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3月29日(日)愛媛県にA.M9:00、目的の宇和島城(残存天守12城巡り)松山市に移動ランチはイル・ポジターノ道後温泉散策次は、第2の目的地【伊予松山城】お城に来て毎回思うけど石垣が凄い何これ昔の人は・・メチャ凄い松山城四国・愛媛の松山城四国・愛媛県の松山市にある松山城は広大な平山城です。標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園)、三之丸(堀之内)があります。賤ヶ岳の合戦で有
日本百名城No.81松山城【日本百名城No.81松山城訪問記】伊予松山藩の象徴、勝山(標高132m)の山頂に堂々とそびえる松山城。姫路城、和歌山城と並ぶ「日本三大連立式平山城」の一つであり、江戸時代以前からの天守が残る貴重な「現存12天守」の名城です。見どころは何といっても、天守・小天守・隅櫓が渡櫓で結ばれた「連立式天守」の機能美。迷路のような順路を通り、急な階段を登りきった最上階からは、松山市街はもちろん、遠く瀬戸内海の島々まで見渡せる360度の絶景が広がります。かつての
なんとも素晴らしい登城日和となりました。青空が眩しい。賤ヶ岳七本槍のひとり、加藤嘉明が築城した松山城。松山城のある勝山へはロープウェイかリフトで登ることが出来ます。登り下りとも徒歩にしようかと思ったのですが、翌日に宇和島城へも登ることを考慮してリフトで登ることにしました。少し汗ばむくらいの晴天、風を感じながらのリフトが心地良い〜😄リフトを降りてからも石垣を巡りながら少し歩きます。加藤嘉明は城の完成前に会津に転封となり、次の城主蒲生忠知が二之丸を完成させましたが程なく病没。
ただの城好き、歴史等わかりません!では登城!一ノ門一ノ門と二ノ門との間は枡形という方形空間となっており、四方から攻撃できる。二ノ門三ノ門筋鉄門中庭内門、天守入口やっと天守に!小天守から中庭玄関多聞櫓、内門天守入口の玄関は、現在は天守地階の米倉の入口(右側)が使われてる。小天守から見た一ノ門と二ノ門の間の桝形小天守や櫓と連結した連立式天守天守最上階馬具櫓、奥に太鼓櫓内門仕切門内塀仕切門
12月25日、広島城へ。別名は鯉城(りじょう)。鯉は魚のコイのことなので、後に広島東洋カープのチーム名となりました。この再建天守は老朽化のため、2026年3月で閉鎖となります。天守が取り壊されると勘違いしている人も多いが、入場できなくなるだけで、再建計画が決まるまでは外観はそのまま。中の展示物は三の丸に建設予定の展示館に移されます。入城中には広島城の歴史や展示品があります。毛利氏の勢力を拡大させた毛利元就。(もとなり)鎌倉殿の13人に登場した大江
日本三名城のひとつに数えられている姫路城に行ってきました駅を出てすぐにお城が目の前にまさに城下町ですね1993年に法隆寺とともに日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録され国宝や重要文化財・特別史跡にも指定されています美しさだけでなく戦いに備えて築かれた様々な工夫が凝らされています天守閣5重6階の大天守と東・西・乾の3つの小天守が渡櫓で繋がった連立式天守です最上階からは姫路の街を一望できます姫路城天守の最上階には刑
ドーミーインの美味しい朝ご飯を食べて大満足。それでは、2日目の観光にレッツラゴーホテルの目の前のバス停から路線バスに乗って、約5分で到着です。和歌山城頭の中には、もちろん、あの音楽が流れてきましたよ。ちゃちゃちゃ~、ちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃ~ちゃあちゃちゃあ、ちゃちゃ~ちゃちゃ~、ちゃあちゃあちゃあちゃちゃあ~そうです、徳川幕府8代将軍、徳川吉宗です。暴れん坊将軍のテーマ曲が頭の中には流れています。自分のことながら、相変わらずバカですいません。。。お堀は、そんなに広くないね
