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前回のつづきです私が歩いたのは、中辺路です滝尻王子から熊野本宮大社まで歩きます道標の番号は、1番から始まります500mごとに数字が上がってきます最初の頃は、丁寧に番号順に写真を撮ってましたが、そのうち面倒になり撮るのをやめてしまいました岩を抱き込んでいる巨木胎内くぐりですここに来るまでは、ご利益いただけるのでくぐるつもりでしたしかし、穴が小さかったハマっ
そういえば、熊野古道がきっかけで、花山法王に興味を持ったものの。あまり知らなかったと反省して、萩耿介氏の小説『炎帝花山』を読み始めました。小説だけど。これによると、花山天皇は馬が好きだったそうです。熊野古道中辺路近露王子近くの箸折峠。花山法王をモデルにしたという牛馬童子像があります。だから、この像は牛と馬にまたがっているのね。でも馬が好きなら馬だけでいいじゃんね……なぜ、牛と馬なのかという謎はまだまだ解けそうにありません。左が牛馬童子。かわいいですね。以下の本は熊野古道中辺
1からのつづき近露王子を見たあとは、しばらくアスファルトの道を歩きます。どこも紅葉がきれいです。横矢姫とは、後南朝時代に小倉宮皇子の側女として尊雅王を生み、戦乱の中、殺害された皇子と尊雅王の菩提を弔い、文明八年(1476年)に没した女性。熊野の光福寺に皇子の墓があり、同寺の葬られました。野長瀬一族の墓南北朝時代、野長瀬一族が後醍醐天皇の子の大塔宮護良親王を助けた功績により「横矢」の姓を賜ったと『太平記』に記載されているそうで、横矢姫は野長瀬一族
さて、今回は有名な牛馬童子のいる場所からスタートです。その前に、今回もおいしいお弁当を!お弁当を食べ終えたら歩き始めます。ここから上に上がっていきます。と言ってもそれほど上ではないんですけどね。11月21日だったので、紅葉のとてもきれいな時でした。林道を上がっていきます。今回も、熊野道ガイドさんと一緒です。今回は、女性のガイドさんでした。箸折峠の名前の由来など、色々な説明を聞きながらゆっくり歩きます。これは弘法大師か
牛馬先日の熊野詣での神様遠足その二作目として「牛馬童子」編が完成しました。ようこそおいでくださいましはるか遠くから来ていただいたことにも感謝です。💦旧作〈上野寛永寺の辨財天堂編)の改修作業もあり、進行が遅れてしまいましたが、一気に完成にこぎつきました。熊野古道は歩いた距離はそう長くないのですが、慣れない山道ということで余裕がなくなり、撮影枚数もかなり少なめというなかでいろいろ違
熊野古道/中辺路(滝尻~熊野本宮大社)のつづきです。2日目後編中編(前・後編に収まらず、、)※無理やり追記して後編にしました。熊野古道/中辺路(滝尻~熊野本宮大社)を歩きましたこの記事についての地図はこちらを参照滝尻王子~継桜王子その2_ol(tb-kumano.jp)ようやく宿のご主人に教えてもらったビューポイントに到着っ(12:51)東屋になってて誰もいなくて静かでいい感じここで宿で用意してもらったランチを食す。素朴な味でおいちぃ近露の集落が
大河ドラマ「光る君へ」、花山天皇、まんまと出家させられてしまいましたね。17歳で即位して2年後19歳のときのことでした。花山法皇となり、熊野へ。箸折峠へ立ち寄ったときのエピソードは以前のブログにも書いています。法皇は熊野が気に入り、山中で修行に励んだとのこと。那智山の神域には那智の滝と呼ばれる一の滝を筆頭にたくさんの滝があるそうです。上流の三の滝まで歩く「神秘ウォーク」というウォーキングツアーが那智勝浦観光協会によって運営されています。新着情報:【受付開始】神秘ウォーク202
熊野古道中辺路のブログの続きです。登り道がいったん終わって、高原では、まず、神社の立派なクスノキを見ました。そしてスタンプも押しました。先に行ってたスペイン人の4人組が、アスファルトの道を戻って、神社にやってきた。高原への登り道の前にある舗装道路を行けば、そんな道順になるのかな?そして、高原の休憩所で、しばらく休みました。お手洗いも自販機もあり、景色もいい。そして、相方、缶コーヒーにはまる。登り坂、再開。写真はイギリス人?のマダム、健脚!マダムが立ち止まってるので、何かと
