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母が老健を退所した日は弟の誕生日でした。母の帰宅は最高の誕生日プレゼントになりました。私の誕生日(4/27)も母は一緒にお祝いしてくれました。老健退所から入院まで短い間でしたが、私と弟、子供二人の誕生日は一緒に過ごすことが出来ました。これも母心、母が望んだことのような気がします。父の誕生日(4/21)も。母は家族みんなの誕生日をお祝いしてから入院しました。全てが母の意思だったような気がします。
母が老健を退所したのは3月23日でした。背中の痛みから歩けなくなり救急車を呼んだのが5月10日でした。母は皆さんにお別れをするために老健から帰って来たのかな、と思ったりします。5月10日に入院するまでの間、母は会いたかった方々に会うことが出来ました。行きたかったところにも行くことが出来ました。母の2番目の姉夫婦と母方祖父母のお墓参りにも行きました。商店街の朝市も巣鴨も回転寿司も鰻屋さんも。お世話になった眼科と整形リハビリクリニックにも行きました。公園のお散歩も、いつも行っていたス
母のこと、後悔は色々あります。今いちばんの後悔は、昨年10月の意識消失発作で救急搬送されたとき、在宅ではなく施設入所を選んだことです。お医者様は「降圧剤を止めれば在宅でも大丈夫ですよ」と仰いました。私は怖くて「自宅で看るのは無理です」を繰り返し訴えました。「ではご家族の希望で入院ということにします」母は大学病院➡リハビリ病院➡老健と、昨年10月から今年3月まで転々としました。この頃は[早く特養からお声が掛からないかな]と思いながら過ごしていました。弟の本心は入院当初から在宅介護です
昨日は母が通所していた小規模多機能型ホーム・○○の花にご挨拶に伺いました。3月25日~5月10日までという短い間でしたが、本当にお世話になりました。施設長さんは大学病院にお見舞いに来てくださったり、医療特化型有料老人ホームの見学にも同行してくださいました。通夜にも参列してくださり、花束まで頂戴しました。昨日施設長さんはお休みでしたが、母の最初のお泊まりの日に担当してくださった職員さんからお話を伺うことが出来ました。涙ぐみながら話してくださる内容は、母が○○の花に馴染んでいた様子です。
「告別式から帰って来て玄関を入ったとき、肩の荷が下りた、っていうか、すっきりした、っていうか、爽やかっていうか、清々しい気持ちになったんだ」お骨になった母を連れて帰り、弟はホッとした、何かから解放されたような気分になったのでしょう。親戚の葬儀には何度も参列していますが、執り行うのは初めてです。弟が感じていたプレッシャーは相当なものだったと思います。「目の前にお骨があって、大きな遺影もあるから、本当にお母さんが帰って来たんだな、と思うと嬉しい」後飾りは母と弟の部屋にあります。母もようや
今日は区役所から母が居た老人ホームへ。最後の荷物の片付けと退所手続きです。退所手続きは用紙に署名・捺印するだけでした。問題は荷物です。テレビ・冷蔵庫・衣装ケース2つ・パイプ椅子2つ・エンシュア1箱。弟がヤ○ト運輸さんに電話すると、ら○らく家財宅急便に電話するように言われました。ら○らく家財宅急便に電話して荷物の大きさなどを伝えて料金を聞きました。高くてびっくりしましたΣ(゜Д゜)1度電話を切り、私はホームの管理者さんにあるお願いをしに事務所へ。「もしよろしければ、冷蔵庫と衣装ケ
本日4つめの記事ですが、忘れないうちに記録として残します。雨が降ったり止んだり、ときどき土砂降りになったりのお天気の中、母の告別式は滞りなく執り行われました。息子と娘、兄と妹と義姉、甥と姪、ご近所の方々に見守られ、母は喜んでいたと思います。弟は立派に喪主の役目を務めました。母も見てくれていたと思います。頭では理解していても、やはりとても辛く悲しいものでした。いとこ達が温かく見守ってくれました。葬儀のお手伝いもお願いしました。告別式の帰りは車で送ってくれました。有難いことです。
母、おうちに帰って来ました。ようやく帰って来ました。お母さん、おかえりなさい(^-^)これからもずっと一緒だよね。私達の傍に居てくれるよね。お母さん、大好きだよ。もうどこにも行かないでね(^-^)
本日告別式を執り行います。告別式の時間帯、お天気大荒れの予報です母は晴れ女です。私が雨女です(^-^;今の心配は行きのタクシー。雨の日は拾えない、電話をしても繋がらないんです。斎場まで他の交通機関がありません。ーーーーー母が焼かれてしまうこと、まだ受け入れられません。弟に「焼かないと犯罪者になっちゃうよ」と言われましたそれでも受け入れることが出来ません。お母さんが居なくなっちゃう。喋らなくてもいいからこのまま居てほしい。お母さん、お母さん、お母さん!往生際の悪い私です
