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琵琶湖周辺は戦国時代~江戸時代初期の史跡がゴロゴロ、歴史好きにはたまりません住宅街の中に膳所城(ぜぜじょう)総門跡、なんて碑がさりげなくたってたりします膳所城とは・・・関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が東海道のおさえとして大津城を廃しつくらせた城。「瀬田の唐橋を制するものは天下を制する」との昔からの言い伝えにより瀬田の唐橋に近いこの地を選んだといいます。明治期になり城は解体されてしまいましたが、この近辺の神社に膳所城の門を移築しているところが多く
桜前線北上中石川県は満開明日には散るかも?の4月12日またしても滋賀県に旅に出る宿泊宿を予約しただけノープランの旅行きしなお天気に恵まれ春の景色がまぶしく煌めき白山が美しい福井県の日野川の桜並木🌸視界は春の景色のパラパラ動画あてのない滋賀旅パーキングエリアでるるぶをペラペラ夫が決めた行き先は…何処?私的にミステリーツアーさぁ🎵先を急ごう🚙💨最初の観光地は米原インターを降りた場所中山道醒井宿へGoogleナビでついた場所は行き止まり💦途中見かけ
逢坂碑滋賀県大津市逢坂1-18-11(安養寺前)逢坂(おうさか)「日本書紀」によれば、神功皇后の将軍・武内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと出会ったことに由来すると伝えられています。この地は、京都と近江を結ぶ交通の要衝で、平安時代には逢坂関が設けられ、関を守る関蝉丸神社や関寺も建立され和歌などに詠まれる名所として知られました。武内宿禰、出精兵而追之、適遇于逢坂以破、故號其處曰逢坂也。(『日本書紀』)故、逃退逢坂、対立亦戦。爾追迫敗於沙沙那美、悉斬其軍。(『
逢坂の関(おうさかのせき)は、山城国と近江国の国境に置かれた関所。996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前へ下向するため京を発った紫式部は逢坂の関を越えて打出浜から船出します。石山寺石山寺は、藤原兼家・藤原道長などの貴族が参詣した観音霊場。赤染衛門・清少納言・和泉式部・藤原道綱の母などが逢坂の関を通って石山寺を参拝していたようです。紫式部の『源氏物語』では、石山寺参詣の途中の光源氏が任期を終えて妻の空蝉ととも帰京する常陸介(元伊予介)一行と出逢っています。ただ関があった場所の詳
京から東に向かう際には必ず通る逢坂の関。歌枕の地になってます。こちらのお話の前に大津市歴史博物館を少しだけ。三井寺からちと登ると歴史博物館。こちらでも紫式部ゆかりの展示をしていた。玄関前から琵琶湖が見渡せます。巨大な踏車がある。田んぼに水を入れるのは大変なのです。かつて存在した大津京の復元模型。空は蒼い。源氏物語関連は撮影不可。外はOK。石山寺の源氏の間の再現があり、平安の衣を着て紫式部になりきる。なってみます❓紫式部が月を眺める絵画とか色々。詳しくは来てみてね。
何と😳1年半ぶりの「古典文学と京都」ブログです😆。今年はボチボチ更新していきます😄。復活一話目は『更級日記』から。『更級日記』粟津にとどまりて、師走の二日、京に入る。暗く行き着くべくと、申の時ばかりに立ちて行けば、関近くなりて、山づらにかりそめなる切懸といふ物したる上より、丈六の仏の、いまだ荒造りにおはするが、顔ばかり見やられたり。あはれに、人離れていづこともなくておはする仏かなと、うち見やりて過ぎぬ。ここらの国々を過ぎぬるに、駿河の清見が関と、逢坂の関とばかりはなかりけり
