゆうのもこの参道レトロな観光地と化して心ときめかなかった事もある。ときめかなかった理由を自分なりに考えてみた。レトロでキラキラ✨だからだ。
月曜日からの強風にて激しく鼻炎になりこりゃまずいなぁと思っていたら重症化し病院へ行かなければと思いつつ祝日のため諦め昨日耳鼻科に行ったら風邪の診断を受けました。熱もないし鼻も落ち着きまして咳がちょっと酷めで声がオッサンなのでお仕事は休みました。接客業で従業多いのと嫌な感じの咳なのでね。岡崎市龍城園(昭和園)へ岡崎城のすぐ横。岡崎城は、三河国岡崎藩にあった日本の城。徳川家康の生地である。別名、龍城。戦国時代から安土桃山時代には松平氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁
半田市繋がりで半田の遊郭跡地を。なんだか空き地が増えてたし以前あった遊郭跡の建物も解体されてました。以前は猛暑の中コロナ真っ只中に彷徨いました。暑くて死んだな。『遊郭跡地巡り清娯園(愛知県半田市)』愛知県半田市清娯園跡春扇楼末廣明治時代に料亭とし営業を始め現在の建物は大正時代に建て直したものだそう。玄関の照明が素敵でした。少し前まで入り口左側に春扇楼末…ameblo.jpベンガラと扇🪭の意匠がとても素敵な春扇楼末廣入り口の看板は取り外されましたが街灯にはまだ屋号が残ってる。
年末年始の休みに(とはいえ31日まで仕事して2日から仕事でしたけど)過去に訪れた場所へ再訪部分的に切り取って写真を撮ってみた。ここの遊廓歴史は浅く短い。戦後の整備に伴い移転を繰り返してきた業者が集まった。色んな黒いお金も動いていたみたいだ。神宮前からバスで訪れましたが地下鉄の駅もあります。近くの築地口の商店街も昭和感漂うレトロっぷり。お金をかけて整備されてるけどお店は古いまま。ビルも古かったし古い旅館もあったなぁ赤とピンクのタイルがびっしりで可愛すぎるんだけどいつ
岡山市中区西中島町のカフェ「田渕商店岡山店」建部町にある「田渕商店」の2号店ですかつて遊郭だったところが旅館になりその後放置されてカフェにリフォームしたそうです。お店の入り口は、旭川の中洲にあります。お店の前を流れる川のせせらぎと、古い町並みがとても風情があります。お店の中は、迷路のように入り組んでいて10室の個室があります。お風呂ちいさっ❗️それぞれの部屋には、異なる雰囲気の調度品や窓から見える景色があります。メニューは、かき氷やドリンク、スイー
昨今鳥羽水族館のラッコちゃんの愛らしい姿が人気で時折動画で拝見します。飼育員のおっちゃんとラッコの可愛い仕草に癒されます。そんな鳥羽かつては国際秘宝館もあったり一大観光地としてバブリーな時期もありました。今でもちゃんと観光地ですよ。そんな鳥羽江戸時代に遊郭がありました。その建物が近年まで残っており廃墟となってましたが持ち主の許可を得て見学をする事ができたそうです。待合津の國で探してみてください。江戸川乱歩記念館の古民家があり縁のある土地のようです。2年前だっ
岐阜大垣夜城園岐阜県大垣市墨俣いつぞやの合併フィーバーで大垣市になったこの美濃路の宿場町。長良川と揖斐川に挟まれつつも重要な宿場町として栄え遊郭も繁栄したようです。墨俣といえば加藤藤吉郎が一夜城を築いた場所で有名ですが実際はお城ではなく砦で7日かかったと言われてます。あちこちで遊郭跡の解体が進んでいるのでどうしても現存する姿が見たくて行ってきました。大垣市ではあるものの飛地のため開発も進まず古い街並みその楽しめますが市民センターの並びにあったモザイクタイルのステキな銭湯
大須北野新地跡1858年北野新地は大須観音の北側にできました。現在の北野神社あたり。明治7年に堀川以東の5箇所に移転以降大須界隈の遊郭を旭遊郭跡と呼ぶようになりました。全盛期明治41年貸座敷173軒娼妓1508人大正12年中村大門に移転。昭和20年名古屋空襲により大須観音の本堂を含め殆どが焼失しました。しかし伏見通り西側の区画の一部が焼失を免れ現在も当時の面影をうっすらと見ることが出来ます。こちらは北野新地と検索すると旭廊として出てきます。当時の花園町現在は佛
久しぶりの道後初めての上人坂(しょうにんざか)昭和時代までは、ネオン坂歓楽街として賑わっていたところ。この光る『一遍上人』袋を持って坂を巡ります。秋の光に照らされて、いきなりお洒落な展示物~ムスタキビロープウェー街から移転したんですねー(跡はDogonopanyaが入っています。)フィンランド語の作品が並びます。PIKKU(小さい)小皿1,650円蓋、コースターにも使えるそうです。HORISONTTI(地平線・水平線)プレート4,180円ロープウ
滋賀県の鉄道の起点?になる草津市。宿場町として栄え本陣2軒脇本本陣2軒旅籠70軒余りを構え多くの旅人で賑わっておりました。昭和24年国の史跡に指定され草津本陣として大規模な修繕を経て多くの人を江戸の世界へと誘っています。ここから8号線の方へ古い街並みを楽しみながら歩いて行くと8号線の手前に東新地があります。少し前までは当時の屋号を残した開成楼など面影はまだまだありましたが自身が訪れた際には解体が進み駐車場になっていました。それでも当時の面影が偲べる遺構が残っていまし
