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16年前の今日は秩父鉄道でSLパレオエクスプレスを撮影していました。当時はまだこんな車両が走っていて待ちの間も退屈することが無かったです。こちらがこの日メインのSLパレオエクスプレス。緑プレートに緑のHM、門デフ装備でした。返しの上り列車。客車も緑の頃でした。2009年11月28日秩父鉄道SLパレオエクスプレス蒸機の思い出今日の1枚は、追分機関区のD51345号機。この罐はギースルエジェクタを装備していました。1975年11月撮影、夕張線紅葉山。
昨日8月30日は第97回全国花火競技大会の「大曲の花火」、約1万8千発が打ち上げられ夏の夜空に光の大輪を咲かせました。大仙市の普段の人口は約7万3千人なのですが、全国から来られる方のために有料観覧席が10万席用意されたとのこと、JR秋田支社等でもたくさんの臨時列車が走りました。なお、私たちは今年も自宅でNHK(BS)で花火を観ていたものです。昨日は久しぶりの撮影、前回撮ったコマを見ますとなんと7月1日の五能線、約2か月ぶりにカメラを手にしたものです。最初は羽越本線へ、朝に秋田
梅雨が明けいよいよ夏本番となった真岡沿線。先ずは朝の回送列車とオニユリのコラボから。SLもおか下り列車の1箇所目。初々しい栗の毬。この日もDL後補機付きでの運行です。真っ白な芙蓉を広角レンズで接写しました。ここではピンクの百日紅を花ピンで。木立ちの中から白煙を上げてやってきました。伊許山の麓は無煙で通過。往路のラスト。ヤマユリが咲いていました。2025年7月19日真岡鐵道SLもおか今日の1枚は、1975年12月に追分機関区で撮影したトラ塗り赤プレ装着機の49648です。
梅雨真っ只中の関東地方ですが、連日猛暑日に迫る暑い日々が続いていました。この日も朝から気温が高く梅雨は何処へいったのやら。朝の送り込み回送列車をちょっと変わった場所から撮ってみました。回送列車の2箇所目は跨線橋の上から撮影です。SLもおか往路下り列車の1箇所目。2箇所目は八木岡の青田とトウモロコシ畑で。まるで梅雨明けしたかのような天気でした。Nゲージのジオラマのような風景。進行方向は→往路で唯一見た煙です。伊許山の麓を走ります。田圃はすっかり緑の絨毯に。下り列車のラストは笹原田
リバイバルカラー5色の657系を定点撮影。2025年6月常磐線657系特急ひたち/特急ときわ蒸機の思い出今日の1枚は1975年に撮影した追分機関区です。扇形車庫の中にはナメクジのD514号機と764号機が佇んでいました。
常磐線で653系K71編成による臨時の特急相馬野馬追号が走るということで、真岡へ行く前に撮影してきました。列車待ちをしていたところへ鳥鉄親父さんがいきなり登場でビックリでした。この後はSLもおかを撮影するため真岡へ向かいました。日中は真岡鐵道でSLもおかを撮影していました。帰宅後、相馬野馬追号の返しを自宅近くで撮影。2025年5月25日常磐線653系K71編成今日の1枚は室蘭本線岩見沢駅を発車したD51重連の貨物列車です。先頭はD51767号機、追分機関区の罐でした。1974年3月の撮
ここからはC11123号機が牽引するSL大樹3号です。先発1号の325号機ほどではないですが123号機もなかなか良い煙でやってきました。ほぼ無風のため鯉のぼりは泳いでくれません。SL大樹3号の2箇所目は鬼怒川の鉄橋で。手前にツツジを入れて撮ってみました。久しぶりに定番撮影地に立ち寄ってみました。煙は控え目でしたが新緑が綺麗です☘️大樹3号のラストはヤグルマギクを花ピンで。ヤグルマギクと500系リバティ。鬼怒川温泉駅を発車したSL大樹2号です。こちらにも藤の花が咲いていました。途