本日滞りなく通夜を執り行いました。戒名栄月靖安信女(えいげつせいあんしんにょ)[栄]栄える・前向き・頑張り屋・勤勉[月]女性らしさ・美しい・照らす[靖]俗名の一文字[安]安らか・おだやか・安穏親族、小規模多機能型ホームの施設長さん、ご近所の方々、皆さんに見守って頂きました。母のペンフレンドことたつじさんも来てくださいました。ありがとうございます。私達の幼なじみも駆けつけてくれました。「私のお葬式にはみんなに来てもらいたいの」と口にしていた母の願いが叶いました。
昨日は葬儀社の方が後飾りを作りに来てくださいました。全てが初めてのことなので、葬儀社の方に伺いながら準備しています。棺には洋服・きよし君の写真集・家族全員の名前をつけた小さなテディベア4つ・お風呂で遊んでいたヒヨコも入れることにしました。老人ホームの片付けも、持てる物は全て持ち帰りました。冷蔵庫・テレビ・衣装ケース2つ・椅子・エンシュアは後日宅配便で。宅配便の手配をする日が退所日になります。母のところにも行って来ました。銀行も。老人ホームに入居した日、母の住所を移して生活保護を申
昨日も母に会いに行きました。痩せたからか、認知症になる前の母の顔です。[○子ちゃん]ではなく[お母さん]の顔です。それがほんのちょっと寂しかったりします。語弊があるかもしれませんが、母の認知症介護は楽しい思い出のほうが多いんです。もちろん大変なこともありましたが、母は日常生活に楽しみを見つける人で、私達も笑顔で過ごすことが出来ました。認知症になる前の母は生真面目で面白いところはありませんでした。認知症になったことは悲しいことですが、うちの母の場合は苦労から解放されて幸せな日々でした
今日父をショートステイ先に連れて行きました。弟は1週間くらいお休みさせて頂くことになりました。二人で母が居た老人ホームへ行き、荷物を少し持ち帰りました。管理者さん、看護師さん、介護士さんと、沢山母のことをお話して来ました。皆さん[強い方でした]と仰ってくださいました。我慢強い、意思が強い、色々な強さを母は持っていました。管理者さん「昨年11月のオープンから30人くらいの方をお看取りしましたが、お母さんがいちばん穏やかな表情でした。本当に良いお顔で旅立たれましたね」看護師さんは涙を流
母が息を引き取ってから、弟は何度も泣いています。それが人間の感情です。私は涙が出ません。いくつかの抗不安薬と抗うつ薬などを服用しているため、感情が抑えられているのかもしれません。今はそれでいいと思います。お薬に頼らないと自分を保てません。それでも不安感や寂寥感に襲われます。母の居ない世界が寂しくて怖いです。棺に入れる手紙を書きました。お母さんへありがとうお疲れさま必ずまた会おうね短い手紙ですが母には伝わると思います。お別れではないので[さようなら]は書きません。母は
数名の方へ、私信です。ブログ拝見しました。ありがとうございますm(__)mーーーーー母が安置されているホールへ父を連れて行きました。湯灌と納棺です。父は母の顔を撫でながら「俺もすぐ逝くから待っててね」と何度も話し掛けていました。「眠っているみたいだ。今にも話し出しそうだな」母は穏やかな表情で眠っています。髪を洗ってもらい、さっぱりしたでしょう。足の爪も切ってくださいました。明日からショートステイに行く父には最期のお別れになりました。risamamaさんから頂戴しました。
温かいコメント、いいね、ありがとうございます。個々にお返事できず、申し訳ございません。息を引き取るとき、母の左目から涙が流れました。私達への「ありがとう」の涙だったと思います。老人ホーム管理者さんからの電話に気づいたのは、ホームへ向かうバスから降りた直後でした。マナーモードにしていたので気づかなかったです。すぐ弟の勤務先に電話をして呼び出して貰いました。弟は予定外の外出仕事に出掛ける直前でした。母は私達が揃うのを待っていてくれました。父にどう伝えるか迷いましたが、パジャマに着替
先程息を引き取りました私も弟も間に合いました穏やかな表情で逝きました享年76見守ってくださった皆さまありがとうございました
口からお薬を飲めなくなった母。座薬で痛みのコントロールをしているそうです。今はカロナール400、カロナールが効かなくなったらもう少し強い鎮痛剤、その後は医療用麻薬だそうです。座薬が効いているようで、穏やかな表情で眠っていました。「効果が切れると手を動かしたり苦痛の表情をなさいます」「不随運動もありますね」「でも首で意思を伝えてくださいます」「座薬の影響で意識レベルの低下はあります」痛みに苦しむのは可哀想なので、穏やかに眠っているのは良いことなのでしょう。
母は右目は完全に失明しています。左目はほんの少し見えています。その左目が白く濁って来ました。もしかしたらもう見えていないのかもしれません。昨日は痛みで顔を歪めることが何度もありました。看護師さんが鎮痛剤を飲ませようと色々工夫してくださいましたが、もう母は飲み込むことも出来ないようです。「先生にご相談して強い鎮痛剤を投与するかもしれません」「そうなると意識レベルは下がります」「尿量も減り血圧も下がって来ています」「手足の浮腫みが酷くなっているということは、体内も同じような感じだと
