ブログ記事59件
12月23日木曜日〜その8『辻政信の真実失踪60年ー伝説の作戦参謀の謎を追う』を読み、DEKAVITACを飲む。9時半から11時25分まで二度寝。(写真)冬至が終わり、良いお天気なので、浴室でガラス越しの日光浴です。
12月23日木曜日〜その6(写真)17日のブログに書きましたが、小学館の関哲雄さんが編集され送って下さった『辻政信の真実失踪60年ー伝説の作戦参謀の謎を追う』。今夜から読み始める。4時半をまわって眠る。7時15分、目が開く。OneHarmonyNaturalMineralWater、Luna味わいとコクのむヨーグルトで喉を潤す。
12月17日金曜日〜その1520時、夕食。献立は、豚バラ・白菜・ニラのオイスターソース炒め、サワラの西京焼き、だし巻き玉子、カブの千枚漬け、具沢山みそ汁、ご飯。デザートに、レモンケーキ、NIRGILI紅茶。(写真)小学館ポスト・セブン局新書・書籍編集室関哲雄さんより『辻政信の真実失踪60年−伝説の作戦参謀の謎を追う』が届きました。
「作戦の神様」と言はれた辻政信八条院暲子、惚れた男は星の数ほどあれどこんなオトコはキライどす。まだ馬に乗れない源行家の方がマシ。辻政信さんワタシの知ってる辻政信は、ノモンハンで前線の兵士から「火炎瓶」で効果があったと聞いて、空き瓶とガソリンを前線に手配するというアホでした。狂気ですよね。田植えと稲刈りのシーズンにイクサはしないでください!!!第九師団(金沢)は昭和十二年八月からの淞滬會戰に活躍しましたが、師団編成が間に合わず実際に活躍したのは台湾守備隊で編成された旅団が羅店鎮を攻略
11/13休脚11/1412㎞ビルドアップ(4:13)FUELCELLREBELV2鈍りまくった脚でどうなるか。とにかく序盤4:30がきつかったです^^;アップ不足は多少の言い訳としてもフルでの巡航ペースで、結構ゼハゼハ^^;あわわ2㎞地点で今回記事のタイトルは「酷かった12㎞BU」になりそうかな、とよぎる。そこからはどうすればスピードが出るだろう?ではなく、どうすれば楽に走れるかのみを追求。徹底的に楽を指向^^;折り返し後は、遅ればせながら身体が温まった
アマゾンプライムのオススメにエスパー摩美が懐かしいな〜、中学生くらいかな。ちょっとエッチなシーンもあったのでドキドキ💓1話完結なんだけどラストを敢えて描かないで、この後幼馴染が再開するんだろうな〜ってとこで終わりになっちゃうんで視聴者のイメージを掻き立てる感じが通常のアニメと違う点かな。ま〜、こんな日もあるさ〜1時間ほど、ファイトフィット柏さんでトレーニング。今日はバンテージも巻いたのでそこそこ力を入れて撃ったので20分もしないうちにヘロヘロからの日本海柏駅西口店さんへ✨ファイト
読書記録止まらない歴史の歯車「虹色のトロッキー第6集」安彦良和著(潮出版)旧満州国を舞台として、当時の世界情勢や中国内の状況、歴史的状況を背景に民族問題などを骨太に描く、安彦良和さんの歴史大作「虹色のトロッキー」も後半です。この巻では、ここまでストーリーの中心にあったトロッキー計画(満州国にロシア革命の軍事的立役者ながらスターリンに嫌われ亡命中のトロッキーを招聘し、極東ユダヤ人の旗頭としてソ連と戦い、ソ連沿海州にユダヤ人国
金曜日の虎ノ門ニュース✨今回も地味に神回大雑把に言うと土石流や大雨被害、環境問題など一つ一つのニュースの元を正せば官僚と企業の利権による歪みの為に生じていると言う日本の闇。ニュース項目の一つをとりあえず。大雨に寄る水害は江戸時代からの治水技術や現代の技術で、この地域どの位の降水量があれば溢れて水害になるとわかっているのに国民にはその情報を流さずに命を守る行動を取って下さいとしか言わない。降水量新記録など最近の雨は酷いと言い続ければ省庁に予算がおりるから。またテレビで大雨大雨と流せば