旧社格無格社追分八幡神社(勇払郡安平町追分柏ヶ丘47番地)【最寄り駅】JR石勝線室蘭本線追分駅徒歩5分〈例祭日〉9月5日〈祭神〉品陀和気尊(ほんだわけのみこと)息長帯比賣尊(おきながたらしひめのみこと)〈由来〉明治27年、追分開拓の守護神として開拓民により創祀される。明治32年、開村創始者である小野寺喜助・松浦幸寿・石神弥一・新保鉄蔵・加茂勇蔵等醵金を以て追分町を一望できる現柏が丘に社殿を建立、鶴ケ岡八幡宮より神璽を奉遷、同11月15日、室蘭八幡宮社司佐藤守雄を招聘
新緑が眩しい真岡沿線☘️見ているだけで気分爽快!2025年5月4日真岡鐵道110レ蒸機の思い出今日の1枚は、追分機関区のD51241号機です。このデゴイチは昭和50年12月24日にSL最後の貨物列車を牽いたことでも有名です。ギースルエジェクタ装備、デフステーに付いた氷柱落としが特徴的な罐でした。1974年3月に夕張線鹿ノ谷駅で撮影。
AM7:15。このくらいの時刻になると次第に風が出てきて田圃の水面が揺らぎはじめます。2025年5月3日真岡鐵道105レ蒸機の思い出今日の1枚は、夕張線で撮影した追分機関区のD51767号機です。SL全廃まで残り僅かとなった1975年11月の撮影です。
真岡鐵道沿線の桜を色々と追いかけて気づいたのですが、病気や老朽化で以前のようなボリュームが無くなってしまった桜が多く見られたような気がします。今日は昔撮った写真の中から数枚をアップしてみたいと思います。こちらは昨年の折本の桜。道路沿いの桜の木は殆どが伐採されてしまいました。2010年4月11日のSLもおか。この頃はリス村側の桜も健在で菜の花も満開でした。2012年の4月はピンク色のプレートを付けたC11が牽引しました。桜のトンネルが見事です。こちらは2015年の4月です。この頃の桜並木は
試運転往路撮影の後は会津若松駅で汽車見物です。先ずはヘッドマークなしの貴婦人を正面から。機関車の切り離し作業が始まります。仕業札には「試」が。ヘッドマークなしの素の貴婦人がカッコいい。バックで機関区の転車台に向かいました。2025年3月20日磐越西線SLばんえつ物語試運転1975年12月に追分機関区で撮影した赤プレ49648号機。名寄本線のさよなら三重連の先頭に立った罐です。入れ換え仕業についていました。
往路の撮影も終盤となりました。6箇所目は山都の一ノ戸橋梁です。サイドから貴婦人のスマートなシルエットを狙いました。煙もいい感じです。見えなくなるまでシャッターを押し続けました。そして往路のラスト、車を降りたら前方で手を振る二人連れが。なんとglockさんとD51338さんでした。まさかココでバッタリとはクリビツテンギョウでした。SLが来るまで暫しの鉄談義に花が咲きます。観音様はキャブの上。私はこのあと若松へ。2025年3月20日磐越西線SLばんえつ物語試運転追分機関区で撮影したD51
試運転往路の4箇所目。こちらにはまだ多くの雪が残っていました。橋梁を渡るC57は爆煙です。風に流されることなく煙が綺麗に棚引きました。築堤にも僅かに雪が残っていました。久しぶりの定番地。現着したときは空いていて拍子抜けしましたが流石はお立ち台、続々と撮影者がやってきてSL通過時には結構な人出となりました。残雪を入れたこちらの構図が本命でしたが、左から吹く風で煙が倒れてしまったのが残念です。1975年に追分で撮影した79642号機です。この罐は高山→稲沢と異動しその後は北海道に渡り名寄機関
3月1日(土)は気温がグッと上がり4月並みの暖かさとなりました。空は快晴ポカポカ陽気、紅梅が咲き真岡沿線はいよいよ春の装いを呈してきました。麦畑と耕された田圃。徐々に緑が増えています。気温が上がると煙はご覧の通りです。今年は開花が幾分遅れているようでした。こちらにも2本の紅梅があります。力行してはいるのですが陽炎のような薄煙でした。往路のラスト。牧場の牛たちも日向ぼっこです。2025年3月1日真岡鐵道SLもおか蒸機の思い出今日の1枚はD51345号機です。追分機関区所属のギー