昨日は建部大社を参拝し、コッペパンのランチを食べたことを記事にしました。『瀬田の唐橋&近江国一之宮建部大社~ふわこっぺ』昨日は石山寺参拝の記事をアップしました。『紫式部が参詣し「源氏物語」を起筆した石山寺[滋賀県大津市]』昨日は『光る君へびわ湖大津大河ドラマ館』の記事をア…ameblo.jp続いて向かったのは、2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第16回(4月24日)放送最後の紀行コーナーに登場した義仲寺(ぎちゅうじ)。頭には残っていて、いつか大津市に行ったら寄ってみたいと思
こんにちは😊あっという間に2月も後半💦東谷山フルーツパーク梅が次々と花開き華やかな風景になってきました✨こちらの梅は「関守」桃色の優美な梅の花🪭「関守」という名前からYoshiが思い浮かべたのが小倉百人一首🎎に収められている清少納言のこの歌「夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」📜ある夜清少納言の所を訪ねて来て物語りしていた大納言行成ですが、「宮中の物忌みがあるから」と言ってまだ夜の深い間に急いだ様子で帰って行ってしま
カエル姫です。大津市に住んで早や30数年『逢坂の関』って何となく知ってるけど、実はどこにあるかはっきり知っている訳じゃない。週末ウォーキングは逢坂の関を探す旅スタートは長等公園大好きなdryriverのパンを買いに行く時に通る大津日赤病院の裏道に気になる石碑がある。高観音善光寺如来、とある。別名近松寺(ごんしょうじ)。気になりつつ、長そうな階段を登る気になれず時が経っていた。長等公園の山裾を巡り近松寺に行くルートがあると聞き、道をたどる。三橋節子美術館の裏を
(2024年度-No.3)行った日:2024.1.6(土)ブログ作成日:2024.1.7(日)***********************今日七日は五節句の一つ「人日(じんじつ)の節句」春の七草を入れた「七草がゆ」を食べ無病息災を願いました*写真を撮り忘れました<2013.9.29撮影>さて今日から始まるNHK大河ドラマ「光る君へ」その紫式部が「源氏物語」を起筆したのが大津にある石山寺です本堂横にある天然記念物雄大な硅灰石が寺の名の由
皆さんお久しぶりでーす‼️ラーメン大好きサイクリストのと〜ますです🍜🚴♂️11月13日の夜、久しぶりにロングライドしたいなぁと思って布団に入ったのですが、、、翌14日の朝、なんと折からの寒さでお布団峠がめちゃ激坂になってて越えるのに一苦労💦笑それでもライドに行きたい熱を呼び起こして準備完了‼️いざ❗️出陣‼️長めに走るなら久しぶりに琵琶湖の近くまで行きますかぁ、とのんびり考えながら奈良の街を抜けていくのですが、街路樹の剪定による交互通行と通勤ラッシュが重なって大渋滞🌲🚗🚌🚙🛻🚴♂
中山道を歩いて滋賀県に入ったとたんになんだかよく見るなーと思ったのがコレ半分隠れちゃってますが子供の飛び出し注意の看板。この微妙な無表情というか真顔がけっこう怖い実は滋賀県の有名人(笑)だったと帰ってきてから本で知りました。「飛び出しとび太」って名前まであるのだとかこれいろいろバリエーションがありましてちょっと小さくてみづらいですが橋の先の子、オリジナルの「とび太」よりももうちょっと表情があります京都に近いエリアはこのタイプが多かったです。
◎このブログの目次はこちら先日はじめて自転車で逢坂越えをしたので、ルートについて、地図と写真でまとめておきます。案外ネット上にまとまった情報が少なかったので、初めての方の参考になれば幸いです。逢坂越えとは逢坂越えとは、滋賀県大津市西部にある逢坂山(標高325m)にある、旧東海道の峠のことです。これやこの行くも帰るも分かれつつ知るも知らぬも逢坂の関(蝉丸/後撰和歌集)夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ(清少納言/後拾遺和歌集)
これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関・・・蝉丸これがあの京から出て行く人も帰る人も、知り合いも知らない他人も、皆ここで別れ、そしてここで出会うという有名な逢坂の関なのだなあ。【これやこの】これがあの有名な。【行くも帰るも】行く人も帰る人も。「人」が省略されている。「知るも知らぬも」も同様に「知る人も知らない人も」となる。【別れては】別れては出会う。。「ては」は反復の意味。【逢坂の関】現在の山城国(京都府)と近江国(滋賀県)の境にあ
