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たんたん評論「現代短歌から普通の短歌への改革」角川文化振興財団様が発行する短歌総合誌「短歌」の2026年3月号を読む。今回は初めて、荻原裕幸(1962-)が執筆した連載企画「短歌万華鏡」(P.124-129)を採り上げよう。さて、その第十五回に登場する人物は枡野浩一(1968-)である。よく見れば、二人の歳は六つしか離れていない。なお、ブログ主にはお互いの交遊関係なぞ知る由も無いが、それぞれが活躍した若い頃をお互いにきちんと評価していただろう。荻原は今回のお話しの
ことばの泉を訪れてくださり、ありがとうございます。自分へのお年玉として、日本の古本屋を通して、『現代短歌全集』(全15巻)(筑摩書房)を買いました。初版は1980~1981年にかけて刊行された古い本です。全巻読み通せるのか、自信がありませんが、第一巻の最初が与謝野鉄幹の『東西南北』です。その師である落合直文は第一巻の終わりの方ですが、鉄幹に続いて、落合直文を読んでいます。緋縅(ひおどし)のよろひをつけて太刀はきて見ばやとぞおもふ山ざくら花という歌に由来して
JamesSetouchi2024.8.22近現代の短歌1正岡子規四国・松山生れ、東京に出て、陸羯南(くがかつなん)の新聞『日本』や『ホトトギス』で活動。俳句革新、短歌革新に取り組んだ。写生文を実践し、漱石の文体の誕生に刺激を与えた、と言う人もある。写生画も実にうまい。松山は道後の子規博、東京は鶯谷の子規庵に行ってみよう。思想はどちらかと言えばナショナルな情熱に駆られたグループだったろう。日清戦争に従軍記者として行った。病を得たが、長生きしていたら戦記小説を書いて
短歌に限らず、文学作品の鑑賞というのは、その作品が成立した作者や背景を知らずに作品自体を味わうのが本来の形なのかもしれません。しかし、別の形の鑑賞の仕方があります。それは、作者の人物像や作品が成立した背景を探ったり、同じ作者の別の作品や他の人の作品と比較したりする方法です。この本は、歌人や作品に対する筆者自身の主観的な印象を記しながら、作品の背景なども踏まえて鑑賞しています。筆者が選んだ100首の短歌は「恋・愛」「青春」「命と病」「家族・友人」など10章のテーマに分けら
釈迢空=折口信夫「海やまのあひだ」論Ⅲ母の死。上下または水平の短歌茂吉、空穂との乖離(三つに分けたうちの一つ目)「アララギ」の指導者として大正年間を通して地位を築いていった赤彦に対する接近と別離のドラマ。対して、もう一人の中心人物であり、歌壇外からははむしろ最大の敬意を受けていた斎藤茂吉。彼については、釈=折口は、件の「この集のすゑに」で、「あまりに性格が違ひすぎてゐる為か、其印象は近年にぼつぼつ見えて、以前には、ちつとも出て来ない」と素っ気ない。も
折口信夫=釈迢空「海やまのあひだ」論Ⅱ「歌道」は一本道か、辻道か(五つに分けたうちの最後。二章の終わり)この当時の『万葉集』の賞揚について、品田悦一は「国民歌集としての『万葉集』」(『創造された古典』所収)と題する聖典化の軌跡を考証した一文を書いている。万葉国民歌集観の完成された形態には、互いに補い合う二つの側面がある。一つは、天皇制とないまぜに観念される国民性の側面で、もう一つは、国民性を補強する観念としての民族性/民衆性という、前節で扱った側面だ。明治期の
釈迢空=折口信夫「海やまのあひだ」論Ⅱ「歌道」は一本道か、辻道か(5つに分けたうち、四つ目のパート)とはいえ、短歌の感性の乖離を感じ取ったとしても、釈=折口の赤彦に対する背反ぶりは激しすぎる。現在の歌壇史では、斎藤茂吉に関する文章を赤彦がボツにし、さらにその文章自体を紛失するという屈辱的なやりとりがあったことが、釈=折口の心を「アララギ」から離したとされる。これについては当人も認めている。だがしかし、これはもちろん、離反にいたる原因というよりはきっかけに過ぎなか