今回はいよいよ本壇に侵入です。↓屏風折れの石垣2後続が来るまで休みたい所じゃが・・・石垣に取りつき苦戦する味方を見ると動かねば!↓本丸井戸よし、水の手を断ったゾ!本丸井戸は築城時に谷だった場所を埋め立てる際に泉を掘り下げ、石を積み上げて造られた。上屋は再建されたもののなかで最も古い。↓巽櫓本丸から見る巽櫓。太鼓櫓などとともに昭和60年復元。まずは後続部隊のため、太鼓櫓と巽櫓を制圧せよ↓よしあきくんすわ、かかれかかれwwwこれなるは敵の総大将ぞん?カカシか、騙された~~
今年の4月、春の特別展として、全小天守(東小天守・乾小天守・西小天守)とイ・ロ・ハの渡櫓を特別公開していた姫路城ですが、そういえば私、2023年の夏の特別展で特別公開した東小天守と乾小天守を見に行っていたのでした。記憶はすっかり遥か彼方で、どれが何の画像なんだか。。。という状態ですが、しれっと書いてみたいと思います。前回ブログはこちら『姫路城連立式天守って方向音痴泣かせ』今年の4月、春の特別展として、全小天守(東小天守・乾小天守・西小天守)とイ・
今年の4月、春の特別展として、全小天守(東小天守・乾小天守・西小天守)とイ・ロ・ハの渡櫓を特別公開していた姫路城ですが、そういえば私、2023年の夏の特別展で特別公開した東小天守と乾小天守を見に行っていたのでした。記憶はすっかり遥か彼方で、どれが何の画像なんだか。。。という状態ですが、しれっと書いてみたいと思います。早速ですが、ひよっこあるあるどれが何天守なのよ問題。お堀にかかる木橋を渡って門を抜けると、三の丸広場から、こんな感じで見える姫
昭和二十年(一九四五)七月九日から十日未明。和歌山で米軍によって空襲が行われました。いわゆる、和歌山大空襲です。これによって、和歌山城の大天守を始めとする建物が焼失しました。非常に惜しいです。和歌山城の天守は弘化三年(一八四六)に落雷によって焼失し、四年後の嘉吉三年(一八五〇)に再建されました。連立式天守という天守や櫓などが繋がって一周する構造です。他の例だと、姫路城や伊予松山城があります(この二つと合わせて日本三大連立式天守でもある)。そんな貴重な天守が燃えてしまったというのは、言葉に
青春の坂の上には子規も見た雲に天守に石垣反りて😸現存12天守のひとつ、松山城を詠みました短歌です。松山城と言えば私は、司馬遼󠄁太郎氏の「坂の上の雲」を思い浮かべます。秋山兄弟や正岡子規達が若き日に見上げ、新しい時代へと日本を切り開いて行った青春の坂、時代の坂。その坂の上の本丸には、「本壇」と呼ばれる天守曲輪(くるわ)があり、大天守に小天守と南北の隅櫓が渡櫓で連結して建つ「連立式天守」の珍しい造りをなしています。そして
一番好きな風景写真ある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう早朝は素敵な風景写真が撮れますね。朝6時半で、もうこんなに陽が降り注いでます。雲一つない青空が広がっていますが、ヒンヤリとした朝で遠くは靄が掛かっていました。お城ウォーキング285回目今日はラジオ体操をするために天守閣まで来ました。GWのど真ん中~辿り着くまでに犬の散歩、ランニング、観光と既にたくさんの人と挨拶を交わしました。振り向くと青空の下に、よしあき君(≧▽≦)先日のお
紀ノ川に守られるように築かれた梯郭式山城・和歌山城。その特徴は、虎伏山の台地頂の連立式天守。大天守、小天守さらに二つの櫓を多聞櫓によって繋げ、曲線状の唐破風や千鳥破風などの装飾が施されている。出入口となる楠門は、天守曲輪石垣に沿った石段上部にある。紀州の地で本格的な城造りは、天正13年豊臣秀長とされる。その後、浅井家、徳川家に受け継がれ拡張された。紀州徳川家の初代領主は、徳川頼宜(家康の10男)で、紀伊、伊勢、大和に跨る55万石を所領した。紀ノ川河口は、大阪と江戸を結ぶ廻船(特にコメ)の地
