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今朝、劇作家の唐十郎さんの訃報が届いた。84歳。体調がよくないことは風の噂で耳にしていたが、これでかつて一世を風靡した伝説的な演劇人がまた一人鬼籍に入ったということになる。いわゆるアンダーグラウンド小劇場演劇の旗手たちの中でも、後の演劇人に与えた影響力という意味では、その力が最も強かった人であるように思う。(残念ながらわたしは一度もお会いしたことがないが)わたしが演劇活動を始めた頃、すなわち1980年代の初頭、唐十郎と状況劇場はすでに伝説の存在だった。何より「演劇は劇場で見るもの」という固定観
※こちらの記事は、平成21年9月22日に書かれたものです。皆さん、こんにちは。僕はヒマジンなのか、バカなのか、近代政党の推移をまとめてチャートを作ってしまいました(笑ちょっと面白そうだな、と思ったのが運のつきで、毎日少しずつこつこつと進めていき、やっと1898年の憲政党(けんせいとう)結成直前までこぎつけました。※政党名の下にある人物名は主要メンバー。党首名が必ずいちばん上にあるというわけではない。※一部、政党的動きをした非政社団体(ひ・せいしゃだんたい)も記載。近現代について興味の
4/23(火)の夜、兵庫県立芸術文化センター小ホールにて、日本シューベルト協会の演奏会に出演させていただきました。お知らせしていたブログはこちら↓『ドイツリートのコンサート日本シューベルト協会』もう来週ですがドイツリートのコンサートに出演します。会場は兵庫県立芸術文化センター、小ホール。第158回日本シューベルト協会演奏会~後期ロマン派、そして…ameblo.jp日本シューベルト協会第158回演奏会〜後期ロマン派、そして近代へ〜新しい曲と歌い手さんたちとの出会い
呉出身のフリーライターによるインタビューと郷土史エッセイ本。自身の祖父の経歴をたどることを中心に呉で語られてこなかった事を諸々集めたもの。また調査の過程で得たものも明らかにしていく。海軍工廠と徴兵、召集で陸軍で歩兵を務めた自身の祖父の経歴を追いかけていくことで、読者も歴史を追体験できる。また、著者が舞鶴引揚を調べている過程で、いかに地元の舞鶴市民が引揚者に親切にしたかだったり、シベリア抑留の過酷な環境は如何なるものだったか、その中で荒んだ環境からどのようにして改善を図っていったかを辿っ
もう来週ですがドイツリートのコンサートに出演します。会場は兵庫県立芸術文化センター、小ホール。第158回日本シューベルト協会演奏会~後期ロマン派、そして近代へ~10名の声楽家と2人のピアニスト(中村展子さんと私)が出演します。プログラムのテーマが後期ロマン派から近代ということで、普段はなかなか演奏されない珍しい曲もお聴きいただけます。私はシュトラウス、マーラー、コルンゴルド、ベルク、シマノフスキの作品を演奏します。ベルクとシマノフスキの譜読みには苦労
『シヴィライゼーション6神攻略初心者向けカナダプレイレポートⅤ「産業時代」』『シヴィライゼーション6神攻略初心者向けカナダプレイレポートⅣ「ルネサンス」』『シヴィライゼーション6神攻略初心者向けカナダプレイレポート…ameblo.jpかつて「鳥人」は伝説の中だけの存在だった。しかし今、それは現実になろうとしている。航空機と新しい形の通信手段は、世界をより小さく、近いものにするだろう。しかしその代償は?政治や生活様式の違いに起因する衝突は、今や世界中で発生し
俗に〝沈黙は金〝というけれど。。。*「民衆の沈黙のエネルギーが饒舌に散乱して行くと、文明の属性はどうしても喧騒ということになる。人民の長いあいだ探しまわっていた自我というものがここでやっと捕捉されたらしいが、民衆というせっかく結構なる概念のほうはその実体がますます茫漠として来るようである」「喧騒はおしゃべりの自我にとってこそ住みよいところであるにせよ、俗眼のとどくかぎりでは、その中に聖観念がひそんでいるようには見受けられない。地上の聖は知らず、すくなくとも天上の神はここまでおり
