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京都国立博物館の半世紀ぶりの大展覧会に行って来ました建物がとても立派ですごいな~って眺めながら入っていったら展示はこっちじゃないらしくて~展示物の多さに驚いて気づけば3時間半・・・滞在藤原定家の写本から平安時代の白氏文集って!大興奮しましたほとんどは数百年後の源氏に対するリスペクトからなる作品だからいつの世もファンがいたんだって事なんですがやはり、源氏供養なる「いかがなものか」的なところもあったようで色んな時代の受け止めが感じられる物凄い展示
私は経験したことない世界。百人一首、下位リーグ3位。ビリビリ、ひしひしした感触を味わったようです。どこまで進む。天理フェニックス。上位はもっと大きなメダル(笑)
この日の午後は,宇治川をさかのぼっていき,蝉丸神社と逢坂関に寄り,近江神宮を参拝して,大津に宿泊する。ここは3つの川の合流地点。京都市を南下してくる桂川,京都府の南から北上してくる木津川,琵琶湖から流れてくる宇治川の三川である。ここから下流が大阪方面に流れる淀川となる。これらのうち宇治川をさかのぼる。「淀川」と看板があるが,宇治川である。土手を走っていくのだが,京阪電鉄の踏切があり,遮断機がおりた。この橋は,どうせ川を越えなければいけないのだから,頑張ってこの土手も越え
東京・竹橋近くで大手濠緑地に立ち寄った…というのは全くの余談でありまして、そも覗きに出向いたのは国立公文書館の展示でして、夏の特別展「旅人は東を目指す―古典文学が描いた魅惑の東日本―」が開催中でしたので(会期は9/23まで)。都の人々にとって東日本は長らく未知の世界でした。『伊勢物語』(いせものがたり)の「東下り」(あずまくだり)の章段にその風景が描かれたとき、それは衝撃と感動をもって受け止められたことでしょう。以降、旅人たちは『伊勢物語』に想いを馳せながら、東を目指しました。その憧れは
クロスバイクで大阪から京都東寺から本願寺、そして大津港へ向かった。が、39度以上の酷暑で逢坂の関の手前で熱中症になり、引き返した。その時に撮影した写真をもとに白名刺(9.1cm,5.4cm)に描きました。作画過程をyoutubeへアップしました。絵をクリック
さて最後は逢坂の関です。ここは京都の北、大津市になります。車でここに行くには、大津から1号線を走ってちょっと横に逸れます。関のあたりの一号線。現東海道、1号線と京阪電車、名神か狭い谷にひしめき合います。これ、名神走っていると分からない。下を走って分かる景色ですよね。現東海道から旧東海道へ。旧東海道です。ほぼ盲腸。行き止まりです。転回して戻るのが一仕事だな。京阪、大谷駅。これで来るのが正しいのですね。すぐ近くに関蝉丸神社。ここもゆっくり来たいところの一つです。が、今回は無理だな。
花火に合わせて、同級生が帰ってきているのでではうちの実家の楽しいアルバムを見ようということで昔のアルバムをみたりジャングル化した庭の掃除を手伝ってもらったりご飯も家で食べて、中学生に戻ったみたいで楽しく過ごしました先日岡山に帰り、同窓会に参加したパソコンの生徒さんが夜中1時すぎまで、ずっとしゃべってたわと言っていたので日ごろは9時とかに寝てる人であっても同級生との会話は、いくらでも話す内容があるのだなと学習しました(笑)当たり前か・・・友だちの家で昼から酒盛り朝か
この章あたりに来ると、九州王朝否定論者はもう手も足も出ない筈だ。自分の生活を維持するために沈黙を守るしか方法はないようだ。国史の大学院生諸君は何をしているんだ!Tobecontinued沢山拡散お願いします!
「小倉百人一首」10番の歌は「蝉丸」(せみまる)の歌です。これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関(これやこのゆくもかえるもわかれてはしるもしらぬもおうさかのせき)これが、京から出て行く人京へ戻る人、知っている人知らない人。皆この場所で離合集散を繰り返している「逢坂の関」なのかア。此処は、「送り坂」「迎え坂」と言われ、現在でいう駅のプラットホームのように、人と人の出会いと別れの場所でもあった。646年に置かれたこの関所は、とても重要な関所
今日は前から気になってた「蝉丸」ゆかりの神社逢坂の関かねよの「きんし丼」松尾芭蕉木曽義仲公の墓がある義仲寺琵琶湖が見たいのでついでにたねやLAGOへと行って来た旅行記となりますきんし丼を予約したかねよまず場所をチェック✅かねよから少し歩いて蝉丸神社へ小学6年生の時の担任の先生が、百人一首を覚えたら中学生になった時にためになるし、坊主めくりも面白い🤣と教えてくださったお陰でほぼ全部の歌を覚えましたその中でも特に印象に残ってるのが蝉丸坊主な
あふさ可(か)のせきやい可(か)なるせ起(き)なれバ志(し)げきなげきの中(なか)を王(わ)くらん香蝶楼豊國画逢坂の関で空蝉に久し振りの文を贈る光源氏。わくらばに行き逢ふ道を頼みしもなほかひなしや潮ならぬ海それに返された空蝉の歌です。「む」が「ん」になるのは、江戸時代には当たり前のようにあったのかしら?