現在、地域限定城めぐり「至高の城国宝五城めぐり」を実施中です。ご参加頂いている皆様、誠にありがとうございます。本日は、その中のスポットの1つ、彦根城の天守にて耐震工事が予定されていることから特にお知らせしておきます。彦根城では、2024年1月から2025年3月まで天守の耐震対策工事を実施しており、工事期間中も可能な限り天守内部は公開されますが、以下の日程については安全上の観点から天守内部への入場が停止されます。2024年2月13日(火)から2024年3月15日(金)
こんにちは。このところようやく秋らしくなってきましたネ。何もしなくても腹が減るので食べてばかり、やや運動不足気味な今日この頃であります。さてさて紀州和歌山城の続きにて。南側の不明門を入るとすぐに南の丸跡の動物園があります。戦の象徴ともいうべき城跡に動物園があるとは何とも平和でいいものです。鳥がたくさんいましたよ。30℃超えにてペンギン達は暑そうでした。天守に向かうため動物園を抜け出して102段の新裏坂を登ります。こう言われると意地になりま
姫路城は日本を代表するお城国宝や世界遺産に選ばれています現存12天守のひとつでもっとも大きい現存天守ですシラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれています菱の門櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を固めた門で両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることからこの名前が付いています門全体に安土桃山時代の様式を残しており城内で最も大きな門です坂道や急な階段も多い道のりたどりついた最上
数年ぶりに和歌山城へ今回は、御城印の回収目的です大手門(御橋廊下)以前訪れた時は、時間が無く通っていなかったので今回は渡ってみましたそして天守へ和歌山城の歴史については割愛撮影ポイントからここからより、やはり!連立式天守が分かりやすい大手口からの方がいいな天守に到着そして、御城印をGETそれから、限定の御城印も
城を出ると忍者がいました。ダメ元で「ポーズ取ってください!」って言ったら快くニンニンのポーズ。ブログに載せるのも快諾してくれました。社交的な忍者のようです。個人的にはメガネかけてるのがいいですね。城郭は今は草木がボーボーに生えていますけど、当時はほぼ生えていなかったと思われますが、こうしてみると樹木あってもそれはそれでいいですよね。お城には、加工すると武器になるような樹木などが植えられていたと言う話も聞きますが、当時、そんなことまで考えてお城を築城していた
松山城は松山市の中心部にある標高132mの勝山に築かれた平山城で、現存12天守のひとつです。勝山山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構え、金亀城(きんきじょう)、勝山城とも呼ばれています。当初の天守閣は秀吉の家臣・加藤嘉明が1603年に建てた五重構造であったが、その後松平定行が1642年に三重の天守に改修したものの、1784年に落雷で焼失し、1854年に再建したものが現存する天守です。この天守を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に
乾櫓は上がれなかったので、通過します。また長い廊下が続きます。こちらには医術に関しての資料がまとめられていました。なんと手術道具。華岡青洲と言う外科医がいたそうですね。名前は聞いたことあるような内容な。。。なんと世界で初めて全身麻酔で乳癌を摘出したとか。今から220年前。。。この方が華岡青洲。ここにある薬草を調合して麻酔薬を作ったと書いてあるけど、トリカブトとかマムシグサって毒なんだけど。。。最初にこれ使おう!って調合して実用
