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「サンボマスター」の11年4月発表、「サンボマスター究極ベスト」を聴きました。僕が持っているのは、通常盤(CD2枚組)。他に、DVD付の初回生産限定盤も発売されました。(ジャケット表)写真の場所は幕張メッセ。1st「新しき日本語ロックの道と光」と同じ場所、同じアングルで撮影。(ジャケット裏)(ブックレット裏、CDレーベル&トレイ下)(ブックレット)メンバーによる各曲解説付。(帯表裏)チャカ・カーン「ジャパニーズ・シングル・コレクション-グレイテスト・ヒッツ-(Japa
サンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」を弾きました。https://youtu.be/2Dria7_RQks2005年8月発売。ドラマ「電車男」エンディング曲。音源は1年前の1月にCDTVで放送されたものですが、ギタリストの山口隆氏の歌や叫びに涙が出ます。感動しました。彼のギタープレイはコードやコード進行、フレーズ、全てにおいて独特です。しかも歌いながらですから、なかなかマネはできません。気持ちは彼になり切ってみましたが、やはり難しいです(当たり前ですね)。歌い出しの優し
今日のCDサンボマスター「はじまっていくたかまっていくE.P.」完全盤CD+DVDCD1.忘れないで忘れないで2.はじまっていくたかまっていく【日本列島ルーツの秘蔵音源】3.I'minlove光る海(2013年10月26日終わらないミラクルの予感ツアー2013atHEAVEN'SROCK宇都宮VJ-2)4.輝きだして走ってく(2019年3月16日ビクターロック祭り2019at幕張メッセ)5.君を守って君を愛して(2019年12月7日デカスロン〜強敵と書いて友と呼
サンボマスター/ふたり【≪イノマー(53)(オナニーマシーン)≫】[2003]<ahref="http://www.nicovideo.jp/watch/sm36140075&amp
YO-KING/審美銃【サンボマスター】「サンボマスター『そのぬくもりに用がある』」[2004]<ahref="http://www.nicovideo.jp/watch/sm33950950&amp
小倉百人一首は、藤原定家が、京都嵐山にある小倉山の山荘で、古今集や新古今集などの和歌集から、優れた和歌百首を選んで出来上がったもので、江戸時代に「小倉百人一首」と呼ばれて現在に至っていると言われています。その第一番に選ばれたのが、天智天皇のお歌なのだそうです。秋の田のかりほの庵(いほ)の苫(とま)をあらみわが衣手(ころもで)は露(つゆ)にぬれつつこのことにちなんで、江戸時代の人が次のような川柳を残しています。
お正月になると、『百人一首』が付き物でした。近所のおばちゃんに読み手になっていただき、ずいぶん楽しませていただきました。こんな感じのかるた会なのです・・・・・・ちょっとご紹介させていただきましょう。和泉式部の娘さんである小式部内侍はお母さんに似て大変な才能の持ち主でした。ある時、誰かから「あなたの歌はうますぎる。お母さんがつくっているのではないか?」と嫌味を言われたのだそうです。その時、彼女は少しも慌てず、とっさにこんな詩を詠
最近、『百人一首』のことをあまり聞かなくなりました。私たちの子どものころは、かんかんになって、腕を競い合ったものです。主に、万葉集、古今集、新古今集の頃の詩がとり入れられているのですが、春の詩が多く、この季節、6月頃の詩はあまり取り上げられていないようです。第二番の持統天皇の詩がこの季節のようですね。春過ぎて夏来(き)にけらし白妙(しろたえ)の衣(ころも)ほすてふ天(あま)の香具山(かぐやま)日本文化の根底、日本人の
先日、誕生日を迎えました。この歳になると、あまりうれしくはありませんね。一句浮かびました。・・・・八十路(やそじ)来てはるかな地平拝みたり・・・次いでに十年後も・・・・九十路(くそじ)だぞええ加減にせえくそじじい・・・2028年、お会いするのを楽しみにしています!*近藤洋一「“偶然”におまかせ!楽々シンクロ人生のすすめ」ヒカルランド日常に起こった出来事から「シンクロニシティ(共時性:意味のある偶然の
最近、2月5日に1stアルバム『新しき日本語ロックの道と光』アナログ盤発売し(レコードプレーヤー持ってたら、即購入したかった😅)、去年の12月には、初の武道館公演を大成功させた。サンボマスターを取り上げる。スリーピスのバンドで、山口隆(唄とギター)・近藤洋一(ベース)・木内泰史(ドラム🥁)からなる。パフォーマンス中に、山口隆が時折はっする雄叫びにも、良く付いてくる自由自在な演奏とコーラスは、多大な熱量を発することが出来る唯一無比の存在感を持つバンドだ。前に、カサビアンの章で述べたが。基本的に、僕
