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年寄りの突然の割り込み行為のため、旅の最後の予定は大きく変更。駅前のバスターミナルからまず東寺に行く予定でバスを待っていたが、時間も押しているため東寺をキャンセルし、2番目の目的地へ。三十三間堂である。ここは高校の修学旅行で訪れたヨーナ記憶があるが定かではない。とにかくバスで揺られていた記憶しかない修学旅行。早速本堂内へ。(画像拝借)「あ」っと息をのむ長い長いお堂に延々と並ぶ黄金色の仏像群「圧巻」というべきか「壮観」というべきか。中央の
こんにちは!「きもの美人道」の柴田紀子です。1月15日は、京都市内のホテルまで出張着付けに行って参りました。自宅での支度も考えられたそうですが、会場近くに前泊されました。お母様と妹さんも一緒に♡ヘアセットは、お母様がされましたよ。^^この日は、三十三間堂で「楊枝加持・大的大会(やなぎのおかじおおまとたいかい)」が行われます。通称「通し矢」二十歳を迎えた有段者が、この大会に参加できます。この日は、国宝無料開放されていまして、お詣りの方も
いつも「いいね!」、コメント有り難うございます!寒かった~!こちらも雪が降りました。積もりました。水たまりは凍りました。皆様の地方はいかがでしたか?今月15日は、ブロ友Mさんと、京都に遊びに行きました。Mさんは、前日の晩、大阪にコンサートを見にいらっしゃって、翌日15日は、京都見物をしてお茶でも、ということになったんです。幸いその日は、みその主人が車でアッシー君をしてくれて、Mさんとの待ち合わせ場所、七条駅2番出口へ。が、それってみその間違いで、そこは大阪行きの出口!駅員さんに
三十三間堂へ偶然に無料開放でラッキー😁さすが大安吉日袴姿の方が多いと思ったら通し矢の日でしたこの日の参拝者数1万人だったらしいスッゴイ人だったよなんせ12時間前に決まった京都旅、なんにも調べてなかったけどラッキーが続いて何なに?京都に呼ばれてたんじゃ?って思いました(笑)京都Naviさんより写真お借りしましたこれやってもらいましたまたまたラッキー新発売SoruRinオリジナル韓方茶『韓国発!オリジナル韓方茶が届きました』昨年から韓国の韓方専門家にお願いし打合
KICKSファミリーのみなさん、ごきげんいかがですか(*^ー^)ノ♪真冬の渋好みwalk、行ってきました😄この日は🏃♀️京都女子駅伝が開催されていたので、クルマではなく電車で京都入りしました。京都駅から⬇️七条通りを歩いて最初の目的地、三十三間堂を目指します😊毎年この時期に報道されますが、三十三間堂で「通し矢」の行事が催されました…というニュースを見たことある方、いらっしゃいませんか🤓?…元々は将軍・徳川家光が弓自慢の武士を京都に集めて⬇️三十三間堂の外廊下で弓術の技量を競わせたのが始
※アップしている写真は過去に撮影したものです祝日の改正に伴い1月中旬の日曜日に開催されている『三十三間堂の通し矢(弓引き初め)』。通し矢の起りは諸説でありますが、本堂の縁の上で矢をとばして、その矢数によって優劣を競った競技ともいわれます。その故事にならい、全国から弓道の有段者が集まって三十三間堂全国大的大会が開かれ、本堂西側の射場で直径約1メートルの的を約60メートルの距離から競射します。特に新成人の晴れ着姿での競技は、正月ならではの華やかさで、京都の風物詩の
1月15日は、三十三間堂に、「楊枝のお加持(やなぎのおかじ)」、そして通し矢を観に行きました。訪問したのは、正午を少し過ぎたころ。「楊枝のお加持」というのは、7日間加持祈祷した浄水を楊枝(柳)で参拝者の頭に注ぎ、頭痛平癒、無病息災を祈るというもの。この日は、ありがたいことに無料で拝観できます。すごい数の人が集まっていましたが、どちらかというと、通し矢の参加者とそれを観る人が多いので、三十三間堂に入って拝観する方は、待つことなく、すんなりと入れましたね。中央須弥壇に安