ランクAの下戦乱が生んだ日本帝国陸軍の異端児です。最近亡くなった半藤一利が辻政信を「絶対悪」と大批判した陸軍超エリート・辻政信の人生を多くの資料、証言から客観的に明らかにしようとした労作です。簡単な人生を描くと・石川県の貧しい炭焼きの家に生まれる・高等小学校から競争率20倍の名古屋陸軍幼年学校へ(競争率約20倍、定員50人中27番目で合格合格者は中学2年生が大
金曜日の虎ノ門ニュース✨前半はワクチンの件。河野ワクチン接種推進大臣の会見でワクチン接種での不妊等の副反応はデマだと言い切った件。厚労省のHPでは治験が足らないので長期的な副反応に関しては分からないと発表している。産婦人科学会も、そう。大臣がデマだと言い切ると、それに関する議論かなされなくなる。官僚の課長級が言うならまだしも、国民が選出した議員から選ばれた大臣は国民の為の発言をしなくてはならない。【DHC】2021/6/25(金)武田邦彦×須田慎一郎×居島一平【虎ノ門ニュース】※
今から82年前の今日・・・学校では教えないであろう、大東亜戦争の序章ともいうべきノモンハン事件が勃発しました。〝事件〟とは言うものの、実際にはモンゴル国境地域で起きた、日本軍(関東軍)と(モンゴル軍を支援する)ソ連軍の歴とした戦闘・紛争でした。もともとモンゴルと中華民国との間で国境線は協定されていたのですが、1932年に成立させた満州国は、そのノモンハン地域の国境線を従来より10~20km程南方のハルハ河にする旨を主張。青・・・モンゴルが主張す
読書記録謀略と抗争の満州国「虹色のトロッキー第3集」安彦良和著(潮出版社)第3集に入りストーリーは大きく動きます。まず3集冒頭で、カギとなる石原莞爾のトロッキー計画(ソ連から亡命していた赤軍創始者にして大戦略家のトロッキーを満州に招聘する計画)の目的は、(第2集で明らかにされた)中国共産党内部の攪乱と中ソの仲たがいだけでなく、(満州国ハルビン他にいるロシアからの)亡命ユダヤ人の組織と資金力をトロッキーの名のもとに集結し、米国をも後ろ盾として日本と共にソ連に戦争を
https://youtu.be/an112o0dGZc【居島一平&小坂真琴】Weekly虎ノ門ニュース2021年1月24日#居島一平#小坂真琴#Weekly虎ノ門ニュース#Weekly#虎ノ門ニュース#真相深入り虎ノ門ニュース#歴史マジやばくね#辻政信#田北真樹子#竹田恒泰#大高未貴#石平#有本香#丸山穂高#DHC#DHCテレビ#crossfm
1934年11月20日、辻政信らの働きかけで、皇道派の村中孝次大尉・磯部浅一一等主計ら3人と陸軍士官学校生徒5人をクーデター謀議で逮捕された日。陸軍士官学校事件は、1934年(昭和9年)に日本陸軍の陸軍士官学校を舞台として発生したクーデター未遂事件。統制派と皇道派の対立を背景としたでっち上げであるとの説もある。十一月事件、十一月二〇日事件とも言われる。十月事件以降、その首謀者であった橋本欣五郎大佐、真奈木敬信大佐、長勇少佐、小原重厚大尉や、彼らと緊密な関係にある天野
皆さんおはよう御座います。横浜は今朝もまったく、いいお天気です。洗濯物を干すのに数分ベランダにいただけで、もう汗ばんでいます。すぐに乾くからありがたいと言えば有難いのですが・・・今日は終戦の日ですね中には敗戦の日と呼ぶ人もいますが、まあそれはいいとして・・・朝刊を開いたら「ノモンハン事件」を取り上げていました。興味深く読みましたが、もうだいぶ前にこの紛争について、わからないことだらけだったので、一冊の本を読んでみ
