ブログ記事24件
20260109(若干曇天気味でしたが何ら支障無い金曜日),前回の投稿に引続き少し深堀りを・・・現在は「東岡町」に変更されていますが、当時は「岡町」その岡町にあった「遊郭」の建物を「Googleマップ」で探すともう朽ち果てそうな怖い様な木造3階建ての「東岡遊郭跡」と称した(これは個人で命名されます)建物があって私は内心、ご近所さんはさぞ迷惑かも・・・と、思えるほどの一見「幽霊屋敷」・・・てな事で、今朝初めて旧「岡町」に行くと、まァ沢山綺麗な家があって(九分九厘、不
20260107(今朝も快晴だったので近場を走った水曜日),大正13年創建の「川本家」、木造3階建の大型遊郭建築で「遊郭」~「赤線」~「下宿屋」と変遷。現在は「町家物語館」として開放されています。色んな情報を聞きながら館内巡っていると、確かこの辺りの遊郭へは北陸地方からの「年季奉公」(簡単に言うと家の「借金のかた」などで売られてきた娘さん)の方が多く、24~5歳で明けて一部の方は帰られていたらしいです。一番目に着いたのはその女の子たちの名前が書かれた紙が貼られているちっち
浜松の帰りに再び三谷温泉口駅に降り立ってしまった。と、ゆうか気がついたら降りてた。春に行った時取りこぼした路地に行こうと思って、、、。降りて良かった。私の下調べはいつも甘いんだな。一泊の荷物の入ったリュックは重い、、、。前回行った時より遠くに感じた。ここ鑑札あり夜の雰囲気を想像するとなんとも艶っぽい感じがする。こちらも緑が相変わらずフリーダムです。前回逃したここお料理屋さんでメニューの看板。去年くらいのYouTubeだともぉ少し文字が読めた感じがしてる。もはや廃墟
7月京都回想記未公開画像編のつづきです。東山七条へ講座で使う画像を撮りに行く途中、旧五条楽園を散策。元お茶屋「新みかさ」お茶屋建築には、カフェ建築と遊郭建築の②種類があります。毎回🆙するたび何だったんだろうとブログに書いていましたが、makkii-1128様からメッセージをいただきまして、元お茶屋「芙蓉」さんと判明しました🤓。教えていただいたサイトにはお茶屋建築の種類も書かれており、大変勉強になりました。makkii-1128様ありがとうござ
明日から徳島和歌山辺りをウロウロします。前回渡れなかった友ヶ島狙いです。お返事など遅れると思います、いつもコメントやいいねをありがとうございます。たくさん旅の参考にさせていただいてます。富士川沿いっていいですよねー、洞門をみても楽しい、走っても楽しいすっかりブームも去った聖地でおやつ身延の山門。たくさんのお寺の集合体なのでどこの山門なのかは知らない。山門の脇にあるのは・・元、講の宿泊所かな?吉原の講札は各地の有名な神社でよくみる・・楼主の儲かり様が手に取
秩父、やっとこ行けました!設楽さんの故郷、のどかでありながら江戸時代からの宿場町埼玉ならではの広い空間に古い建物が残っている感動!適度なお客さんの人数も良き落ち着いたお店でお蕎麦を頂く相方のミニわらじカツも絶品うまし!有名なパリー面白いデザインですよね行列でしたアールの嵐カフェ~建築でしょうか有名な遊郭花月さん跡凄いよ~シャチホコ!古い六軒長屋渋すぎ!これも遊郭かも花月さんの向かいの豪邸丸窓!旅館か料亭、はたまた遊郭かこの窓も怪しいです素敵作りがカフェ
美香茶楼旧第二友栄楼「橋本の香」の数軒先に、元妓楼の第二友栄楼があります立派な門構えの妓楼ですが、こちらは、ごく一般的な妓楼だとか「橋本の香」と同じオーナーさんが、クラウドファンディングで資金を集めて中国茶カフェ「美香茶楼」にリノベーションしました奥に日の丸が見えます戦地に赴く兵隊さんのために、置かれていたそうですあふれる昭和感なぜか百恵ちゃんの写真が・・・赤いシリーズの作品かな鮮やかなグリーンの壁は新しそうY字形に交差する階段
