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午後から珈琲をポットに淹れて一昨年亡きまる🐕と過ごした近つ飛鳥風土記の丘に勇気を出して行ってみようとリードを手にして向かいましたがなんと😅💦月曜日は休館日🫥正門が閉まっているにもかかわらず沢山の自動車が溢れんばかりに停車していましたそのまま娘の運転で山の方から山桜と街並みを眺めて西行法師で有名な河内広川寺に行ってきましたここも何度もまる🐕と来た場所ついこの前の事のようにその時の様子が蘇りました✨枝垂れ桜はまだほとんど蕾でしたが山の空気を深呼吸して気持ち
河内国分駅。後ろのライフでは、ときどき栄養補給の買い物をします。片山神社は、近鉄大阪線:河内国分駅から北西へ600m、丘の上に鎮座されます。鎮座地:柏原市片山172河内国国府は近鉄南大阪線:道明寺駅から北へ1㎞、地図に「惣社」と書かれているあたりのところにあります。「惣社」というのは河内国惣社が鎮座されていたことから付けられた地名です。総社と国分寺の距離は4㎞近くあります。遠いですね。河内国分駅から東へ2㎞のところに、河内国国分寺跡があります
Hickey超訳・古事記《下つ巻》⬇️Hickey超訳・古事記《上つ巻》⬇️『Hickey超訳・古事記《上つ巻》』Hickey超訳・古事記《上つ巻》まだ【Hickey超訳・古事記トリセツ】を読んでない人は下をクリックして御覧ください⬇️『Hickey超訳・古事記トリセ…ameblo.jp⬇️Hickey超訳・古事記《中つ巻》⬇️『Hickey超訳・古事記《中つ巻》』Hickey超訳・古事記《中つ巻》東征〜熊野から吉野へまでの話が【Hickey超訳•古事記15】です😊👍『
台湾花蓮市で大地震…昔、仕事と観光で訪れた場所です。(大理石骨壺の買い付け)その時も台風直撃で町が被害を受けてましたが地元の人にご馳走してもらったり名所や観光村へ案内してもらったりとお世話になりました。いつかまた訪れたかった場所です。一刻も早い復興を祈ってます。昨日の雨の後、BS放送が映らなくなったので屋根に上ってアンテナをチェックしました。強い風で方向がズレた様です。幸い簡単にテレビは映るようになりました。久しぶりの屋根の上、周囲の山々が良く見渡せます。北には二上山が見えま
今日のニュースにはさすがに驚きました。金剛バスを運行している金剛自動車は、2023年12月20日(水)をもってバス事業をを廃止するというニュースが流れたからです。金剛バスについては以前からあまり長くなさそうな雰囲気はありましたが、いきなりなくなると聞くと良く利用していただけにショックでした。取材などで金剛バスは本当によく利用しました。バスそのものを記事にしたことがあります。例えば、【河内長野市・富田林市】富田林駅からバスに乗り大阪唯一の村経由で河内長野駅に行くとプチ旅行気分になる
推古天皇皇太子聖徳太子・磯長墓40年ほど前、「日出処の天子」という漫画にハマり聖徳太子の虜になってしまいました。漫画の連載が終わってからの「ロス」は強烈なものがあって、以後、聖徳太子に関する論文や小説を読み漁りました。そして休日には毎週のように、聖徳太子ゆかりの地を訪ね歩きました。聖徳太子(厩戸皇子)はずっと私にとって、古代史のヒーローでありスーパースターのような存在でした。しかし最近は少しずつそのイメージが変わってきています。「優れ
☆太子町立竹内街道歴史資料館河内国安宿郡大阪府南河内郡太子町大字山田1855(資料館インフォメーションは下部写真にて)(ロビー以外は館内撮影禁止)*ブレイク(息抜き)記事なので適度にスルーして下さいませ。最古の官道とされる「竹内街道(大道)」に面して設けられた歴史資料館。名称通り「竹内街道」についての豊富な資料が展示案内されています。孝徳天皇陵を拝する目的で車を走らせるも停め置くところが無く、勉強ついでに入館したのですが…。資料館等に入って失敗したなどということは経験上は無く
