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堀川惠子「透析を止めた日」読了!高橋源一郎の「飛ぶ教室」で取り上げられた本はできるだけ読むことにしている。5月16日の放送で、ゲストとして出演した堀川恵子さん。(1969年生まれの55歳、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。広島テレビからフリーに)「透析を止めた日」(2024年、講談社)透析を止める決断をして、亡くなった夫の最後の壮絶な日を綴った。図書館では、貸出中が続き、毎日のように通ってやっと。こんなに素晴らしい本、買えばよかったかな?最近読んだ本の中では、
【読】『透析を止めた日』堀川惠子・著(講談社/2017年)2025.5/16読了こちらはチキさんのラジオで、透析をテーマに著者の堀川さん自ら出演されていた回を聴いて、ぜひ読んでみたいと思っていた一冊。『死に逝く人は何を想うのか』の回で「死ぬまでの残り時間を不本意にされてしまうのが怖い」と書いた通り、死の間際に苦しみ悶えるなど、ご法度だ。そのご法度にならざるを得なかったのが、この本に出てくる林さんの最期だったのだろうか。P.169「——こんな明晰な人の命を、なぜ絶たねばならな
こんな著書があるそうです。透析治療を行っていた夫が、緩和ケア―で透析を止めて見送った話の様ですが私の行く末の事かも知れません。私は透析を始めて、今年で6年目になりますが、しかし、ここで言われているような透析の苦しみは私にはありません。確かに、畳針のような一番太い針を血管に差し込みます。私の血液透析は毎回、同じ穴に刺す「ボタンホール」の透析なので、針の穴が二か所しかありません。また、穿刺前に痛み緩和クリームを塗って出掛けるので、針が入ったことも
こんにちは、さとみです。昨日は、ずっと気になっていた本の感想をブログに書きました。その内容は、こちらに貼りますのでよろしかったらご覧ください。『【読書感想】堀川惠子さん著『透析を止めた日』を読んで』こんにちは、さとみです。今日は、堀川惠子さん著『透析を止めた日』を読んだ感想を書かせていただきます。読み進めるうちに、何度もページをめくる手が…ameblo.jp読み終えた直後は「よし、感想をまとめよう!」と勢いで一気に書き上
こんにちは、さとみです。今日は、堀川惠子さん著『透析を止めた日』を読んだ感想を書かせていただきます。読み進めるうちに、何度もページをめくる手が止まり考える事が沢山ありました。タイトルの「透析を止めた日」――その言葉の重みは、ただの医療行為の中止という意味ではなく“人生の最期をどう生きるか”という切実な問いかけでもありました。私が、この本を手に取ったきっかけは私自身が腎臓移植を経験し、腹膜透
ほうほう、ふむふむ、そういうことか。
印西のフィールドに、かつてイボタガがとまっていた木があります。それ以来、そこに行くときは必ずチェックする木です。その木には洞があり、いつも中をのぞいてみます。大概、何もいないのですが、今日はいました!ヤモリです!!たまに出てきて外の様子をうかがっています。そして私が近づくと中に隠れてしまいます。撮影日:2025年3月26日〈先月読んだ本〉透析を止めた日[堀川惠子]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}本書は、2部構成。1部は
昨日、出先で「おすすめの本ありませんか?」と聞かれたけれど、とっさのことにお返事うまく出来ず。ほんとうは最もうれしい質問のはずなのに。読んだはしから忘れているのか?本棚を見ながらここ半年くらいで読んでとくに良かった本、友だちに勧めたい本といったらどれかな、と思い出してみた。以下、簡単に一言紹介します。『忘れられない日本人』小野和子著者は、90歳の民話採訪者。民話とともに語り手の身の上話も聞き取り記録に残してこられました。3月8日の朝日新聞beのインタビュー記事
転石さんが紹介されていた「透析を止めた日」を読みましたオレの叔父(母の弟)も、腹膜透析→血液透析をしていました初めて叔父のシャントを触った時の、ザーーザーーという血の流れる感触はまだ指に残っています「透析は地獄だぞ」と言った言葉も忘れられません「おふくろより先に死にたくねーな」と独り言のように呟いたこともありましたその叔父も2024年の1月に他界しました奇しくもその年の5月ににオレは腎臓移植手術をしたのです「透析を止めた日」にも似たような描写があり、叔父を想い起こしながら、はたまた
