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6月7日術前検査まずは尿検査に血液検査外科外来でDr.の説明大体前回と同じようなことで術中肝臓の状態で切除が追加になる場合があるとのことその後MRIにレントゲン終えた後またDr.の説明その時やはり1月のCTのモヤモヤをすっきりさせたいと思いDr.に思いを話してみた明らかに1月のCTは私たちの目にもわかるほど大きな影があるそれは見落としたのではないか?血液検査が上昇してるにも関わらず私が不安がっているにも関わらず下腹部には問題なくても肝臓にははっきり写っているのに…
術後初診察前日。食欲がないと言うので、朝からお粥と焼きアジを準備。起こしてお茶入れて、いただきます。離乳食より小さい一口溜め息つきながら食べるから、食べられるだけ食べなと言ったら、「はぁ、ダメだなもう。」何が?「調子が悪いんだよ!」分かってるよ!だから、ゆっくり食べれるだけ食べなって鯵に醤油使う?言ったとたん箸をぶん投げて、「うるせぇんだよ!俺だって調子があるんだよ!イライラさせんじゃねえよ!!」って、オペラ歌手かってくらい腹から声だして怒鳴られた。ぷっち~ん
12/1910時30分病院到着手術開始が遅れると通達あり。12時10分病棟前で彼と再会。12時30分手術開始18時45分看護師に渡されたPHSが鳴る。「手術が終わりました。担当した◯です。説明室1まで来てください。」直ぐに向かい部屋の中で待っていると、◯先生がステンレスバットにガーゼを被せて持って入って来た。「昨日は、術前説明が出来なくて申し訳ない。」大丈夫です。お世話になりました。「かなり癒着もあったのですが、何とか最後までロボットで取りきれました」ありがと
手術当日朝今年の2月と5月に虹の橋を渡ったチビ達に、彼の手術成功と無事を祈った。ゆっくり身支度を整えて、バスに乗って病院へ。予定通り、手術1時間前に到着。総合受付で、これからどうしたら良いのか聞いたら、担当看護師に連絡してくれ流れを把握。タリーズコーヒーでまったりモーニング約1時間遅れで呼ばれた。がんばれ!!
おはようございます無事に7/20、退院してきました。お腹の中の悪いものを切除してもらえてお腹スッキリー今回も耐え忍びましたが、沢山の皆様に応援の言葉を頂戴したから乗り越えられました本当にありがとうございますよろしければ今日YouTubeもアップできると思うので併せてよろしくお願いいたします最後は我が家のちょっと恒例の地元坂井市にある「朱雀」さんへランチに行ってきたので美味しい写真を載せさせて頂きますね皆さんに持って今日もハッピーな一日をまぢで今は世の中「夏」なんで
2022年7月28日(木)いよいよ腹腔鏡下肝切除術の日となりました。前日の下剤のせいで若干寝不足気味ではあるものの…朝の回診にT先生が来て👨⚕️「問題ないかな?手術頑張りましょう🔥」「下剤で寝不足気味ですが、手術中寝てるのでよろしくお願いします‼️」そして、8時30分迄には術着と弾性ストッキングを履いて部屋でウロウロと待機し、主人も8時30分に私の病室に到着‼️私の開口1番は「お誕生日おめでとう🎉私の今日切除する肝臓が君への誕生日プレゼントだからw」「うん!ありがとう‼️」そし
久しぶりのブログです絵文字の種類がぱっと見ぃまぁまぁ増えててびっくりでも、あんまり使ってなかったのでこれからはちょっと使ってみますあと、太文字にした方が見やすいですキイトルーダの副作用で両目一気に白内障になってしまいiPhoneの文字設定も少し大きくして太文字にしました…が…視界のもやがひどいのであんまり効果がねぇ…さてさて…キイトルーダの副作用で肺炎になりまずは肺炎をなんとかせねば危険なので腎臓がんの治療は一旦おやすみしてましてそろそろ1ヶ月半経過しますさすが
これまでにも消化器癌の化学治療、緩和ケア(緩和治療)に取り組んできました。食道癌、胃癌、十二指腸癌(小腸癌)、結腸・直腸・肛門管癌、胃GIST、直腸神経内分泌腫瘍、肝細胞癌、肝内・肝外胆管癌、胆嚢癌、膵臓癌、思い出しながら書き連ねて、自分で言うのも何ですが、いろいろな癌・がんを診てきたなと思います。先日から耳鼻咽喉科領域の腫瘍性疾患に対する化学治療(抗がん剤治療)を宮崎大学医学部附属病院耳鼻咽喉科と連携して開始しています。固形癌なので対応できますし、また週に2回(月曜日、金
今回父が膵臓がんになり、がんの事を恨みもしました。初期に見つける事がいかに大切なのかも知りました。家族性膵臓がんというものがある事も知りました。昔に比べてがんは治る病気になったと聞きます。ですが、亡くなる方がおられるのも事実ではあります。沢山の方が膵臓がんと闘われています。それと同時に沢山のご家族も一緒に闘われています。苦しんだり、悲しんだり、願ったり、受け入れたくなかったり、病気を憎んだり沢山の本も読みました。ある本にはこうすればいいよと書いてあり、ある本にはそれはダメだと書
この日は朝から雨が降っていて、告別式が始まる頃に止みました。沢山の方が来て下さいました。満面の笑みの遺影にしたのですが、「ええ写真やなー」とか「まさにこの笑ってる顔しかイメージがないわ」とか「わしもこんな写真にしたいな」とかお褒めの言葉を沢山頂きました。父らしい屈託のない笑顔。もう見れないんだなぁ…告別式が始まると何とも言えない感情が込み上げて来ました。お花を入れる時が一番悲しかったです。受け入れたくはないけど着々と進んで行きます。火葬場に着いてからが本当に辛かったです。父が私