今日の大河ドラマ、「光る君へ」。笑い事じゃないけど最愛の女御を失って嘆く花山天皇が、手に赤い紐を握りしめていたのが……。ごめんなさい、やっぱり笑ってしまいました。この女御の死の悲しみにつけこまれて、花山天皇はさらなる悲劇に見舞われるのでした。それをきっかけに熊野との関わりが深まるのよね~。できれば、大河ドラマでも箸折峠で本郷奏多くんに「これは血か露か」ってやってもらいたいけど、やっぱりだめかな……。箸折峠については以下のブログで紹介しています。そして、熊野古道と熊野三山については、小
大河ドラマを観ると。エキセントリックな方だったようですね。花山天皇。この石像の左が花山天皇(法皇)が、熊野を旅した姿を模したといわれている牛馬童子像。明治時代に作られたものだそうです。熊野古道中辺路。近露王子近くの箸折峠にあります。右もとってもかわいい石像ですが、役行者だそうです。これらの石像を作った方にはとてもセンスを感じるわ~(^^)馬と牛にいちどにまたがっているのがすごい。花山天皇ならやりかねないということころでしょうか。『小辺路中辺路熊野古道聖地と聖地歩い
昨日の『光る君へ』でも目立ってましたね。花山天皇。
熊野古道中辺路、花山天皇(法皇)が熊野詣の際休憩したという箸折峠。花山天皇の旅姿を模したという牛馬童子の像があります。実はこの牛馬童子、かわいらしいお顔が禍して、頭を盗まれてしまうという災難に見舞われました。花山天皇も不運といえば不運ですが、牛馬童子まで!この写真の牛馬童子のお顔は再現されたものなのです。『小辺路中辺路熊野古道聖地と聖地歩いてつなぐ』は、熊野古道を歩いた道中記です。箸折峠、牛馬童子の話も紹介しています。KindleUnllimitedだと無料です。もちろんご購入
大河ドラマ、『光る君へ』がはじまりました。さっそく強烈な東宮が出てきましたね。後の花山天皇です。花山天皇は在位わずか2年、19歳で出家して退位。失意のうちに熊野へ向かいました。ここで萱の茎をお箸にして食事を取ろうとした際、茎から垂れた赤い汁を見て「これは血か露か」といったそう。その近くが「近露王子」と呼ばれるようになったそうです。休憩した峠は箸折峠と呼ばれています。なんてこともこの本に書きました。熊野古道の旅行記です。熊野がどのぐらい絡むかはわかりませんが、『光る君へ』、とっ
西国三十三観音霊場の番外花山院御廟の御朱印です。丸くて柔らかい文字がほっこりさせてくれます。ちなみに、この花山院のある住所が三田市尼寺と書いて「さんだしにんじ」と読みますが、花山院は尼寺ではありません。花山法皇をしのんで、お仕えしていた女官がこの地に多く住み着いたからだそうです。花山法皇は、17才で天皇となり、たった2年で退位し、41才で亡くなったそうです。色々とあった人だったみたいですが、最後はこの山のてっぺんの寂しい場所で大勢の女性と暮らしたそうで、(かなりの
滝尻王子から牛馬童子へ移動しました。今回は、あくまでも西国巡礼がメインなのでスポットごとらしい。道路からも気軽に来れる古道スポット。ハイキングの方のほか、同じくスタンプを押しながら楽しむ小さなお子様連れのファミリーもいたり。さて、この牛馬。昔はこういう移動の形だったのかなーなんて考えたりしちゃいます。おもっていたよりも小さな童子さまでした。ところで、ここの不思議なことは、童子の像と一緒に撮影した記念写真がなぜか消えていたこと。せっかくなので近露
おはよう御座います、只今のお天気は曇りで午後から雨模様気温15.5度湿度91%気圧1019.0hpa風速1.0m/s東よりの風。毎度ご訪問頂き誠に有難うございます、最近桜の開花情報が良く耳にするので、昨日近場の桜を見にカメラを持って二、三箇所回って来ました。田辺市中辺路町、熊野古道沿い、近露王子近くにある樹齢290年の枝垂れ桜、野長瀬家の庭に咲く見事な桜です、野長瀬家は南北朝時代から続いた現在は29代目の旧家です。見物客も大勢来ていました、ここは何度も
