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広島港への短絡ルート比治山線ラッシュ時限定で走る連接車明日からお盆休みに・・、
3809号「ぐりーんらいなー」広電初のVVVFインバータ車。3804以降の車両は、前照灯、尾灯が角型に変わりました。ワンマン対応工事後、荒手車庫に貸し出された際の写真。全扉乗降対応工事、ワンマン対応工事後の写真。千田転属後の写真。荒手所属時代、カープ3連覇記念マークをつけた際の写真。
3807号「ぐりーんらいなー」広電初のVVVFインバータ車。3804以降の車両は、前照灯、尾灯が角型に変わりました。「たびまちゲート広島」の帯広告が施された姿。ワンマン対応工事後の姿。全扉乗降対応工事後の写真。全扉乗降対応工事後、広電110周年マークをつけた際の写真。全扉乗降対応工事後、宮島線開業100周年マークをつけた際の写真。全扉乗降対応工事前の写真。一時期、千田所属だった時期の写真。
「爺の鉄道模型」9102023年8月10日76歳最後の車両製作に選んだ、大分交通の連接車1001A+1001B。今まで私鉄車両は作ったことがありませんので、これが最初で最後になるでしょう。
3807号「ぐりーんらいなー」広電初のVVVFインバータ車。3804以降の車両は、前照灯、尾灯が角型に変わりました。全扉乗降対応工事、ワンマン対応工事後の写真。リースキンの帯広告が施された後の写真。千田に転属後の写真。荒手所属時代の写真。
3806号「ぐりーんらいなー」広電初のVVVFインバータ車。3804以降の車両は、前照灯、尾灯が角型に変わりました。全扉乗降対応工事、ワンマン対応工事後の写真。千田に転属後の写真。荒手所属時代、コンクエストの全面広告車だった時代の写真。
3805号「ぐりーんらいなー」広電初のVVVFインバータ車。3804以降の車両は、前照灯、尾灯が角型に変わりました。荒手に再転属後、広電110周年マークをつけた際の写真。荒手再転属後の写真。一時期、千田に所属していた時の写真。
3804号「ぐりーんらいなー」広電初のVVVFインバータ車。3804以降の車両は、前照灯、尾灯が角型に変わりました。全扉乗降対応工事、ワンマン対応工事後の写真。サニクリーンの帯広告解除後、広電110周年マークを付けた際の写真。千田転属後の写真。荒手所属時代の写真。
3803号。広電初のVVVFインバータ車。初期製造の3801~3803は、前照灯、尾灯が丸型です。制御装置更新、行先表示機のLEDへの換装後の姿。千田に転属後、全扉乗降対応工事、ワンマン対応工事を受けた現在の姿。千田に転属後の写真。荒手所属時代の写真。荒手所属時代、日赤のラッピング車だった時代の写真。
3802号。広電初のVVVFインバータ車。初期製造の3801~3803は、前照灯、尾灯が丸型です。制御装置更新、行先表示機のLEDへの換装後の姿。エイブルの広告塗装になった姿。千田に転属後の写真。荒手所属時代の写真。荒手所属時代、日立の広告塗装だった時代の写真。
3801号。広電初のVVVFインバータ車。初期製造の3801~3803は、前照灯、尾灯が丸型です。行先表示器がLEDに換装された後の姿。ワンマン対応工事後の姿。全扉乗降対応工事後の姿。全扉乗降対応工事前の姿。
3705号「ぐりーんらいなー」。踏切事故防止啓発ラッピングがなされています。全扉乗降対応工事後の現行の姿。広電110周年マークを付けた姿。宮島線開業100周年マークを付けた姿。全扉乗降対応工事前の姿。
全扉乗降対応工事後の現行の姿。宮島線開業100周年マーク、広電110周年マークを付けていた時期の写真。帯広告が「ひろでん中国新聞旅行」だった時代の写真。
3703号「ぐりーんらいなー」。この3703号は、前面の車番の文字が大きいのが特徴です。全扉乗降対応工事後の現行の姿。全扉乗降対応工事前の姿。宇品の花火大会対応で千田に貸し出され、1号線で運用中の写真。
3702号「ぐりーんらいなー」。前面の車番の文字が大きいのが特徴です。長年まとっていた「たびまちゲート広島」の帯広告が外された姿。帯広告が「たびまちゲート広島」に変わった、現行の姿。千田所属時代の写真。