抜けられますな路地。どちらもびびって抜けては行きませんでした。当時殿方はウキウキとこの路地を進み帰りは振り返りながら現実に戻っていったのかなぁー?お豆腐屋さんの路地。ここを抜けるとスナックだったお店があるこれまた細い路地にぬけてメインになる通りにでます。無人販売システムみたいです。この建物も妓楼だったのかな。別の路地。この路地を抜けると格子の遊郭が並んでます。解体されたところもあるみたいだけど。上の路地の建物。奥が路地。ファザードがありますが妓楼だったのかな。
メインの通りを挟んで上柴屋と下柴屋と言われた遊郭。こちらもやはり格子の建築が多い。そして前回の解体された遊郭の奥に進むと遊郭だった建物を建築会社の寮として再利用されています。ちょっと路地が細くてびびって入っていけず。今回はメインの上柴屋と下柴屋を分けた通りにあった遊郭跡転業後旅館として営業されていたようです細い格子が美しい2階の電灯が当時のままなのかな。そして電灯の後ろの格子も非常に美しいですリノベーションされてるものの窓のアーチとかカフェー風だったのかな。壁の切り替
明治元年に御代参街道沿に料亭招福楼本店が開業し明治18年に滋賀県が定めた貸座敷及娼妓営業取締規則に八日市村ノ字内新地浜野村ノ字内字寺ノ前に貸座敷営業を許可し下等許免地であるとした。戦前に陸軍飛行第三連隊により発展したと言われています。昭和33年売春防止売春防止法施行に伴い旅館バースナックなどに転業していった。商店街の中程にかなり朽ち果てたお店の脇の路地を入ると延命新地です。かなり解体されて更地になってましたがそれでも営業されてるスナックも少しあるようです。右側が商店
滋賀に行こうと予定を立てたものの雨でしたがいってきました。彦根市袋町遊郭跡現在も格子の2階建ての遺構が残ってます。城下町の遊郭跡。花しょうぶ通りから路地を入った一角にあります。彦根城から15分ほど歩きます。レトロな商店街の街並みを楽しみ時折近代建築の有形文化財に遭遇しそのディテールの美しさに歓喜し雨さえ降ってなければさらに楽しい散策でした。屋号がありました格子はベン柄とゆう程朱が強くなく茶色がかってました。民家でもこの色に柱を塗ってある家がありました。監察が残っ
手力園國際園現役ソープランド金津園元々柳津から手力に移った業者がなんとか岐阜駅前の方に戻るために手を尽くして戻った場所が金津園。現在立派にソープランド。流石に昼間っから店頭にお店の方がお出迎えするメインの通りは歩けずでした。当時の名残はかなりなくなり解体され空き地が広がり空が広く見えます。転業して喫茶店に。テントの間の赤い豆タイルが可愛いです緑のタイルが印象的なビジネス旅館ですが棟続きでソープ遺構だと思われる窓のない不思議な建物特殊浴場組合と公民館が同じ建物。
岐阜といえば金津園が有名ですがこの金津園戦時中移転をして今の場所に落ち着きました。柳ヶ瀬界隈にあった貸座敷が1944年(昭和19年)川崎航空機の宿舎として接収され移転した先が手力とゆう地戦時中のため華やかな飾り付けはなく質素に営業していたためこれまで訪れた遊郭跡地に見られるような装飾の施された建具などこれっぽっちもなく印象はトタンの茶色のバラックとも呼べるような感じ。この地の外側にはマンションなどが立ち並び見える景色も少し違和感がありました。雰囲気のある古民家
国際園跡に残されたみかどの看板の残った角地の物件は解体された。まぁ、見事な廃墟やったから仕方ないね。それでも角地の物件は特徴的で同じつくりが多い。いわゆる面取り物件。転業されたり3階を増築してあったり。手すりが特徴ある。確実に増築丸っこくなった窓とタイル壁が好き
岐阜と言えば言わずと知れた金津園がある。全国的に有名なソープ街。数奇な運命を辿りここに落ち着いた経緯があるがまた今度。岐阜駅前に認可は降りてはいなかったが黙認されていた私娼街があった。それが國際園。建物も老朽化し住んでいる人も高齢化しいづれなくなるんだろう。戦後近くの金神社とゆう場所に闇市や私娼窟ができた。治安の問題で現在の花園町に昭和31年に移転。ぎゅっと凝縮された区画に長屋づくりの廃墟化しそうな商店街が並んでいる。なかにいかにもな建築の装飾を施された物
去年一昨年と奈良へライブへ行った時大和郡山にある洞泉寺遊郭跡に行ってきた。昨年は宿を奈良市に取り翌日は奈良公園界隈を散策。鹿と戯れ古い街並みを堪能。コロナ禍でも夏以降感染者が減ったタイミングだったせいか観光客は多かった。この辺り木辻遊郭跡があった場所。奈良には洞泉寺木辻生駒新地東岡町が認可をうけ花街として営業をしていた。木辻はもぉそれ程遊が残っていない。静観荘と呼ばれた転業旅館が有名ですが去年訪れた際廃業された頃だった。これは後から知りました。お庭