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道後温泉の観光を終えて松山城に移動しました2月9日(月)15時ごろ松山城ロープウェイのりば往復徒歩でと思っていましたがあまり時間がなかったので往路だけ利用することにしました。片道270円ロープウェイとリフトの共通券。好きな方を選んで乗ることができます。ロープウェイ(乗客全員が降りた後の写真)まぁまぁ混んでいましたが数分だったので耐えられました。一方のリフトは…開放感200%(゚ω゚)ロープウェイの中から見たリフトみなさん余裕で乗ってます。私はビビリなので無理
このところ散歩おじさん地方はお天気が安定して日毎の気温の変化も少なく、同じような過ごし易い体感の日が続いていてありがたいです!さて今日の記事は「続日本100名城」めぐりで11月中旬に訪れました、群馬県のみなかみ町にあります「名胡桃城(なぐるみじょう)」ですv(。・・。)イエッ♪車で行きましたので駐車場に停めたわけですが、この眺めをちょっと記憶に留めておいてくださいね!駐車場に隣接する「名胡桃城」の資料展示室に立ち寄り、城のマップなどを入手してさっそく城攻め開始~(* ̄0 ̄)/エイエイオ-
二俣城跡🏯(静岡県浜松市天竜区)『ふたまたじょうあと』と読む二俣城🏯は、築城年不明ながら16世紀前半から半ば頃に築城されたと言われる連郭式山城であり、別名を『蜷原城』、徳川家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られ、1600年に廃城となり、城跡は国の史跡に指定されているようです▼案内板▼▼城跡入口▼▲説明板▲▼案内板▼▲史跡碑▲▲遊歩道▲▼旭ヶ丘神社入口▼▲御神燈▲▼参道▼
◆千早城◆鎌倉時代の終わりから南北朝時代にかけての楠木正成の城で連郭式山城です。楠木七城の一つで四方が崖に囲まれています。千早城は千早川の渓谷を利用しており、四方は深い谷に囲まれて城の背後だけが金剛山の山頂へと通じている自然の要害を有する城でした。金剛山は軍事的にも交通の視点からも重要な千早街道を上り詰めたところにある山で千早街道は大和国と河内国を結ぶ最短ルートでもありました。楠木正成は近くに下赤坂城と上赤坂城という二つの城をもっていましたが、下赤坂城は急造した城で長期戦には不向きでし
こんにちは、スタルペスです。今年中に、ブログにアップしようと思っていましたが、なんやかんやで忙しく、とうとう来年まで「あと1時間」となりました。今、紅白歌合戦で「薬師丸ひろ子」が歌っています。ギリギリセーフです。・・・・・では、本題に・・・新型コロナが猛威をふるい、熊本県下も「まん延防止等重点措置」がとられ、県外移動が自粛されていた今年5月22日、人混みを避けてすこし遠出のドライブをしました。この日は古墳ではなく気分を変えて、天草市の山城に行ってきました。天草
【5月3日(月)憲法記念日】主郭にあった説明板によると...建久年間(1190-1199)に作用荘地頭となった山田則景は隠居後ここに高山城を築いて住み、末子家範が生まれ、それが後に作用荘南端の赤松に移り住み赤松姓を名乗った。赤松氏発祥の地と言われ...云々とあります。作用ICの東側に聳える標高約261mの高山の西肩の尾根上標高250m地点の主郭を中心に東西及び北西の尾根に段々の郭を配置した連郭式山城で、所々に石積みが見られます。また南西尾根先端の鐘撞堂跡手前には二重堀切が残りま
【4月25日(日)】加西市北条町小谷の北側に聳える標高約218m(比高約110m)の城山に築かれた連郭式山城です。築城年代は不明ですが、赤松氏により築城されたと伝わります。現在の遺構は横堀と竪堀が複雑に配置されていることから、戦国時代末期の改修と考えられるそうです。所在兵庫県加西市北条町小谷城山①南麓の陽松寺前から小谷城跡を見上げる。②南出曲輪群③主郭南側の帯曲輪④東端の土塁、南北に竪堀があり堀切状になっている。⑤主郭⑥南側の眺望⑦展望台にあった縄張り図⑧主郭群と西
『丹波攻め』第四段になります。今回の丹波攻め全5城なんですが、4番目に攻めた城が面白かったので、後に置いときまして、先に5番目の城を紹介しておきます。京都府亀岡市宮前町宮川丹波・神尾山城(かんのおさんじょう)別名:神尾城、神尾寺城、神尾山古城、本目城、本梅城、本免城神尾山城は波多野秀長の子で、波多野稙通の弟である柳本賢治の居城として知られています。天正年間(1573~1592)には、明智光秀による丹波攻めの際には八上城攻めの中継基地として使われたと記録に残っています。
