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Part02から間が空いてしまいましたが、幕末史跡巡り長崎編Part03です!!前回は出島を巡りましたが、幕末史跡とは言い難く…始まってから、まだ幕末史跡ひとつも出てないじゃん!って言われそうです(苦笑)ですが、今回は幕末史跡と言えるでしょう!!路面電車の蛍茶屋方面に乗り、諏訪神社駅で下車、そこから歩いて10分ぐらい行くと、見つけましたっ!!龍馬通り。坂本龍馬をはじめとした亀山社中の同志達が上り下りした道筋が現在「龍馬通り」と呼ばれています。けっこうな坂道ですが、いい運動になりました。
今回、旅の行き先に長崎を選んだのは母の希望からでした(=^・^=)長崎は坂が多いけれど市内は路面電車が走っておりだいたいの主要な観光地にアクセスできます。母の足に極力負担がかからないようにゆったりとスケジュールを組み出島周辺のような平坦地やエレベーターやエスカレーターを利用できるグラバー園や平和記念公園などを観光先にしたので疲れず充分楽しめたようでした☺️さらに身体の疲れが取れるよう宿泊先も大浴場がついているホテルを選びました。カンデオホテルズという所に泊まったのです
南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛無職おへんら〜光陰です(`・ω・´)ゞ快活クラブで朝ごはん(^o^)vここ高知中万々店の近くには、ローソン、ホットモット、マクドナルド、すき家と、食に困ることもないし、ドリンクバーやソフトクリーム食べ放題があって、朝は食パンまで食べられちゃうなんて、便利。シャワーも浴びられる(^o^)v今日は高知市内で坂本龍馬巡りをする予定だったんだけど、せっかく綺麗な身体になったから、今日がチャンスとある場所に向かう途中で、秋がないで商いというこ
2日目は桂浜から念願の坂本龍馬像アップこの場所ブラタモリ高知編のオープニングしてたとここんなとこ写真撮るのは私ぐらいでしょうw近江ちゃんとタモリのトークでタモリは右手を隠すあのスタイルをみて「最近太ったなぁ・・・」と言ってました像の横に足場が組まれてて坂本家の家紋入りの養生幕工事中でガードマン付き何かと思ってガードマンのおっちゃんに聞いたらこれの準備工事だった💦5日とか中途半端な日じゃなくて1日からやっててくれたらよかったのに・・・そして坂本龍馬記念館へ龍馬は筆
龍馬よ、龍馬…。ふとした瞬間、心の中なかでそうつぶやいている自分に気づく。そんなときがある。大層なことでなくても、次は何をしようか、などと思うとき、私は彼の名を呼んでいる。呼ぼうという自覚はない。口をついて出てしまっている、と言ったほうがいい。自分でもその理由はよくわからないが、おそらく、高校生の時に読んだ『竜馬がゆく』のせいだと思う。多くの若者がそうであるように、私も『竜馬がゆく』で坂本龍馬を知った。そして、龍馬に惹かれた。背景をもたず思想におかされず差別や不合理なことを
この日は異様に暑かったです。外を歩くには適していなかったです。でも空は青くて気持ちいいです。ハート石人気のスポットです。眼鏡橋にそばにいつもいるちりんちりんアイスをいただきました(^^)いつものおばちゃんは不在で、アルバイトの女性が作ってくれましたが、同じようにバラの花、出来てました(^^)シャーベットのような味わいで、とても美味しいです。ちなみに、名前の由来は鉦を鳴らして合図してたので、その
こんばんは、mmm(まーママ)です。5月26日(日)高知県高岡郡中土佐町から高知市へと移動します。まーパパが坂本龍馬の記念館があるというので、寄ってみることに。龍馬の生まれたまち記念館高知県高知市上町2丁目6-33入館料は、300円。それでは、おじゃましまーす。右から近藤長次郎、坂本龍馬、坂本乙女(龍馬の姉)「日本を今一度せんたくいたし申し候」の碑。龍馬さんとせいくらべ。坂本龍馬は、身長約173