金剛山翌日、日曜日今日も金剛山か葛城山に🌹と🦋を見に行きたかったけど最近、膝の調子イマイチで💦ユルっと近つ飛鳥から平石方面へゆっくりお散歩🚶青もみじの新緑がキラキラ眩しい🌿山😺ちゃんたしかこの辺りショウジョウバカマの群生地だったんだけどなぁ…伸び伸びのシダがワッサーと生茂って💦全く見つけられず😅ムラサキサギゴケ低いけど稜線から見える岩橋山この開けた景色が好き人一人しか通れないような道なのに、正面からスクーター乗ったオジサンに遭遇💦💦しかもノーヘルメット😲たし
今日は近くというほど近いわけではありませんが、河内の国の低山を歩きました。こんな地点からスタートです。こわー😢冬だしコロナだしここ人気ないし…笑このコースさすが誰ともすれ違いません。イノシシがミミズ掘った跡があちこちに確認されます。イノシシ天国?急に開けた稜線に出ました。たぶん正面の山が河内と大和を区切る葛城山です。なんでここに来たのかというと、諸事情あるのですが、要は某山城跡目指しております。「城攻め」ですね。※◯が現在地でして、城マークが城跡です。その城は、平石城といい
(聖徳太子御廟がある叡福寺境内に鎮座する科長岡神社)◆「二上山」慕情【~9王族の魂と二上山(1)】前回の記事より少々期間が空いてしまいました。このテーマ記事を起こすには負荷が大きく、「年末恒例一年御礼参り」に奔走する時期には少々無理があったから。SDカード紛失も影響。数10枚の貴重な「二上山」画像を失いました。ま…ともあれ参拝をなるべく控える正月のうちに。今回より飛鳥時代に突入します。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~「二上山」山頂の西側は、南河内郡「太
この方近つ飛鳥にいらっしゃると知りました元気やったら行きたい体力全くありません!お父さん居たら車でなんて絶対にあり得ない事を考えたマスカレードナイトを観たいと思ってる映画館行けたのでなんか調子良い事考えてしまいますでもね!自力で行かないとネ!明日通院日どうやら雨模様です15日も通院日だしこの日は晴れマーク月曜日か〜行けそうなのは電車だと20分歩いて10分で到着です大阪方面とは逆なので混雑はしません駅が大学生居たら困ります木村拓哉は何を撮
2月14日、近つ飛鳥博物館と池島の鳥見です。梅ルリビタキの情報を頂き、朝ちょっと早めに出発した。到着した時はすでに12~3人のカメラマンが白梅の中に居るルリビタキを撮影中。早速中に入れてもらい撮影始めた。その後紅梅や庭石などへ飛び回るルリビタキを撮影出来た。梅の蜜を吸うメジロや、梅の枝に止まるアオジ等も撮影。帰る途中、池島へ寄ると、オオジュリン、カワセミ、今日は愛想のよいウグイスが居た。ただし、ベニマシコの姿を見なかった。
バイクを走らせひとりツーリングでも行こうかと思いましたが一昨日から肘、手首にかけての痛みがまだあり断念喫茶店のモーニングから戻りジムニーを少しいじり試運転がてら午後2時頃から約20km離れたポイントへ向かいました。到着してカメラマンが固まっているところは避けて昨年のシーズン初めの頃に見たポイントへ運よく5分で♂が出てきてくれました。図鑑系ばかりになりました。他の方に「あそこに出ましたよ。」と教えてあげたら皆さん向かわれ
近つ飛鳥博物館奈良の飛鳥。機内の近つ飛鳥。大陸との窓口である港が難波に開かれた奈良時代。現在の南河内周辺辺りを難波宮から見て近い飛鳥と呼び奈良の飛鳥を遠い飛鳥と呼んだとか。この近つ飛鳥がある南河内には聖徳太子、推古天皇、敏達天皇、仁徳天皇仲哀天皇、反正天皇、履仲天皇アジア、日本最大の古墳応神天皇と分かっているだけでもこれだけの天皇の陵があり埋葬者が解明されていない古墳もまだまだ山盛りあります。天皇の陵、古墳だらけな地域。日本の王家の谷状態です。この博物館に来