2025年1月1日、今年の初撮りは東武鉄道のSL大樹でした。今日から10回に分けてアップしていきますのでお付き合いいただけたら幸いです。先ずはSL大樹1号、緑プレートの123号機です。花粉症の私には大敵の杉を入れて撮ってみました。2箇所目は砥川橋梁。ちょっと残念な煙です。川を入れて縦構図で。気を取り直して3箇所目。ここも薄かったぁ〜2025年1月1日東武鉄道SL大樹蒸機の思い出第4回目はD51の4号機です。半流線形通称ナメクジ。留萌本線時代に付けられた前照灯のツララ落としが特徴的
昨日、ネットでKATOの新製品発表を見かけて買いたくなってしまいました。《KATOD51-241号機追分機関区》今月下旬の発売予定とのこと。京都駅店特製品って、購入できるのかな?なんとか買えるといいのですが。昭和14年に苗穂工場で製造されてから昭和50年に引退するまで、石炭輸送の第一線で、生涯を追分機関区で活躍した生粋の道産子車両だそうです。やっぱり欲しいな。ギースルエジェクターの煙突、二灯ヘッドライト。カッコいい。最近軽いSL病にかかっている私には、悲しくも嬉しい新製品のニュ
追分巡り、次の動輪は岡の上の小学校の前にある、かつて公園だったスペースです。D51-929です!川崎車両1943札幌→長万部→岩見沢→鷲別で廃車その後安平に来たのですね。線路はほとんど読み取れませんが、カーネギー190?エドガートムソン製造が読み取れ、発注したIJR(帝国鉄道庁)の刻印もあるようです。昔はここに至る階段が機能していたみたい。ここから道の駅あびらD51ステーションに移動。悲運のエース2411939苗穂工場→終生1976に被災するまで一貫して追分機関区そして
追分駅前にある、D51465の動輪です。1971の事故で焼失したうちの1台です。カーネギー社1900年。工場名のETはエドガー・トムソン工場。カーネギーはスコットランド生まれ。産業革命で1848年スコットランドのダンファームリンよりアメリカに移住します。ペンシルバニア鉄道で働いた後、1865年ユニオン製鉄などを作り、その時出資して、また最大の顧客だったペンシルバニア鉄道のトムソンの名前を最初の製鋼所につけたそうです。その記念すべき工場製なのですね。もうひとつの線路は、1889年に作
8月10日(土)の磐越西線、徳沢橋りょうで撮影後、いつの間にか「SLばんえつ物語」を追い越してここ日出谷駅に着いたものです。日出谷駅17:16前回(7月13日)に比べて煙はまった無かったのですが、正面からお陽ひさまが蒸気機関車の顔に当たって、なにか好きな写真になったものです。家族は少し先の当麻橋りょうで撮影です。日出谷→鹿瀬17:17向こうの山は雲が被っています。今回も現役時代の蒸気機関車を1枚載せさせていただきます。小雪舞う追分機関区、半流線形(ナメクジ)
北海道旅行もいよいよ終盤に近付いてきました。占冠ICから追分ICまで55kmほど高速道路を走り、安平(あびら)町へと向かいます。安平町は平成18年に早来(はやきた)町と追分町が合併して誕生した町で、昭和29年に安平村が早来村に改称してから半世紀ぶりに安平の名前が復活しました。追分といえば、蒸気機関車の車庫が一番最後まで残っていた追分機関区のあった場所です。蒸気機関車の引退後は扇形機関庫での保存が決まっていたそうですが、国鉄の労使紛争最中の昭和51年に起きた不審火で機関庫は焼け、数輌の蒸
5月19日(日)の磐越西線、「群岡のカーブ」で撮影後、車を東へ走らせます。今日の「SLばんえつ物語」は20分くらい遅れていますので、これを計算しても荻野駅通過には間に合いそうです。昨日は荻野駅のホームから撮影していますので、本日は駅の上に向かいます。荻野駅12:51(いつもは12:34くらいに通過していると思います。)トンネルに入りますので、煙が無くなったものです。今回も現役時代の蒸気機関車の写真を1枚載せさせていただきます。追分駅の半流線形のD5170(追分区)
