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1984年4月23日号のWEEKLY平凡パンチに、デビュー曲「ファースト・デイト」でデビューした岡田有希子さんの画像が記載されました。WEEKLY平凡パンチ4月23岡田有希子さん「ファースト・デイト」(キャニオン)でデビュー。清純さを出すために作られたワンピースにハイヒールは純白。パーティーにも着られる私服っぽいカンジ画像:集まれYukikoフレンズWEEKLY平凡4/23岡田有希子さんページに記載されている新人アイドルとして、岡田有希子さん、堀江しの
昭和55(1980)年2月、週刊平凡(平凡出版)3月6日春の特大号の新聞広告。当時、大いに世間を騒がした花柳幻舟事件を大々的に速報。思えば、ボンクラ小学生には無縁であった「家元制度」なんて単語を覚えたのは、この事件がきっかけだった気がする。この事件から服役期間を経て、平成初期に『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ)にゲスト出演した花柳幻舟が、刃物を片手に舞踏を披露している姿に爆笑させられたものだ。左端にある石原裕次郎の新居予定地から縄文時代の遺跡が発掘され
昭和46(1971)年2月、週刊平凡(平凡出版)3/4号の新聞広告。広告中央付近、「和田アキ子のマンションに男もののパンツがヒーラヒラ…なぜ?」の見出しが。“ゴッド姉ちゃん”こと和田アキ子は当時20歳、別に男性と同棲していたとておかしくはないが、仮にこのパンツが和田アキ子本人のブツだったらどうするんだろう?その他、数々のスターたちの噂レベルの話題が満載。千昌夫(当時23歳)と結婚することになるジョン・シェパードは、のちに『新婚さんいらっしゃい』(AB
仲雅美くんとしての表紙モデルこれでコンプリートかな?京塚昌子さんと一緒のピンクシャツの雅美くんが表紙の週刊平凡なかなか安い物が見つからず…ようやくGet!🥰🥰🥰
魔法の天使クリィミーマミ第50話立花が読んでいた新聞の広告週刊明凡のクリィミーマミ引退スクープ週刊明凡ってかつて存在した二大週刊誌週刊明星と週刊平凡を足して割った?懐かしい…週刊明星は、1991年12月26日終刊週刊平凡は、1987年10月6日終刊既に二誌とも、過去の遺物…↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
皆さんは爆笑ドットスタジオという短命番組を覚えているでしょうか?82年の秋にスタートして翌年の6月には終わってしまった悲しき短命番組。お笑いスター誕生のメンバーを寄せ集めハナ肇を座長にしてスタートをするも裏番組に惨敗し、寒い脚本でズッコケて常に視聴率4〜6%台をウロウロしているしょーもないコント番組でした。誰も覚えていないだろうなぁ。ましてや映像を保存している人なんてあっし以外に日本にいるのか?というレベル。ネットにいくつか思い出語りの記事があるけど当時の資料や画像はなく実にヌルい。「古舘伊知
週刊誌の記事と言うものは、どこまでホントの事なのか。雑誌を売らんが為の、過激な見出しを付けるものです。とは言うものの、「火のない所に煙は立たない」実際はどんなものだったか気になります。それでも、いざ雑誌を読んでみると、無理やりこじつけて書かれた記事もあったのは、この頃の事です。実際に、ここの広告に有る記事を読んでいませんから、真意のほどを感じる事は出来ませんが、今でいう、いわゆるフェイクニュースも結構多かったのではないでしょうか。そんな事お思いながら、さらりと読み進んで頂ければと
1969年、今から半世紀以上前の新聞広告として載った「週刊誌広告」です。ゴシップネタと言うのが、当時は沢山載っていましたが、写真週刊誌のFOCUSやFRIDAYと言った週刊誌が出た1980年代になると、ゴシップスクープネタは、写真週刊誌の独壇場となります。週刊平凡、週刊明星と言った芸能系の記事が多かった週刊誌は、2000年を迎える前に廃刊になって行きました。舟木さんの結婚話などは、常にネタとして流れていた時代です。
中入後〇逆鉾(外掛け)大錦左四つがっぷりから外掛けで崩しにかかった逆鉾が大錦の右上手投げに傾くも尚もたれ込んで軍配。物言い着く接戦。飛騨乃花(押し出し)高見山〇体当たりの高見山が飛騨乃花の胸元めがけて突っ張り連打、赤房走って史上3位(当時)の通算800勝。大豊(肩透かし)高望山〇左四つで上手取れずの高望山が回り込みつつ右で叩けば、着いて来れずに大豊横転。〇保志(送り倒し)天ノ山押し合いから左上手取って保志出れば、天ノ山右で抱えて小手振るも、すっぽ抜けて背中向けてば
