ブログ記事208件
ナンセンスレター前略、君に精神的苦痛ないし絶望感を与えたと思われます。一切の弁明は虚偽の様な気がしますから述べません。問題は君への書き置きにある如く、K氏との対立です。総てを「性格」に帰着させる脆弱性は、僕とK氏との関係の問題を僕の性格の問題に帰着させてしまうのです。Yは、そうした僕に退廃を観ました。僕自身それは認めるのです。それ故、どうすれば良いかを目指せば良いのでしょうが、僕は、それを思考をめぐらすという範囲でしか現在的に行ない得ません。現実へ切り込んでゆけないのです。
焦燥に刈られて何も見えなくて雑踏に紛れてく退廃のままに何も見たくなくて崩れ落ちそうな階段を登って3Fのドアを開けたら君が居て暗がりの中で僕のそういう気持ちを笑いとばす換気の悪い爆音の中で「誉められたくて大人になれなかったの」と自虐のような凛としたようなよくわかんない表情で汗にまみれた身体で僕のそういう気持ちを抱き寄せてよくわかんない明るさで僕のそういう気持ちを笑いとばす
コレからねぇ、退廃していくんだろうね。日本のスポーツ新聞は確実に洗脳で野球を露骨に押し上げていたんだからさ。軍隊の悪い時代の名残を押し付けているだけだからね。スポーツ新聞が近代化への妨げになっているのだけは確かな現実になって表れているんだからさ。
もう何日もあるきつづけた背中には銃を背負い道は曲がりくねって見知らぬ村から村へつづいているだがその向こうになじみふかいひとつの村があるそこに帰る帰らねばならぬ目をとじると一瞬のうちに想いだす森の形畑を通る抜道屋根飾り漬物の漬け方親族一統削り合う田地ちっぽけな格式と永劫変らぬ白壁柄のとれた鋤と他人の土野垂れ死した父祖たちよ追いたてられた母たちよそこに帰る見覚えある抜道を通り銃をかまえて曲がり角から躍りだすいま始原の遺恨をはらす復讐の季だその村は向こうに
「話す」ということは一方的な「話し」ではなく「相手」がいる。「話す」ということを中心に行為を含めた生活全体はこの相手との関係によって成り立っている。ともかく最終的に云えることは俺は、日常的な「問いかけ」というか「今日こんなことがあった」とか「めし食ったか」とかは言える様でありたい。それをやめるつもりはない。やめれば元のもくあみ何のために話したのかわからなくなる。できるだけ君との間に会話を持ちたいと思っている。そういう中で互いに
1.俺の問題点K氏に対する問いの悪さ→相手の気持ちを考慮しない問題の煮つめ方のまずさ→討論をまとめる相互の力の弱さK氏の提起する問題に対する相応の欠如自分の思考に基づくテーマの設定の仕方あるいは捉え方をするつまり興味が限定されているため、他のの話題に興味を持てない。2.先日の話から俺が一切語らないことが俺自身の主張を否定することになる。つまりまず話す中でしか相互に理解し合えない。3.~~~「おまえと俺はこうなるしかない
沈黙―チュツチェフ(1803~1873)沈黙していろ。覆い、匿せ。感情も、そしてまた、のぞみも―心の底とその奥で、それらが無言のまま、夜の星々のごとく起ち上がり、立ち消えてゆくままにしておけ。それにみとれていろ。そして黙っていろ。胸がおのれを語り出すにはどうすればよい?他人がどのようにしてお前を理解するというのだ?お前が何をもって生きるかをその他人が理解するとでもいうのか?口を出た思念は嘘である。泉の爆破は泉を濁すだけ―泉をかてとしろ。そして黙ってい
わたしたちはいつ庶民であることをやめて人民でありうるか。わたしたちのかんがえでは自己の内部の世界を現実とぶつけ、検討し処理化してゆく過程によってである。・・・・・・。いいかえれば自分の庶民の生活意識からの背感を社会的な現実を変革する欲求として逆に社会秩序にむかって投げかえす過程である。正当な意味での変革(革命)のはこういう過程のほかから生れないのだ。―<エリアンおまえは此の世に生きられないおまえはあんまり暗い>――<エリア