10月京都回想記大津編のつづきです。東海道の歩道を歩いていると道路の向い側に弘法大師御舊跡碑。弘法大師堂この辺りは向かい側(北側)に歩けるような歩道なく、弘法大師堂から西へ向かって歩道があります。しかし、弘法大師堂へは歩道橋はなし、信号もなければ横断歩道もなし。子供ら真似するな〜🏃お参り😅不動堂詳細はよく分かりません😔。粟津にとどまりて、師走の二日、京に入る。暗くいき着くべくと、申の時ばかりにたち行けば、関近くなりて、山
鴨長明の『無名抄』から、上栄町から大谷に鎮座する蟬丸神社を参拝しました😊。蟬丸神社下社蟬丸神社上社旧東海道大谷に鎮座する蟬丸神社。今回も神事に参列するためスーツです🤣。
逢坂の関(おうさかのせき)は、山城国と近江国の国境に置かれた関所。赤染衛門・清少納言・和泉式部・藤原道綱の母などが逢坂の関を通って石山寺を参拝していたようです。紫式部の『源氏物語』では、石山寺参詣の途中の光源氏が任期を終えて妻の空蝉ととも帰京する常陸介(元伊予介)一行と出逢っています。ただ関があった場所の詳細は不明らしい。紫式部は父の藤原為時の越前国赴任に同行しました。京を出発した一行は逢坂の関を越えて打出浜から船出したのだそうです。
長安寺は、関寺の霊跡にある寺。長和年間(1012-1017)、荒廃していた関寺の復興を恵心僧都源信が発願し、弟子の延鏡が遂行。再興の資材運搬は、清水寺から遣わされた一頭の牛が活躍。境内にある巨大な石塔は、牛が葬られた地に藤原頼通が建てたと伝えられ、牛塔と呼ばれている。長安寺
逢坂の関って、何処にあるの逢坂の関(滋賀県大津市)は平安時代、西の須磨の関、東は逢坂の関に不破の関を加えて、三大関所と呼ばれていたようです。京阪電鉄の無人駅大谷駅から徒歩10分ほどの逢坂山(325m)にありました。都から東国へ旅立つ大切な方を、この逢坂の関まで見送って、長の別れを惜しんだと伝えられております。この関を越えれば、雛(ひな、異国、すなわち田舎)の地でした。そんな関所を是非一度訪ねてみたかった。友人Oさんは「逢坂の関へ行きたい人なんて、あなたぐらいのものですよ」と
8月のお稽古にあたって、夏の季節の和歌も復習しておこう。百人一首から、夏の和歌を探してみると、たった4首しかない。その中で、私が好きなのは、清原深養父の和歌百人一首36番この名前は、なかなか読めないが、「きよはらのふかやぶ」と読む。夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ夏の夜は、まだ宵のうちと思っていたら、もう明るくなってきた一体月は雲のどの辺りにいるのだろう。くらいの意味清原家は、学者の家系だが、歌人も多い。清原深養父
こんにちは。ブログアクセスありがとうございます。アクアビクス・アクアエクササイズインストラクターの細川愛子(ちかこ)です。台風が関西直撃しますねー。皆さん気を付けて過ごしましょう!!昨日、行ってきた鰻やさんはこちらです。https://www.ootanityaya.com/tenpo「お店のご案内」鰻(うなぎ)の老舗【大谷茶屋】滋賀県大津市、逢坂山の大谷茶屋は国産最高級「一色産」の鰻(うなぎ)を使用した鰻(うなぎ)料理専門店です。うな重、ひつまむし(ひつまぶし)うな丼は大谷茶屋
「逢坂の関跡」(滋賀県大津市)を訪問荒木村重の「逢坂の関」訪問時の状況は、以下のとおりです。元亀四(1573)年2月13日、足利義昭が織田信長を見限り、三好三人衆・本願寺などの信長包囲網に加わりました。(当連載(No.7)「高槻城跡」参照)追い込まれた信長は、義昭に和睦を望み、人質を差し出しましたが、義昭が信長に人質を返還し、和睦を許さないことを示しました。そこで、義昭を討伐するため、信長は岐阜を出発し、京都に向かいました。同年3月29日、村重は細川藤孝と共に、信長を山城(現在の京都
