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こんにちは、Marisaです素晴らしい成功をおさめた後に、転落していく人たちがいます。なぜでしょう?どのような宇宙の原理が働いているのでしょうか。それまでは利他的で信頼できる人だったのに、いつの間にか利己的になり、他人を自分の思い通りに動かそうとする人がいます。それまでは倹約家だったのに、なんだかんだと言い訳をしながら浪費してしまい、会社のお金に手をつけてしまう人もいます。例えば相応しくない浪費が始まるとき、「もっと人から尊敬されていいはずだ」
となりの寿老人はボクの師匠気づいたときにはもう干された状態いったい何が起きてるんだ!?師ごと干されたんだよ!!やめろ~!やめてくれ~!!干すと発狂ホスト狂いは身を滅ぼすホストに狂い坂道を転がるように落ちてゆく46歳下り坂46また明日ね~人気ブログランキングへお仕事のご依頼はこちらから
こんにちは。【天気】くもり20℃【体重】74.4(+0.4)【血圧】161-120【睡眠】6時間半(23時半〜6時中途覚醒1回)【お通じ】1(軟)【フクにゃんの生存確認】昨日はいつもより、カリカリしてくれたよ。今朝は6時に、寂しさに包まれながら起きた。姪が引越していったことで、もう外出する楽しみもなくなったという喪失感、絶望感。気持ちが不安定で無気力な一日の始まりとなった。昨日は、ぬぼーっとつまらない時間を過ごしていると、ピンポンがなった。玄関のドアを開けると、ちょっとし
ロンゲスト・ヤードパラマウントガルフ+ウェスタン・カンパニーパラマウント・ピクチャーズMEANMACHINEバート・レイノルズエディ・アルバートエド・ローターマイケル・コンラッド
買った時の倍にはなったが同じ地区にもう家は建たない現実に打ちのめされてます夫は注文住宅パッシブハウス一択ただニート君も私も稼ぐ予定無し実家の親がダブル認知症でこれから介護に手がかかるからね働きに行け無いと思います義母は年金があるから別に住んだ方が幸せだと思う本来は義妹1か本当の妹と住んだ方がいいと思うけれど夫のために我が家に一緒に住むと言うだってお母さんさんのお金無いと家建てられないFPだから豊富な知識はあったはずですが息子の引きこもりで将来は夫婦だけの係り
金曜の夜、雨が上がったばかりの東京駅近くを歩いて帰る。猛暑に入る前の束の間の涼しさが気持ちいい。社会復帰して最初の1週間が終わった。「つかれたー」という感想。新しい環境なのでやはり気が張るのはもちろんですが、今週は推し活にも全力投球してしまい、その分、体力的にはこたえた。心地よい疲労感とともに、「ああ、自分はちゃんと社会の一部に戻ってきたんだな」と静かに実感する。先週までは無職。まだ遠い昔には感じないけど、こんなことならもっと遊んでおけばよかったとも思ったりも。
朝、目が覚めた。「今日は、自分の進路を決める日だ」心がざわざわして、なぜか落ち着かない。1社目の回答期限の日だけど、特に時間は決められていない。朝でもいいし、夜でもいい。でも、早めにしたほうがいいよなぁ。昨晩の会食の内容も反芻する。昨晩の時点では1社目に行くことに決めた。一晩寝かしても気持ちは変わってないよね。後悔ないよね。色々と考える。朝食を済ませ、なんとなく落ち着かないので近所のスタバにいきパソコンを開く。無職中、なんとなく「仕事してます感」を出したくて、
内定をもらい、家庭にもようやく平和が戻ってきたころ。以前からお声がけいただいていたもう1社との会食がようやく実現した。こちらは前々職でお世話になった先輩が参画している会社で、もう2ヶ月ほど前にお声がけいただいていたのですが、代表の方のスケジュールが多忙で本日の会食となった。代表の方、そして先輩との3名での会食。代表のこれまでのご経歴や実績を伺い、率直に「すごい人だ」と感じた。その後、ご自身がやられてる事業への思いや志を共有いただき、私に期待している役割などをご説明いた