【3月3日(水)】小野市中谷町の東条谷の南側の丘陵の北に延びる尾根上(標高122m/比高50m)に築かれた連郭式山城です。郭、土塁、堀切等の遺構があります。東条谷は戦国時代まで依藤氏の勢力圏にあり、16世紀中ごろに依藤氏を下した別所氏は豊池城に別所重棟が入り、屋口城はその詰城であったと考えられています。所在兵庫県小野市中谷町①北側から遠景。②登城口、この辺りに駐車可能です。③城内の帯曲輪?に鎮座する白滝神社とⅠ郭切岸。④Ⅱ郭東側堀切。⑤Ⅱ郭及びⅠ郭切岸。⑥Ⅰ郭東側土塁。
《高取城》[読み方]たかとりじょう[別名称]芙蓉城、鷹取城、高取山城[所在地]奈良県[城分類]山城[築城主]越智邦澄[築城年]元弘2年(1332年)[城を観る](大手門)(解説板史跡高取城跡)(十三間多門櫓跡)(石碑高取城址)(壺阪口門跡)(天守台石垣)(二の丸)(本丸からの景色)[YouTube]([YouTube]【城カメラ】《高取城》2019〜二の丸の石垣〜)(【城を観る+】《高取城》2019〜日本三大山城!高取城を観る〜)[登城日]201
【1月3日(日)】波々伯部氏の本拠である淀山城から篠山街道を挟んで南東約600mの標高約370m比高約120mの尾根に所在する連郭式山城です。山頂の主郭から南の尾根に6段の段曲輪が並び、北の尾根に堀切、東にも堀切と畝状竪堀が設けられています。今回、北の堀切を越えて主郭下の腰曲輪まで辿り着きましたが、主郭の切岸が雪で覆われており、一人で登るのは危険と判断し撤退してきました。所在兵庫県丹波篠山市辻①登城口には車を駐車できる広場があり、その手前に東山城の説明板が設置されています。
【12月26日(土)】有年公民館に車を停め、登城口の八幡神社まで山裾を歩きます。途中、重ね荒神などを見ながら八幡神社の鳥居(延享元年・1744建立)に辿り着きます。石段を登るとすぐに獣除けの柵があり、そこを開けて入りますが、その参道はいきなりの岩場!!有年山(八幡山・大鷹山、標高201m/比高約180m)が岩盤の山である証拠です。八幡神社の舟灯台からの景色を眺めてからの神社参拝を経て、登城開始。急坂を登っていくと大きな岩があり、岩盤側面の窪みが「弁慶の足跡」と名付けられていま
【12月20日(日)】別名:稲荷山城標高433m/比高300mの稲荷山山頂に所在する連郭式山城です。赤松円心の孫・永良三郎則綱が築城し代々永良氏の居城であったと伝わります。赤松系の山城のご多聞にもれず急峻な山の山頂から尾根にかけて段々の曲輪が並ぶ構造ですが、主郭の周辺部には石積も見られます。主郭東側斜面の石垣と、主郭北側の堀切は藪がきつ過ぎて到達することができませんでした( ̄▽ ̄;)所在兵庫県神崎郡市川町鶴居①登城道北口②北側の登城道は距離はありますが、角度は緩やか
【11月8日(日)】主郭にあった説明板によると承久年間に北市ノ正が築城し、南北朝時代の北道氏の時代に本格的な山城として重要拠点となったと書かれています。京丹波町の町史跡として整備されており、尾根直登の登山道は藪もなく快適に登れます。ただし結構きつい( ̄▽ ̄;)木も伐採されており主郭からの眺望も良いです。城域の西端の曲輪に天主台と書かれた看板が建っていましたが、特に櫓台状の遺構はありませんでした。登山道の途中に金毘羅神社が鎮座しているのですが、ちょうどお祭りの日だったらしく宮司さんと村
【7月4日(土)】鴾ヶ堂(つきがどう)城・主郭の城址碑に「標高196mの三重山(みかさやま)にある。赤松氏の太田(小田)弾正が居城したといわれているが、赤松氏関係資料には記されておらず、謎が多い」とあります。三重山へは、山頂に近い験行寺まで車で登れますが、中腹の鴾ヶ堂城跡へ0.46kmの案内板のところに車を止め登城しました。途中、ほぼ直登するところがあり、このルートで登るよりは、験行寺から登った方がはるかに楽だと下山時に思いました^_^;城跡は、山上に段々の曲輪を連郭式に配した、赤松系の
【4月4日(土)】狗尸那城に続いて案内いただいたのは、羽柴秀吉による鳥取城攻めの際、毛利方の陣城として機能した大崎城です。鳥取市小沢見の日本海に突き出た岬の上にある海城で、標高97mのところに土塁囲みの主郭を置き、その下に7段の曲輪が連らなります。東端の8郭からは、天気が良ければ鳥取城や鳥取砂丘まで見渡せるそうです。その8郭にある説明板によると「天正9年(1581)の織田方の武将羽柴秀吉の因幡侵攻の際に毛利方の陣城として利用されたことがよく知られており、当時の城主は様々な説がありますが、