上町一丁目電停高知を訪れたからには、龍馬の生家跡も訪ねない訳にはいかない。電停の看板市内電車で上町一丁目電停で下車すぐ前に誕生地跡の石碑があった坂本龍馬誕生地跡の石碑そこからすぐ近くにある、龍馬の生まれたまち記念館へ行った。龍馬の生まれたまち記念館入館すると中庭に龍馬と姉の乙女近藤長次郎の像があった。左から龍馬の姉乙女・龍馬・近藤長次郎
従来の説では亀山社中は坂本龍馬が結成した日本初のカンパニーとして知られ、跡地に亀山社中記念館が建てられています。最近の研究では、坂本龍馬は創設にかかわっていなかった事がわかってきました。薩摩より長崎へ向かわせたグループとは別グラバー商会との銃取引は龍馬が下関で木戸より依頼を受け、亀山社中と顔見知りの者を井上馨と伊藤博文に同行させました。長崎では亀山社中の近藤長次郎(上杉宗次郎)高松太郎(龍馬の甥)がたまたま長﨑にいた小松帯刀と引き合わせ井上薫・伊藤博文が直接会談して長州はグラバーより薩摩名義
幕末の幕臣、勝海舟が、坂本龍馬の進言を入れ、越前福井藩からも多額の資金援助を受けて創設され、後の日本海軍の基礎を築いた幕府の「神戸海軍操練所」の遺構と見られる石積みの防波堤が、年末に見つかった。勝海舟の奔走による開設も1年で閉鎖操練所は、軍艦奉行の勝海舟が14代将軍の徳川家茂の直々の許可を得て、元治元年(1864年)5月に旧神戸村の生田川河口に開設された海軍士官養成機関、海軍工廠である。龍馬はもちろん、後に彼に従う海援隊のメンバーなど、全国から有能な士を集めて開設された。と
陸奥宗光の生涯を描いた「陥穽(かんせい)」に近藤長次郎が同志に切腹を迫られ自害する回があった。近藤長次郎は幕末の海援隊で活躍した坂本龍馬の同志。長州への武器の輸出の功績で毛利公から200両をもらう。海援隊としてもらったお金のうちの100両を使って、イギリスへの留学を企てるが、乗る船が悪天候で翌日出航することになり、その晩、同志に見つかり問い詰められる。「裏切りだ」「腹を切れ!」陸奥宗光こと伊達小次郎は「数十人のうちわずか1人の異端者、しかも向学
下士・・・身分の低い武士、下級武士。1月下旬の高知の旅・・・高知城観光の後の城下町巡り・・・前半戦は、幕末の土佐藩主・山内容堂と上士所縁のスポットを回りましたが・・・後半戦は、下士所縁のスポットを中心に回っていきます。なお、土佐の身分制度は上士と下士に分かれ、上士は山内家の家臣で藩主について土佐に入った者が中心であり、下士は長宗我部氏の旧臣などが中心で、差別化が徹底されていたようです。下士の中にも、白札、郷士、徒士、足軽、庄屋など細分化しており、白札は上士扱
料亭一力高杉晋作や井上馨、亀山社中の皆様もよく来てたそうですしっぽく料理をいただきながら、議論を交わしたんでしょう海雲山晧臺寺慶長13年(1608)、肥前国松浦郡山口村(佐世保市相浦町)飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建されました。裏山には、長崎で活躍した著名人や、長崎で要職にあった人達が多く眠っています。また結構な階段を上っていきます小曽根家墓地「小曽根」って書いてあるーーー※小曽根乾堂さまのお墓はこちらにはありませんその一角
元治元年皐月十三高瀬川沿いの船宿で、お龍と飲んでいたら、隣から聞いたことのある声がする。お龍に誰かと聞かせに行ったら、高杉君と土佐の中岡が飲んでいるらしい。酒を持って、高杉君の座敷に声を掛ける。「あしゃ、土佐の坂本ちゅうもんだが、高杉さんと聞き、今一献飲みたくて声をかけたちゃ。」「おお、龍馬か、入れや。」と中岡が答える。「すまんきに、これは酒じゃ。」「龍馬、ここは魚がうまいときいちょる。なんか見繕えや。」と中岡。「そうじゃな、お龍、女将に旨い魚を頼んできてくれんか
笑顔創造って、エーちゃうん!のエーちゃんです。お江戸系YouTuberのほーりーさんの動画『新選組の誤解』あるあるです。新選組の誤解~お揃いの羽織は着ていない?!沖田総司は本当にイケメン?!ありえない組織図が商品化?!などなど~子供のころ#燃えよ剣で新選組にハマった新選組オタクのほーりーが時折ぶち当たる新選組に関する誤解をお伝えしますあの羽織は#土方歳三は着ていない?#沖田総司はほんとにイケメン?などなど…お楽しみください【関連動画】新撰組Thebeginning~どう