釈迢空=折口信夫「海やまのあひだ」論Ⅱ「歌道」は一本道か、辻道か(五つにわけたうちの三つ目のパート)しかし、この『馬鈴薯の花』には、二人の「燈火」に込められた亀裂の芽生えも見える。前掲の『馬鈴薯の花』からの引用歌の後半部に見える、「水」のイマージュの浸潤ぶりである。赤彦の想像力の中では、この歌集からすでに、「水」を核心とする詠みぶりへの推移が行われているのだ。火への感性を如実に示す『切火』という第二歌集が、八丈島への旅の羈旅歌として描かれているのは、まさにこの間の歌人の
釈迢空・『海やまのあひだ』論第一章燈火の「引力/斥力」3つのうちの3つめでは、後への影響力が大きかったとは言えないこの先行歌人の唯一の歌集は、如何なるものだったのか。「火の神」を意味する歌集のタイトルに則って、火に関わる作品のみ引用してみよう。火産霊はわが世知らせりわが詩もいで新しき生命ありこそ(序)富士が根に煙はたたず然れども底の思ひはもえまさらずや虫飛んで燈火消えし万丈の闇のいづくぞ芭蕉葉の音紙燭して人に逢はむのいざよひに松風やみ
釈迢空・『海やまのあひだ』論第一章燈火の「引力/斥力」3つのうちの2つめ誘引されると同時に排斥される釈=折口の姿が最も早く現れるのは、服部躬治との関係性においてである。彼らの関わりは、直接本人同士で「膝つき」のやりとりを行い、明確に入門が果たされている。が、師の側にはあまりその意識はなかったのではないかと思われる程度の淡い関わりだったに過ぎない(「三度見た先生の印象」)。しかし、この淡い関係性を、釈=折口は、後年になっても強調する。特に、短歌の表記法に独自の工夫を加える点な
釈迢空・『海やまのあひだ』論Ⅰ燈火の「引力/斥力」躬治への敬意(三つに分けたうちのひとつめ)羈旅歌の印象を強く持つ『海やまのあひだ』では、いくつかの明かり(燈火)が点る。山深きあかとき闇や。火をすりて、片時見えしわが立ち処かもわが黙す心を知れり。燈のしたにひたうつむきて、身じろがぬ汝は人こぞる湯ぶねの上のがすの燈を年かはる時と瞻りつつ居り汽車の燈は、片あかりをり。をぐらき顔うつれる窓に、
釈迢空『海やまのあひだ』論序後発者・釈迢空=折口信夫の官能(序の後半)柳田と釈=折口を分離させたものは何か。――民俗学そのものの視野だとある人は言い、伝えられる釈=折口の性向によるものだと別の人は言う。しかし、より本質的な違いがある。それは柳田の見逃したものだ。第一歌集『海やまのあひだ』(大正十四年刊)の長い後書きに、釈=折口は言う。真実私ほど、他人の影響を受けたものは少からう、と思ふ。此海月の様な歌心の漂ひまはつた澪のあとを見れば、自ら、所謂新派和
釈迢空・『海やまのあひだ』論序後発者・釈迢空=折口信夫の官能(「序」の前半)釈迢空=折口信夫は、生々しい。折口信夫を読むと、ページから濃密な情緒が立ち昇る。これは学問の論考を読むときも、詩歌や戯曲小説などの創作を読むときも、おなじだ。その情緒にこころが濡れ、染まってゆく。(中略)そう、折口信夫を読むということは複雑な営みなのだ。彼のはなつ蠱惑の論理にいったんは圧倒されなければならない。(以下略)
歌人・吉野秀雄論結結びとしての始まり吉野秀雄の「顔」について、私はいくつか想像する。これからゆっくりと、考えていきたいと思っている。最後に三つ、それを挙げる。小林秀雄の「真贋」を読んで、少し不思議な気がしていた。ニセの良寛詩軸をつかまされた小林が、日本刀一閃、これをばらしてしまう。「ニセ物」と小林に告げた「信頼している友人」というのが、吉野秀雄のことだ。しかし、直情径行のイメージもあり、そんなエピソードも多い吉野秀雄だが、「畏友」とまで呼んでずっと敬意を表していた友人
歌人・吉野秀雄論Ⅲ―結〈写生道〉のユーモアこの作者の言う〈写生〉には、方法論・具体論的な実質が認めにくいことを、我々はすでに確認してきた。一方、登美子夫人の回想録に拠れば、彼は、「歌のことなら何でも聞いてくれ」という絶対の自信を示していたという。逆に言えば、あらゆる具体性を認めない絶え間ない〈否定〉の連続として、彼は短歌を考えていたということだろう。全力的!これぞ写生道の最も重大な一事である。(略)全力的である者は常に謙虚だ。常に反省的だ。常に行く