子供にとって[母親]の存在は、心棒なのだと思います。私の中ではそうです。弟も同じだと思います。私達はずっと両親と同居だったので、このように思うのかもしれません。母が居なくなるということは、心棒が無くなるということです。その日が来ないことを祈ります。
母の手足の浮腫みが酷くなって来ました。尿量も少ないです。熱は下がりました。昨日の母は何度も顔を歪め、何かを訴えているようでした。看護師さんと一緒に母に話し掛けると、どうやら胸が痛むようです。肺かあばら骨か。昨日もお薬拒否だったので、骨の痛みが出ているのかもしれません。
母が喋らなくなってから、弟は母の顔のマッサージをしています。母が手で頭を掻くと、ブラシで掻いてあげています。母は気持ちよさそうに首を上下に動かします。私はどうでもいい話を母にしています。月曜日は「訪問の先生、かっこよかったね」母はうんうんと頷きました。「おじいちゃん先生じゃなくて若くてかっこいい先生で良かったね」母の頬が緩みました。ニヤリ、としたように見えました。「お母さんも女の子だもんね。かっこいい男性のほうがいいよね」母はまたうんうんと頷きました。
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訪問診療の先生からアリセプト再開を提案されるとは思っていなかったです。あまり深く考えず「そうですね」とお返事しました。昨夜考える切っ掛けになることがあり、今朝弟と話し合い、アリセプト服用は中止しようと決めました。老人ホームに電話して看護師さんにお話、父を送り出したあとすぐ向かいました。管理者さんに「ころころ変えて申し訳ありません」とお話しました。「ぜんぜん大丈夫ですよ(^-^)」「もしかして眠れなかったとか?」「あまり考え過ぎないでね(^-^)」「なんでも相談してくださいね(^-
母は首に腫瘍があり、それが首の骨を溶かしてしまいます。大学病院入院中、整形外科の先生の指示で、ネックカラーを装着しました。老人ホームではネックカラーの下にタオルを巻いてくれています。そのタオル交換のとき「これ(ネックカラー)が邪魔でご飯が食べられないの?」と聞いてみました。母は大きく頷きました。痒いし邪魔だし、で、ネックカラーは母の大きなストレスになっています。ホームの管理者さんも訪問診療の先生も[ネックカラーを外せないか]と考えてくださったようです。先生とのお話のとき「大学病院の
訪問診療の先生とお話しました。母が食べない飲まないのは「体が受け付けないのだと思います」と仰っていました。「無理に食べさせようとすると、今度は頻繁に誤嚥するようになるかもしれません」「浮腫みも少し出て来ているので、今後は点滴も体の負担になるかもしれません」「首でしっかり意思表示はされています」「デプロメールは試してみても良いでしょう」「アリセプトも以前服用されていたのなら再開してみましょう」ということで、デプロメールとアリセプトを再開することになりました。
今日は訪問診療の先生とのお話があり、父を送り出したあとすぐ母のところに行きました。[気になるけど仕方がない]ことがいくつか見えて来ました。入居後母は頻繁にナースコールを押していました。無意識に押しているときもありました。ホーム側はダミーのナースコールを置いて対処したそうです。母が口を閉ざした(心を閉ざした)のはその後です。[呼んでも来てくれない]と思ってしまったのかもしれません。でも仕方がないことです。それくらい母の[用事のないナースコール]が頻繁だったということです。今日初め
今日も管理者さんとお話しました。*これまでの母のうつ症状のこと*昨年10月まで抗うつ剤(デプロメール)を服用していたこと*自宅にデプロメールが残っていること私からはこのようなことをお話しました。「月曜日、先生に聞いてみましょう」「脳にどう作用するかは心配ですが、何もしないより何か試してみるのは良いことかも」「月曜日、デプロメールを持って来てください」「先生からOKが出たら飲ませてみましょう」私の素人考えを受け入れてくださいました。看護師さんも積極的に母に話し掛けてくださいます
今日は親戚が来てくれるので、早めに母のところに来ています。看護師さんから聞いた話です。*38.9度の発熱*解熱鎮痛剤を飲んで37度台まで下がった*血圧は上が80台だった*肺炎かもしれない*尿の量が減っているので尿路感染症かもしれない*無呼吸になるときがある*痰の吸引はやった*コーラを少し飲んだ
昨日は老人ホームの管理者さんとお話しました。管理者さんも「お母さんは自らの意思で心を閉ざしているようですね」と仰っていました。母は喋れないわけではなく、自らの意思で喋らないと。リクライニング車椅子でお散歩したとき「もう帰る」と喋ったそうです。「お父さんと会わせるのはどうでしょう?」「刺激になるといいな、と思って」父の刺激にはなると思いますが、母の刺激になるかは分かりません。衰弱した母の姿を見て父がどうなるかも心配です。私は母がうつ状態なのではないか、と思ったりします。母の認知症