3701号「ぐりーんらいなー」。かつて全面ラッピングされていたこともあり、前面の車番の文字が非常に小さいのが特徴です。広電110周年マーク、宮島線100周年マークをつけて運用中の姿。荒手に戻った後、レア系統に入った際の写真。千田所属時代、「宇品アーバンプロジェクト」のラッピング姿で、当時存在した連接車の三角運用(8号線~7号線の連続運用)についた際の写真。千田所属時代の写真。
3103号「ぐりーんらいなー」。もともと2連接車だった2500形を昭和60年~61年にかけて3連接車に改造したもので、現在では宮島線唯一の釣り掛け駆動です。全扉乗降対応工事後、朝ラッシュ時の運用についた際の写真。朝ラッシュ時の運用についた際の写真。サニクリーン広告が施されていた時代の写真。
3102号「ぐりーんらいなー」。もともと2連接車だった2500形を昭和60年~61年にかけて3連接車に改造したもので、現在では宮島線唯一の釣り掛け駆動です。全扉乗降対応化工事後、朝ラッシュ時に運用中の写真。
こんばんは。誉模型です。暑い日が続いておりますね。九州方面では水害が発生しています。被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。さて、模型の方の進捗ですが、先日、5000形ペーパーキットの予約を開始いたしました。詳しくはHPをご覧ください。誉模型/製品情報homaremokei.comブラスについては今しばらくお待ちください。次発は福岡連接車シリーズです。こちらも準備を整えております。Twitterなどで発表しております通り、一部パーツを残し、部品は完成しております。
「爺の鉄道模型」8942023年7月7日FER「猫額鉄道」最初で最後の私鉄車両の製作。完成しました。自動往復運転装置を使っての走行シーンです。パンタを上げるのを忘れていました(笑)。
「爺の鉄道模型」8932023年7月6日大分交通連接車製作。確認作業の時、連接部分がカーブを通過する時少し離れるのに気が付きました。何とか出来ないかと考えて、磁石を取り付けることにしました。上手く行きました。そしていよいよ完成です。
「爺の鉄道模型」8902023年7月3日大分交通連接車製作。パンタ、排障器、前照灯の取り付けが終わりました。台車に載せて確認です。完成目前です!
「爺の鉄道模型」8872023年6月30日大分交通連接車製作。窓ガラスの取り付けです。ガラスと言ってもt0.2の透明プラバンです。
「爺の鉄道模型」8842023年6月27日大分交通連接車製作。梅雨の晴れ間に緑色の塗り分けが終わりました。ゆっくりと丁寧にマスキングテープをはがします。緊張しますネー。上手く出来ました。
連接車今は昔新浦安E331系2010年6月26日撮影
「爺の鉄道模型」8832023年6月26日大分交通連接車製作。下半身が緑色のため塗り分けをします。2両が同じ高さでないと見苦しいのでJIGを作りました。それに沿ってマスキングテープを貼ります。この車両の新製当時の塗り分けは、前面も同じ幅の直線なので楽です。
「爺の鉄道模型」8822023年6月23日大分交通連接車製作。全体をクリーム色に塗装。何度も何度も、薄ーく薄ーくスプレーしました。下半身は緑です。また晴れ間を見ての作業になります。
「爺の鉄道模型」8812023年6月22日大分交通連接車製作。排障器を作りました。φ0.5の真鍮線を加工し半田付けです。仕上げの後、パンタと一緒に塗装をしました。
「爺の鉄道模型」8802023年6月19日大分交通連接車製作。梅雨の晴れ間にサフェーサを吹き付けました。いよいよ塗装の段階にはいりました。
お早ようございます、ご機嫌いかかでしょうか。本日は、かつて富山駅から出ていたJRのローカル線が、路面電車化、ライトレールになった時の写真です。一方、栃木県宇都宮市でも、新しいライトレールが出発を待ちわびでいますね。もう間もなく開通される予定です。さて、富山県に戻ります。完成真近のホームに停車中のライトレール車です。駅を出発して直ぐ専用軌道をしばらく走ります。画面左奥が岩瀬浜駅です。ホームの情景です。駅ホームから数歩で