私が現在練習している曲は,①ショパン-幻想即興曲Fantaisie-Impromptuop.66②ドビュッシー-子どもの領分ゴリウォーグのケーク・ウォーク③ブルグミューラー-18の練習曲アジタートです。①のショパンの曲は、♯(シャープ)かつ、楽譜のページが多い。②のドビュッシーの曲は、♭(フラット)が多い。また、独特の音とリズム感がある。③のブルグミューラーの曲は,楽譜のページは2ページで少ないが
僕は、ユマニスムというものは、人間が当然持つべき常識乃至人間的態度・心構えであって、例えば、地球が自転しているから太陽は東から出るように見えるとか、生物は空気の中で生きていて、空気がなくなると生きていられないとかいう常識に等しいものであり、常識であるが故に、一応万人が心得ている筈のものでありながら、また常識であるが故に、とかく日常生活では忘れられ易いもののように思っている。だから、ユマニスムとは、いかなる人間の思想でも、それが人間的なものになるためには、―即ち人間を幸福にするものになるためには、
近代性の構造「企て」から「試み」へ(講談社選書メチエ)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}現代は、ポスト近代なのか、それとも後期近代なのか、という議論がある。いずれの立場を取るにせよ、近代そのものをきちんと捉えていないことには話にならない。私は、岡野八代の『フェミニズムの政治学』(706冊目)が、近代思想の深部から近代社会の矛盾を最も徹底的に暴いてみせた論として評価しているのだが、本書『近代性の構造』もまた、近代社会の根源性を析出した書として
「近代」が崩れゆく世界で、日本の青年は民主主義を守れるか?https://www.newsweekjapan.jp/kawato/2024/01/post-141.php
近代とはいかなる時代か?─モダニティの帰結─Amazon(アマゾン)本書はタイトルの通り、「近代とはいかなる時代か?」について書かれた本である。副題には「モダニティの帰結」とある。本書を読むことは、文字通り、近代とはいかなる時代かを考えることである。近代をイメージする概念として、理性という言葉が出てくる。理性を信奉したデカルトが、近代哲学の父と呼ばれるのはそのためだ。人間は理性を行使し、真理に迫ることができる。そして、この理性は誰にも等しく均等に分配されている、デカルトは『方法序説
新潮現代国語辞典のおかげで、新たな文学作品と出会うことができるようになりました。以下の【見込む】や【通う】のように、語釈に出典元のタイトルが出ているので、気になった文章があれば青空文庫で探す。この新潮現代国語辞典を購入する時にやりたいと思っていたことを実現できているので、とても満足で有意義な買い物でしたよ👍かよ・う【通う】①決った道や目的地へ行き来する。「酒屋に―ふ〔へボン〕」「小学校へ―ひ〔浮雲〕」→二葉亭四迷の浮雲②出たり入ったりする。「風—ふ八畳の間の秋の夕ぐれ〔
『この国のかたちー四』-司馬遼太郎●近代以前の自伝-①✪私の友人の石川美子さんは、一見嫋(たお)やかながら、ユーモリストでもある。数年前、「人はなぜ自伝を書くと思いますか」と、酒席で言った。はじめ、彼女らしい冗談だと思った。子供が木に登るのと同様、自明に属することだと思ったのである。が、座興ではなかった。この人はやがて、空をつかむようなこの壮大な主題でもって論文を書き、1992年、パリ大学から文学博士を受けた。端倪(たんげい)すべからざることである。英国とアメリカで自伝がおびた