歌人・吉野秀雄論Ⅲ―3否定する力とユーモア改作の解説という実例に即した実践はできるものの、その作歌の根本姿勢とする〈写生〉の方法論・技法論そのものは解説できない吉野秀雄。にも関わらず、その短歌作品は、未だに〈読ませる力〉を持っている。うつし世の大き悲しみを三たびまで凌ぎし人は常にやさしき(七十四)ますらをの雄心もなく泣きいさち消ぬかなりしが君に救はる(七十五)これの世に二人の妻と婚ひつれどふたりは我に一人なるのみ(七十六)わが胸の底ひに
歌人・吉野秀雄論Ⅲ―2写生とは何か二吉野秀雄の〈正しく〉登美子夫人の回想録に、『寒蝉集』発表の頃(昭和二十二=一九四七年二月)、吉野秀雄が師・会津八一に送った手紙がある。一部を引用する。「象徴」の拙歌おみとめ被下実にうれしくうれしく奉存候風聞によれば歌壇といふもののあれやこれやの中には小生を怪物と目するもあり又素人のまぐれあたりなるかの如く強ひて無視せんとする者もあるよしに候へ共すべて小生の関知せざるところに有之小生はただただ真向微塵に歌作りぬき押し切り通す覚悟
歌人・吉野秀雄論Ⅲ―1写生とは何か一その空なる器としての歴史『晴陰集』の中に、妙に印象に残る歌がある。骨髄に写生を持しておのおのの道を望むはたのしかりけり(七十二)うら若くいきほふ君にわれ叫ぶ写生念念不停流咄(七十三)前後の作から、俳人・上村占魚との関わりを読んだことが明らかなこの一連は、読者の微笑みを誘うような、不思議な軽さに満ちている。しかしそれは、二首の読みぶりが示すように、作者が目指した効果ではないようだ。大まじめに作られたからこそ、面白く感
歌人・吉野秀雄論Ⅲユーモアとしての写生~『晴陰集』以後吉野秀雄の二人目の妻である吉野登美子は、彼の死から十一年の後、『わが胸の底ひに吉野秀雄の妻として』(昭和五十三=一九七八年)という回想録を残している。ここで我々が出会うのは、何度も激しい悲しみにうちひしがれる男の姿だ。まず、『寒蝉集』に描かれた最初の妻・はつ夫人の死を思っては号泣し、戦時下に小さな子どもたちを疎開させる悲しみに一家で泣き、妹の夫と親友・米川稔の戦場での死を聞いた時に、同じように床の中で号泣する。昭和三十一=
歌人・吉野秀雄論Ⅱ―結世界はさかさまに息づく(「母」と「子」の反復から)このように見てきて、『寒蝉集』の豊かさの拠ってくる構造性を、我々はやっと本質的に思考し得たと言えよう。それは、この歌人の想像力が多層的に爛熟を迎えた世界である。一つ目に、妻との関係性、二つ目に子どもたちの存在、三つ目に「(寒)蝉」。このイマージュの三つの一斉極限化。しかし、それならば、この作者の世界は、もはや衰退するばかりなのか。――我々は、これに明確な「否」を突きつける。この一冊の読者の多くは
歌人・吉野秀雄論Ⅱ―3「蝉」像の爛熟そもそもこの一冊はなぜ、『寒蝉集』と名づけられたのだろう。――ここまで作者の想像力を巡って思考してきた我々は、彼の短歌にとっての「虫」の重要性、就中「蝉」の特権性に気づかざるを得ない。暮れなづむ窓にひびかふ蝉のこゑ明日もかくして病むにしあらむ(五十三)(『天井凝視』初版)その尻音さみしく去にし寒蝉に床辺にはかに夕づくをおぼゆ(五十四)けさの朝け土用なかばの雨冷えて枕にきけりひぐらし
歌人・吉野秀雄論Ⅱ―1妻と時間の爛熟なぜ、『寒蝉集』は、特別な印象を与えるのか。そのためにはもちろん、彼の残した他の歌集との差異が問われねばならない。まず第一に、彼の歌集の複数を読んだ誰の目にも明らかなのは、ほぼ定期的(十一年ごと)に出された他の歌集群とは、そこに流れている時間感覚が大いに異なっていることである。中門のとびらに残る過ぎし世の人の真旅(またび)の筆の跡あはれ(三十四)我命(わぎのち)をおしかたむけて二月朔日(ついたち)朝明(あさけ)の富士に
