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園まり(そのまり/本名:薗部毬子〔そのべまりこ〕/1944年4月12日~2024年7月26日)は、日本の歌手、俳優。1944年4月12日、薗部毬子が生まれる。神奈川県横浜市保土ヶ谷区出身。1954年、10歳で安西愛子に師事しコーラスグループ「杉の子子ども会」を経て、「キング児童合唱団」へ入団。東京・練馬の小学校時代、放送部に所属、部史に残る評判の名アナウンサーだったという。1956年、本名の「薗部毬子」名義で、キングレコードから“つゆの玉ころん”で童
切り抜きのため、どの雑誌か分かりませんが園まりさんの髪型から1968年の夏に作家、遠藤周作さんの中軽井沢の別荘を訪ねられた際のグラビア記事と思われます。記事から二年前(1966年)に園まりさんと遠藤周作さんがテレビで対談された事が分かります。1966年は園まりさんの「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」の大ヒットした年でした。翌年1967年も園まりさんは「帰りたくないの」「つれてって」「愛は惜しみなく」が連続大ヒットして活躍されましたが、この年の暮れに発売された平尾昌晃さん作曲の
1978年にアポロン音楽工業から発売されたと思われる最新曲「流されて」も収録された「園まり全曲集」のジャケット写真です。写真は、この年の7月2日と3日、スタッフと山中湖の渡辺プロダクションの別荘で合宿された時に撮影されたものと思われます。1972年発売の「旅情」から1978年発売の「流されて」までは1973年発売の「幸せになってね」以外は全て収録されています。園まりさんの大ヒット曲では「何んでもないわ」「愛は惜しみなく」は収録されていません。1970年発売の「くちづけ」とB面
園まりさんが1978年2月にワーナーパイオニアから移籍第一弾の新曲「舞酔坂(まよいざか)」を発売された頃の切り抜きです。
レコ大𓆸💿今年も素晴らしい歌の数々、、、Da-iCEさん、良き(๑•̀ㅂ•́)و✧「IWonder」「幾億光年」も良き(^o^)👌でも、「Bling‐bang-bang」かな???他の楽曲も甲乙付け難しだなぁ。ゆっくり歌番組を視ています👀✨✨️✨️特別功労賞受賞者が多いのに、今更ながら驚いています。園まりさんの「逢いたくて逢いたくて」が、めちゃくちゃ好きだったんですよ-̗̀ෆ(˶'ᵕ'˶)ෆ̖́-🩵🩶🩷西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」も、大好きです♡
おはようございます🥹12月29日、日曜日𝐒𝐮𝐧𝐝𝐚𝐲MOCOが亡くなってから2ヶ月…泣かない😭日はなかった😭必死に涙をこらえながら…何とか過ごして参りました🥹この2ヶ月…車に乗り…🚗³₃ALONEが流れると…•*¨*•.¸¸♬︎絶賛涙ボロボロ😭😭😭モードの私‼️(音楽はランダムに流れております🥹)私の気持ちそのものを歌ったALONE❣️いつかいなくなるような…今君に逢いたい…🥹MOCOに逢いたいよ〜😭😭😭😭😭そして逢いたくて逢いたくて…•*¨*•.¸¸♬︎MO
1976年(昭和51年)12月1日にポリドールからベストヒットシリーズの一枚として発売された園まりさんの「夢は夜ひらく/逢いたくて逢いたくて」のジャケット写真です。写真は1973年2月発売のシングル「恋する女のブルース」と同じ写真が使われています。このシングルでも「逢いたくて逢いたくて」のは三番の歌詞が間違って「とおい空に」と表記されています。
1976年にアポロン音楽工業から発売された園まりさんのミュージックテープ「園まり全曲集」のジャケット写真です。最新曲「たそがれためいき曲り角」と前作「夜の指定席」が収録されています。勿論、園まりさんの大ヒット曲「何も云わないで」「逢いたくて逢いたくて」「何んでもないわ」「夢は夜ひらく」「帰りたくないの」「つれてって」「愛は惜しみなく」は収録されていますが、「くちづけ」のB面「吹きだまり」、2枚組アルバム「愛をあなたに」未収録の「あなたのとりこ」、「好きなの好きなの」のB面「あなたの愛が
当ブログに来てくださったあなたへ、お会いできて嬉しいです。太字は過去記事へのリンクです、よろしければお立ち寄りください。アイタクテアイタクテアイタクテ…アイタクチガフサガラナイアルハレタヒヒロイソラノシタアノコノエガオムネニウカベアオゾラヲズットミアゲレバアゝヒトハナゼカナシイクライマヌケナカオニナルンダロウアイタクテアイタクテアイタクテ…アゝコノムネイッパイノアイヲアノコニアゲタクテ…この広い空の下で、生きる日々に疲れ