京浜東北線の沿線にて高杉晋作は、東行と号した。何でも、「偉い人は西へ行くから、俺は東に行く」というような意気込みらしい。生涯、反抗期の人であった。偉い人というのは、西行法師のことらしい。歩二三○はガダルカナル島の南東部を東行した唯一の部隊です。そして11月2日の夜に上陸してきた友軍と会い、米軍と遭遇した。戦史叢書はその日の出来事についてこう書いている。遺憾ながら、この日の日本軍の攻撃行動について日本側資料は皆無である。東海林支隊長の回想にも触れられていない。新陸上部隊と支隊主
谷中霊園前回の続きです。連隊旗の件で、悔しいながらも結論を出せない調べごとをしている理由は、歴史的事実関係がどうであったかということへの関心よりも、軍旗という得体の知れないものに対する当時の軍人の考え方を、少しでも感じ取りたいという個人的な事情によります。そういうことを仮に熟知し得ても、この人生に役立ちはしませんが、先の大戦における陸軍の一種の「動力」のようなものになっているようなので、捨て置けない。前回、歩一二四の岡連隊長(岡明之助大佐)が、自らの部隊に包囲網の強行突破を命じ
「潜行三千里」読み終えました。結構面白かった。軍人の辻大佐の事はよく本などで知っていたが、人間の辻政信としてみたら、良い発見したかな。国民党や支那人の生活などを詳しく書かれていた。支那人の行いは、今の支那人と大して変わっていないみたいな。不潔な民族だなと感じた。次に読むのは、「八甲田山消された事実」八甲田山雪中行軍遭難事件か。映画「八甲田山」見たし、新田次郎の「八甲田山死の彷徨」読んだ。隠蔽・捏造と帯に書かれているし。
大本営陸軍部作戦課の真田課長、瀬島・首藤両参謀の南洋出張者たちが、本土に戻ったのは昭和十七年(1942年)12月25日。一年前にウェーキ島を占領したころと比べ、わずかの間に太平洋方面の雰囲気は暗くなってしまった。最初は調子が良かったから、落差が大きい。陸軍の戦史叢書に、一行の帰国後の行動と報告相手の反応が簡潔に記されている。簡潔であるのは、撤退案に誰も反対しなかったからだ。まずは、「真田穣一郎大佐日誌」の要点が載っている。到着日の夜から活動しています。サイパンからの機中で、す
「彩雲のかなたへ海軍偵察隊戦記」を読み終えました。他の著者と交わる部分がいくつかあった。終戦直後、最後の要務飛行に携わった方ですが、過去に読んだ他の著者も最後の要務飛行に携わっている。陸軍海軍問わず。次に読むのは、「潜行三千里」まさかまさかの作戦の神様・・・もしくは大本営の妖怪と言われた辻政信陸軍大佐の幻の原稿とは。
*1月20日付記事の続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君の歴史トーク、今回は近現代史のしらたま教授に、アジア太平洋戦争での南方戦線をテーマにした特講を受けています。本日は、バターン死の行進のおはなし。あんみつ「しらたま先生、開戦から3ヶ月、1942年2月にシンガポールを占領した南方軍は、世界第2位の産油地域である蘭領ボルネオ島やスマトラ島を占領します。当時『空の神兵』(日活,1942)という映画になった、白い落下傘部隊が有名で
こんにちは。ゆきおです。今回は太平洋戦争中に名だたる名将で“作戦の神様”と崇められた“辻政信”の生誕の地の石川県山中温泉今立町に行ってきました。“辻政信”とはノモンハン事件、太平洋戦争中のマレー作戦、ポートモレスビー作戦、ガダルカナル島の奪回作戦など大本営陸軍部参謀として指揮していた人物で終戦後は作家になり数多くの本を出した後衆議院となっておりその後中国大陸やラオスなどに行き失踪しており1968年7月20日に死亡宣言が行われたそうです…それ以降数多くの逸話、噂、仮説などありました。石川
古い雑誌を見つけた。文藝春秋臨時増刊「風雲人物讀本」昭和30年6月石原莞爾の他にも東條、近衛、北、出口、菊池など30余名の著名人をその知人関係者が語る辻の満州国に対する疑問は平均的である一国防、外交、内治の実権を日本軍や日系官吏に握られて果して満人は満足しているのか一満人が喜ばずして民族協和は成り立つのか一条約に基づく治外法権や附属地行政等を近く放棄することが可能か一満軍を作りそれを強くすると叛乱の恐れなきや一協和会は政府の従属機構か一将来北支にも中支にもこのような