俺の孤独はほとんど極限に耐えられない俺の肉体はほとんど過酷に耐えられない俺がたおれてもどんな直接性もたおれないもたれあうことをきらった反抗はたおれない俺がたおれても同胞は俺の屍体を湿った忍従の穴に埋めないにきまっている俺がたおれたら収奪者は勢いをもりかえさない、―全く意味の通じない絶望の全体が俺の心の表現としては成立する。上の詩ともつかぬものは吉本隆明の「ちいさな群への挨拶」を逆転することによって自分の心の内を表わそう
得るたびに知っていった失ったものを欲しくないものを求めて飢えては飽和して元から無かったと思おうとしたその無限に思える虚無は終わりを告げる焦燥と退廃のさまよいは与えられなければ感じられずそれなのに受けとれずに求められるものが求めるものが愛のようで違うようで違和感と予感の狭間でどこへともなく道は延びたねじ伏せられた諦めで途方もない散漫は終わりを告げる恐れはないのだ恐怖そのものが私から私を遠ざけていたのだから恥ずかしさも後悔も決心も自問自答もいつも見ていた
食後「石川町駅」へ。そのまま西日暮里まで。西日暮里でのりかえ金町へ。金町で小休止。帰アパ。小休止の後、風呂へ。一日はほぼ終り。小生の記録を娘が転記しているため誤字があると思います。ご指摘歓迎です。解読不能な個所はが入っています。個人情報・差別的発言は載せていません。また、よく好きな言葉を書きつけていたため引用元が不明な場合があります。こちらもお知らせ歓迎です。ありのままをさらけ出しているため表現上、不愉快になるかもしれない
1972.1.4(TUE)鎌倉散歩(苦歩?)金町、朝8時5~10分、5分程の休止の後出発。東京駅9:10分頃。北鎌倉10:00頃到着、円覚寺を振り出しに。(840+120)円覚寺-抹茶(玉露)を弁天堂にて飲す。(150+150)しばし富士を跳む。山門を出て踏み切りをわたり大船街道を左へ。数分ほどで俗称”縁切寺”東慶寺に。境内は20円の拝観料であるが30円で済ます。黄色い花(ろう梅)がいい臭いをさせていた。ここには高見順
1972年年頭前提何の為にやるのか→自己の思考の欠点不十分点の明確化。本題原則的問題把握、本質的問題把握、or個別的問題に一定の普遍的なテーマ(適当か?)を見い出す。前提を常に明確に”しつつ”本題へ取り組む。そして、「しつつ」ということは自分を検証することを持続して行なうという事を示している。一つ一つの問題に取り組み、それに一定の評価なり、批判なりを与えるのは「一つの視点があるからだ」その視点とはいったい「どういった視点なの
われわれ同時代人がなすべきことは存在する全てについて非妥協的な批判的評価を行うことである。非妥協的にというのは、そのもたらす直接の結果も、現存の力との間の軋轢をおそれずにという意味である。カール・マルクス今日の社会紛争は、要するに、愛情生活を修復し肯定する派とそれらを破壊し抑圧する派とのである(vi)「望んでいることを話してもいいし、話すべきだ。でもそれは望んでいることができるということではないよ。」(P15)「自由に話してもい
アリサンの歌流刑と投獄と民族的屈辱の古い朝鮮の民謡アリランアリランアラリオオアリラン丘を越えて行くアリラン丘には十二の峠最後の峠をいま越えて行く深い夜空に星数多く人の生涯(いのち)に罪咎多しアリランアリランアラリオオアリラン丘を越えて行くアリラン丘は嘆きの峠登る小径にゃ戻りがないアリランアリランアラリオオアリラン丘を越えて行く二千余万のわが同胞(はらから)よおおいま君たち何処にいる?国土ば