今夜のNHK「うたコン」に伊東ゆかりさん、中尾ミエさんが出演7月に亡くなられた園まりさんを偲んで…以前の園まりさんの映像が流れました♪~愛した人はあなただけわかっているのに心の糸が結べない2人は恋人〜♪爽やかなお色気の方でしたよね高卒後勤めた測量の会社の男性の先輩の寮に同期の女の子と遊びに行った時大きなステレオと周りに飾ってあるLPレコードが園まりさんでした先輩は大ファンだったみたいです
「暮しと健康」2007年11月号に掲載されたヘルシートーク「がんの父を看取って」と題された園まりさんと当時、埼玉医科大学国際医療センター精神腫瘍科教授、大西秀樹さんの対談です。「逢いたくて逢いたくて」などのヒツト曲で知られ伊東ゆかりさん、中尾ミエさんと「3人娘」で活躍した歌手の園まりさんが歌う事の意味を失い、しばらく歌手活動を休んでいた間に体験したのは母親のがん発病、弟の急逝、肺がんの父親の介護そして死でしたと紹介されています。この対談で前に紹介させてもらった読売ウイークリーのインタビ
読売ウイークリー2007年3月18日号に掲載された「家族のかたち園まり」というインタビュー記事です。ノンフィクション作家の宮原安春さんが取材、カラー写真撮影は島崎哲也太さんです。園まりさんは家庭的に恵まれていて渡辺プロダクションに入社した時に、中尾ミエさんや伊東ゆかりさんのように渡辺プロダクションの寮に入る事なく自宅からの通いだったという話でしたが、本当はそうでは無かった事をこの記事では赤裸々に語られています。お父さんに数々のオーディションに連れていかれ最初の仕事はライターのCM
昨日、奈良市のイズミヤ学園前店で開催された、徳間ジャパンコミュニケーションズの演歌歌手、こおり健太さんのリリースイベント(ミニライブと特典会)に参加させてもらいました。セットリストは●裏町蛍(9月11日発売の最新曲)●しろつめ草(昨年5月17日発売の15周年記念曲)●昭和演歌メドレー(おんなの宿~恋あざみ~他人船)●小樽…ひとり旅(「裏町蛍」のカップリング)●裏町蛍でした。新曲「裏町蛍」は「逢いたくて逢いたくて」という歌詞があり私にとっては園まりさんを思い出さずにはいられな
2005年2月4日に大阪厚生年金大ホールで開催された伊東ゆかりさん、中尾ミエさん、園まりさんの「3人娘AGEINDREAMCONCERTTOUR2005」を観覧させてもらった時にいただいたパンフレットの写真の一部です。園まりさんについては1993年「六甲のおいしい水」のCMの曲で注目されるも活動を停止して2001年から音楽活動を再開、2003年4月に青山草月ホールで「40周年記念リサイタル」を開催、同年10月に22年余ぶりの新曲「アマンⅡ(ドゥ)」を菅原洋一さんとのデュエット
渡哲也さんの祥月命日だった8月10日に書いた記事を訂正させてもらいます。渡哲也さんは日活映画「逢いたくて逢いたくて」と「夢は夜ひらく」の二本で園まりさんと共演され園まりさんが、その頃、渡哲也さんに片思いをされていた事を生前、テレビ番組で告白された事も有りました。手元に芸能雑誌「明星」の1966年7月号と8月号が有り、見直してみると色々気付かされます。まず7月号に大信田礼子さんと渡哲也さんのグラビアが有り、これを見ていた園まりさんは翌年、渡哲也さんと大信田礼子さんの記事が掲載された時
1974年(昭和49年)の「週刊明星」のチャーム・コーナーで掲載された園まりさんのグラビアです。
大阪スポーツの昭和49年(1974年)3月31日号に掲載された園まりさんの取材記事です。
1974年にアポロン音楽工業からミュージックテープで発売された「園まり全曲集」のジャケット写真です。私が一番、最初に購入した園まりさんのミュージックテープでした。1971年発売のレコードアルバム「愛をあなたに」に収録されなかった「このままでいいの」と「愛をあなたに」以降のシングル「私が何をしたのでしょう」「旅情」「恋する女のブルース」「お帰りなさい」は収録されていますが「幸せになってね」は収録されていません。