泉北考古資料館1984年夏季特別展「河内飛鳥」大阪府立泉北考古資料館は、1970年から2010年まで大阪府堺市南区にあった博物館です。2010年に堺市立泉北すえむら資料館に変わり、2016年に閉館しました。周辺は、国内最大の須恵器生産地「陶邑窯跡群」の中心地域です。泉北ニュータウンの開発にともなって、500基を超える窯跡がみつかりました。「日本書紀」崇神天皇7年条にある「茅渟県陶邑」(ちぬのあがたのすえむら)の最有力候補地に比定されてい
みなさん、こんにちは。今日も、ご訪問下さいまして、ありがとうございます。今日は、あいにくの雨。出かける事もできずに、家でゆっくり過ごしました。みなさん、「近つ飛鳥」、「遠つ飛鳥」という言葉を聞いたことはありますか?飛鳥と言えば、歴史的に飛鳥時代や奈良県を思い出す方が多いと思います。この「近つ飛鳥」、「遠つ飛鳥」は、地名を表しています。近つ飛鳥とは、大阪府羽曳野市や太子町を中心とした場所です。遠つ飛鳥とは、奈良県の明日香村を表しています。それでは、近つと遠つは、どこを基準にしてい
7日(土)朝からちょっと嫌な事があり心は重いまんまガソリンはほぼ満タンあり天気はよかったので気晴らしがてら愛オートバイを走らせました。まずは南河内郡河南町、近つ飛鳥風土記の丘へ今季最後のルリビタキに会えるかな??少し探しましたがルリちゃんにもミヤマホオジロにも会えずジョウビタキの女の子のみでした。道理でカメラマンが居ないはずです。そしてチョウゲンボウを探しに数分走り太子町へ。先行者の方が「交尾してどっか行きよったわ、お昼休
只今、博物館の補修工事のために今年いっぱい休館になっている近つ飛鳥ですが、公園自体は開放されてて、別の駐車場も開いているので、ちょっと覗いてきました。鳥たちも人が少ないのでのびのびしてました(´∀`)
馬見丘陵公園の、ルリビタキポイントへ行くとすぐに出てきました♪あっと言う間に、バーダーさん達が集まってきたので移動してムシクイポイントに行くと居ました♪その後、公園内を散歩してから近つ飛鳥公園へ移動!!すぐに出てきてくれたミヤマホオジロのペア♪30分ほどずっと遊んでくれました♪すぐ側でカワセミが‥
9日、乗馬時代の知人が来訪との事で朝から部屋などの掃除をして、10時~12時まで少し時間があったので買い物ついでに大阪は河南町にある近つ飛鳥へよってみた♪梅林でミヤマホオジロやカシラダカが食事中でウロウロ!ミヤマホオジロカシラダカアオジジョウビタキメジロムシクイ?短い時間だけど、色々出てきてくれて嬉しかったよ♪
2月17日河内/壺井八幡宮から叡福寺へ晴時々曇「近つ飛鳥」と言われたこの地域は、記紀時代の天皇・貴人の墓が群れをなす。河内源氏(清和源氏)の本拠地はその丘陵地帯の一画にあり、代々の墓もある。小山の頂きに祀られた“八幡太郎”源義家の墓などを見ると(写真中、下)、古墳時代から連綿と続く畿内の権力の系譜の一端に、彼らも座を連ねているようでもある。この一族から、後に鎌倉幕府を開く源頼朝も出るのである。
こんにちは♪朝からドライブPart3帰りは奈良から竹内街道で大阪に入るルートにしました。で峠を越えたら、道の駅。近つ飛鳥の里。太子に寄りました。結構走ってきましたが、いいですね(^ν^)ほんと疲れませんね。乗り心地も取り回しも良かったです。やっぱ新車はいいなぁ。楽しかったなぁ、また時間があれば、走りたいですね(*^◯^*)ではまたね(^ν^)
昨日訪れました大阪府南河内郡太子町探訪記第2弾をお送りしたいと思いますその前にこの辺りのことを簡単にご説明しておきたいと思います…古事記にはふたつの『飛鳥』が登場します!履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波(大阪市)から大和の石上神宮(天理市)に向かう途中で2泊した土地を、難波から近い方を『近つ飛鳥』(大阪府南河内郡)、遠い方を『遠つ飛鳥』(奈良県明日香村)と名付けましたこの辺りの『近つ飛鳥』地域は、渡来人が多く住む、文化の先進地域で古代国家形成の過程において重要な