【2月2日(日)】上郡町井上にある生駒山(標高263m/比高約230m)に築かれた連郭式山城です。赤松氏の拠点・白旗城の西側を守る支城として赤松円心の三男・赤松則祐により南北朝のころ築かれたと伝わりますが、現在の縄張りは戦国時代の様相があり、特にⅠ郭とⅡ郭の間の尾根筋にある横堀や土塁等はとても赤松氏の城郭とは思えない技巧的なものがあり、戦国時代後期に、この辺りを支配した宇喜多氏の影響を感じました。※と言うことを同行者と話してました^_^;城址南端の山裾にあるコープ上郡店に駐車し、羽山登山
昨日は急遽思い立って、「続日本100名城」の「飯盛(いいもり)城」(大阪府四条畷市・大東市)へ登城しました。高櫓郭跡に立つ「飯盛城址」碑飯盛城址案内マップ(高櫓郭内に掲出)前々から登城しようと考えていましたが、詳細な調べもせずに準備はしていませんでした。しかし、なんの調べもなしに出掛けても見るべき所が解らないだろうと思い、1時間でPCやお城雑誌から郭図と見るべき遺構の情報収集とそのプリントアウトをして臨みました。「飯盛山城」への登城方法は、JR学研都市線の「四条畷駅」からか
福井新聞の毎週木曜日が楽しみな越前兵(≧∇≦)なぜかというと確か4月頃から「ふくいの山城へいざ!」という記事が連載されているからである。わたくしのために連載してくださっている(´艸`)♡↑うぬぼれ越前兵(;^ω^Aで、こんな記事みちゃうとウズウズしてくる越前兵(・∀・)ニヤニヤ7月のとある日に師匠達と掲載されていた山城のひとつ三峯城(みつみねじょう)に行ってきました(・∀・)/場所はコチラ↓福井市と鯖江市にまたがったところにあります。
城を観る今回は...(撮影2017/4/4)佐和山城〜佐和山城跡解説板〜鎌倉時代からあんのね。。。なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2017/4/4)佐和山城〜佐和山城跡案内地図〜ハイキングコースになってんのね。。。なんちてにほんブログ村
四月六日、城の日この日にチョイスしたのは福井県嶺南地方の熊川城(倭城じゃないよ)宿場町としては相当なレベルで復元しています。若狭の城郭を考えるうえで、主城の小浜(後瀬山)と考えた時に、東=越前方面への抑えが佐柿西=丹後方面絵の抑えが高浜このふたつは酒井期まで存続していたわけです。南=近江方面の備えであるべきここがが同じようになんらかの存続の痕跡がないかなと・・・ただ、ネットの情報ではそうたいしたことない中世山城であるような情報しかありません。はたし
城を観る今回は...(撮影2017/2/14)二俣城〜解説板旭ヶ丘神社〜さて帰ろ。。。なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2015/09/04)七尾城〜本丸〜ここは...住んでみたいな。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村能登七尾城・加賀金沢城―中世の城・まち・むら9,271円Amazon
城を観る今回は...(撮影2015/09/04)七尾城〜本丸からの景色〜見晴らし最高。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村能登七尾城・加賀金沢城―中世の城・まち・むら9,271円Amazon
城を観る今回...(撮影2015/09/04)七尾城〜天へと続く道〜登頂への期待感ハンパない。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村こんな城もあったんだ~日本名城・奇城ガイド~1,512円Amazon
城を観る今回は...(撮影2015/09/04)七尾城〜九尺石〜見たことないクモがいっぱい...ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村能登七尾城・加賀金沢城―中世の城・まち・むら9,271円Amazon
城を観る今回は...(撮影2015/09/04)七尾城〜調度丸と桜馬場間の石垣〜ここの道ふわっふわしてるヽ(´o`;なんちてにほんブログ村戦国武将と名城知略と罠と呪いの秘話(歴史探訪シリーズ[別冊]・晋遊舎ムック)Amazon
城を観る今回は...(撮影2015/08/21)高取城〜二の丸〜時が止まっているような...ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,500円Amazon
城を観る今回は...(撮影2015/08/21)高取城〜本丸からの景色〜なかなかなかなかヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,500円Amazon