全宇宙に信頼感をもち、「天の理」と共鳴するような「志」をもつことが『共時性』の真髄と言ってよいと思います。目標を設定したら、あとは忘れていても、エネルギーも能力も勝手にやってきて、願望、夢、目標は実現するというのが、『イノチ』のメカニズムと思い定め、まっしぐらに進みましょう。【講座のお知らせ】★あなたのシンクロに気づくシェアリング会トータルヘルスデザイン京都本社にて開催いたします。2018年1月19日(金)14時~ご参加料:3,000円(税
21世紀を間近に控えた1990年、私どもトータルヘルスデザインは「美と健康、そして“気”」をテーマとする会社としてスタートいたしました。健康というと、細胞や臓器など身体の部品をととのえることがテーマとなる、そんな時代でした。そして今、身体全体に宇宙根源のエネルギーを円滑に流し、元気な心身を創造することが求められる時代がやってまいりました。宇宙いっぱいに広がる無限の『虚空』につながりイノチのエネルギーで心身を満たすこと、すなわちイノチのエネルギー
私たちの大切な・大切なイノチは、宇宙根源の『アマ』から『アマウツシ』を通して継承され、“私の内”に宿っている。そのイノチからにじみ出てくる叡智こそが“魂の美しさ”なのかもしれない―――前号、前々号では、そんなカタカムナの叡智についてご紹介させていただきました。人が生まれる日を誕生日といいますが、誕という字には『いつわり』という意味があるそうです。そしてあの世に還る日を『命日』と呼んでいます。死ぬ日が“命”になる日で、生まれてくる日
続・アマウツシ“私は誰?”――――誰もが突き当たる根源的な謎ですね。ご先祖様を求めて過去へ過去へとさかのぼれば、例外なく宇宙根源の『アマ』に行き当たります。そして『アマ』以来の全ての情報、叡智が例外なく『アマウツシ』を通して継承され、“私の内”に宿っているということに気づかされます。すべては『アマ』から始まり、“生きとし生けるもの”すべてに与えられている――――そのことに気づくことによってにじみ出てくる叡智こそ“魂の美しさ”と言ってよいのかもしれま
12月4日月曜日ですおつか〜れ〜JAPAN!!こんばっこん!!そのぬくもりに用があったみかばんさんです。12月の勤務表を見て、今月は連休が少なく憂鬱です…仮眠室でグッスリ眠れない寝付きの悪い自分は、少し連休貰って睡眠に充てたいんですけどね…因みに今年は年越し勤務です…独身だし、大晦日とか元旦は家族持ちの同僚にあげます。そんな訳で12月唯一休み申請したのが3日の日曜日。今年のライブ納め、サンボマスター初の武道館公演に行って来ました。寝不足だと夕方辺りから具合が悪くなるので、前日の職
日本人の祖先である上古代のカタカムナ人は、この宇宙や自然を創り上げている「根源のイノチ」のことを『アマ』と呼んでいました。光も時間も空間も、そしてエネルギーも力も、すべてが『アマ』から発生しているというのです。そして『アマ』の息吹を受けることを『アマウツシ』と呼んでいました。土地には、住み心地の良いイヤシロチ(弥盛地)と住み心地の悪いケカレチ(気枯地)があることが知られています。イヤシロチで生活すると、生命エネルギーがたっぷり降り注ぐので、明るく元気でイ
京都市北区の元町小学校3年生の時のことです。写生をすることになり、クラス全員が加茂川の西岸に座って、川向こうにそびえる比叡山を描いていました。私は、比叡山と空との境界には、色を塗らずに空白のままにしていました。私の描いた絵を見て先生は「近藤さん、こんなところに白い景色はないでしょう」と注意をされました。言われてみると、その通りなので、その部分を空色に塗りつぶしたのですが、全く実感が湧いてきません。空白にしておいた方が自然な感じなので
もう20年以上前のことになりますが、ある時、立花大敬先生のお書きになった「しあわせ通信」が舩井幸雄先生のところに届けられました。舩井先生が講演会で、そのことを話しておられるのを聞いて、興味が湧いてきました。そこで九州に行く度に、立花先生に電話して、ホテルのロビーでお会いし、いろんな話をお聞きすることができました。そこで、私どもの情報誌に「しあわせ通信」を連載させていただくことをお願いし、それ以来ずっと続けさせていただいているという次第です。
みなさま、こんにちは(^∇^)いのちキラキラ、輝いてますかぁ突然ですが、、、我が家には、子どもの頃から父親がつくった「近藤家のルール」というものがたくさん存在します。その中で、最近、なぜかふと思い出したものがありました。それは、朝、起きて一番に父親の前で大声で「おはようございます」のあいさつとともに、・太陽に向かって真っ直ぐに伸びよ!・よく学び、よく遊び!・求めよさらば、与えられん!この3つを叫ぶ、というル
トータルヘルスデザインの京都本社は、近鉄京都線の高の原駅から歩いて7~8分のところにあります。11年前にここに引っ越してきました。それまでは周りを田んぼに囲まれた、ずいぶん不便な田舎にありました。もう少し便利なところに移りたいなと思っていたのですが、新しい建物、それもエコオフィスを建てて2年しか経っていないので、財政的にもそうやすやすと引っ越すわけにもいかない、そんな状況にありました。そうこうする内、もう少し便利なところに引っ越そうという想い