本日の秋田は雨です。一昨日の4月7日(日)、サッカーJ2の我が「ブラウブリッツ秋田」は「大分トリニータ」とのアウエーで3ー1での勝利、6位に順位を上げたものです。今回も4月6日(土)に行ってきた由利高原鉄道の写真を載せさせていただければと思います。吉沢→川辺(5D)9:16矢島駅9:28この日は2両編成での運行です。吉沢→西滝沢(10D)10:00右上は竹林です。同じ場所から後姿を撮影です。梅が咲いていま
今日はお家でゴロゴロです昔のSLの写真の整理懐かしい初めてのSL撮影だったのかな機材はNikonF250mmf2ひとつですD51-4ヘッドライトにツララ切りが付いてますナメクジ好きでしたD5160夕張貨物とりあえず追分機関区のD51でした
上諏訪駅から徒歩15分ほどの、諏訪湖畔に静態保存されているD51824号機です上諏訪、松本、長野と長くこの地域で活躍した罐で、長野工場型の特徴が満載です・・・・テンダ-の重油タンクは撤去されていますが、独特の長工式デフ(N-2型)は健在です・・・テンダ-上の覆いはなんなんでしょぅか??長工式集煙装置は外されています・・・・キャブ前面に伸びたパイプに円筒形のものが付いているのは、長野工場型運転室換気装置と言うものだそうです・・・中村さん所有のモデルにも付いてましたねぇ~乗務員をトンネル
昭和50年8月28日29622です通称キュウロク大正生まれで最後の現役SLです暑い夏でしたSL最後の夏でした夏休みの中頃に北海道に行くつもりでしたが夏休み入って盲腸になりまして出発が遅れまして夏休みの終わりに北海道に行った時の9600ですは幌内線三笠付近です昭和50年12月26日追分機関車最後に残ったSLです39679
初日予定していました追分駅に来ました跨線橋が有りましたのでそこから追分機関区跡を見渡します岩見沢駅側ですホームの西北木の生い茂っている先辺りに扇形機関庫と転車台があったと思います追分駅は室蘭本線と旧夕張線の合流駅で石炭輸送の主力機関区が有りました昭和50年12月14日岩見沢第一機関区所属C57135牽引225列車がここ室蘭本線室蘭ー岩見沢での運用をもって定期旅客列車は終焉となり同年12月24日追分機関区所属のD51241による
蒸気機関車が国鉄線上を日常的に走っていた現役時代、機関区は当然のことながら蒸機だらけだった。初めて蒸機見たさに遠征した宮崎では、末期とはいえ九州の美しく整備された蒸気機関車を機関区で撮りたいと思ったが、個人での見学は不可であった。当時の『SLダイヤ情報』誌にはそう書かれていた。宮崎でも突撃すれば撮影が許されると知ったのはインスタを始めて他人の投稿写真を見た最近のことである。↓『SLダイヤ情報』の記事。九州地区では個人の撮影はできないとあるが、北海道地区は区に直接申し出て許可を受ければ当日でも
昨日は近くの山にワラビ採りに行き、その後、秋田市雄和町にある「ふるさと温泉ユアシス」へ、昼食には名物の「モロヘイヤ麺」をいただく等ゆっくり過ごした日でした。さて今回は5月2日に行って来た「由利高原鉄道」の写真を載せさせていただきます。この日は朝起きると快晴、鳥海山が見えるのではと急遽、由利本荘市へ出発です。しかし到着すると鳥海山には雲が、鳥海山が入らない撮影になってしまいます。最初は、多分まだ誰も発表していない場所?での撮影です。5年位前から撮ってきた大好きな場所、Sカ
9600形蒸気機関車は、大正2年に登場した我が国初の本格的な国産標準形機関車です。それまでにも国産で製作された機関車は他にもありましたが、例えば汽車製造の230形(41両製造)は英国製のA8形に範をとったものであり、明治の代表的な貨物用蒸気機関車2120形(総数533両が製造されたB6系、国産は10両)も同じく英国製の2100形の増備機でした。鉄道院(国鉄)では、明治末年に海外より多数の新鋭蒸気機関車を輸入しており、これらを参考にして独自の設計を進めたのが9600形蒸気機関車であり、