昔の雑誌の新聞広告を見ると、その当時の世相の裏側が見える気がします。必ずしも、それが正しいニュースかどうかは判らないまでも、時代背景と、読者が興味を示す事柄などが理解出来たりします。当時のこうした記事を保存してくださり、提供してくださった舟友さんには感謝しています。最後に、週刊平凡の広告に載った、舟木さんのグラフ記事を合わせて載せてあります。<グラフ>日劇公演で日舞を踊る舟木一夫
『舟木一夫ボクのスタジオ日記日活撮影所1963年11月』映画「学園広場」スタジオ日記舟木一夫・松原智恵子・山内賢10月27日名古屋一宮での「舟木一夫後援会発足式」という大きなイベントが行われて舟木さんは、10月2…ameblo.jp『舟木一夫明日への夢』1963年を振り返り明日への夢舟木一夫19歳当時の記事に書かれている舟木さんの文章は、殆どご自分で書かれ、それを編集者が手を入れて書かれているのだ…ameblo.jp『写真で振り1963年舟
『舟木一夫地元一宮・名古屋で凄い人気!』ameblo.jp『名コンビ採点帳吉永小百合・浜田光夫1963年11月』日活映画の名コンビと言えば、純愛コンビと呼ばれた、吉永小百合・浜田光夫のお二人です。舟木さんとも仲の良い浜田さん。当時舟木さんが憧れの人と語っていた小百合さ…ameblo.jp『映画・高校三年生はこんな映画舟木一夫』緑の学園に明るく響く青春の歌大映映画「高校三年生」こんな映画ameblo.jp
『舟木一夫女湯ラッシュの梅の湯』関矢さんと出会った上智大学の土手女湯のラッシュ時間を変えた舟木一夫風呂屋とマジックインキの奇妙な関係風呂屋の女湯が、ガラガラになったと言うのは、ラジオ…ameblo.jp『舟木一夫デビュー3か月18歳』1963年10月1963年、デビューから三カ月ほどの舟木さん18歳。行くところ行くところでサインを求められる。必ずそれに対応する舟木さん。まだ慣れない芸能…ameblo.jp
草加次郎事件は、有名人に脅迫状が送られたり、地下鉄に時限爆弾が仕掛けられ、10人が重軽傷を負ったり、その後も地下鉄やデパートに脅迫状が送られる事件でした。吉永小百合さんの所に何通も送られ、100万円を要求するものでした。犯人は捕まらず、時効を迎え、未解決事件になります。プロレスラーの力道山さんは、ヤクザに刺されて、12月に亡くなっています。『舟木一夫ロケ宿はまるで修学旅行』舟木さんの生家のある萩原駅ホームでまるで修学旅行ロケ宿で倉石功・高田美和・姿三千子と一緒に
昭和57(1982)年3月。週刊平凡(平凡出版)4月8日の新聞広告。右端、母の死に「俺を生んでくれた秘所に別れのくちづけを……」は、勝新太郎の破天荒伝説としてたびたび語られているもの。噂話とか伝聞ではなく、こんなにも堂々と記事として報じられていたとは。左端の頼近美津子の記事は43年前のフジテレビ・スキャンダルということか。ここからさまざまな出来事を経て、現在のスキャンダルへとつながっていく。まるで大河ドラマのようでもある。あと、大山のぶ代が純金300万円のブローチを紛失して泣
1964年2月23日、休日と思ったその日は入った雑誌の取材は、「週刊平凡」の清川虹子さんとの対談でした。清川さんは、日活映画「学園広場」で先生役で登場されています。*本文では「高校三年生」表記ですが「学園広場」だと思います。清川さんは喜劇女優として戦前から活躍された女優さんで、主に脇役として活躍されました。3人目とならご主人が伴淳三郎さんでした。大正元年生まれで89歳で亡くなられました。
昭和54(1979)年2月、週刊平凡(平凡出版)2月22日号の新聞広告。『ムー一族』の久世光彦プロデューサーの不倫問題から、離婚した伊勢正三が愛人と極秘渡米したり、内藤やす子のマリファナ懺悔まで、不穏なトピックが並ぶ中、トドメというべきは左端、前年暮れに衝撃の猟銃自殺を遂げた俳優田宮二郎の四十九日にして、早くも幽霊の出没情報が…。なんだかスゴい。他にも、俳優古谷一行に待望の長男(つまりはDragonAshの降谷建志)誕生が報じられていたり、「必見!お母さんのためのウ