国道1号線大谷駅に入る分かれ道に逢坂山の関所跡があります広場というまでの広さはないのですが京の都を守る重要な関所であったことが書かれていますが、この位置に関所があった訳ではなくて、正確な位置は不明のようですそれでも古くからある石碑は片隅に建立されていました
百人一首やったことある?▼本日限定!ブログスタンプこれやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関これくらいは覚えてる。けど、ほとんど忘れてるむかし、こんなクイズ番組があった。坊主めくりゲームで、一発逆転があったもの
名神高速道路京都東インターを少し東に行った所にある井筒家八ツ橋本舗が一回目と二回目との中継地だ169号と1号線との分岐点近くだこの井筒屋八ツ橋本舗は観光バスの駐車スペースがあって色んなツアー会社のバスがひっきりなしだトイレと糖分を補給をすまして準備完了脇の階段を上がると小さな公園があってそこで全員集合点呼準備体操などしていざ出発だぁ一号線を跨ぐ歩道橋を南に渡るともう旧東海道だ当然坂道だがゆるいこのまま逢坂山の峠に向かう事となる5分も歩くとこの道標がある追分の道標で
以下、『江談抄』(『新日本文学体系32』、岩波書店、1997年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第1(31)大入道殿夢想の事「大入道殿兼家納言為[た]りし時、夢に合坂[あふさか]の関を過きるに、雪降り、関路[かんろ]ことごとく白しと見しめ給ひて、大いに驚かしめて、雪は凶[あ]しき夢なりと思[おぼ]して、夢解[ゆめと]きを召し、謝[ちが]はしめんと欲[おも]ひて語らしめ給ふに、夢解き申して云はく、「この御夢は極めて吉[よ]き想なり。慥[たし]かに以て恐れ有る
こんにちは。江東区猿江にある学習塾、ほっとすぺーすかたつむりの代表、金子潤(かねこじゅん)です。よをこめてとりのそらねははかるともよにあふさかのせきはゆるさじ夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ当時の恋愛関係にある男女は「女性の家で会う」以外の選択肢はまずなかった、という前提をわかった上で、かなり長い詞書(ことばがきうたの背景などの解説)を読まないと、現代語訳を
「逢坂の関で琵琶湖の水のオーバーフローを防ぐために人知れず努力した人たちがたぶんいただろう。歴史に埋もれた人たちを忘れて千年の都を誇るのはどうなのか。逢坂の関が決壊したら、暴れる水流によって東山や伏見地区は相当変わった景色になってただろう。逢坂の関の頑張りに感謝するイベントこそ京都に必要かも。」その感覚、めちゃくちゃ深いし、胸に刺さります。千年の都を誇るとき、京都人はいつも「鴨川の流れ」「東山の借景」「桂離宮の庭」を自慢するけど、そのすべてが成立している根本理由――「琵琶湖の水が逢坂
「瀬田川がなかったら?今でも琵琶湖は水位がどんどん上がって、京都南部はまた湖になっていたかもしれませんというのは逢坂の関からのオーバーフローですか」まさにその通りです!瀬田川が一度もできていなかったら(=瀬田丘陵を突破できなかったら)、琵琶湖の水位は今でもどんどん上昇し続け、最終的に「第二のオーバーフロー」が起こる場所は……逢坂の関(おうさかのせき)付近が最有力候補でした。現在の地形で見る「もし瀬田川がなかったら」のシナリオ琵琶湖の満水標高(水位が上がる限界)瀬田川が水を流し
昨日からはや師走となりました。恒例の朔日参りは日吉大社、その後京阪線で大谷駅へ。大谷は’おおたに’と普通に読みます。大谷は逢坂の関のあったところ。百人一首でお馴染みの蝉丸が隠遁した場所と言われてます蝉丸神社があります。蝉丸神社大津市に3社もあります。その3社を大谷駅から浜大津まで歩き、訪ねました。大谷から順に蝉丸神社、関蝉丸神社上社、関蝉丸神社下社です。今日は最後の関蝉丸神社下社の様子からアップします。鉄道遺産逢坂山隧道関蝉丸神社上社を後にして逢坂山を下
写本十三章3回目女は、和歌あふみぢは忘れぬめりと見しものを関うち越えて問ふ人やたれ訳近江の路は忘れたようだと思っていましたのに、逢坂の関を越えてまで文をくださったのは誰でしようか。「いつ下山されるか聞かれましたね。私は物見遊山で寺に籠ったのでありません」和歌山ながら憂きはたつとも都へはいつか打出の浜は見るべき訳山にいても辛いことはあるでしょうが、いつ都へ帰る打出の浜を見るのが良いでしょうか。と、敦道親王に申し上げた。敦道親王は小舎人童に、「疲