妹と話をしていた時のこと。また熊野古道とか行きたいね~馬子地蔵とかあった!!馬子?地蔵?それって、まさか牛馬童子のこと??なんで分かったん??だいたい分かる(笑)姉妹は同じ思考やで。でも馬はあってる💮そして、やって来ました熊野古道やで~メイの好きな山道🎵メイは元気はりきっていますさぁ、歩くぞ~朝は空気も清々しいね~竹とかある何か変。しばらく山道を歩いた先には❗いました✨牛馬童子に到着でーす☺️調べたら🔍️牛と馬にまたがる僧服の石像は花山法皇の熊野詣の旅姿で
こんにちはmilk2ですご覧いただきありがとうございます昨日中辺路旅から無事帰ってきましたが1日目からアップします12月27日(月)紀伊田辺駅暗闇の中、6時過ぎのバスで滝尻へ出発滝尻手前から、積雪が・・・滝尻バス停で、数名降りましたが積雪にびっくり!というか唖然としてましたここまで来たら、バス便もないので行くところまで行こう!滝尻王子から出発!どこを歩いてもこんな感じ・・・↓ひたすら雪道を歩きます高原露の里休憩所からの眺め雪雪雪13時頃近露王子通過休憩、
第4回の今回のコースは牛馬童子バス停🚏~小広王子までの約9kmうお座王の待ちに待った牛馬童子像に会えるのね~今回もお天気に恵まれた参詣日和☀️どうやらうお座王は熊野と相性がいいようだ👌スタートから0.8km牛馬童子像に到着平安時代、花山法皇が牛と馬にまたがり旅をした姿だといわれます。過去に二度ほどこの石像の頭部が外れた状態で見つかったことがあるそう。何者かに故意にこわされたのか戦々恐々とするなかで田辺市教育委が調査したところ急激な冷え込みなどの自然現象だと判明。
2018年7月5日紀伊田辺駅近くのビジネスホテルを早朝に出発し、朝6時台のバスに乗る為に田辺駅に向かいました。バス停に1人男の人が大きなリュックを背負って居たので、「中辺路ですか?」と聞いてみると、『ニホンゴハアマリデキマセン』との返事。てっきり日本人だと思いきや、外国人でした。『エイゴデキマスカ?』と聞いてくるので、「ほんの少しなら」と答えると、鬼のように英語でいろいろと話しかけられちゃいました(*_*)ほんの少しだって言ったっしょ!とツッコミを入れたくなるのを我慢して、なんとか会話
2018年7月5日次はいつ来れるかわからない熊野古道を楽しむ為に、その歴史が止まったままの風景をしっかりと目に焼き付けたいのですが、何せ登りが多くて余裕があんまりないのでした。ただその風景は、もののけ姫そのものの風景で、苔むした木々や石、お地蔵さんや石畳は本当に素晴らしいのです。不寝王子→高原熊野神社→大門王子→十丈王子と廻った時には、足と言うかふくらはぎがもうパンパンで、もうすぐ破裂するんじゃないかと思う程でした。やっぱり近所の山で足慣らしするくらいじゃ足らないんですね(^_^;)風景
2018年7月6日継桜王子近くにある民宿に泊まり、出発までスタートを何処にするか迷っていると、民宿の女将さんから、「まだ若いから、近露王子から歩いても本宮に十分早く着きますよ」とアドバイスを受けてその気になってしまい、「じゃあ、近露王子まで送って下さい!」とお願いしたのでした。小雨の中の近露王子で民宿のオーナーとお別れをした後は、レインウェア・レッグカバーを着たり、飲み物を補給したりして、出発が8時過ぎになってしまった。まずは、昨日歩きそびれた、比曽原王子→継桜王子と歩いたが、比較的民家があ
外出自粛の期間が続いておりますが…2月初旬、熊野古道の中辺路ルート(滝尻王子~熊野本宮大社)を歩いてきた旅の記録を少しずつ更新中です。気長にお付き合いくださいませ。記録①からお読みになりたい方は、こちらをどうぞ。▶【聖地巡礼旅_熊野古道編①】いってきました!人生初の和歌山県前回の記録⑨をアップしてから、ずい分、間が空いてしまいました(汗)。ささ、気を取り直していってみましょう。聖地巡礼旅の思い出、いよいよ2日目に突入です。【古道歩き2日目】早起