1974年の週刊平凡に掲載された「求む夫!その5つの条件」という記事です。10人の適齢期タレントに、ちあきなおみさんと園まりさんも取り上げられています。ちあきなおみさんは、この企画の時に既に亡くなられた御主人、郷鍈治さんと交際されていたようです。結婚時期については30歳までにと話されていますが、実際に30歳の時に10歳年上で宍戸錠さんの弟の郷鍈治さんと結婚されました。
虹の向こうを見ながら、シンデレラのこころで歩いていると。おおっ、これは。「真理ちゃんフェスティバル」の案内です。新聞で歌番の出演をチェックして、平凡や明星を楽しみにしていた、あの頃。大○田礼子に心臓がばくばくしながら、まりちゃんの清純さに気合を入れ直した、あの思春期。それはともかく、舞台挨拶は本物のまりちゃん。あの子はどこの子~。そのあとは、お宝映像上映や、懐かしのオンステージ。あなたを待つの~。これは行くしかないやろ、と思ったら、会場は東京の池袋。何とか
ちょうど半世紀前の昭和49(1974)年8月。週刊平凡(平凡出版)9月5日号の新聞広告。中山りつ子(中山律子)、夏木マリ、佐川満男、伊東ゆかり、川地民夫、あのねのねetcと、さまざまな有名人の名前が並ぶ中、資産10億(円)の大富豪であることを報じられているサングラス姿の白木みのる(当時40歳)のラスボス感たるや一体……。それはそうと、下の方にチラリと出ている『3時のあなた』(フジテレビ)の司会陣(森光子、寺島純子、扇千景)の1回分の出演料は、推定とはいえ大変なものだ。ゲスは承知の助で思
昭和36(1961)年10月。週刊平凡(平凡出版)10月25日号の新聞広告。大々的に平田昭彦と久我美子夫妻の結婚式(帝国ホテル)の模様をカラーグラフとルポにて特報している。その他、東映フライヤーズ・張本勲選手と大映女優による映画会社の壁を超えたロマンスや、世界チャンピオン・力道山が特集されている。左側の「特別課程訪問記ボクたちに“赤ちゃん”ができた‼」では、のちに芸能人となる中井貴一(佐田啓二、麻素子夫妻)、岡田美里(E・H・エリック、静子夫妻)の誕生が告げられているの
週刊平凡の1967年8月10日号のクローズアップで掲載された当時、本名の村田秀雄でファッションモデルとして活動されていた後の団次朗(団次郎)さんの記事です。背広(スーツ)に関して団次朗さんのWikipedia(ウィキペディア)で紹介されている内容とは全然、逆の記載が有り、どちらが本当なのか気になります。また、この記事では三田明さん主演の松竹映画「恋人たちの泉」に出演されている事が紹介されていて、この映画は未見ですが本当に出演されているのかも気になります。
週刊平凡の1967年8月10日号に掲載された園まりさんの見開きカラーグラビアです。7月に真鶴半島で平尾昌晃さん、加瀬邦彦さんらとバカンスを楽しんだ時のものです。園まりさんと平尾昌晃さんとの出会いは、この年の12月に発売された「愛情」の歌手と作曲家としてですが、その打ち合わせで、この頃には親しくなられていたと思われます。
週刊平凡の1967年8月10日号に掲載された当時、日本クラウンの専属歌手だった青山ミチさんとお母さんのグラビア記事です。7月に赤坂プリンスホテルのプールで撮影されたようです。青山ミチさんは1966年11月の覚醒剤事件で日本グラモフォンを辞めた後、すぐに日本クラウンと契約して12月には移籍第一弾の「情熱の波止場」を発売し翌年1967年4月発売の「男ブルース」がヒットしました。6月に新曲「太陽と遊ぼう」を発売されているので、その宣伝を兼ねた企画だったような気がします。その後、196
山口百恵ちゃん1974年昭和49年9月週刊誌のピンナップです。とっても可愛いです。人気が急上昇した頃、ひと夏の経験、ちっぽけな感傷を歌ってましたね。中日が巨人のV10を阻止して優勝、長嶋さん引退の年です。オリジナル感を損なわないレベルでデジタル修復しています。
昭和38(1963)年1月、週刊平凡(平凡出版)1月17日号の新聞広告。スーパースター・力道山の結婚問題、当時はNHK専属だった黒柳徹子の独立問題やら、アイ・ジョージがカーネギーホールに立つ……などなど、数々の興味を引かれる記事の見出しが目に入ってくるが、私的に最も衝撃を受けたのは「植木等の“無責任”なプライバシー拝見」なる特集記事に見られる「~ズボン下なし」の一文だ。すでに家庭内でもズボン下……いわゆるステテコをはく大人を見ることは少なくなっていた私の年代において、ステテコをは
1964年12月12日20歳舟木一夫成人宣言