P146(アリランの歌)「人間は苦もなく死ぬものだがまたなかなか死なぬものだなぁー」<予定、あるいは今後の目論見>近日中にK氏と合うこと。即ち今週一度は欠勤の予定。合って何を話すか?都の職員試験についてのアドバイスをしてもらう。一方、その試験にパスするかどうかわからないから、食えるだけの生活費を得る手段として、一定の職につくこと。それが安定するなら、それでもよいし、その方が、対等にK氏とも今後つき合ってゆけると思う。市役所の試験
5.作業時間に対する給与条件は未だ明確になっていないがSの場合多分に慣習的な職員間の了解がある。給与はこの了解に基づいて決定される”らしい”。その条件とは徹底して”ケチ”であることだ。給与がなるべく上がらないように配慮されている”という”。さて昼休みは交替でとることになっているが昼食をとったあと休憩する場所が図書館ぐらいしかない。したがって自分の机にもどるのだが学生は絶え間なくやってくる。来る以上、受け付ける。従って休めない。
ここには女性蔑視がある。私は女性の社会的地位の向上というブルジョア女性解放説を”まずは”主張する。2.産休、生休がないということは女性の生理的特質を全く無視したことに他ならない。医学的に産休、生休は母体並びに女性の健康保全にとって必要であることが”まず”は立証できる。その上で問題なのはそれを認めない理事者側の姿勢でありさらにはそれを容認せざるを得ない職員側の弱さである。私は職員の健康を保証することが企業にとって必要なのだという転倒した発想
Sの内情についての若干の情報を得た。夏期休暇がない事。学生が休暇に入ると冬期の暖房が切られる事。学生部長の性格。給与の悪さ並びに給与条件の悪さ。労働条件の悪さ。時間のルーズさetc・・・。昨日11日は遅番だったので8時以降は一人だった。ひまだったので思いつくままに現在の状態の改善策を考えてみた。以下はその羅列である1.S・Iを教務課長とする2.産休、生休を設ける3.女性の超勤を全廃する4.夏期、冬期休暇を設ける
日本の場合は野球が人気スポーツのメインであった。ソレ故の弊害があまりにも多発しまくった。世界から取り残された結果は何を意味しているのかをまるっきり考えていない。特にmassmediaは野球人気で売りまくったから、いちいち考えたりはしない。ソレが世界から取り残されてしまう要因にしかなっていかないのをね。世界から取り残されてしまう要因は野球ごり押しの悪影響がモロにあるから。ソレが日本の退廃を招いた要因と認識をしなくちゃ
皆さまおはようございます😃日本時間の昨夜はGUCCIのショーでしたね!現地と同時に観れる〜、昨夜、観ようと思っていたのに、、、、気がついたら朝😱😱でした💦コレクション前にはメールが届くのですが、、そして、以下から観れます。現地に取材に行ってらっしゃる藤岡篤子さん!!以下はFB投稿からお借りしました!星マークで彩られた長い通路を抜け、「GucciParade」と書かれた輝くドアを開けると、そこに広がるのはGucciの魔
Sに務め始めて今日で4日目となる。朝7:30に起き7:45出金はほぼ定着した。難点は朝食抜きであること。夜の仕事を専門にやってみようと思っていたが内情を知るにつれて無理だとわかった。可能であるらしいので昼勤に切りかえることにした。昼休みは教務課の4人が交替でとるのだけれどはっきりと一時間とることはむずかしい。電話は昼休みも休みもないし12時50分までは学生諸君が出入するからだ。そんな中で本を読むことは大変むずかしい。向いに座ってい