高知県立坂本龍馬記念館後藤象二郎宛の龍馬直筆展示が4月4日迄行われていると聞き、長宗我部元親初陣像から桂浜方向へ進Mimas水師提督彼理ぺるりっ!教科書ではペリー来航と習いましたが、ぺるりが正解です。ぺるり龍馬直筆の手紙や写真、絵画などの展示のがこじゃんと!!!展望台から、龍馬さんも見ていた太平洋を眺められたりと休憩もできます。地下には幕末写真館があり、龍馬さんと写真が撮れたり、美人なおりょうさん(今迄おりょうさんと思われていた写真は別人かも?)の写真やらを見ていますと時間が全然足
2019年11月27日の高知県高知市・徳島県三好市阿波池田の歴史散策の続き。「致道館跡」「城西公園」「坂本龍馬誕生地」「獄洋社跡」「才谷屋跡」と回った後は、「近藤長次郎邸跡」に向かいました。致道館跡・城西公園・坂本龍馬誕生地・獄洋社跡・才谷屋跡のレポ『致道館跡と、城西公園と、坂本龍馬誕生地と、獄洋社跡と、才谷屋跡と~高知市の史跡』2019年11月27日の高知県高知市・徳島県三好市阿波池田の歴史散策の続き。「高知城」を見学した後は、「坂本龍馬誕生地」に向かいました。高
2020/11/27(金)高知旅行2日目の朝温泉からの~朝ごはんかつお飯やかつおの塩たたき美味しかったぁ~、朝から贅沢色々おかわりしちゃった(よく二日酔いなかったなぁ~)リョーマの休日電車一日乗車券路面電車(一部区間)乗り放題の券です初日に2日目、3日目の分を購入していました(売ってる場所が少ない)こちらも観光施設の割引券にもなります中にこんな文言があって面白い◆電中八策◆イケメン運転士が前に乗っていても後部扉から乗車するべし!本日最初の目的地は、上
『幕末』映画トーキー120分カラー昭和四十五年(1970年)二月十四日公開製作国日本製作言語日本語配給東宝中村プロダクション製作協力高知県鹿児島県製作小川矜一郎原案司馬遼太郎脚本伊藤大輔資料平尾道雄撮影山田一夫美術伊藤喜一録音野津裕雄照明中山治雄整音下永尚音楽佐藤勝監督助手安井治編集阿良木佳弘効果金山実装置吉田良雄装飾伊佐信三衣装福本邦彦美粧鵜飼浜四
先日行った龍馬の生まれた町記念館の学芸員さんに岡田以蔵の墓所に在る近藤長次郎の写真の事を聞いてみた岡田以蔵の人相書も写真も残されてはおらず最近インターネットで近藤長次郎の写真が岡田以蔵の写真の如く拡散されて戸惑っているとの事でした出っ歯であったとの記述から想像画朝食はバターとアンコのサンドイッチ【風詩】拡散し其が事実となりにけり
食べる専門揚げたのも生も両方好き↓みんなの回答を見る映画賭ケグルイAmazon(アマゾン)400円『賭ケグルイ』は映画版まで観賞終了。監督(演出)が変わると、ビミョーに作品が変わるのと、見てる側のテンソンにも影響するのが、面白い。演劇と映像表現の融合を楽しむ作品だよね。ひとりひとりの動きが、美しいです。連続テレビ小説あまちゃん総集編[DVD]Amazon(アマゾン)6,014〜15,356円『あまちゃん』は、残り2巻を残すのみ。東日本へのテー
2019年2月15日の長崎散策の続き。「晧台寺住職墓所」「向井家墓地」とお参りした後もまた、「晧台寺墓所」を下って行きました。晧台寺住職墓所・向井家墓地のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12580655135.html「晧台寺(こうたいじ)墓所」を下って行くと、「小曽根家の墓(近藤長次郎の墓)」という看板があります。見えている石段は、下って来た石段です。「小曽根家の墓所」は、こちら。入口に表札があるので、
前回岡田以蔵の墓所に立てられていた画像を以蔵の顔として紹介しましたが海援隊の近藤長次郎でしたしかし何故?武市半平太率いる土佐勤王党にも所属し江戸にも同行し勝海舟の用心棒もつとめ剣術の腕前は相当なモノだった様ですしかし最初の暗殺は武市半平太に命じられ土佐藩武士「井上佐一郎」を絞め殺す事となったその後天誅の言葉の下攘夷派志士は頻繁に暗殺を繰り返し土佐勤王党が関わる殆どに以蔵は参加していた京都二条城で捕縛され遠丸籠で土佐藩へ移送され激しい拷問の上巧みな誘導尋問で