最終面接のその日、家に帰ると家内が食事の用意をして待っていてくれた。私も久々に食卓につき家内の料理を食べる。とりあえずオファーをもらえたこと、勤務地、給与面などの報告をする。家内も喜んでくれ、家庭内に平穏が訪れた。翌日、家内と二人でドライブに行き帰りにアウトレットに行くことに。つい数日前には激しい言い争いをしていたのに、単純なものだ。世の中の夫婦ってたいていこういうものなのかなと思ったりもする。翌朝、昼過ぎに家を出て、まずは再起を誓いに以前お参りした神社に御礼
2社目の最終面接の朝、4時ころに目が覚める。無職になった日以降、毎晩、2時頃に目が覚め、1時間ほどしてからまた寝て、4時か5時頃に目が起きるという生活をしている。でも今日はこれまでの気怠さよりは、期待と不安が目覚めの僕を包む。今日の最終面接の前に神社にお参りにいこうと昨晩から決めていた。家から車で30分ほどの場所にある、いつも何か困ったときにお参りする神社。早朝のその神社は、神聖で凛とした空気に包まれていた。一礼して境内に入り、本堂へ。ちょうど朝の読経が始まっていた
翌日、朝、目が覚める。昨日まであった頭痛と気怠さはかなり和らいでいた。今日は、昼から事前説明だ。昼になり、オンラインでのミーティングが始まる。今回、想定されているポジションと現状の課題、それと待遇面の説明だった。ポジション、待遇ともに僕がずっと追い求めていた内容だった。そして、現状の課題感もほぼ自分の想定と相違はなかった。ただ、まだ採用が決まったわけではない。明日は投資元の代表との最終面談だ。落ち着け、落ち着け。まだ何も決まっていない。明日の面談でダメになる
妻との言い争い以降、朝起きると気怠さと軽い頭痛が続いていた。起き上がるのもしんどい。「もう今日は寝ていよう。どうせやることもないし」そう思い、昼に軽くご飯を食べたあとは、再び布団に潜り込んだ。そのまま、ずっと寝ようと決めていた。ウトウトし始めたそのとき、突然、電話が鳴った。出てみると、2社目のエージェントの方からだった。「今、メールも入れましたが、2社目の面接結果と日程調整の件です」すぐにメールを確認する。内容は、1次面接の結果を踏まえ、最終面接に進んでほし
1社目との採用面接結果は「採用見送り」となり、気分はどんどん沈んでいった。「あんなに和やかで好印象な面談だったのに。あんなに高評価のフィードバックだったのに。」何もかもが手につかず、頭に浮かぶのはよからぬことばかり。「このままどこにも決まらなかったら、どうしよう」「自分は、もう社会から必要とされていないのかもしれない」「あのまま大企業を辞めていなければ……」自信をなくし、ネガティブな思考がぐるぐると渦を巻いていく。まだ2社目の結果も出ていないし、3社目との会食も控えて
少し前の話になるのだが、、、僕は失業してから約1ヶ月以上、失業したことを公には伝えておらずごく一部の近しい友人にのみ知らせていた。その1ヶ月の間、誰とも会いたくなくてほぼ引きこもり生活だったのだがその間に一人の友人と飲む機会があった。彼とはもう30年以上の付き合いで、若いころから僕が色んな壁にあたったり悩んだときに、なぜか彼と飲むことが多かった。それは結構、偶然なのだけど、上司に怒られて帰った帰り道にたまたま会ったりとか、たまたま一緒にどっか行く約束をしていたとか。
就職活動第2ラウンドが動き始めたが、毎日、面接があるわけではない。今日は、前回に続きハローワークに行き、失業保険の給付の説明会に参加。14時30分集合なのだが、事前に所用がありギリギリに到着。ハローワークの2階の会議室のようなところで説明会なのだが会場にはぎっしり満員の人たち。約150人~200人くらいはいるかな。「こんなに人いるんだぁ。」「この人たち、みんな失業保険を受けるんだ」「この人数が毎月、全国のハローワークにいるってことは、日本の社会保険制度も大変だ