歌人・吉野秀雄論Ⅱさかさまに輝く世界~~『寒蝉集』の超越結社の時代にありながらほとんど独行独歩の歌作を続けたことを主な要因として、吉野秀雄は生前、歌壇から評価されることがほとんどなかった。五冊の歌集を出し(私家版の一冊を含み、死後刊行の一冊を除く)、一生涯、歌作を続けていたにも関わらず。彼の年譜を振り返って見た時に、その歌集がほぼ十一年ごとにまとめられていることに、我々は気づく。『○○集』(漢字二字+集)という、素っ気なく名づけられたタイトルのそれら。『苔径集』(一九
歌人・吉野秀雄論Ⅰ―結子に教えられる力(ちから)ここまで考察を重ねると、『早梅集』までの吉野秀雄短歌の子どもたちを歌った作品群に大きな存在感を持った秀作が多い理由の本質に、我々は至ることが出来る。わが妻のみごもりたるを知りてより二月(ふたつき)にして母に申しぬ(三十)(『苔径集』)真夜中に児を守る妻のこゑすなれわれもひそかに泣きてゐるなれ(三十一)われ妻にあたまあがらずなりけるは子供の多きゆゑと決めをり(三十二)
歌人・吉野秀雄論Ⅰ―3家族の与える時間ところが、『早梅集』に至るまで、『天井凝視』時代の「蚊帳」に隔てられたロマンティックな虫たちや精神的〈現在〉を読んだ短歌が、はっきりと目に見えて減っていく。全くなくなったわけではないにしても、この二つの主題群が、明らかに数を減らしていく。あらがへど父はいらへずしみじみと湿布代へむといひにけらずや(二十一)(『天井凝視』初版)厠べに起ちたる父のさむざむとわれを呼ばふは月好
歌人・吉野秀雄論Ⅰ―2シェルターとしての「蚊帳」と〈現在〉吉野秀雄の短歌を読んでいると、じれったくなる。そして、飽きそうになる。というのも、その素材があまりにも乏しいからだ。病気からの回復を記念して私家版として作った『天井凝視』(初版)から、病いに伏せっている日々と、回復して勤めに出たり外を出歩いたりする時期が、ほぼ交互に来る。その間に寺社仏閣めぐりと、故郷の様子が挿入される。…以上で、『早梅集』までの初期短歌の世界は、ほぼ言い尽くしたことになる。特に、毎年のように繰り返される
歌人・吉野秀雄論Ⅰ―Ⅰ虫たちの偏在『天井凝視』(初版)には、様々な虫の名前が読まれる。蛾。蝶。蠅。はたはた。蛼。虻。そして「虫」と表現される虫たち。もちろんここに蚊が加わり、さらに筆者の想像力にあって特権的な場を占める各種の「蝉」が加わる(「蝉」に関しては、本稿の第Ⅱ部で詳しく取り上げる)。病室のともしながれてさ庭べの芝生をあはれ蛾の立つがみゆ(六)黄なる蝶ただよふとみるにかくれたり障子のひまの明(あか)き枯草(七)春すぎて夏きたるらしし
歌人・吉野秀雄論Ⅰ時間と家族~~『寒蝉集』以前の魅力(四つに分けたうちの一つめ)吉野秀雄の短歌を読んでいると、チャーミングな子どもたちの姿に心を奪われることがある。身ごもれる妹(いも)をおもへば道のべの愛(かな)しき子らは沁みて見るべし(一)(『苔径集』)しが母に叱られしかば女(め)の童(わらは)わが枕べにすわり黙居(もだを)り(二)門べよりわれに馳せ寄る三人子(みたりご)のいづれの手をし執りなばよけむ(三)(『早梅集』)いとけ
歌人・吉野秀雄論序我々の目的と方法(三つに分けたうちの三つめ)全体は三部構成とし、おおよそ歌集の編年順に彼の想像力の変遷を分析していく。まず最初に、吉野短歌に現れる時間について、思考する。家族という存在を通して、彼の〈時間〉感覚が変化する様を追う。次に、彼の最も有名な歌集である『寒蝉集』の発する強い磁力について思考する。これを取り巻く通俗的な理解と距離をとりつつ、その本質的な魅力を取り出す。最後に、彼が生涯の作歌理念とした〈写生〉の内実を探る。近代短歌史での〈写生〉の役割
『かな墨場必携和歌を書く』(日本習字普及協会)より選句、習字伊藤左千夫(いとうさちお)おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉低くIgotoutinthegarden.Iwassurprisedatthecoldthismorning.Persimmonfallenleavespileupinthegarden.Andfallenleavesaremoistwithdew.まるで、目に見えるような写実的短歌。しかし、