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11月4日。金沢に着いてすぐ、荷物を預けてバスに乗ります。まずはひがし茶屋街へ。浅野川大橋のたもとに、櫓が建っています。復元ですが、当時はこれで火の見や街の監視を担う塔だったということですよね。現代は民家も三階建てであったり、ビルも高層ビルが立ち並んでいたり、で、建物が高くて空が狭い時代なのですね~。この櫓では何も見えないもの…泉鏡花は、金沢出身。ですから、泉鏡花記念館があります。(今回は行きません)浅野川。紅葉が少しずつですが始まっています。空も秋の高い空。ひがし茶屋
江戸東京博物館で発見した感動の事実、江戸時代の武家にとって社交に必須の身につけるべき遊芸が茶、花、書、画、歌舞音曲。わびさびの茶室で茶を点て野の花を生け書を書き絵を画き歌い舞う大名や武家の姿思い浮かべてください。これが、一国を率いる大名や武家の男性のたしなみだったなんて、文化度高過ぎですね。西洋の王様や、韓国の支配者が女性を踊らせて眺めたのとはまったく違う日本をまた発見して嬉しくなりました。そし
私の師匠であった老師(故人)が住された禅寺は左京区にありました。左京区、隣接する北区・上京区の一帯には、京都大学を始めとする大学が多くあります。そのせいか、(私は愚鈍でしたが)老師の教室には優れた若い俊才が集っていました。後輩の一人は頭脳明晰な人で、茶道の修行を始めて瞬く間に、奥伝(最上級)までの多くのお点前・水屋の作業等の技術をマスターし、茶事の亭主をも務めるようにもなりました。そして、或る日、「茶道は修得し尽くした。もう学ぶべきものは何もない。」と言って、師のもとを去って行きました