SNSつながりの方が堀川恵子さんの「透析を止めた日」をお勧めされていました。ご主人の看取りのノンフィクションです。あの苦悩に満ちた日々を分かり合える!私が読むべき本だ!とすぐに本屋さんへ行きました。買う前に少し内容を見たいと思い手に取りほんの1~2分ページをパラパラとめくりました。自分の経験と重なり合い記憶が蘇り息苦しさとジワッと怪しい涙腺に慌てて本を戻しました。いつか読めたらいいなttと思っています。結局購入したのはお
先日、友人が「読んでなかったら」と送って下さった本を一気に読み終えました。ノンフィクション作家の堀川惠子さんが、ご主人の透析で苦しまれた最期までを執筆された本。病気と闘われていた当時は、どんなに調べても情報が得られず、残念ながら信頼できる病院やドクターに巡り合う事、治療の選択肢もないと思っていた。その後、実際には四半世紀前から、終末期の透析患者に思いを馳せて働いて来た透析医など、様々な地域医療を構築した医師、看護師がいた事を知り、もう一度日本の医療を信じてみたいと本を書かれた。私がかつて
ネットで注文した本と図書館で予約した本。先ずネットで注文した本、つまり、買った本。(講談社)状況は違うけれどいずれ「そのとき」がきたら・・「そのとき」ではないので医師にはまだ伝えていませんが(夫にだけは伝えてあります)「透析はしない」という選択肢を選ぶ心づもりが、今はあります。そんな中自分がどう生きるのがよいか自分の選択は誤っていないかそんなことを考えながら手元に置いて読みたい本。ちょっと高いですが図書館の
他のbloggerさんも紹介していた本📕【透析を止めた日】を読みました。ネタバレするので詳しいことは書きませんが帯に書いてある通り透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか?ご主人の体験をテーマに色々取材されており衝撃的な内容でした。このblogは、透析患者を間近で見ている私個人の見解でけして透析を否定する内容ではないことをご理解下さいませ。それでも気分を悪くされそうな方はこの先を読まずにスルーして下さいませ。好運にも腎移植ができた身にとっても透析とは背中合わせなだけに本の題名
講談社刊行「透析を止めた日」著者堀川恵子氏の序章に「夫の全身状態が悪化し、命綱であった透析を維持することができなくなり始めたとき、どう対処すればいいのか途方に暮れた。医師に問うても、答えは返ってこない。中略私たちには、どんな苦痛を伴おうとも、たとえ本人の意識がなくなろうとも、とことん透析をまわし続ける道しか示されなかった。なぜ、透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか?どうして、「緩和ケア」を受けることさえできないのか?」という問いかける本だ。こちらも読んでみたい。
「透析を止めた日/堀川惠子」(Kindle)検査入院がわかっていたので、あらかじめkindleで購入していた一冊。恥ずかしながら作者は知らなかったが、評判本なのでクリックしました。前半部分が夫の闘病の記録で、後半がノンフィクション作家としての視点でのルポになっています。透析についての予備知識はほとんど無かった中で読んだのですが、その過酷さに胸が詰まりました。前半の妻としての感情の動き、後半の対象に向かって冷静に対応していくルポ、いやはや凄い人ですね。透析患者の終末期の姿を周知
『透析を止めた日』(堀川惠子/著)を読了。腎不全の最後の砦である「透析」について書かれたもの。血液透析がもたらす患者の苦しみ。腹膜透析という手段があるにもかかわらず、利益だけを追求する一部の医療機関によって選択肢にもあがらない現状。緩和ケアはすべての病気が対象と思っていたが、そうではないこと。最初から最後まで衝撃的な内容だった。ご主人の壮絶な最期を看取った堀川さんが、自身の痛みや傷と向き合った6年の結晶。これが「書く」ということなんだと、著書を通じて教えてもらったような
透析を止めた日、とても重いテーマでノンフィクションです私の旦那さんも娘も本の中の方と同じ難病指定の遺伝性成人型のうほう腎症です多発性嚢胞腎とも言います、ですので他人事と想えない内容にショックです読んでね、どうしてもなんだかパッと明るい気持ちになれないんだ生体腎移植を選択経験されておられるページを読んで、ずんって心が重くなった個人の倫理社会の倫理病院の倫理の違いなんだけれど、80近い母親からの生体腎移植をよく慶應病院倫理委員会が認めたなあ、と