年末年始の休みに(とはいえ31日まで仕事して2日から仕事でしたけど)過去に訪れた場所へ再訪部分的に切り取って写真を撮ってみた。ここの遊廓歴史は浅く短い。戦後の整備に伴い移転を繰り返してきた業者が集まった。色んな黒いお金も動いていたみたいだ。神宮前からバスで訪れましたが地下鉄の駅もあります。近くの築地口の商店街も昭和感漂うレトロっぷり。お金をかけて整備されてるけどお店は古いまま。ビルも古かったし古い旅館もあったなぁ赤とピンクのタイルがびっしりで可愛すぎるんだけどいつ
木蓮のいとおかし日記名古屋ランチ編中村区大門蕎麦伊とうです旧遊郭をリノベーションしたおみせです嫌悪感を示した割にはお連れの希望で遊郭建築がみたいとなので唯一残るリノベーションされた、そばやさん手打ち蕎麦いとう|名古屋中村区のこだわりの自家製粉石臼手打ちそば処。名古屋市中村区大門こだわりの自家製粉石臼手打ち蕎麦「伊とう」soba-ito.jp中庭と座敷席を備えた日本家屋のゆったりとした店内で、石臼挽き手打の二八そばや名物の金華豚と香味野菜のそば、天ぷらや一品料理を提
9月4日昨夜は、岡山の友人宅にお泊りしました♫久し振りに岡山にお邪魔したので…。『ランチをご一緒に…!!』早目のランチは、《ホタテ飯セット》にしよう♫で…🚙💨です。うんうん💓リノベーションWORLDですなぁ〜♫田渕商店岡山県岡山市北区建部町大田4323https://tabelog.com/okayama/A3301/A330101/33018703/ここ!!昔昔は、《遊廓》があった地域です。お昼を食べて、友人宅に停めてた私の🚙を取りに戻って…!!ここで!!お別れで
近鉄文化サロンの「近畿の名城探訪」ツアーで大和郡山へ。大和郡山の成り立ち豊臣政権といえども強力な奈良の寺社勢力はおいそれとは統治できません。豊臣秀長(とよとみひでなが)とは?意味や使い方-コトバンク世界大百科事典第2版-豊臣秀長の用語解説-1541‐91(天文10‐天正19)安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の異父弟。筑阿弥の子。小一郎,のち美濃守。初め長秀,1585年(天正13)ころより秀長に改めた。1577年以降秀吉の中国征伐に従って頭角をあらわし,但馬竹田・出石城主など
前回からの続きになります。京都府八幡市橋本にある元遊郭建築の見学ができるという事でやってきました!今回、見学できる遊郭建築はこちらになります。こちらは「第二友栄楼」という遊廓だった建物です。取り壊して、駐車場になる予定が決まっていたそうなのですがそれを知った現オーナー様が「こんな素晴らしい建物を失くすなんて、勿体ない、、。」と借金をして三軒分の建物を購入されてこちらの旧第二友栄楼はクラウドファンディングを行って、中国茶カフェ、「美香茶楼」として
名古屋に来ています。愛知祝祭管の《トリスタン》は15時開演。時間があるので、市内を散歩。久し振りに中村遊郭跡に行ってみました。以前来たときは、ピアゴというSCの周辺に大規模な遊郭建築が多数残存。ピアゴの上から見る遊郭建築群は、なかなか壮観でした。『中村遊郭跡』名古屋の中村遊郭跡は、実に面白い。現在の大門町という場所で、市バス大秋町から直ぐ。旭廓(全盛期は娼家173軒、娼妓1618人)が手狭になり、大正時代に中村…ameblo.jpしかし、その多くが取
