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こんにちは。今回も前回同様、北近江からになります。どうぞよろしくお願いいたします。中江藤樹(青柳小学校)前回の道の駅のほど近くにある小学校にお邪魔しました。伊予の大洲もそうでしたが、高島市や近江の小学校は二宮金次郎さん銅像よろしく少年・中江藤樹さん銅像のところもあるそうです。しかし、この銅像もまた台座がデカいのです。バックショットはこんな感じ。かなり前方はひらけた感じです。こんなモニュメントも、、、「良知に生きる」って何?道の駅から小学校まで行く途中に、こんな目立った
■次に行ったのは藤樹神社。江戸時代の儒学者である中江藤樹がご祭神の神社です。こちらが二の鳥居。今回は藤樹神社に行く予定はありませんでした。でも、なぜか前を通ってしまったので、寄ることにしました。前回はなかった渋沢栄一さんの記念碑ができていました。こちらの神社の創設に多大な貢献をされたそうです。拝殿です。狛犬が独特。お守りやお札などが欲しい人は、代金を賽銭箱に入れるスタイル。さすが近江聖人といわれる中江藤樹さんの神社です。悪人を想定していないところがスゴイ!
かつて拙ブログで、内村鑑三と彼の代表作、『代表的日本人』ををご紹介しました。(↓)同書の中では西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳という誰もが知る名前が紹介されていますが、彼らに次いで4番目に挙げられている人物(※5番目は日蓮)が、中江藤樹今日は、日本陽明学の祖にして〝近江聖人〟と呼ばれたこの儒学者の命日・没後365周年にあたります。1608(慶長13)年、近江国小川村(現在の滋賀県高島市)の農家に生まれた藤樹は、9歳の時に武士であった祖父・吉長の養子とな
先日、訪ねてみたい場所があって滋賀県へ行ってきました。琵琶湖って地図でみたことあるくらいだったのですが、実際見ると、海みたいに広くてびっくり。海、、じゃなく、湖に浮かぶ鳥居が幻想的な「白鬚(しらひげ)神社」は全国に約300社ほどある白鬚神社の総本社。到着したのは夕方でしたが、ここから朝日を拝むことができる、日本屈指の初日の出スポットでもあるそうです。いつか見てみたいなぁ今回の旅のメインイベントは、江戸時代初期の儒学者、
小学生クラスで、「中江藤樹のことば」という素読集を毎週レッスン前に音読しています。中江藤樹は江戸時代初期の儒学者で、近江(滋賀県)の生まれです。日本陽明学の始祖ともいわれています。また、その高い人格から「近江聖人」とも称せられています。その彼の著作に「鑑草(かがみくさ)」があります。江戸時代の正保4年(1647年)に出版された、婦女子のための訓話集です。訓話は藤樹自身の創作ではなく、漢文のいくつかの訓話集から引用しています。これに藤樹自身が各話ごとの講評・解説を加えています。その中の第四巻
もも『高島の水尾神社、彦主人王塚古墳へ』今日はカフェにお客様志龍先生とYさんがツアーの下見に来られました。高島おすすめスポットをご一緒に巡りましょう!水尾と書いてみをと読む水尾神社へhttps:…ameblo.jp続きまして近江聖人中江藤樹記念会館へ参りましょう!近江聖人中江藤樹記念館www.city.takashima.lg.jp藤樹先生とは…https://ja.m.wikipedia.org/wiki/中江藤樹中江藤樹-Wikipediaja.m.wikipedia.
江戸時代の話:或る武士が近江の国を旅していた時、其処が中江藤樹ゆかりの地であることを思い出し、近くの百姓に先生の墓所はいずれにあるかと尋ねた。「お武家様、御案内致します」百姓は何故か墓地には行かず、自分の家に入って行った。暫く待たされたあと、先ほどの百姓が出てきて「お待たせ致しました、では御案内致します」という。百姓はなんと、正装に着替えていた。武士はひどく驚くと同時に、中江藤樹の近在の百姓に及ぼした感化に大きな感銘を受けた。これと似たような話がある。黒住教の
中江藤樹『翁問答』/致知出版社¥価格不明Amazon.co.jp★★★★☆古今東西の中で唯一「聖人」と呼ばれる日本人中江藤樹先生の本。「全文をとことん読みやすく」とあるが先の石田梅岩先生同様、結構意味をくみ取るのは難解で、一回読んだだけでは語る資格を得てない氣がする。何度も読み返したい。
滋賀県高島市、この地域に僕がどうしても訪ねたい場所があります。JR安曇川駅前に立つ銅像は中江藤樹先生です。ここはかの有名な近江聖人ゆかりの地なんですね。JR湖西線で安曇川までを往復したんですが、その際の車窓からの景色です。この沿線は琵琶湖を眺める事が出来るということで楽しみにしていました。海もいいけど湖もまたステキですよね~。通勤電車がこんな景色だったらいいんだけど(笑)。天気に恵まれて本当に良かった♪車窓の眺めを楽しむのも旅の目的の一つですか