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【問題】【日本城郭検定3級】27基の櫓をそなえた近世の巨大山城で、山城には珍しい水堀が設けられていた城はどれか?【選択肢】高取城観音寺城大野城春日山城【正解】高取城【解説】高取城は奈良盆地南方に連なる吉野山系の標高583mの山頂に築かれた山城。南北朝時代に越智邦澄によって築かれたと言われており、本多太郎左衛門・利朝親子が中世の山城から近世城郭へと修築した。岩村城と備中松山城とともに近世の三大山城にあげられている。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
第十五講1903年3月27日近世哲学は、ベーコンによる実験の導入から数学・物理学をモデルにした。つまり非連続、部分、持続ではないものが主流になった。純粋な実験は(現象自体を観察するので)連続だった。プラトン、アリストテレスがイデア・数・物質を扱ったのに対し、クザーヌス、ブルーノ、ケプラーなどは同じ方向性を持ちつつ、心理的発想や脱物質、世界霊魂を論じた。持続:一つの凝縮contractionとして、無限に豊かで無限に異質的heterogenie(均一ではない。リズム
『江戸の備忘録』ー磯田道史●山岡鉄舟と武士道(妻の気概)このごろ武士道の本が人気である。武士の道が素敵なものに見えるらしい。甚だしきに至っては「ビジネスに武士道を」などという。だが、武士道はそんな俗なものではない。武士の道を践むのはつらい。家の者を巻き込んで、まことに苦しい境遇に立ち至る。山岡鉄舟(1836~68)の家庭がそうであった。山岡は武士道の鑑とされ、「山岡鉄舟と云う称号は武士道の代名詞だ」(勝海舟)とまで言われた男である。山岡の生き方をみれば、武士道のなんたるかが、わかるのだが
第一話「レノ・クルーデルの旅」王宮教員採用試験が三日後に迫っている。明日までには家を出てプロシアデス王国の首都ハイデリンで試験を受けるまでの準備を整えなければならない。オーバーグレーツ州メヌエの辺鄙な農村生まれの僕は、思い出のつまる萎びたタンスから衣服を取り出し鞄に詰め込む。衣服やら参考書やらを押し込まれた鞄は風船のように膨れ上がってしまった。人里離れた片田舎。このからっきし良いことなしの鬱々とした世界から一歩外へ出れば、二度と同じ地を踏むことはない。僕の心は決まっていた。一つ気がかりなこ
2024年1月19日。西村慎太郎です。いま調査で浪江に来ています🤩川添で調査しているんで、街中で見かけたら声掛けてくださいwwさて、おとといのブログで小丸村の小丸氏の騒動について、『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)より見てみました。寛文年間(1661~1670)に新田を賜り、給人に取り立てられた小丸勘十郎は室原村(現在の浪江町室原)に居住したようなので、『奥相志』の室原村の記事を見てみたいと思います。あ、余談ですが、室原にはまだ
2024年1月17日。西村慎太郎です。前回は『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)より小丸氏が標葉氏に仕え、のちに相馬氏に仕えて、戦国時代を生き抜いたことを確認しました。引き続き、小丸氏の歴史について、近世に入ってからの記述を『奥相志』から確認してみたいと思います。近世の小丸騒動の続きです。-------------------------------------即告此挙于泉田、公命逮捕残徒于仙道葛生、而徒党親戚十三人磔於
2024年1月15日。西村慎太郎です。前回は『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)より小丸氏が標葉氏に仕え、のちに相馬氏に仕えて、戦国時代を生き抜いたことを確認しました。引き続き、小丸氏の歴史について、近世に入ってからの記述を『奥相志』から確認してみたいと思います。ちょっと逸話が長いのが特徴的で、『奥相志』の編者がどのようにこの情報を入手できたのか、重要な研究課題ですね。-------------------------------
熊本市中央区の鶴屋東館の一角に設けられた展示スペース「くまモンスクエア」がリニューアルした。ステージを中央に設置することで、どの位置からもくまモンが見えるようになった。また、ミニゲームが可能なスペースやカフェスペースを新設した。トヨタ熊本では、熊本朝日放送やくまモンと連携して、地域清掃、イベント参加、環境の教育普及などの「元気だけん!くまモン県プロジェクト」を推進している。写真は、八代城築城400年祭の様子
今日は、長袖を羽織ったり、長靴下を履いたりする程肌寒いです。開け放していた、サッシや窓も閉めています。勿論、扇風機も暫くぶりのお休み中。猫さん達も、腕枕で寝たり、集まって寝たりしています。猫の温かさが心地良い、季節がやって来たようです。もう、9月も下旬ですもんね。電子書籍で、いつも新刊を楽しみにしているマンガの中に、『結婚商売』という本があります。人生を再転生して、やり直す主人公のお話なんですけど。絵が綺麗で、登場人物も内容もとても充実していて大好きです。戦争へ行く夫、旦那様と
おはようございます。今週、東京都渋谷区の博報堂出身の副区長が、庁内の業務連絡用ウェブチャットに同区議会の女性区議に関し「ブタ」などと書き込んだ問題の責任を取り、自ら辞職しました。この書き込み行為自体が問題外なのは当然であるものの、個人的には内輪の過激発言がこうも簡単に漏れる状況には、職場での軽口も気軽にできないなと思います。あと、どうでもいいですが当該女性区議は公式サイトやポスターを見る限りでは「ブタ」は言い過ぎと思ったところ、直近の写真ではまあ…(以下略)。【最強の英雄