バタバタとお通夜の日になりました。出棺の時、じいちゃんが車に乗せられるのを見てイヤイヤと泣きました。とても悲しそうな顔で小さいながらにいつもとは何かが違うという事を理解していたのかもしれません。「◯◯(父の名前です)◯◯(商業施設名)行こうかー」と父の隣に行って毎日のように言っていた息子。父が聞いていたらとても喜んだやろうな。沢山の方がお通夜に来て下さいました。大人の男の方が流す涙、あまり見る機会がなかったですがもらい泣きしてしまう程でした。病気の事を伝える間もなくだったので皆さ
夕方、父の待つ実家に着きました。どんな言葉を父にかけるのか自分でも気になっていたのですが、出た言葉は「よく頑張ったね」でした。本当に穏やかな顔で寝てるだけにしか見えませんでした。笑ってるような、今にも目を開けて「騙されたなー」とでも言い出そうな。でも顔を触ると冷たくて…あー夢じゃないんやなぁと。現実だけどまだ受け入れられてなくて、自分がフワフワ浮いているような何とも言えない状況の自分がいました。息子はじいちゃんは寝てるとしか思ってないようで「ねんね」とか「きたよー」とか言ってました。
朝母に「今日は朝一で息子小児科連れて行くから行けないかもだけど大丈夫かな?」と連絡。母から「お父さん今深い眠りに入ってて安定してる状態らしいから病院行っておいで、◯◯(息子の事)が心配です」と返事があったので小児科へ行く事にしました。それから20分くらいして母から電話がありました。嫌な予感しかない…「もうお父さん息してないらしい、今息引き取ってもた」と泣きながら。えっ…頭が、回らない。前日皆がいる時ではなく、母と2人の時を選んだかのように父は亡くなりました。兄と弟も間に合いませんで
お昼過ぎに兄が来ました。「もうここまで進んでるとなんか思ってなかったから来るの遅くなってごめんな」と。「ありがとう」と言っているのを聞いて母は涙していました。看護師さんが頻繁に様子を見に来て下さいます。痰が絡んで苦しそうだったので取ってもらったのですが、私は直視出来ませんでした。「お髭も伸びてるんで綺麗にしていいですか?」と言われたのでお願いしました。「心臓がとてもお強いので、今すぐにっていう状態では無いと思います。でも、こればかりは人それぞれなので何とも言えない状態です。」と
午前2時半に電話が鳴りました。病院に泊まっている母からでした。「看護師さんがご家族の方を呼んでもらった方がいいと思いますって言ってるから来てくれる?」と。眠気が吹き飛びました。主人と弟を起こし、息子はパジャマのまま抱っこして真っ暗の中車で病院に向かいました。普段混んでいる道もガラガラで不思議な感じでした。病室に入ると父の妹達も来てくれていました。父は20秒程息が止まって、そのあと深い呼吸をしているという状態でした。話しかけても反応はしてくれません。でも聞こえてるそうなので色々
前日ご飯をほとんど食べれていなかったので、母が朝一で病院へ行き、食べさせるとほぼほぼ食べてくれたそうです。「デザートのプリンも食べれたよー」と母も嬉しそうでした。この日注文していた介護用ベッドが家に届くので、私は朝はお留守番でした。介護用ベッドやっと届いたのに、入院してしまったので使う事もないのかな…と内心思ってしまいました。病院に行くと、昨日よりも弱っているように見えました。寝ている時間が益々増え、息も少し苦しそうです。寝ている時でも話しかけたり手を握るとニコーと喜んでくれます。
私は3兄弟ですが1人だけ女の子です。特別私だけという事ではないですが本当に可愛がってくれました。見た目は怖いのですが、いつも笑っていて面白くて何でもよく知っていました。思春期の頃タバコに興味が湧いてしまい、父のタバコを一本くすねて部屋で吸ってみようと試みました。火をつけた時にたまたま父がやって来ました。あっヤバい怒られる…と思ったのですが、父は「やめときやー後悔するでー」とニコニコしながら言ってそっと扉を閉めました怒られなかった事で余計にアカン事したなぁと自分なりに反省できました。
この日は台風がきていました。主人が台風の為お休みになり、雨は降っていたもののまだそんなに台風っぽくなかったので電車で外に出ていました。お昼前に母から電話がありました。「朝行ったら鼻に酸素がついてたよ。ちょっとヤバそうやから今から来て欲しいんやけど?」と。えっ昨日普通に喋ってたのに…雨風が酷くなってきた中電車で向かいました。電車が止まる前で良かった。電車の中でも気持ちが凄く焦っていました。察してくれた主人が手を握ってくれていて本当に助かりました。もしもの事があった時、父の側に母だ
朝早くに以前の担当医消化器内科のS先生が来て下さり父と母に「何も出来ずこんな所に入院させてしまってすみません」と言いに来て下さったそうです。もちろん先生が悪いわけでもないのにそういう言葉をかけて頂いて、父もきっと救われたんじゃないかなと思います。何の治療も出来ずに退院した時心のどこかで病院にも見放されたと思っていたはずなので。父はまだ喋ったり、歩行器を使ってトイレに行ったりは出来るものの食欲がなくなりご飯も少ししか食べれなくなりました。あんなに食べる事が好きだったのにな…気付いたら寝て