今治城を見学後、今治のランドマーク国際ホテルにて昼食をとりました。今治は造船の街、この豪華なホテルも今治造船(三井系列)が運営し海外との重要な商談にも使用しているそうです。一階ロビーを俯瞰壁には名画も飾られています豪華な昼食とまではいきませんでしたが、地の食材中心の料理おいしくいただきましたそして、道後経由で松山市内に移動ロープウェイで松山城に登ります。松山城は約四百年前、戦国時代の勇将で、賤ケ岳
迷子になりそうなのでここでまた確認です。①小天守から②大天守の収蔵品を見て③多聞を通り④天守二の門(僕が武器の備蓄庫だったのではないかと想像しているところ)⑤二の門櫓まで来ました。赤い矢印を北上し、乾櫓に向かうとします。あの角を曲がれば赤い矢印が引いてある廊下ですね。長い。。。すごく長い廊下です。両サイドに資料が展示されています。和歌山の成り立ち。簡単に書くと、豊臣秀吉が平定した頃から「和歌山」と呼ばれる様になった見たいですね。それ以前は
大天守閣です。改築されていますが、かなりの広さですね。お城あるある。模型。こうしてみると連立式の天守は独特の形ですね。天守からの景色ですが、森になっているところにこじんまりと拓けているところが本丸御殿があった場所です。海の方までずっと見渡せますね。ここでもう一度案内図を載せます。①の小天守と②の大天守は制覇しました。③の多聞を通り、二の門櫓を目指そうと思います。簡単に移動出来ないように天井は低く、階段も狭くなっています。こ
愛媛旅の三日目、地図を見ると、道後温泉のすぐ近くに四国八十八か所霊場の第五十一番札所“石手寺(いしてじ)”があることがわかり、松山へ行く前に参拝することにしました。道後温泉のホテルから石手寺までは車で約10分の近さ、道路沿いに弘法大師さまの像があるのですぐにわかります。ガイドブックによると、参道入口に“渡らずの橋”というのがあるので写真を撮ったつもりだったのですが、後で見るとわたしの勘違いで、かんじんの石橋が写っていませんでした。お地蔵さんが座っているところがその橋だったようで
本日は年休を取得しての伊予國お城巡りまずは現存12天守の一つ、松山城を訪れています実に9年ぶりの訪問となります。天守を含めた連立式天主群が美しい松山城ですが天守自体は落雷により一旦焼失し現在残るものは江戸後期の1854年の再建となります。連立天守の造形美に加え、隠門に代表されるトラップや真正面に天守が見えながらなかなかたどり着かない構造は訪れていて楽しくなりますね
あなたを笑顔にするカードメッセンジャー・ホワイトローズ(華咲玖楽々)です道後温泉、鯛めし、椿神社の後は、リフトに乗り松山城に向かいましたロープウェイが隣りを走ってましたリフトもロープウェイも往復520円でどちらに乗るかは選べます4年前の2月に家族5人で行った時は徒歩20分歩いて勝山に上り観光したのですが、リフトやロープウエイがあったかな帰りはロープウエイに乗ったかもしれません(みんな、よく覚えてない)松山城の初代城主加藤嘉明にちなんで名付けられ
二の門を抜けますと外庭に出ます三ノ門東塀越しの天守二ノ門東塀の狭間本丸本殿東側が見下ろせます二ノ門抜けてすぐの位置〇印の位置まで来ました天守東側東正面ほぼ真下からだと鯱が…天守下は👆二ノ門三ノ門👆共に現存
一ノ門抜けて段を上がると正面は二ノ門南櫓その右手一ノ門東塀(本壇正面右側の内側)さらに直角に向く👇一ノ門南櫓👇小天守東側抜けてきた一ノ門👆一ノ門南櫓石段は上がれなかった現存さらに右に直角一ノ門抜けて左直角二ノ門もちろん左側の石段を上がる二の門を抜けると天守外庭その先に天神櫓二ノ門潜り戸👈
本壇正面右手一ノ門南櫓門内側👈すすむ門外側正面右側奥一ノ門現存👇三ノ門南櫓門の上が格子になってるので閉めても外の様子を見ることができる乳金物釘隠し南京錠…南蛮錠?これも200年ものなんでしょうかこれ現役のようです門を抜けると左手