2023年6月30日『大字誌浪江町権現堂』前近代編執筆中の西村慎太郎です。「第二章中世の権現堂」は共同執筆なので、ちょっと保留しておいて、先に「第三章近世の権現堂」の推敲を進めたいと思います。今日も近世権現堂の土地について。-----------------------------------------------次の元禄大検地は、元禄九年(一六九六)~十年に行われた大検地であり、慢性的な藩財政の悪化を解消し、年貢の増徴を目的としたため、領内の打出(検地によって領
2023年6月29日『大字誌浪江町権現堂』前近代編執筆中の西村慎太郎です。「第二章中世の権現堂」は共同執筆なので、ちょっと保留しておいて、先に「第三章近世の権現堂」の推敲を進めたいと思います。今日も近世権現堂の土地について。あ、『日本歴史』最新号に日本歴史学会賞が掲載されていて、知り合いの山田淳平くんが受賞していました🤩おめでとうございます!!とともに、自分も研究をがんばらなきゃとテンションがあがってきました🤩----------------------------
2023年6月28日『大字誌浪江町権現堂』前近代編執筆中の西村慎太郎です。「第二章中世の権現堂」は共同執筆なので、ちょっと保留しておいて、先に「第三章近世の権現堂」の推敲を進めたいと思います。今日も近世権現堂の土地について。-----------------------------------------------ところで、「天正御縄入」について記した「奥州相馬御検地目録帳」には「権現堂分」と記された土地は田が二三町一反二畝五歩(分米二一八石一斗八升三合)、畑が八
2023年6月26日『大字誌浪江町権現堂』前近代編執筆中の西村慎太郎です。「第二章中世の権現堂」は共同執筆なので、ちょっと保留しておいて、先に「第三章近世の権現堂」の推敲を進めたいと思います。今日は近世権現堂の土地について。-----------------------------------------------近世権現堂の土地相馬藩領では大検地と称された領地全域にわたる検地を天正・文禄・元和・寛永・明暦・元禄・天保年間の七回実施した。天正十八年(一五九
問い日本において中世から近世、そして近代の区切りはそれぞれいつ頃ですか答え日本において中世から近世、そして近代の区切りは、一般的には以下のようになっています。中世:平安時代(794年~1185年)から室町時代(1336年~1573年)まで。近世:安土桃山時代(1573年~1603年)から江戸時代(1603年~1868年)まで。近代:明治維新(1868年)から終戦(1945年)まで。ただし、これらの時代区分は、歴史の見方や解釈によって異なる場合があります。例えば、中世と
『【過去記事】福島県会津若松市「福島県立博物館」①A原始』2020年7月18日土曜日会津若松市「会津よろずや」でお昼ご飯後、同市内にある車で数分の福島県立博物館へ✏️福島県立博物館とは…鶴ヶ城公園内の鶴ヶ城に隣接し…ameblo.jp福島県立博物館にて⏳古代4世紀~12世紀末4世紀、大和国家の成立と前後して古墳が造られ始めた豪族が司祭者から政治的支配者にかわる様子が正直古墳群、真野古墳群からわかる大化の改新後、東北の南部までが律令国家に組み込まれ陸奥国府のもとに白河郡などが置か
2022年10月23日『大字誌浪江町権現堂』前近代編執筆中の西村慎太郎です。さて、古代部分の執筆を終えて、再び近世の執筆に戻ります🤓今日からは在郷給人について。実はまだどこまで公表していいか不明なんですが、権現堂村在郷給人の近世資料が確認できました!😍😍😍来月、撮影に伺い、大字誌やこのブログでも紹介していきたいと思っています!!あ、現在、YouTube「毎日古文書DAY」を配信しているので、そちらでも紹介したいなー。いまは大熊町中野家文書を毎日配信しているので、興味ある方はのぞいて
『歴史の中の邂逅(かいこう)』-司馬遼太郎●蓮如と三河について-②✪むろん、この現象は江戸期の強固な主従関係やその道徳から遡及(そきゅう)して見るべきではなく、小領主の自主性のつよかった室町・戦国という中世の社会をじかに見て考えねばならない。その社会では、三河だけでなく、西日本のほとんどの村落は"惣"という強固な自治制で固められていて、当然ながら惣は収税機関である守護・地頭はあらかた亡びるか、有名無実にまで衰えていて、その分だけ惣の自衛はつよくなっており、さらにいうと惣における農民の
【問題】加藤清正が築いた近世の佐敷城が廃城となったのは、次のうちどのタイミングか?【選択肢】沖田畷の戦い肥後国衆一揆庄内の乱一国一城令【正解】一国一城令【解説】加藤清正によって築かれた近世の佐敷城(熊本県芦北町)は、梅北一揆や関ヶ原の戦いの際に戦乱の舞台となったことでも知られる。一国一城令により廃城となった。
たった今、撮影深谷駅の佇まい、近世チックなレトロ感が溢れてて好き東京駅に似てるというのでも話題
今、日本の学会での歴史区分は4分説が基本です。「(原始+)古代・中世・近世・近代(+現代)」日本の影響を受けた国では同じ区分を取り入れているようです。ところが西欧での歴史区分は3文説が基本になります。近世と近代を区分けする言葉がないのです。どちらも同じ「modern」です。日本で4分説が基本となっているのは江戸時代がそれまでの日本社会が自発的に完成したものと考えるからです。しかし幕末から明治の米国・西欧の影響で江戸時代とは全く違った社会と変わっていきます。江戸時