昨日の大阪府河南町探訪記part2になります!近つ飛鳥風土記の丘は、日本の代表的な群集墳『一須賀古墳群』を保存し、かつ貴重な文化財に触れ、親しむ場所として大阪府が設置した国指定史跡公園なんです29ヘクタールの園内には6世紀後半を中心に作られた約100基の円墳があり、そのうちの約40基が整備・公開されていますまずは風土記の丘管理事務所で付近のマップを発見現在の地名では、羽曳野市・富田林市・太子町・河南町あたりになりますかね🗾このあたりは天皇陵を含む古墳やお寺など見所が満載
いやあ、この夏は結構いろいろなところへお墓参りに行けました(^_^)/自分の好きなことは何なのか?自問してみたところ、初心に帰って、古墳めぐりに興じることにしました(^_^)まずは、タケルくん=建皇子のお墓に参るべく、飛鳥の西方の奈良県高取町にある「斉明天皇孝徳天皇皇后間人皇女越智崗上陵・天智天皇皇子建王墓」(車木ケンノウ古墳)を訪れましたね(^^♪その手前にある「天武天皇妃大田皇女越智崗上墓」と併せてです(~_~)そして、もしかしたら、こちらが本当の彼らのお墓かもしれないと唱えられ
大阪府羽曳野市にある河内源氏三代の墓巡りのうち、頼義、義家の墓の参拝が終わりました!(^^)!この後、案内標に従い、ビニールハウスが存する方向へ進みます(^_^)/途中、右に曲がると、墓が見えてきました(~o~)これが源頼信の墳墓です(^O^)墓前の説明板によりますと、源頼信は清和源氏の家系に生まれ、各戦乱で活躍し、武家の棟梁としての確固たる地位を築きます!(^^)!そして、この地で死去し、葬られたと記されています(・_・)すぐ横にビニールハウス
近つ飛鳥博物館の見学を終えました(^_^)vさあ、ここで最後の気合を入れて、残りの墳墓巡りをすべく、北上します(^_^)/古代の参拝は終わりです(^_^)この後は、中世の少し手前の時代の参拝になります(^_-)上ノ太子駅へ戻る途中での寄り道ともいえます(#^.^#)この先には、河内源氏三代という方々に関わる史跡が溢れているんです(^<^)で、これも知る人ぞ知る!この河内源氏三代の子孫が後の源氏の主流となり、鎌倉幕府を樹立する頼朝たちにつながっていくんですね(^_^)vここは、河
近つ飛鳥(太子町)にある伝敏達天皇陵=太子西山古墳に参っています(^^♪敏達天皇河内磯長中尾陵、欽明天皇皇后石姫皇女磯長原陵の表記です(^<^)石姫というのは、敏達天皇の母親です(~o~)伝敏達天皇陵の横は遮られていて、周囲を歩くことは全くできません(*_*)かろうじて見れるのは、斜め前からの姿ぐらいです(・_・;)えー、ご存知かもしれませんが、敏達天皇といいますのは、建皇子の祖父:舒明天皇の祖父です(~_~)祖母:皇極・斉明天皇の曽祖父ですね(~o~)
近つ飛鳥(太子町)にある伝蘇我倉山田石川麻呂墳墓の参拝を終えました(^_^)ご存知でしょうが、石川麻呂といいますと、私が好きな建皇子の母方祖父ですね(^<^)ちなみに、石川麻呂の墓と伝えられているものは、もう一つ、岐阜県各務原市にもあるようですが、これもさておきます(~_~;)この後向かうのは西南の方向です(^_^)/推古天皇磯長山田陵という石標があり、参道が続きます(^_^)参道を進んでいくと、陵墓が見えてきます(=^・^=)拝所からの姿です!(^^)
近つ飛鳥(太子町)にある植木家墳墓を後にして、東方へ向かいます(^_^)/孝徳天皇大坂磯長陵道という石標があります(^_^)v石段の参道が続きます(~_~;)石が敷き詰められた参道です(#^.^#)その先に拝所があります(*^_^*)円墳らしいです(=^・^=)孝徳天皇大阪磯長陵の表記です(^_^)ちなみに、孝徳天皇といいますと、大化の改新の後即位しますが、皇太子や皇后や先の天皇からも見捨てられ、難波長柄豊碕宮に置いてきぼりにされて