こんにちは徳王です。本日はインド近代史です。インドでの民族運動の形成インド人の民族的自覚ヒンドゥー教改革運動背景(1)外国資本の導入:鉄道・プランテーション①ボンベイ紡績会社②鉄道:一次産品供給(綿花・茶・石炭)・国内市場分断インド鉄道(1853):ボンベイ~ターナー(2)啓蒙思想普及:インド民族的自覚・エリート層成長成長例.サティー(寡婦殉死)禁止:ラーム=モーハン=ローイ内容全インド国民協議会(1883):バネルジーブラフモ=サマージ協会:ローイラ
伊勢国際宗教フォーラム第17回年次大会、テーマは「森と聖地の近代ー伊勢、吉野、橿原」。皇學館大学でありました。伊勢をはじめ、橿原、吉野が聖地化していく近代をクローズアップして、聖地ツーリズムや国立公園との関わりを明らかにしていく。倭姫宮もそうした中で創建され、奉賛会ができていったことがうかがえました。私は2つの講演のあとのディスカッションのコーディネーターというお役目でした。まとめの役割もありましたが、難しかった~です。けれど、勉強になりました❗
アーカイブ(旧ブログから移しました)2022年12月17日(土)記野口良平『幕末的思考』を読み始める。野口良平『幕末的思考』みすず書房、という本を、ちょっとずつ読み始める。どういう本かというと、(ちがうかもだけど)黒船に乗って列強さんがやってきた。植民地にされるかもしれない!攘夷?開国?どんな社会にすればいい?この島国では上も下も、西欧や中華からの輸入でない理想を模索した。いろんな可能性があった幕末が、なぜ明治をになるや、天皇陛下バンザイの軍国主義になって
『栗の森のものがたり』Zgodbeizkostanjevihgozdov,2019,グレゴル・ボジッチ年老いた大工、最晩年の物語。大工といっても棺桶作りのほとんど家具職人。酒場での賭博めいたゲーム、連れ添った老妻を看取り、栗売りの若い人妻との出会いと別れ、そして自らも天寿を全うする。この物語を3章立てで描く。なのに82分。物語進行の説明は一切ない。敢えて言えば各章で明示される章題、「しみったれ大工、マリオ」「最後の栗売り、マルタ」「帰らぬ息子ジェルマーノ」。どの章題も素晴ら
一般のガザ市民が暮らす地域に、イスラエルは当たり前のように爆弾を落とします。覚えておいてください。ガザ市民の半分は子どもです。pic.twitter.com/oQP1ZcFUDd—駐日パレスチナ常駐総代表部(@PalestineEmb)October10,2023これは映画の一部ではありません。「世界で最も道徳的な軍隊」がガザで行っていることです。イスラエルは依然として、物理的にも文化的にもガザを消滅させようとしています。pic.twitter.com/KjgfGBqT
主権国家と革命15~18世紀(岩波講座世界歴史第15巻)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}ポストモダンとか、近代の超克とか言われるが、そもそも近代とは何なのか。近代を表すいくつかのキーワードを抜き出しながら、近代を根本から考えてみよう。まず、真っ先に「理性」というタームが出てくる。理性の哲学者デカルトが、「近代哲学の父」と言われることからも、近代と理性が密接につながっていることを端的に示している。デカルトの生きた17世紀は、ヨーロッパで
平成生まれのアナタにはピンと来ない話だろうが、スニーカーという言葉は昭和時代にはまだ浸透していない言葉だった。当時は革靴と区別して「運動靴」とか「ズック」と呼称していたと思う。チューリップの「虹とスニーカーの頃」は1979年、近藤真彦の「スニーカー・ブルース」は1980年の歌である。テレビドラマ「太陽にほえろ!」に"スニーカー“というあだ名の刑事が登場したは1979年である。そんなことを書いているのは、新しいスニーカーを買ったからである。わたしはサラリーマンではないので、普段はもっぱらスニーカ