1月15日。職場での出来事。通し矢に出場?したお客様の弓矢セットをお預かりすることになった。長尺物且つお二人分でしたし、長身の課長が手伝って下さった。クロークへ収納しながら、「以前は通し矢に来る子達の着付けをやっていたんですよ」(←わたし着付士)と言ったら、課「そうか!じゃあ、そんなに壊れやすいものではない?」私「あ、はい、多分…」???なんだか話が噛み合っていない…?どうやら間が丸々抜け落ちて「以前は(弓道を)やっていたんですよ」と伝わり、経験者なら武器(←)の造形にも詳
おんりえど厭離穢土***こんにちはl'EtoileBleueですどんよりとした曇り空の月曜の朝夫は2階でテレワーク10時30分からだと言う会議の前に10時のおやつと紅茶の差し入れです今日のおやつは『月影』先日、京都の三十三間堂に伺った際↓『しずめのや』しずめのや鎮めの矢
15日はこちら弓矢を持った女子大勢皆のもの、戦じゃ❗️出合え出合え〜違う七条の三十三間堂で「通し矢」と「楊枝のお加持」があったから見に行きました。てか、本当のところは三十三間堂が無料開放だったから行ったんですがいや〜、お堂に入ると「ゾクっ」としました。(寒いからじゃない)千と一体の千手観音さんの圧倒的な迫力と堂内のなんとも言えない空気にね。ずらりと並んだ千手観音さんもだけど、中央の湛慶作の大きな千手観音坐像がもう圧巻です。ここ、好きだわ〜で、列で千手観音さんをうっとり見て移動
昔は成人式と重なる時期の風物詩として、ニュースで通し矢の話題を見ることがありましたが、今回は実際に見に行ってみました。通し矢は江戸時代に行われたことに由来しているそうで、今年も同時期に「全国弓道大的全国大会」が開かれ、約1600人が参加されたそうです。受付番号を呼ばれると会場へ移動する形で待機する人、付き添いの人、終わった人と見物客と、この日は三十三間堂の拝観が無料になります。競技者は、晴れ着姿で、60メートル先の的を目がけて矢を放たれますが、実際に見てみると結構な距離。届くだけでもすごい
本日1月15日。京都の三十三間堂では、通し矢が行われました。また、この日は楊枝(やなぎ)のお加持というご縁日でもあるため、無料で拝観できました。「通し矢」は、江戸時代に武士たちが、約120mある軒下で弓の腕前を競ったことが由来とされていて、現在は「大的全国大会」として新成人の門出を祝う新春の恒例行事となっています。(↑KBS京都ニュースより引用させて頂きました)門を入ると、沢山の人で賑わっていた。入口付近で動画を撮ったのだが、全く写っていなかったので、これは庭園前の写真です↓色とり
こんばんは♪今日は「三十三間堂での通し矢」毎年、1月15日に近い日曜日に京都の東山区にある、三十三間堂というお寺の境内で行われるもので、成人を迎えた男女の弓道競技。大的は約60メートルも先😮ねらって競うスリル満点⤴️昔は、成人の日が毎年1月15日だったので、成人の日と言えば、三十三間堂!通し矢!と、話題になったものです。でも今は成人の日は第二月曜日。少し、存在感が薄くなってきたような……😱あ、そうそう、私、実は、先月そこ(三十三間堂)へ行って
晴れ着姿の20歳、京都で弓競う三十三間堂で通し矢/共同通信2023年1月15日晴れ着姿の20歳、京都で弓競う三十三間堂で通し矢|共同通信京都市東山区の三十三間堂で15日、晴れ着姿の20歳の男女が弓道の腕前を競い合う新春恒例の大的全国大会...nordot.app「通し矢」に由来する大的全国大会で、矢を放つ20歳の女性たち=15日午前、京都市東山区の三十三間堂京都市東山区の三十三間堂で15日、晴れ着姿の20歳の男女が弓道の腕前を競い合う新春恒例の大的全国大
