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母の訪問診療の先生から電話がありました。*今朝からはぁはぁとして呼吸状態が良くない*痰のからんだ咳も出ている酸素呼吸器も痰の吸引も母は拒否しているそうです。喋るのではなく首を上下左右して意思表示をしているそうです。「1度お会いしてお話したいのですが」来週月曜日の訪問診療のとき、先生からお話を伺うことになりました。
父の骨粗鬆症のお薬を処方して頂くため、整形リハビリクリニックへ行って来ました。「お母さんはどう?」「良くないです」「痛みは?」「痛みは訴えていません」「それがいちばんだよ」先生は首以外の骨にも転移しているだろうと仰っていました。「痛みがあると本人が辛いからね」「覚悟したほうがいいと言われましたが、覚悟出来ないんです」「人間はみんな死ぬんだよ。ずっと生きていられるわけじゃない。受け入れないとね」受け入れるのは難しいです。
どうして?どうして?どうして?という思いが溢れて来ることがあります。認知症でも緑内障でも、元気に明るく前向きに生活していた母を返してよ!という気持ちにもなります。誰にもぶつけられない思い。誰が悪いわけでもなく、何が悪いわけでもなく。ただ母の体の中に癌が出来てしまった。
母は自分の死期を悟り、自ら心を閉ざしたのかもしれません。私達を遠ざけ、老人ホームのスタッフさん達も遠ざけ、一人の時間を過ごそうとしているのかもしれません。一人で死と向き合っているのかもしれません。手を握っても握り返してくれません。体力がなくなった、力がなくなっただけかもしれませんが、子バカの私と弟は、それを[お母さんの意思だ]と感じるのです。母は私達が思っている以上に強い人なのかもしれません。これまでも様々なことから私達を守ってくれた母です。病気になった今でも[母親]として私達を守
昨日母が通所していた小規模多機能型ホームから[○○の花便り]が届きました。元気な頃の母の写真を見るのは切ないです。施設長さんから「その後いかがでしょうか。お手伝い出来ることがあればいつでもご連絡ください」という温かい言葉が添えられていました。嬉しかったです。メールで母の現状をお伝えしました。昨日も母は目は開けますが喋らなかったです。看護師さんは「以前は大きな声でお喋りしてくれたのに。喋れないのか喋らないのか分からないですね」と仰っていました。母は自分の意思で喋らないのかもしれません
老人ホームの看護師さんから「そろそろ覚悟はしたほうがいいでしょう」と言われました。今日の母はスタッフさんにも一言も喋らなかったそうです。私達には「もう寝るわね」と小さな声で一言喋りました。看護師さんから伺った話では、先週母は「私はここで死ぬから」と言ったとか。覚悟ってどのようにすればいいんでしょうね。大学病院の医師に余命を告げられたときから覚悟はしている、とも言えますが。でも全く覚悟なんか出来ていない、とも言えます。
昨日も仕事帰りの弟と待ち合わせて父の病院➡母の老人ホームへ。昨日の母はいつもの「お父さんは?」も言わなかったです。一言だけ「掻いて」と。掻き壊したところはガーゼが貼られていました。アイスノンをしていたので「お熱あったの?」と聞くと母は頷きました。骨と皮だけになってしまった母の姿を見るのは辛いです。声を出す力もなくなって来ました。
昨日の母も眠気に負けていました。眠っていると思ったら、小さな声で「みかん食べたい」と。缶詰のみかんを3粒食べました嬉しかったです(^○^)紙パックのジュースも開いていたので少し飲んだのでしょう。心配なのは右腕に痣があったこと。ベッドの柵にぶつけたのかもしれません。昨日は親戚がお見舞いに来てくれました。眠気に負けていた母は「寝るわね」と一言だけ喋りました。誰が来てくれたかは理解したと思います。
昨日は弟お休みの土曜日だったので、昼間父の病院➡母の老人ホームへ行きました。昨日の母は眠気に負けていました。殆ど喋らなかったです。それでも「お父さんは?」と聞くのは忘れません。リクライニング車椅子でホーム内をお散歩しましたが、すぐ眠ってしまいました。昼夜逆転なのでしょう。管理者さんから色々とお話を伺いました。郵便物も受け取って来ました。弟が母の手の爪を切っていました。「足の爪も切りたいけど点滴してるからなぁ」母は足の甲から点滴しています。
今更考えても変えることは出来ないのに考えてしまいます。放射線治療を受けなければ母は今でも食べられたかもしれません。首に転移していなければ今も動けたかもしれません。考えても仕方ないことばかり考えてしまいます。雨だからか、今日はとても寂しいです。