前回の続き。宇垣参謀長に敗因報告をもたらした大前参謀とともに、第十七軍参謀長の宮崎周一当時少将がガダルカナルに飛んだのは、10月29日、ショートランド経由。海軍の飛行艇に乗った。今回の参考図書は「宮崎中将日誌」。このとき彼の最大の用件は、大本営派遣参謀の小沼・辻コンビが主張する、島東部のコリ方面の強化・挟撃策(具体的には、第三十八師団主力のコリ方面上陸案)に反対するためだった。根拠は明確で、輸送船・直掩といった観点からして、実現は至難だからだ。ちなみに、宮崎参謀長は、大前参謀を「好漢なり」
元・大本営参謀の辻政信氏が記した、自身の戦後の逃亡記であり、僕よりも古い世代では有名な書籍であり、当時も戦後の日本でベストセラーになった。つまり、太平洋戦史に触れていると必ず、そういうものがあると聞く書籍の一つだ。過去に何度か再販されているようだが、幸い自分の目に止まった2019年8月15日初版の毎日ワンズ出版の著・辻政信「潜行三千里(完全版)」を入手した。少し読んでみたが、やはりそこには戦後の日本で言われてきたこと、21世紀の日本人は聞くこともなく、あるいは忘れていたことを思い出させてく
【Q15019】プロ野球公式戦も時々開催され、ここで本西厚博・町田公二郎がプロ初安打、山内泰幸・東野峻・村中恭兵が初完封を記録している、福島市にある3万人収容の球場で、2020年東京五輪で横浜スタジアムと共に野球・ソフトボールの試合会場となるのはどこ?【福島県営あづま球場】【Q15020】参議院議員在任中の1961年に視察先のラオスで行方不明となり死亡宣告された、ノモンハン事件、マレー作戦、ガダルカナル島の戦いなどを指導し「作戦の神様」と呼ばれた陸軍参謀で、戦後は戦犯から逃れるため僧侶などに
∂潜行三千里辻政信著∂若い頃から、洋の東西を問わず、スパイ物が好きで、サマセット・モームや第2次世界大戦中、中国を回ったアイヌ人の和気さん、チベットへ8年潜行した僧侶の物語などの本を読んだのを覚えている。潜行三千里は、タイや中国を終戦時、僧侶に化けて潜行した、高級軍人の物語で、捕まれば戦犯の危機に晒されている中を重苦しいが、活劇のようにも読ませる。潜行三千里新書版1,188円Amazon∂内容紹介「マッカーサーなんぞに死刑にされてたまる
ノモンハン事件、満州事変、等を引き起こしたと思われ、大東亜戦争が始まってからもビルマ、ガダルカナル戦においても被害の拡大に貢献したようです。満州事変当時の上官が東条英機ということで悪の枢軸が生まれてしまったようです。その辻正信の銅像がこの山中温泉にあるようなので是非行ってみたいと思いました。ホテルのフロントで聞くとわからないとのことでした。グーグルマップで調べると車で11分とのことでした。ついでに行くところでもないので止めにしました。青マークのこうろぎ橋がホテルです。
旧陸軍で「作戦の神様」と称される辻政信が太平洋戦争の敗因を息子に伝えた手記が、このほど息子の意思で公開された。中国人を味方につけられなかったのが、ソ連をドイツと一緒に攻撃しなかったのと並ぶ失敗だという。「父より子供達へ於南京」と題されたこの手記は、中国国民党に庇護されていた1946年に南京から中国軍人を通して辻の家に送られたもの。手記では陸海軍の派閥対立や戦前の思想弾圧、科学振興の失敗を非難しつつ、どうすれば良かったかを述懐。南京陥落後に汪兆銘らが各所でつくった政権に任せきれず、大東亜省
<第35代平沼騏一郎>(1939.1.5~1939.8.30)ノモンハン事件〔辻政信〕。「独ソ不可侵条約欧州政治は複雑怪奇ナリ」平沼内閣総辞職。