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです宝泉寺から国道311号を東へ走り、逢坂トンネルを越えると近露地区に入り、近露交差点を左(北西)に曲がって道なりに行くと正面の道路下に近露王子があります⛩️近露王子『境内由緒書』『紀伊続風土記』より旧牟婁郡四番荘近露村に鎮座し、江戸時代後期の社号は「若一王子權現社」と記され、境内は周40間(約72メートル)。『紀伊続風土記』に「村中にあり、一村の産神にて神體木像なり。御幸記に近露王子とあるは是なり。社前に芝ありて頓宮の趾と云ふ」と記されている。
こんなご時勢に、熊野古道を歩いて熊野三山を巡ってくるなどなにか後ろめたいキモチでこそこそと羽田に着けば、リュックに差したストックが手荷物検査でひっかかり中に持ち込める長さの範囲を越えてます。白浜に着いてすぐにバスに乗らなきゃいけないし、必死でストックを縮めてなんとかオッケー?そしたらアナウンスが盛んにあっちの天候が悪く、関空か羽田に引き返すこともあると叫んでオイオイオレなんか昔の上皇や天皇に倣って疫病退散願いに行くんだと会社に大見得を切って出てきた手前オメオメと帰れるか!
熊野古道の中辺路ルート(滝尻王子~熊野本宮大社)を歩いてきた旅の記録を少しずつ更新中です。気長にお付き合いくださいませ。記録①からお読みになりたい方は、こちらをどうぞ。▶【聖地巡礼旅_熊野古道編①】いってきました!人生初の和歌山県すでに公開済みだった記録⑧の記事が、先ほど誤って消えてしまいました!がががががーーん。かなしいけど、仕方ない。一日目のお宿へ到着する前、見上げた空にくっきりまん丸に輝いていたお月様。そして、星空のように美しく輝いていた街の灯りの記事は、
2020年最初の旅は、和歌山県の熊野古道へ。そこに行くべき道筋が、いつのまにか出来上がっていたのだなあと思わずにはいられない、そんな不思議な導きを感じた旅となりました。仕事の大きな山場を迎えた翌日が出発日ということもあり、出発当日の朝の時点でなんと!仕事が終わっておらず…。ということは、荷造りもゼロ(汗)。それでも不思議と「なんとかなる」という気持ちに後押しされて、早朝から仕事をきっちり片づけ、荷造りをバタバタと済ませ、さらに不測の事態に備えてパソコンもしっかりスーツケースにしのばせて、無
開運ナビゲーターの一華です今日は熊野古道を歩いてました私が歩いたのはお姫様ロードと言われる区間比較的歩きやすい登りもキツくないルートでした天気もよくて道に光が差してました一里塚を上がりきると中辺路の箸折峠ここには「牛馬童子像」がありましたここでちょっと不思議な体験をしました熊野古道を歩く間ずっと笑って笑って歩いていました下りながら見えてくる空には白い月が見えていました下りきったところに古来から熊野詣の旅をお守りしたとされる御子神「九十九王子」である
今日はメチャメチャ寒かったのだ。全体的に風強く、さらに中辺路は曇り空!と来た。体感温度は4~5℃である。そんな中、救ってくれたのがやっぱり「12V直結ヒ-タ-ベスト」と先日ネットで買った「USB充電ヒ-タ-手袋」である。この手袋は「弱」で使うと何と!8時間くらい持つというからありがたい。今日の目的地は、中辺路の①「福定の大銀杏」と、②「とがの木茶屋」である。寒い中頑張って走ってきた。さていつも通りに「根来寺」でツ-リング・モ-ドにスイッチON!もう紅葉はピ-クを過ぎて、まばらになってきていた
ちょっと形は悪かったのですが、白良浜から"だるま夕日"も見えましたし、今日も、大変充実した1日を過ごすことができました。今日、中辺路の歯医者さんで治療を受けた後、もう少し足を伸ばして近露王子、秀衡桜、継桜王子、そして帰りしな滝尻王子にも寄って紅葉を楽しんで来ました。写真の場所は、何という場所か知りませんが、前日行った福定の大銀杏からもう少し先に行ったところです。なお、福定の銀杏は、昨日見たところで、1日でそんなに変わるわけがないのですが、今日も遠くから見ましたが