前回、大和郡山の旧川本家住宅の見学をしたのですが予想以上に建物が大きくてブログの記事が長くなってしまって、載せきれていなくて今回はその補足記事となります。現在、「町家物語館」として一般に無料公開している旧川本家住宅は奈良県大和郡山市の洞泉寺町というところにあり、かつて遊郭街として賑わっていたそうです。調べてみると1859年(安政6年)には7軒の遊郭があり、明治初めに公認遊郭となり、1886年(明治19年)は11〜13軒の店があり、娼妓は34人〜67人
前回からの続きとなります。大和郡山、洞泉寺町にある旧川本家住宅本館の見学に行ってきました!〈建物について〉こちらの町家建築は大正11年に納屋と蔵、大正13年に本館と座敷棟が建てられ、川本楼という遊郭と一階と二階の一部は当家主人の居室として使用されていました。1958年(昭和33年)に廃業となった後は客間は貸間として1971年(昭和46年)まで利用されていたそうです。その後は長く空き家状態が続いたそうで取り壊しが検討されたそうですが歴史的な建造物と
大和郡山に遊郭跡があった事は以前から知っていたのですが奈良まで行こうという気にならなくて、何年も経ってしまって、、最近になって、「今のうちに行っておかないと」という気持ちに行動力が伴い、実現しました〜!!情報が薄くネット検索していたらなんと!遊郭だった建物が保存されてしかも一般公開されているという事を知って、行ってみることにしました!土地勘がない上にスマホの地図だけが頼りです😥目的地は金魚資料館と同様に大通りから中に入ったところにあって分かりにくか
去年の春2回ほど大阪にロックバーのライブに行きました。1回は王子様系ギタリストの誕生日ライブもう1回は周年を祝うイベント。どちらも色々あって楽しかった。そのうちの1回は電車で帰ってそのまま名古屋にライブをハシゴってやつだったんだけど時間があったので京阪で京都に出ることにした。しかも普通に乗る。のどかな風景を眺めながら名古屋に着く時間を呑気にも全く考えていなかった。橋本のアナウンスで電車を飛び降りる。橋本?橋本遊郭?あ、そういえば京阪やった。降りなきゃ❗️キャリ
北野新地は1858年大須観音の北野神社のあたりを中心にできました。明治7年に堀川の以東5ヶ所に移転。以後大須界隈の遊郭を旭遊郭と呼ぶようになりました。全盛期の明治41年貸座敷173軒娼妓1508人と大規模な遊郭になりました。明治以降遊郭を貸座敷と称してます。大正12年中村大門に移転。昭和20年の名古屋空襲にて大須観音の本堂をふくめ一帯を焼失しました。しかし伏見通り西側の一画の一部が消失を免れ当時の痕跡を今もなお見つけることが出来ます。北野神社の玉垣には当時奉納された楼名が記さ
大正12年大須の西側に移転した北野新地を中村大門に移転してできたのが中村遊郭2022年取り壊しが進み大きな遊郭は松岡健友館お蕎麦屋さんになった伊とうさん福春の屋号の残るとこ金波さん現役特殊浴場の周りに集結してます。お蕎麦美味しかったです。お向かいのピアゴの駐車場より中庭があり大きな敷地だとゆうのがよくわかります。松岡健友館当時の地図を見つけました。
豊橋には小池遊郭(遊楽荘)東田園がある。そして豊橋駅西口を線路沿いに右側に進むとバラックの飲み屋の通りに出ます。バラックではあるものの家賃の安さから若い人が借りて飲み屋をやってる外観のポップな飲み屋さんが連なってます。見て歩くの楽しい^^バラックが終わり城海津跨線橋をこえるとドドーンと出現するのがこちら。昭和33年にはふじよし旅館と明記された記事をみつけました。1階はリノベーションされたのかな。このアングル定番で城海津跨線橋に登階段から撮ってます。サイディン