昨日も仕事帰りの弟と待ち合わせて父の病院➡母の老人ホームへ。昨日の母は起きていました。いつもの「お父さんは?」のあと「ここ移るの?」と聞かれました。「もうどこにも移らないよ。ずっとここに居ていいんだよ」昨年10月から大学病院・リハビリ病院・老健・自宅&小規模多機能型ホーム・再び大学病院・老人ホームと居場所が変わったので不安なのでしょう。昨日は「口に入れると戻しそうになるから嫌なの」と説明してくれました。「背中が痒いから掻いて」「両方の足が上がらないの」一生懸命言葉で伝えてくれまし
昨日も仕事帰りの弟と待ち合わせて父の病院➡母の老人ホームへ。昨日の母は起きていました。「お父さんは?」「熱も下がって元気だよ」「こっちの足が上がらないの」左足が上がらないと言います。麻痺というより体力がなくなったのでしょう。弟は毎日母のところでコンビニのお弁当を食べます。「○○(弟)はご飯食べてるの?」「そうだよ」少しの会話でも疲れるようで眠ってしまいました。
少し前に母が「お父さんの卵焼きが食べたい」と言いました。父の卵焼きは寿司屋の板前が作るだし巻きです。出汁を作って冷まし、6個の卵と混ぜます。泡が立たないよう、切るようにかき混ぜます。そして大きな鉄の四角いフライパンで焼きます。結婚後は母も父と同じお店で修業していました。父が親方から教えて頂いたこの卵焼きは、母には特別な卵焼きなのでしょう。「熱いうちにちょっと貰うわね」と、よく焼き立てを食べていました。弟も従兄も作れますが、母は「お父さんの卵焼き」と言いました。お店をやっていた頃
母は息をするのも大変そうでした。肺の状態が悪いのかもしれません。それでも「お父さんはどう?」と父のことを心配しています。テレビに餃子が映ると母のお腹が鳴りました。スタッフさんから聞いた話では「お腹空いた」と言うときもあるそうです。お腹は空くけど[口に入れる][飲み込む]が出来ない状態です。
管理者さんと色々なお話をしました。母の体は食べること飲むことを受け付けなくなっているようです。厳しい状況です。「あれ食べる?これ食べる?と聞くのも可哀想な感じがします」私もそう思います。入れ歯の調整も拒否したそうです。声もか細く声を出すのも億劫な様子でした。ペンフレンドさんから頂いたお手紙を持って行きましたが「私は読めないからお姉ちゃんが読んで」と。読んであげると頷いていました。痩せて衰えて行く母を見るのは辛いです。
父救急搬送➡入院の前の話です。昨日は昼間弟一人で母のところに行きました。母はお薬も拒否するようになりました。「飲み込めない」と自分で言ったそうです。食べない飲まない理由はいくつかあるのでしょうが、いちばんの理由は[飲み込めない]ことかもしれません。母が「お散歩がしたい」と言ったので、スタッフさんにリクライニング車椅子に乗せてもらい、弟とホーム敷地内をお散歩したそうです。そのとき弟から電話があり、私も母と話しました。食べさせようとするのは母には酷なことなのかもしれません。
ホームの管理者さん・スタッフさんから伺ったお話では、母の食事拒否は続いているそうです。水分も摂りたがらないとか。管理者さんから訪問歯科を提案され、お願いして来ました。管理者さんは。*環境の変化*体が受け付けない*入れ歯が合わない可能性があると仰っていました。私達は他にも。*放射線治療の副作用と思われる味覚障害*嚥下障害*癌の進行もあるような気がします。スイカなら食べるかな、と思いカットスイカを持って行きました。母は口に入れましたが「甘くない」と吐き出しました。私も食
テレビが母の部屋に届きました。ホームの方が設置してくださったようで点いていました。私達が行ったときは起きていた母「お父さんは?」と。「今日もちゃんと○○(デイ)に行って帰って来たよ」「そう」父が私達を困らせていないか心配なのでしょう。そのまま起きていてくれるかな、と思ったらすぐに眠ってしまいました。母は首を動かせないのでテレビ画面は見えないと思います。でもテレビの音が聴こえると安心なのかもしれません。少しでも昼夜逆転が改善されると良いのですが、難しいでしょうね。
昨日も母は眠気に負けていました。右腕を見ると瘡蓋を剥がしたらしく、あちこち出血していました。薬疹のときに痒くて掻き壊し、それが瘡蓋になり、そこを剥がしているようです。バイタルチェックに来られた看護師さんが軟膏を塗ってくださいました。瘡蓋剥がしは自宅でもよくやっていました。気になるんでしょうね。冷蔵庫の中を見るとプリンもゼリーもそのままでした。一昨日も昨日も食べなかったようです。
母は大学病院で首の腫瘍に放射線をあてました。整形外科主治医からの提案でした。私達は同意しました。弟が放射線科の医師から説明を受けました。「食欲減退の説明はあったけど味覚障害の説明はなかったよ」母の味覚障害が放射線治療の副作用か分かりません。入れ歯を嫌がるのと同じくらい、味覚障害が食事拒否に繋がっているように感じます。「放射線もやらないほうが良かったのかな」どうかな。放射線治療を受けなければ母は食べてくれたのかな。今更考えても仕方ないですね(;A´▽`A☆☆☆あなたのにゃん