(福者アンナ・カタリナ・エンメリックの預言)「プロテスタントが優勢になり、カトリックが退廃化していくのを見ましたほとんどの司祭が、神学校の若い教師たちの煌びやかではあるが偽りの知識に惑わされ、そして彼らは皆、(教会の)破壊の業に貢献しましたそのころ、信仰は非常に弱体化し、それは神が災害や戦争から保護したいくつかの家と家庭だけで守られるでしょう」福者アンナ・カタリナ・エンメリックにほんブログ村
平気で出る世界だし俺のとなりの事務員にしてからが受験料や学費の額や諸々の経費が何故それだけ必要なのかという考えは一切しない。一介の事務屋がそこまで考えれば全くの良心という不鮮明なものに定位してさえ自己破滅するのではなかろうか。俺は即自的な形での反発(即自的だから”反発”というのか?)を好んでしまうが実行には仲々移せない。服装の問題がそうだ。カラーワイシャツないしポロシャツはほぼ誰も着てこない。それがみんなの自己規制なのか大学としての
退廃。気だるい週末に淹れるdrip珈琲。机の上のシミで退廃感増し。それでいいの。コーヒー飲めたらそれでいい。ぬるめの珈琲も美味いけど熱々の珈琲を楽な格好でぼんやり啜る週末もいいと思う。。余談ですが(呪術廻戦の)夏油傑さんの良さをわかってもらえた喜びのあまりお肌が艶々に。そもそもみてるだけで艶々。あゝ。夏油傑さん…よき……💕ついに夏油傑さんの時代が好みど真ん中、二次元だけどいいの、それでもいい…💕延々ループかまして観てるわたしの愚かさよ。いっときも目を離したくない、
これまで日本では多くの歪曲した文化的根性論が一定数跋扈してきた。それらは近年下火になってきたように思われるが、僕が僕の過去を想起した際にはやはり彼らの意見が往々にして僕に決定的な不快感を抱かせる。精神病が気の持ちようだとか、被害者に非があるのなら体罰もやむなしと判断する判断力、犯罪は社会にも責任の一端があるのにいざ犯罪が起こるヒステリックに犯罪者そのものの悪質性や残虐性を論じ批判するという腐敗した性根。これらはことごとく退廃した理性であり、現代人である我々が十分に改善しなければならない問題であ
それを恐れつつもFのときにも管理者に云ったことだしK氏etcにも言ったことだが「とにかくやるしかないです。」という言葉が残るだけだ。Fを一日で蹴ったことが自分の性格の暴露でありどうにも社会性を持ちえない大人になっていないこらえ性のない俺の暴露である様な気がする。71.12.3(FRI)Sに努め始めて今日で3日。第1日から窓口事務。人間関係の点では自信を持っているが自分の身体的欠点である跛にいずれみんなは気がつくだろう。しかし
そうであるなら私の能力は高くは評価されない。試験という関門にさえ通ることができない以上私が一日だけやったあの仕事をおそらくは一生涯くりかえすことに他ならない。そう考えると私は全く耐えられない気持になってしまった。1日のサイクルをつくりたい。朝9時頃から夜5時頃までは拘束されていい。それが毎日続くなら日勤~16勤の周期よりもずっと好ましい。週に一度は休みがあってみんなと同じように雑踏の中を歩く。そこに非常に満された自分を感じる。
松本清張の本~📘「彩色江戸切り絵図」退廃が翳を落とす江戸の市井の片隅に人知れず生きる男と女意外な犯罪のからくりとその憐れな動機が浮き彫りにー時代ミステリー六編
自分の時間が全て失われてしまう。そんな観念におそわれた。朝は6時50分に起き7時55分から4時まで拘束される。仕事自体楽しくもなければとりたてて苦しくもない。しかし苦しいのはなぜか?それは1日の全ての時間が拘束の8時間に集約されてしまうからだ。午後の4時に開放されて午前0時に寝床入するまでの8時間は身体の疲労の回復と娯楽に費やされる。自分の思想的核をつくる作業は全くできない。こういった思考は「職員」が決して「アルバイト」ではない