森鷗外の短編『文づかひ』を読んだ。舞姫・うたかたの記―他3篇(岩波文庫緑6-0)Amazon(アマゾン)鷗外の所謂「ドイツ三部作」の最後を飾る作品で、他の2作同様、鷗外の滞独時の経験が元になったフィクションとされている。皇族が主催する会に参列した小林という軍人がドイツ留学時に体験したある事柄を微に入り細に入り話して聞かせる、そういう話である。小林がザクセン滞在時、友人である士官メエルハイムの許婚者イイダ姫と知り合う。まもなくイイダは小林に「文づかひ」を頼
監督:マーティン・マクドナーキャストコリン・ファレル(パードリック・スーラウォーン)ブレンダン・グリーソン(コルム・ドハティ)ケリー・コンドン(シボーン・スーラウォーン)**************************************「スリー・ビルボード」のマーティン・マクドナー監督が,人の死を予告するというアイルランドの精霊・バンシーをモチーフに描いた人間ドラマ。1923年,アイルランドの小さな孤島イニシェリン島。住民全員が顔見知りのこの島で暮らすパ
こんばんは。最近、某女性お天気キャスターの交際発覚を機に、一部の成人男性を揶揄するネットスラングとして、「チー牛」に代わり「弱者男性」が急に広まったように感じます。ここで、弱者男性の主な定義を見ると、「独身・貧困・障害など弱者になる要素を備えた男性」とのことで、この基準を私に当てはめてみると、(独身)まあそのとおり(貧困)年に数回しか海外旅行に行けない程度に貧困(障害)世界トップ30の大学には入れない程度の知的障害と、十分この条件に当てはまるようです(笑)。という与太話
おはようございます。今週、東京都渋谷区の博報堂出身の副区長が、庁内の業務連絡用ウェブチャットに同区議会の女性区議に関し「ブタ」などと書き込んだ問題の責任を取り、自ら辞職しました。この書き込み行為自体が問題外なのは当然であるものの、個人的には内輪の過激発言がこうも簡単に漏れる状況には、職場での軽口も気軽にできないなと思います。あと、どうでもいいですが当該女性区議は公式サイトやポスターを見る限りでは「ブタ」は言い過ぎと思ったところ、直近の写真ではまあ…(以下略)。【最強の英雄
ロジェ=デュカスの出世作と言える作品です。1907年、34歳の時に作曲され、初演時は大好評だったそうです。近代の作曲家によくある古い形式の中に、先進的なスタイルを取り入れるもので、バロック時代の組曲の形を使い、序曲といくつかの舞曲という構成です。ラヴェルなどもよくやった方法ですが、ここでは、割と雑多なスタイルが使われていて、大まかには、フランスの伝統をくんで、近代的な響きを使ってますが、後のルーセルにつながるものまであり、なかなかの注目作でもあります。特に、20世紀音楽好きや、フランス
かつては、天はニ物を与えず、と言い、才能あふるる人材にありがちな、ついてくる欠点、影を見る習慣があり、完璧な人はいない、と共感していました、が、最近は明らかに、ニ物を超えたものを備えている人物を見ますね。規格外、想像を超えている人物を許容し始めているのか。ハイスペック当たり前と言って過言では無い。平等志向、主義が近代の産物・見方だとわかります。近代の黄昏、超克と呼ばれて久しい。例えば、大谷翔平を見ると、リアル超人。今までの、全ての在り方を超えている。様々別次元。※本文とは関係ありません
某という人物その人生というものは、その某の人生が完結したあと、時間がたてばたつほど、私にとって好材料になるようである。時間が経たねば、俯瞰ができない。俯瞰、上から見おろす。そういう角度が、私という作家には適している。たとえばビルの屋上から群衆を見おろし、その群衆のなかのその某の動き、運命、心理、表情を見おろしてゆく。この俯瞰法(つまり歴史小説をかく視角)で某を見るばあい、筆者は某そのひと以上に某の運命とその環境、そしてその最期、さらには某の存在と行動がおよぼしたあとあとへの影響、という