【幕末維新ゆかりの地めぐり】坂本龍馬は幕末志士として傑出している点といえば経済感覚がズバ抜けていたこと武力や政治のみによって維新は成立すると信じている時勢においてお互いの利害関係を巧みに刺激し身分関係や対立関係を超えて同じ方向にベクトルを向けたことその一点に尽きるのではないでしょうか。当時、経済で幕府を倒そうとした人間は坂本龍馬だけでしょう。西郷隆盛や桂小五郎、高杉晋作板垣退助などなど・・・・幕末の傑物たちは藩の重職でした。身分の低い立場から抜擢されたケースはあれ
ベンチの真ん中には、龍馬の像の元となった写真が置かれていた。右側のベンチには龍馬の家の家紋が描かれていて、左側のベンチには寺田屋で見つかった龍馬の所持していた拳銃が描かれている。少し歩いて行くと堀の遺構が残っていた。この石垣から向こうが松林に覆われた上級武士の居住地で、手前側が龍馬たち郷士や下級武士や多くの町人などが住む町人の居住地となっていた。ここからガイド氏は日根野道場跡を案内するため、鏡川の方に向かう小路を歩いていく。この通りは鏡川に沿った通りで、少し色の
高知県と言えば、まず第一に何を思い浮かべるでしょう?紀貫之が書いた『土佐日記』?三菱財閥創始者の岩崎弥太郎?やなせかしさん原作の「アンパンマン」?色んな事を思い浮かべると思いますが、やっぱり坂本龍馬ではないでしょうか土佐に生まれ脱藩し、外の世界を見て衝撃を受け、日本を新しい国にするために奔走した、幕末の偉人ですそんな龍馬は、志半ばで中岡慎太郎とともに、京都の近江屋で暗殺されてしまいます…坂本龍馬がいたからこそ、今の日本がある土佐・高知があったからこそ、今の日本があるそう言っても
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【政変後の勝の迅速な行動】前回の続きです。京都から尊攘派勢力が一掃された8月18日の政変(文久三年)があったことを知ると勝は直ちに老中板倉周防守(勝静)に、「将軍軽装にて上洛し、…天朝を警衛、天下の大道を説き、旧弊を改め」と意見具申しました。政局の転換を図るためでした。またそれに先立ち閣老が上京すべきである
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。今、開催されているラグビー・ワールドカップでの日本選手の活躍に国内は大いに沸いています。何といっても日本が快勝を続けていますから。先日の対アイルランド戦はついに世界2位のラグビー強国に初めて勝利しました。本当に強くなったことを実感しました。私はまだラグビーのワールドカップが開催される以前からのラグビーファン(観るだけ)で
私は、手芸の他に、歴史、幕末が、大好き過ぎて、おまけに、資料が、少ない人物😅😅😅資料館から、送ってもらった、展示会の、資料他県の、図書館から貸出した資料取り寄せ購入した本全て、武市半平太の資料❗️土佐…行った事なく、生きているうちに、1回は、行きたいな……岡田以蔵資料…少なく、松岡司さんの、正伝岡田以蔵くらいです参考文献に、武市さん本。最近では、ゲームキャラクターになっていますね❗️武市さん、岡田さんこの方、最近、岡田以蔵と、紹介されていますが❗️近藤長次郎さんで
僕の中学・高校は芝公園の中にある。住所はオランダ大使館や金地院と同じ3丁目。隣の芝公園4丁目には、東京タワー、増上寺、芝東照宮などがあり、また都心で最大級の前方後円墳の芝丸山古墳などがある。これらは通学途中にあり遊び場だった。芝公園のほとんどはもともとは増上寺の敷地だったが、多くは明治新政府により上地させられている。芝公園の辺りは、明治から大正にかけて、原敬をはじめ松方正義や桂太郎の私邸があり、さながら宰相街といった風情だった。原は芝公園内の私邸(芝公園7-4:現芝公園3丁目)をベースに