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98.高滝神社の概要高滝湖は1990年4月に完成した高滝ダムによって生まれたダム湖である。これに先立ち、多くの民家が水没するため、一部の住民は移転を余儀なくされた。ここはかつては養老川を川船が行きかい、内陸部における物資流通の要として、加茂大明神(現高滝神社)の門前集落としてそれなりに栄えてきた村であった。高滝神社には江戸時代、多くの参拝者が訪れ、境内には各地から石造物が奉納されている。ここに奉納された石造物は数多くの参拝者の目に留まるため、石工や石屋の宣伝にもつながったらしく、久留里や
”ちょっといい話-⑤”-戸板康二●近衛篤麿がウィーンに行っているころ、辻馬車のことを「雲助」と呼んだ。その国の言葉ではドロシュケである。和田垣謙三博士が、近衛公からそれを聞いて、いった。「雲泥の差ですな」✪永井荷風の家に、じつの甥で、詩人の阪本越郎が訪問した。親類縁者を何よりも嫌った荷風さんは、玄関に出てきて、「先生はご不在です」✪永井荷風は、第二次大戦後、浅草の踊り子と親しみ、その楽屋に行ってニコニコしていた。荷風が文化勲章を贈られるという記事を新聞で
”ちょっといい話-⑤”-戸板康二●近衛篤麿がウィーンに行っているころ、辻馬車のことを「雲助」と呼んだ。その国の言葉ではドロシュケである。和田垣謙三博士が、近衛公からそれを聞いて、いった。「雲泥の差ですな」✪永井荷風の家に、じつの甥で、詩人の阪本越郎が訪問した。親類縁者を何よりも嫌った荷風さんは、玄関に出てきて、「先生はご不在です」✪永井荷風は、第二次大戦後、浅草の踊り子と親しみ、その楽屋に行ってニコニコしていた。荷風が文化勲章を贈られるという記事を新聞で読んだ踊
大学校歌作詞佐藤春夫作曲近衛秀麿コロナ禍東京六大学野球時に肩を組んで校歌唄えないですが、何時かこの光景がくる日までコロナに立ち向かうしかないです。ところで作曲近衛秀麿さんのご尊父様近衛篤麿異母兄様近衛文麿後陽成天皇直系卑属にあたります。
”ちょっといい話-⑤”-戸板康二✪近衛篤麿がウィーンに行っているころ、辻馬車のことを「雲助」と呼んだ。その国の言葉ではドロシュケである。和田垣謙三博士が、近衛公からそれを聞いて、いった。「雲泥の差ですな」✪永井荷風の家に、じつの甥で、詩人の阪本越郎が訪問した。親類縁者を何よりも嫌った荷風さんは、玄関に出てきて、「先生はご不在です」✪永井荷風は、第二次大戦後、浅草の踊り子と親しみ、その楽屋に行ってニコニコしていた。荷風が文化勲章を贈られるという記事を新聞で読んだ
独逸日記(鴎外全集35巻p144の明治19年7月30日の條)に、「三十日。朝公使及姉小路伯を送りて停車塲に至る。午後近衞公、加藤、岩佐とウルム湖に遊ぶ。近衞公加藤と角觝(すもう)の戲を作す。其相対するの狀を見るに、公は身短くして肥え、加藤は長くして瘦す。観者皆笑ふ。已にして加藤を攫(つか)み、一間許(ばか)りも投げ出したり。其膂力想ふ可し。加藤は是より数日間頭痛に苦みたり。是より余公と競走を爲す。余敗北す。然れども角觝と違ひ、頭痛だけは免れたり。」と記されている。つまりこれは、7月30日
大正時代開業の旧鳴沢駅を模型に/青森・藤野さん陸奥新報青森市の元大工・藤野勇さん(78)が、建て替えられる前の旧鳴沢駅(鯵ケ沢町)の模型を作成した。同駅は大正時代開業の歴史ある建物で、古くから地元住民の...金沢市中心部に「金澤町家情報館」江戸時代末期の町家を改修、情報発信拠点に金沢経済新聞金沢市の中心部・竪町商店街近くに11月6日、市が運営する「金澤町家情報館」(金沢市茨木町、TEL076-208-3231)が開館した。【パノラマVR】江戸末期の...『スター・ウ
先日、目白にある、旧学習院昭和寮(現日立目白クラブ)の見学へ行ってきました。目白は、昔は高田村という農村地帯だったのだそうです。その後、明治18年に、品川-赤羽間の鉄道が開通し、目白不動にちなんで、「目白駅」ができ、学習院が移転。その6年前には、学習院長だった近衛篤麿氏が2万坪購入し、邸宅を構えた・・・その跡地の一角です。その名残として、道の真ん中に・・・近衛家にあったというケヤキがポツンと1本残っていました。こちらの地域の方々の要望で遺されたのだ
晴寒暖計43度(=摂氏6.1度)この日、・午前、建物会社の木村栄一が津軽伯爵【注・津軽英麿、近衛家から津軽家に養子にはいる】家若主人夫妻を連れて来宅。家屋、庭園をくまなく巡覧して帰る。若主人は近衛篤麿公爵の令弟でよく似ている。長く西洋にいたので日本風の家屋が苦手で、特に茶室に腰をかがめて出入りするのにはほとんど閉口、とのこと。ウィキペディアより近衛篤麿(左)と津軽英麿(右)012060020430308
西園寺公望や近衛篤麿(このえあつまろ。貴院議長。文麿の父)らの書の額が西浦南小で発見された。西園寺の書は「咸一其徳」で教育勅語の一節、近衛は「啓發(発)智能」と書かれているという。[中日新聞]●西園寺公望(さいおんじきんもち)●(1849-1940)明治~昭和時代の政治家。首相(在職1906-1908,1911-1912)・元老。東洋自由新聞社長・文相・外相・枢密院議長などを経て1906年に立憲政友会総裁として首相に就任、鉄道国有法制定や南満州鉄道会社設立を実現、1908年に桂