今朝は三十三間堂の通し矢に参加されるお客様のお支度をさせて頂きました♪そのような行事がある事も知らずに今まで生きてきましたご予約頂いた後早速三十三間堂通し矢と検索してみるとすごかったです袴姿の綺麗な20歳のお嬢さん方が弓を引く場面にはとても感動しました♪開始はお昼からみたいですが京都の生徒さん達は8時に三十三間堂に行かないといけないらしく今朝は5時半過ぎからお支度をさせて頂きました♪弓を引くってとても奥が深いみたいです前に「弓と禅」という本を読んだことがあってそんな話をしてる
成人の日なんですねぇ。長男は弓道をやっていたので、成人式の日には三十三間堂の通し矢に行きましたねぇ。。。でも、かわいそうに、射るときは雪が凄くて、的がどこにあるかも分からなかったみたいなんです。あれから12年経つのかぁ…。懐かしい思い出です。京都市右京区嵯峨嵐山駅から徒歩20秒楽しく上達できるぶーちんギター教室と尺八教室です。初歩からの尺八。童謡や民謡を吹けるようになりましょう。初歩からのギター(フォークギター、エレキギター)。伴奏やリードギターが弾けるようにな
しずめのや鎮めの矢***おはようございますl'EtoileBleueです一昨日の1月6日は2023年初の吉祥日(天赦日等)わたしは一人、新幹線に乗って30分・・・降り立ったのは、西の京京都ペンギンちゃん達に迎えていただいて^^『また来たよ~』って、心の中でハイタッチ!***
みかわぶし三河武士***こんばんはl'EtoileBleueです日本国の国旗を掲揚し、門松で新春を迎え寿ぐ鳥居をくぐり、玉砂利を踏みしめながら参道をゆっくり登ってきた参拝者は焚き火で暖をとり、一期一会のお隣さんに『おめでとうございます』と、新年のご挨拶お陰さまで、心地良い参拝が出来ました鎮守神社さま氏子の皆
おはようございます。今日から七十二候が移ります。【鱖魚群(さけのうおむらがる)】鱖魚は鮭のことです。鮭が群がって川を上る頃。川で生まれた鮭は、海を回遊し故郷の川へ帰ります。関東以北では、「しゃけ」と呼ぶことが多いですが、これは「さけ」が訛ったものです。アイヌの人にとって鮭はカムイチェプ(神の魚)と呼ばれ、貴重な食料とされていました。川の下流に住む人は、漁をするときに上流の人の分を残しておいたそうです。分け合うことや産卵期に獲り尽くさず、来年以降に命をつなげることもしていたと言わ
こんにちはAimmyですめっちゃめっちゃ寒い…早起きして朝一番にご挨拶へ行こうと友達と時間を合わせるもごめーん間に合わない時間調整が入りました三十三間堂今回はAimmy独特のオーバーな表現を含む内容となりますお気を害されましたらごめんなさいっなんと清々しい…手前に置かれている大鉢なのですが季節ごとに変えられています前に来たときは8月で蓮の花が置かれてました可愛いカキがたわわでした渋いのかなぁ~笑土曜日とあって堂内はとても賑わいっていて半袖の薄着で杖を持った
今回京都で訪問先に選んだ修学旅行コースのうち、最後の最後に訪れた三十三間堂のみが大混雑でした。到着したら9台のバスが並んでいて、帰りも入れ替わるように違うバスが9台。いちどきには入れず、少しずつ間隔をあけて、分刻みで修学旅行をスケジュールしている印象です。ただ、とにかく三十三間堂は長~い。修学旅行生がバス1台分入ってきても、それで占拠されるわけではなし。一時的に混雑が集中すると、その場所を避けてあちこちパネルを見たりしていました。おかげで、運慶作の仏様がこの中に混じ