先日、横浜にぎわい座の帰りに、ふと入った担々麺。横浜駅東口です。「匠」さん。中華街の「菜香新館」さんの系列だそうです。いよいよ、涼しくなってきて、これからの季節、また、担々麺が美味しくなる季節到来です!【たけ平今日の一曲】〜園まり「逢いたくて逢いたくて」〜園まりさんは、横浜市ご出身です。今年、7月にお亡くなりになりました。園まりさんとは、私、ちょっとした縁があります。ある先輩が、「園まりさんに会いたい」というか、仕事を一緒にしたいという
1974年(昭和49年)6月21日にポリドールから発売された園まりさんの二枚組の再発アルバム「愛をあなたに」のジャケットと同封されている歌詞カードの裏側の写真です。1971年6月に発売された園まりさんの二枚組のアルバムのジャケット、仕様、価格を変えて発売された再発アルバムになります。最初のアルバムの帯の裏に紹介されていた四枚のアルバムが全て廃盤になり、このアルバムの価格も値上げするために新たに再発アルバムとして発売されたと思います。使われている写真はアルバム「恋の宴は果てしなく」シ
「月刊明星」1967年1月号に掲載された渡哲也さんと園まりさんの対談です。園まりさんの経営する赤坂の喫茶店「MARI」で行われ日活映画「逢いたくて逢いたくて」以来、半年ぶりのご対面になりました。そして、この時には日活映画「夢は夜ひらく」で再び共演する事が決まっていました。この対談で当初、「夢は夜ひらく」で二人のラブシーンが予定されていた事が分かります。対談の最後の方で園まりさんは今、恋人がいない事を渡哲也さんにアピールされています。
1966年(昭和41年)に新聞形式で発行された園まり後援会会報「園」第1号に先立ち発行された園まり後援会会報「園」創刊号の写真の一部です。
1966年(昭和41年)9月1日に園まり後援会から発行された会報「園」第1号の写真の一部です。第1号は新聞形式でしたが第2号以降は冊子になりました。6月1日から一週間、日劇で開催された初めてのワンマンショーについての紹介、9月3日からの国際劇場出演と9月5日発売の新曲「夢は夜ひらく」の宣伝などが載せられています。
1993年(平成5年)5月12日の日付でいただいた前に紹介させてもらった瀬戸朝香さんが表紙の週刊朝日に添えられた園まりさんの直筆をコピーした手紙です。
1993年(平成5年)の「週刊アサヒ芸能」8月19日・26日合併号に掲載された園まりさんのグラビアです。「六甲のおいしい水」のCMの歌声が園まりさんだと分かり話題になった時のグラビアてす。この時は宮川泰さんにお願いして歌のレッスンをされて12年ぶりの新曲発売の動きもあったようですが、それは実現しませんでした。
「週刊朝日」1993年5月21日号に掲載された「60年代のスター園まり49歳の脱お人形宣言」という記事です。この記事から渡辺プロダクションとの契約が1991年12月31日で終了した事が分かります。そして1992年秋口に「園まりをKickOffする会」のプランが動き出し歌のレッスンは宮川泰さんが引き受け1993年2月19日に赤坂の全日空ホテルで「園まりをKickOffする会」が開催された事が分かります。この会に出ていた作詞家から自動車会社のCMソングの仕事を持ちかけられテープを吹
「週刊女性自身」1993年(平成5年)7月20日号に掲載された園まりさんと渡瀬恒彦さんの夢のご対面のグラビア記事です。「六甲のおいしい水」のCM曲を歌っていた謎の歌手が園まりさんと明らかにされCMに出演されていた渡瀬恒彦さんとの対面という事になったようです。
1966年(昭和41年)の年末、或いは1967年(昭和42年)の初頭に勁文社から発行された園まりさんのハイシート(ソノシート)「園まりDELUXE夢は夜ひらく」の写真の一部です。
歌手の園まりさん死去というニュースを受け、正直少しショックを受けました。えっ?!まだお若いのにと…その後ネットで調べると、まだ80歳でいらっしゃいました。中尾ミエさん・伊東ゆかりさんと三人娘として活躍され「逢いたくて逢いたくて」のヒットで知られる園まりさん。艶っぽい歌声に衝撃を受けた事を思い出しました。7月26日、急性心不全のため東京都内の病院で亡くなられ、告別式は近親者で済まされたそうです。お悔やみ申し上げたいと思います。逢いたくて逢いたくて【スタジオで歌ってみ
1966年(昭和41年)12月9日に朝日ソノラマから発売された園まりさんのソノシート「園まりベストヒット夢は夜ひらく」の写真の一部です。その当時、ある週刊誌で淡谷のり子さんから「あんな声の出しかたでは」と非難された事があった事も紹介されています。