無職でいると何が困るかというと、とにかく時間だけがある。地位も名誉も金もないが時間はあるという世界。30年以上、仕事に没頭していた身としては、時間が余ったときにその使い方がわからない。忙しかったころは、「あれを読みたい」「これをやりたい」とメモして、時間ができたらやろうと思っていた。けれど、いざ時間ができると、その「やりたいこと」も不思議と消えてしまう。部屋にじっとしているのも、気が滅入るし、桜が綺麗な季節なので前から気になっていた神社に行くことにした。ただ
無職になって、次の就職先を探してはいるものの、「自分は本当は何をしたいの?」という自問自答はずっと続いていた。前職でのゴタゴタもあり、正直、人と関わることに疲れている自分もいる。自分の貯金や資産を改めて計算してみる。年金や、若いころからかけていた年金型保険の支給が始まるまでの年月も数える。―このまま職に就かず、田舎で生活費を抑えて、暮らしていけないこともない。もともと、老後は都会を離れて田舎に住もうと考えていた。いっそのこと、いま移住してしまってもいいのではないか―
アイドル好きで無職の54歳。冷静に自分を見ると、結構、ドン引きする構図である。無職になって約1ヶ月半が経過した。今年の初めに購入していた推しのライブの開催日が近づいてきた。チケット買ったときは、まさか無職で迎えるなんて夢にも思っておらず。。。心の財布の紐は相変わらず堅いのでグッズなどは一切買わず、ライブだけは行くことに。なんだかんだで楽しみにである。ストレス発散もあるし、純粋にこの2日間は楽しもう。そんな気持ちで横浜スタジアムに向かった。開演前から皆、楽しそう
無職になって、約1ヶ月が経過した。早く次の仕事を見つけて落ち着きたい身としては、「もう1ヶ月も無職なのかぁ」という感覚が強い。これから、どうしようか。知っている転職エージェントには連絡したし、転職サイトにも登録している。あとは連絡を待つしかないのだが――落ち着かない。待っても案件が来なかったらどうしよう。不安で、そわそわする。「時間がかかっても、自分が納得できる仕事を探そう」と思っていたくせに、少し間が空くと、すぐにネガティブな気持ちに支配される。気が弱いな
当面続きそうな無職生活に備え、失業保険の申請に行くことにした。事前に電話で確認すると、持ち物は離職票マイナンバーカード振込先口座の通帳だった。時間はかかったが、ようやく前の前の会社からも離職票が届いた。書類を持って、人生初のハローワークを目指す。いわゆる職業安定所。家からは微妙に遠く、電車だと約45分、運賃230円。自転車なら1時間。迷った末、電車で向かうことにした。ハローワークに到着。まずは総合受付で要件を告げ、必要書類の確認をし、番号札をもらう。手順としては、
再就職活動の二次面接が近づいてきた。一次面接を終えた時点で、3社の比較は難しかった。どこも良さそうだが、逆に言えば、「絶対ここに行きたい!」という強い気持ちは湧かなかった。強いて言えば、A社→B社→C社の順で、少しだけ差があるかな、という程度。最初の二次面接はA社。取締役2名と1時間、さらに社長・人事部長と1時間の、計2時間・2本勝負。最初の取締役2名との面談はスムーズで、引き続き興味はあった。でも、その後の社長との面談で、何か妙な違和感を覚えた。急に、気持
新たな就職候補先との面接を受ける一方で、僕は週1-2回、バイトを始めた。朝5時から8時まで。宅配便の仕分けバイトだ。タイミーで見つけた。昔、「あの人は今?」みたいなテレビ番組で、かつては華やかに活躍していた芸人が、駅のポスター貼りのバイトをしている姿が映されていたのを思い出す。今、思えば悪趣味な番組だけど、なんとなく今の自分ってそんな感じかなって思ってしまう。(テレビに出て華々しく売れるほどの自分でもないけれどww)バイトを始めた理由は・・・・こういうことをいうと少し