藤袴凛と弓引く女学生(ふじばかまりんとゆみひくじょがくせい)先週の土曜日、例により2週間ぶりに京都の植物園に行ってきた。前回来た時と比べて大きな変化はなかったが、今回、特に目を引いたのは「藤袴(ふじばかま)」である。園内には何か所かに植えてあり、丁度今、盛りを迎えているようだ。*藤袴と浅葱斑(あさぎまだら)周知の通り、「藤袴」は秋の七草の一つなのだが、現在近辺ではほとんど見かけない。かつて植栽されていた寺社の庭でも最近は何故か見られない。また、名前にある「袴」も、今は日常的
…毎年、1月の何日に行われるか?三十三間堂(東山)は、後白河法皇の院政の政庁「法住寺殿」の仏殿として建てられた。法住寺と云う寺の跡地に建てられたから「法住寺殿」と呼ばれる。その仏殿が蓮華王院と呼ばれ、本堂の内陣の柱間が33ある事から「三十三間堂」と呼ばれている。これは、平清盛が私費を投じて造立したもので、清盛はこの功によって備前守に任じられた。蓮華王院(三十三間堂)には、中尊の千手観音坐像と1000体の千手観音立像が安置されてい
ゆるしあう赦し合う***こんにちはl'EtoileBleueです台風の襲来も予想され、急遽繰り上げた夫の実家への盆参り『ぼんまいり』ぼんまいり盆参り***こんにちはl'EtoileBleueです。昨日は、定期的に出かけている自分メンテナンスの日問診にたっぷり1時間、松…ameblo.jp昨日も義母のマシンガントークは健在で^m^;
三十三間堂(蓮華王院)に行ってきました歩いて行ったのは、今回初めて中に入ると、こんな新しい感じだったかなと思うくらい、建物が新しい本堂への入り口は、更に新しい感じです中は撮影禁止でした久しぶりに1000体の観音立像を見てきましたよく見ると一体一体顔が違ってました本堂の外観は、写真撮影OKでした通し矢はこちら側で開催されるそうです久しぶりに行くと、いろんな発見があるね
出町柳駅で京阪電鉄に乗り換え七条駅で下車し、蓮華王院本堂、通称三十三間堂へとやって来る(写真)。圧巻の千体観音立像や荘厳な雷神・風神像を中学校の修学旅行以来、再びみてみたいという願望もあったが、しばらく前にブロ友さんが紹介されていた「通し矢」の痕跡を自分の目で確かめたいと考えた。三十三間堂の通し矢は、桃山時代から始まったという記録があるようだが、江戸時代前期が最盛期で、武士たちに弓術の技量を競わせていたようだ。66間(約120㍍)ある西側の縁で、一昼夜24時間に何本通るかを競う体力的に
西尾市東部の宮迫(みやば)の神明社です。詳しい地図で見る宮迫は北を茶臼山、南を三ヶ根山に挟まれた谷合の集落で、神社は北側の山裾に建てられている。宮迫神明社正面。向かって左は公民館で広い駐車場がある。入口の社標は大正四年、「石工勝田文平」の作。鳥居をくぐると並木の参道となり、奥の階段前に二の鳥居が立つ。参道を含めて境内を囲む玉垣には「鴛鴦(おしどり)玉垣」なる名前がついており、奉納者が皆夫婦連名となっている。この後注意して見ると、市内の別の神社でも同じく
昔:深川三十三間堂絵はwikipanionより保存したものに改印年月を追記して転載🖼江戸初期のこと、武士の弓術稽古のため、京都東山の三十三間堂を模して、当初は浅草の地に建立されたが、後、深川に移り〈深川三十三間堂〉とも呼ばれた。三十三間先の的に数多く射ったものを名人と呼んだらしい。弓は堂の南縁から北縁に向かって放たれた。絵では弦を離れた矢を追って七人の見物人が左手の的に顔を向けたところ、まさにその瞬間が描かれている。江戸初期の寛永20年(1643)、弓
セブンイレブンに寄ったら、懐かしい漫画「弓道士魂」が並んでいた。即買い😆高校時代、入部した弓道部の先輩から、読むように全員に回された。もう、40年も経つのか…
ああぁ〜ん…それでぴっぴっね…ワタクシ…髪の毛あらへんから冷たかったお外出まして…弓道着は白黒ですから鮮やか鮮やかまさに初春の訪れ…本来ならば凛々しい若者達を観れるのですが…まあ…しゃあおまへん…と蓮華王院を後にし蓮華王院の東隣りの…