10年ほど前YouTubeの遊郭散策の動画にハマった。1人のYouTuberさんの動画がその土地の歴史など含めわかりやすく編集も説明もとても見やすかった。そしてちょっと切なくなる。8年ほど前に京都に花魁のコスプレをしにいった。3年半前初めて遊郭跡を見に行って細部の細かい職人さんの装飾や時間が止まったような不思議な空間に遊郭跡を歩くようになりました。行った場所の歴史を調べたりするのが面白いです。風俗史に関してではありますが。ここは奈良大和郡山市の旧川本楼ここの土地
今回は赤線青線跡巡りです。その前に、1kmほど手前にある「赤門」に行きました。道路高架の下、細い道にコッソリあります、でもなかなか素敵な門構えです。アドレス110ちゃんで大きさを比べてくださいませ。長屋門は元々、主家を守るために部下の家(長屋)を巡らせた建物に門を付けた物。なので家っぽい名残があるのでしょうね。こちらは三浦氏の子孫、元浜代官、三浦郡の総名主。「赤くないじゃん!」・・以前朱塗りだったのです〜正面の扉には名残の色があります。途中の交差点にあったベーカリー
建築好きにとって、京都は行くたびに発見がある面白いところ。今回訪れたのは、五条楽園。五条大橋の南、高瀬川周辺に広がるかつての色街。今もお茶屋が数件ありますが、一帯は普通の住宅地になってます。普通じゃないのは、遊郭建築や赤線時代のカフェー建築が残り、住宅として使用されていること。ただ、大型の遊郭建築は少なく、「本家三友」(写真)ぐらい。現在この建物は使用されていないようで、この先どうなるのか心配。※写真はリンク先のブログを拝借しました。五条楽園の記事が参考
ホークス退団の川崎宗則記憶にも記録にも残るプロ18年間の歴史Full-Count昨オフから未契約の状態となっていたソフトバンクの川崎宗則が、故障と自律神経の病気を理由に退団を表明した。NPBで13年、MLBで5年のキャリアだった。ニュース/コラム2018.03.28.Twitter·Facebook·LINEにおくる·Bookmark.ソフトバンクから退団となった川崎宗則【写真:藤浦一都】...高知新聞・土佐古地図ナビ第12話伊能測量土佐清水を行く高知新聞
こんばんは^^昨年一度アップした記事になりますが、少し書き直しで再度アップです♪今日は、作業に集中しておりましたので、過去作品です↓1/12「遊廓の一角花魁部屋」一階横の格子は外せます。一角として表現しておりますので、本当であれば後ろと左まだ続いてます的な具合ですが。入り口の様子で天井部もにぎやかな内部です。そして、一番最初に作った遊廓がこちら↓こちらのハウス、同じ額縁を使った6角形のハウスなのです。同じ額を6個見て思いつきました作品です(笑)360度眺めて楽しめます↑
暑い日々が続いております。関東はようやく梅雨明けだそうですね。さて。皆様、「お化け屋敷」はお好きでしょうか。わたしは、作り物はあまり怖いと思わなくて(´・ω・`)素直に怖がれる人がうらやましいなぁと思っているんですが。今日は、お化け屋敷に行って来ましたよ・・・っと。こんなの↓「一坪の密室で」ってところが肝ですね。普通、お化け屋敷って歩き回ってお化けが脅かして・・・なんですが。まず、狭い密室の椅子に座らされ、暗
向島にはかつて「寺島町」と呼ばれた私娼街・青線地帯があった。滝田ゆう氏の漫画「寺島町奇談」「ぬけられます」や、永井荷風の小説の舞台になっている。「ぬけられます」と書かれた細道に入ってしまったが最後、「銘酒屋」と呼ばれていた当時の遊郭特有のデザインの建物の小窓から顔を出す女性に声をかけられて結局「ぬけられず」に一泊してしまうというのだ。私は下調べもよくせずにこの商店街を歩いただけで終わってしまった。しかし、本当の遊郭の跡はこの商店街の裏側の路地にあったという。だから、写真を残