昨日の母は眠気に負けていました。私達が居る間、ほぼ眠っていました。昨日は看護師さんと介護士さんからお話を伺うことが出来ました。母は昼夜逆転で、昼間は眠っていることが多く、夜は起きていて頻繁にナースコールを押すとか。「そういう方は多いんですよ」「昼間は人の声とか物音が聞こえて安心する、だから眠ってしまうんです」「夜は静かなので不安になるんですね」「ご迷惑をお掛けしております」「いえいえ、そういうものですから(^-^)」昼夜逆転について詳しく説明してくださいました。母は自宅でも昼
昨日の母はよく喋りました。尿路感染症と薬疹が回復したのでしょう。あれ食べたいこれ食べたいと言うのでコンビニに買いに行きました。でも入れ歯を入れて食べようとすると「変な感じ!やっぱり要らない」になります。母は50代から総入れ歯ですが、今は入れ歯に対して拒否感・違和感があるようです。管理者さんから色々とお話を伺いました。昨日は訪問診療の日だったそうです。「先生からリクライニング車椅子のOKが出たので、今日は1階のロビーでテレビを観たんですよ」「最初だから5分くらいでしたけど、穏やかな
眠気に負けていないときの母は普通に会話が出来ます。土曜日はたつじさんの前に親戚が3人お見舞いに来てくれました。「昨日は誰が来てくれたんだっけ?」「たつじさん!」「他には?」「諸々」大勢居たな、は覚えていても、誰だったかは思い出せないようでした。薬疹はだいぶ良くなりました。掻き壊したところは傷になっています。昨日は父の夕飯と夜のルーティンを終えてから、弟と二人で再び母のところへ行きました。午前中「もう帰っちゃうの?」と言われたことが気になったので。ちょうど夕飯の時間で、看護師
母のペンフレンドことたつじさんからお届け物が。お名前刺繍入りのパジャマと肌着でした本当にいつもお心遣い頂きありがとうございますm(__)m有難く使わせて頂きます。
今日父を母のところに連れて行きました。5月10日に母が入院してから初めての両親再会です。昨年10月の入院のときは大学病院に連れて行った翌日父も胆石発作で入院になりました。関係はないとは思いますが、今回は父を大学病院に連れて行く気持ちにはなれず、老人ホームに入居するまで待ちました。「お父さんは?」「居るよ」「あらっ!」母はびっくりしていました。私達は疲れました(T-T)父は場の空気を読めない、気になった物を触る、じっとしてない、など、目が離せないんです。本当は連れて行きたくなか
母のペンフレンドことたつじさんがお見舞いに来てくださいました。「お母さん誰かわかる?」「たつじさん」すぐに分かったようです。「この前何貰ったか覚えてる?」「わかんない」「あっイチゴ!」思い出したようです。たつじさん、お忙しいのにいつもありがとうございますm(__)m
母が入居した老人ホームの1階ロビーに[ひとりにはしない]という言葉が書いてありました。私達が望んでいたことです。温かい気持ちになりました。母の部屋はドアを開けたままにしてあります。看護師さん・介護士さん達の声や足音、テレビの音も聞こえます。母は目を閉じていることが多くなりましたが、音が聞こえれば安心感はあるはずです。母が入居した老人ホームは介護士さんより看護師さんが多い施設です。医療の面でも安心してお任せ出来ます。
仕事帰りに母のところに行った弟が帰宅しました。母は「もうここから出られないのよね」と言ったそうです。「辛かった」辛いです。母が初めてデイに行ったのが昨年5月。あれから1年しか経っていないんです。今月の10日まで小規模多機能型ホームに通っていました。それから1ヶ月も経っていないんです。大好きな人達と離れて暮らす生活。母がいちばん辛いと思います。
今日は記入した契約書を持って午前中面会に行って来ました。面会時間は決まっていないそうです。「常識的な範囲内で」と言われました。今日は管理者さん・看護師さん・介護士さんからお話を伺うことが出来ました。昨夜は昼夜逆転で「コーラが飲みたい」「みかんが食べたい」「かまぼこが食べたい」と言っていたそうです。私が行ったときは眠っていました。その後目を覚ましコーラを少し飲みました。管理者さん「炭酸が喉ごしがいいのか、コーラを飲みたがる方は多いんですよ」「うちはアルコールもOKなので、ビールを飲
昨日弟は仕事帰りに、私は父の夕飯と夜のルーティンを終えてから母のところに行きました。母は起きていて「来てくれたの」と喜んでくれました。バナナを少し口に入れましたが、吐き出してしまいました。入れ歯に対して違和感があるようです。コーラも飲まなかったです。先日訪問医の先生が「嚥下障害も出ているかも。トロミをつけるといいですよ」と看護師さんにお話していました。預けてあったプリンと卵焼きは「食べた」と言っていました。「お父さんは?」「元気だよ。毎日[お母さんはどう?]って聞かれる」「心配