[書遊び]「百人一首」<10番・これやこの>⭐lightです。『これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関』蝉丸(書)「こ連や古のゆくもか辺る裳王可れてハ志るもしらぬ毛あふ斜可のせ支」(訳)「これが、あの旅立つ人も帰る人も、知り合いも知らない人も、逢っては別れる逢坂の関なのですね。」「逢坂の関」は、現在の京都府と滋賀県の境界にあった重要な「関所」の名前です。東海道の「鈴鹿(すずか)の
中山道を歩き終わって、達成感よりは「次のステップ?」「これからの目標?」何だか余計にワクワクしている。2022年の5月に日本橋をスタートし、軽井沢。その10月に軽井沢・沓掛宿から、和田峠・鳥居峠を越えて大井宿(恵那市)。今回の、大井宿から京都三条大橋。すべての行程に記憶が残っている。やはり、それはかけがえのない記憶だ。自分の足が「歩き切れるか?」大いに疑問だった。この行程、やはり計画でのシュミレーションが大切だ!気象の変化は想定内だ。雨でも歩ける時期や装備は考え、それに備え
カエル姫です。さてさて逢坂の関蝉丸神社は京阪電車京津線上栄町下車5分線路を渡ってすぐの不思議なロケーション鳥居のすぐそばを電車が通ります。線路の手前には飛び出し坊や「蝉丸」バージョン和食「佳山」は石灯籠の向こうなんと、カウンター席を予約したはずがダブルブッキング!こんなこともあるのね。ひとまず2階に席を設けてもらいアルコールと1皿サービス、ラッキーこの日のおまかせメニューは初めて尽くし初物食べると75日長生きするとか、ラッキー1皿
カエル姫です。NHKブラタモリで紹介された山科本願寺あたりを歩くこの界隈、小学校時代の通学路でもあります。御坊さんは学校への近道、ここを抜けて通っていました。本堂は記憶にないけど大きな銀杏の木は、写生大会で描いたっけ当時(半世紀以上前)はこんなに整備されておらずもっと鬱蒼としていたような…菩提樹の花が咲いていました。黄色い花、初めて見たわ。こっちが正門蓮如上人が創建した山科本願寺ゆかりの寺正式名は東本願寺山科別院長福寺、真宗大
最終日、いよいよ旅が完結する!しかし、それは単なる一区切りにしか過ぎない。これから、我の続く限り果てしなく「旅の途中」なんだなぁ〜😁京都駅近くのホテルで目覚めた。今日は、大津宿から12km程度で三条大橋にゴールする。感極まるものは全く無い。なんでだろ?通過点❣️、到達点じゃ無いからだ🙌関蝉丸神社⛩️の案内には、芸能や髪の神と記されいたが、これやこの行くも帰るもわかれては知るも知らぬも逢坂の関の歌が、百人一首の中でも有名だ。この歌の詠み手である蝉丸が、特異な風貌
62夜(よ)をこめて鳥の空音(そらね)ははかるとも世に逢坂(あふさか)の関はゆるさじ清少納言【出典】『後拾遺集』巻十六・雑ニ・939「大納言行成物語などし侍けるに内の御物忌(ものいみ)にこもればとていそぎ帰りてつとめて鳥のこゑにもよほされてといひをこせて侍ければ夜深かりける鳥のこゑは函谷関(かんこくかん)のことにやといひつかはしたりけるを立ちかへりこれは逢坂の関に侍とあればよみ侍ける」清少納言【参考】清少納言が中宮職の御曹司(みぞうし)に参上した藤原行成と対話し
百人一首やったことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようこれやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関(蝉丸)百人一首は難しすぎる…
百人一首やったことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようこれやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関しかしらん💧なんでやろ保育園児のころからこの句だけしっとる