「ありがとうございました。よろしくお願いします」エレベータまで見送られて乗り込み、ドアが閉まる直前に深々とお礼をする。1社目の面接が終わった。自分の経歴、過去の実績、その中でどういうことをやったか。それと当然のように直前の会社をなぜ4ヶ月で辞めることとなったのか。言える範囲で説明をする。特に変な感じもなく、違和感もなくまぁまぁの内容で、僕自身も先方の会社の内容、想定している業務内容に大きな違和感はない。先方の人事の方も非常に丁重に対応をしていただいた。一
筋トレを再開した。もう10年以上続けている習慣だが、ここのところのトラブルで疲弊しておりしばらく遠ざかっていた。久しぶりにバーベルやダンベルを握ってみると、不思議なことに、その時間だけはネガティブな気持ちが少し薄れる。そして、トレーニングを終えた後に鏡に映る自分を見ながら、わずかだけど力が戻ってくる感覚があった。もちろん、家に戻ればまた不安や焦りが顔を出す。けれど、何もせずに部屋でじっとしているよりは、遥かにましだと感じられるようになってきた。夕方には散歩も習慣にす
こんにちは♪流れに身をませていたら、ぶどう農家になっていたカナエです。自己紹介①自己紹介④自己紹介⑦自己紹介②自己紹介⑤自己紹介⑧自己紹介③自己紹介⑥自己紹介⑨今日は、私がどうしてぶどう農家に流れ着いたかをお話していきたいと思います〜夫との出会いから〜私は27歳くらいから積極的に出会いを求め、コンパ活動をしていました(コンパって言葉は今も通用するのかな?、、)例えば友達からコンパに誘われたら、そこから次の縁を広げるために、連絡先は必ず聞
パソコン入手したその日に、履歴書と職務経歴書を作成した。4ヶ月前まで転職活動をしていたので、過去のものを更新するだけなのでそれほど時間はかからない。「4ヶ月で退職」の事実だけを追記すればいい。ただ、このたった4ヶ月の出来事が、僕の30年近いキャリアに小さくない影を落とす。そのわずか1〜2行を見た人は「何かあったんだろう」と思うし、決していい印象は持たない。でも、嘘をついても仕方がない。どう取り繕っても、これが今の僕だ。知り合いの転職エージェント数名にメールでコンタクトを
無職になってなんだかんだで10日ほど経過した。。アパートの引き払いも済ませ、役所や保険の手続きもひと通り終えた。ようやく目の前の用事が片付いたら、自分の置かれた現実が顔をもたげる。働かなきゃ。でも職務経歴書には4ヶ月で退任になったことを記載しないといけない。こんな短期間で辞めた人間を雇ってくれるところなんてあるんだろうか。働くのが怖い。人と関わるのが怖い。自分にはもう価値がないんだ。。ネガティブな思いばかりが頭を支配する。でも、働かないと。息子は4月か
家族への報告が終わった翌週の木曜日、僕は嫁さんと東名高速を西へ向かっていた。自宅からアパートまで約8時間のドライブ。引っ越しは自分の車で行って荷物を積んで帰ってくることにした。正直、一人で行くのは気が進まなかった。未だに頭がぼーっとしており、ここ数ヶ月を思い出すと物思いに耽ってしまい運転が危なかったこと。。それといい思い出がないあの地に一人でいって一晩過ごすのがすごく嫌だったから。そんな僕の気持ちを察してか、嫁さんが「私も一緒にいって荷造り手伝うわ。どうせ一人じゃ
その後、3日間ほどは、ほぼ食卓の椅子の上で時間を過ごし、そして週末が来た。今日は家族が帰ってくる日だ。いよいよ家族に報告しなきゃ。昼過ぎに空港に向かう。スマホで調べると飛行機はすでに10分前に到着している。到着ロビーで出てくる人を眺めながら家族を待つ。仕事帰りのビジネスマン、旅行から帰国された人、日本に観光に来る外国人。みんな、どこか浮かれてる。このロビーで、こんなに心が沈んでるのは、どう考えても僕だけか、、自分だけ別の世界に取り残された気がした。しばらくすると