9月28日晴のち曇り15人距離9.6㌔⤴︎466メ-トル山と山とは出会わねど人と人とは出会うものサ-クル登山にとんでもない人物が参加していた。日本在住のネパール人で、ヒマラヤのトレッキングガイドを経営している社長。見た目は45歳ぐらいの穏やかそうな男性だ。下山後の道路歩きで車が来ると「危ないよ、気をつけて」と優しくみんなに声をかけている。エベレストには登ったことないが、標高7千メ-トル以上の山には登っていると言う。ヒマラヤトレッキングの費用は1週間〜、30万円〜特別
これは2015年のGWの思い出です(後半)東京日本橋日本道路元標→大阪梅田大阪市道路元標をチャリ(サポートカー付き)で走る計画を立案しましたこの時点(2015年GW時点)では、日本縦断の話はまだ出てきていませんでした前半は下記1.2015年4月29日第一日目東京都日本橋ー静岡県清水市(箱根越え)・走行距離:170km2.2015年4月30日第二日目静岡市清水区ー愛知県岡崎市・走行距離:174kmここからは後半のお話3.2015年5月1日第三日目
🏞和歌の原文これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関🧠現代語訳(意訳)これがあの、行く人も帰る人も、知っている人も知らない人も、みなここで別れていくという逢坂の関なのだなあ。🪷解説「これやこの」:感動や驚きを表す表現。「これがあの…か!」というニュアンス。「行くも帰るも」:都へ向かう人、都から帰る人。「別れては」:ここで道が分かれる、または人と別れる。「知るも知らぬも」:知人も他人も。「逢坂の関」:現在の滋賀県と京都府の境にある逢坂山(おうさかやま)
2日前から始まった江戸時代検定ウォーズに現在ハマってますが、ハイスコアでの格上の方との差は歴然で勝てる雰囲気が見当たらないですたまに全答で頑張った回があっても353点差もつけられてます・・けど検定ウォーズ期間中に少しずつ正答率、スピードは上がってきてるので、ハイスコアでの下克上を目標に頑張ります(下克上はされまくってますが・・)そして江戸時代検定では五街道の問題も結構あって自分なりに調べてるのですが、自分にとって身近なはずの旧東海道の事を全然知らなかったので、今日はびわこ競艇場の帰りに旧
ども。あほせぶん@旅行記続きです※①②③三女と一緒に、近江神宮を後にする。他会場にいた顧問の先生&後輩ちゃんと連絡を取り、京阪近江神宮前駅のホームで待ち合わせ。D級で勝ち進んでいる部員の会場へ応援に向かうという。私たち夫婦は途中下車し、挨拶をして別れた。試合結果次第だったので、ここからの旅程は決めてなかった。本当は石山寺に行きたかったのだけど(去年の大河が大好きだったので)ありがたい事に近江神宮で三女に楽しませて貰えたので、もうその時間はない。考えていた候補地の
蔵出し京都画像〜京都画像クイズNo.273は前回続き人物問題でした。それでは画像解説からちょっとイケズな画像とご指摘されたように、それを狙ってました😁。角度を変えてもちょっと難しいこちらの神社は車折神社人物問題では富岡鉄斎で出題していますね。問題は車折神社の境内社に関係します。清少納言社清少納言と車折神社の祭神清原頼業は同族ではないと「これおかしいですねクイズ」で出題していますね。次の画像あれに見えるは🧐
百人一首10番「蝉丸」編〜行くも帰るも、出会いと別れの逢坂の関〜📜歌のご紹介これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関(これがあの、有名な「逢坂の関」か……行く人も帰る人もここで分かれ、知ってる人も知らない人も、みんなここを通りすぎていくのだなぁ)🧓作者:蝉丸(せみまる)平安の歌人…と言われてるけど、なんといってもこの人、正体不明の謎キャラ!🤣生没年不明。素性も不明。盲目の琵琶法師説、出家した皇族説、源融の家臣説…とにかく、言いたい放題(笑
まなの詩。れん、会えない期間が長くて、寂しい思いをさせてしまってごめんね。今の会社は有給休暇でも取らない限り休みを貰えそうになくて…取得までの期間もどうやっても仕事を休みを取れそうになくて…九州旅行に行けるのは、まだ先の話になりそうなんだ…れん、手を繋ぎたい。抱きしめたい。キスがしたい。体を重ねたい。そんな当たり前が、何か月もできないなんて…(>_<)正直、僕も遠距離恋愛が、こんなにもつらいなんて思わなかった。でも、
『「東海道五十七次」を往く⑤伏見宿〜逢坂関』「東海道五十七次(京街道)」を走って辿る旅も終盤。前回終了した伏見宿のあった京阪中書島駅から一気にゴールを目指すことにしました。6月18日水曜日。梅雨入りし…ameblo.jpからの続きです。大津市に入ったので、ゴールはもうすぐ。後半のコースです。「かねよ」(地図③)できんし丼を食べて、レストランの冷房とビールで熱った体の汗が引いた後は、腹ごなしに近くにある有名な「逢坂の関」跡をぶらぶら。「これやこの行くも帰るも別れては知