『心で思っていることが、何もしていないのに、そのまま現実となって現れた。偶然とは思えないくらいだ』・・・なんていうことを経験することがありますね。シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と言われている現象です。もうずいぶん昔のことですが、こんなことがありました。会社の事務室から自宅に電話しようと思って、ひょいと窓の外を見ると、たまたま知人が買ったばかりの新車に乗って、駐車場に入ってきました。ふと、その車のナンバーを見ると、いまかけようと思って
こんにちは!あれからもう19年が経ちました。私の家の前の空き地に、可愛い子猫が捨てられていました。そして、たまたま通りかかった妻と息子の後ろからついてきて、玄関のドアを開けると同時に入ってきたというのです。そんなことも知らずに家に帰り、椅子に座っていると、ピョンと私のひざに乗ってくるではありませんか。その人懐こさにビックリしてしまいました。「我が家で飼ってやろう」ということになり、キーちゃんという名前を付けてやりました。
日本人のアイデンティティ日本人の本質「大和の心」は、ある日突然、偶然に表面化したものではなく、有史以来日本人の心の奥底で静かに出番を待っていたのではないでしょうか?古事記、日本書紀に登場する私たちの大先輩・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が船に乗って遠征する途中、暴風雨に遭って危険な状態になりました。その時、妃のオトタチバナヒメが「その昔あなたが焼津で火攻めに遭ったとき、あなたはその火の中で私を気遣って、声をかけていただきました。・・・・
世のため人のために生きる「あと数時間でイラクの無差別攻撃が始まる」という土壇場で、待機していた日本人が絶望感に打ちひしがれたその時、2機のトルコ航空機がやってきて日本人全員を救出してくれたのです。このような非常事態のさなかに、救援機を飛ばすというのは命がけのことで、通常ならばありえないことではないでしょうか?しかしトルコ航空で開かれた会議で、機長はじめスタッフが志願して乗り込んでくれたと伝えられています。イランで救出されるのを待
エルトゥールル号の沈没をめぐって1890年(明治23年)9月16日、和歌山県串本町大島の沖の岩場で、トルコの軍艦『エルトゥールル号』が台風のため座礁し、沈没するという事件がありました。このとき、50戸、400人の大島村の人々が総出で救助に当たりました。650人いたと伝えられる乗組員がどんどん死んでいくなか、助かった人々も寒さのため体が冷えて、生きる力もなえてきました。村人たちは、裸になって乗組員たちに自らの体温を伝え、生きる力を与えたのでした
全世界の人が集まる東京オリンピックを前にして「美しい日本・美しい日本人像」を明確にし、全員で共有しておきたいものですね。そこで、「日本人とは何か」が誰の眼にも明らかになる出来事を、以下ご紹介させていただくことにいたします。トルコ航空による日本人の救助1985年、イラン・イラク戦争が激しさを増すなか、「イラン上空を航行する航空機はすべて、攻撃の対象となる」というイラク政府のメッセージが全世界に発信されました。イランに滞在していた日本人は、あと
ご縁があり、私の元へやって来た一冊のノート書いて貯める宇宙銀行ハピネス通帳「しあわせ言葉」で未来を創ろうしあわせな言葉で“徳”を積み立てて行くというものです現在は生産終了しているらしく普通に購入することは出来ないそうです。そんな貴重なノートが私の元へやって来てくれました沢山の“徳”積み立てて行きますな~な
こんにちは!「笑う門に福来たる」と言いますね。「“福が来たら笑ってやろうか”などと考えている限り、福はやってきませんよ。笑っていると福が向こうからやってきてくれるのですよ」というのですから、頭で考えるのはやめにして、とりあえず笑うことにいたしましょう!日本語は奥が深く、“笑う”と言ってもいろいろな笑いがあることに気付かされます。①少し小難しい表現ですが、『嗤う』という言葉があります。人をばかにしてあざ笑うことを意味していて、あ
こんにちは!世の中にはすごい人がいるもんですね。知人のUさんは、本のページをひと目見ただけで、そこに書いてあることが全部わかってしまう、すごい人なんです。ある時、Uさんに「人生で大切にしなければならないことは何ですか?」とお聞きしたところ、「“キョウイク”、“キョウヨウ”、“デモクラシー”ですね」という答えが返ってきたときには、びっくりしたものです。「教育、教養、デモクラシー!?」・・・そんなものより、
こんにちは(^▽^)/1983年のことです。キース君というアメリカの高校生を我が家でお世話していました。ホームステイですね。明くる年、ご両親が来日され、お礼がしたいとおっしゃって、京都駅前のホテルでステーキをごちそうになりました。食事が終わって、私たち夫婦と当時8歳の息子、4歳の娘の4人は近鉄電車に乗って我が家に向かうことになりました。少し空いた席に、眠りかけた息子を座らせ、小さい娘を私たち夫婦の間に立たせ、わたしは『百番目のサル