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2024年3月愛知県豊橋市JR二川駅のほぼ真北です目的の「二川(ふたがわ)トーチカ」太平洋戦争時、本土決戦に備えて、海から攻めてくる敵を砲撃するために設けられたものだそうです海に向かって口を開けています駐車場内に突然、現れます周りは住宅街3段くらいになっているのが確認出来ます(上だけ4段)反対側もチラッと見えますね?天井から金属の棒が何本か垂れています開口部の横の木の板には、「私有地につき立入りはご遠慮下さい」とのこと離れてよく見ると、左に円柱のような施設がくっ付いているよう
函館につくとかなり雨が降っていました。旧室蘭駅舎で雨宿りしてみましたがなかなかやみそうにありません。路上観察はできないしどうしようかと思い地図アプリを開くと軍事遺構の情報が。40分ほど歩いて着きました。ちょうど雨も上がりました。室蘭要塞の十五糎加農砲掩体跡とのこと。モジャが茂っていて本体がよく見えませんが廃墟感は増しているでしょうか。室蘭ではもう1件、遺構を訪問しました。後日書くことになる測量山でのタカ見で興奮のあまりうっかり忘れて下山しそうになりながらかろうじて思い出してラッキー
3年越しにやっと行けた北海道旅行だった割にほとんど事前情報収集をしていませんでした。そんなわけで、全く期待はしていなかったのですが唐突に出会えたのがこれ。「その3その他の古そうな蓋、珍蓋と思ったらまさかの教科書蓋」に書いた函館山の配水場へ向かう途中に境界標らしきものがありました。陸軍省?の文字に心が躍りますが日陰側の文字は読めません。上のほうはSM1stZ?漢字は現地では全く読めなかったのですが、少し加工しすぐ後で出てくる別の石柱も参考にしてみると「津輕要塞第一地帯」と読
横須賀の軍事遺産「千代ヶ崎砲台」を目当てに旅ランしたときのことを書こうと思います。まずは、京急久里浜駅から千代ヶ崎砲台へ。電車の中で、最終入場が15時ということを知り、走っていくと間に合わない可能性があることに気がつきました。バスで行くことも出来るのですが、タイミングが合わず到着する頃には15時を過ぎるのは確実。ならばタクシーに乗ろうとタクシー乗場に向かったのですが・・・一台も車がいません。待てばタクシーが来る可能性がどの程度あるのか、初めて来た駅なので事情がわからない
少し暑さも控えめになってきたのでこの日は軍事史跡巡り板橋区の加賀公園には戦争時代の生々しい痕が残されていると知り、この目で確かめたいと思いました。こちらは射撃実験に使われた標的の跡がそのまま残っています。向かい側には弾丸のスピードを計測する弾道検査官。この敷地はかつて陸軍板橋火薬製造所と呼ばれて、火薬実験室などの建物もあります。敷地には入れないため丘の上から撮影。近くにもこうした軍事遺跡があるので、史跡公園として整備する計画が進んでいるようです
ブログのタイトルとは裏腹に東京以外のネタが多いこのブログですが、東京近郊の中では意外と千葉の記事が少ない気がします。前回の千葉県の記事をアップしたのは4年も前でした。(アステカ風?の蓋谷津遊路商店街)今回は木更津です。シンプルながらもいい感じの大型量水器の蓋からスタートです。手書き蓋。木更津市の市章のようでもありますが少し違うような。錨っぽくもありますがまさか海軍水道の蓋ということはないでしょう。商店街にあるという海軍水道の小蓋の確認は後に取っておくとして自衛隊の駐屯地
昨日は、仕事でお客さんの外出プログラムで石神井川沿いを帝京大学病院付近から王子駅手前の音無親水公園まで往復してきました。この時期に散策しているとなると、「自粛警察」と俗称される方々から「こんな時期に出歩くな!」など変なイチャモンをつけられそうですが、もちろん衛生管理には細心の注意を払って行動しております。出発して環七とトレセン通り(都道455号線)の姥ヶ橋交差点のところに出たら、交差点のトレセン通りのほうに面した都営住宅下の店舗群がローソン1軒だけしか営業しておらず、あとは全て休業中か空き店舗
今回は石や穴の特集です。日本の石「日石」。いや、日本石油でしょうね。海水。ではなく、塩竈水道のはず。市章付き境界石「教育勅語渙発満四十年記念植樹」読めない「水神」裏は塩釜なんとか。公翁?花岡號慰霊碑軍馬のようです。庚申塔群軍事遺構風の穴。トンネルトンネル石積み建築石製方位オブジェと、脈絡もなく石やら穴やを並べた後で全く関係のない蓋で今回は終わり。宮城県章の蓋。街・建物写真ブログランキングへ
20世紀初頭、「地図から消された島」に行ってきました。明治時代は旧帝国陸軍の軍事要塞、昭和になってからは秘密裏に毒ガスの研究および生産工場として稼働していた軍事施設。今でも軍事遺構は現存しております。毒ガス貯蔵庫跡明治時代は要塞砲の弾薬庫、そして後に毒ガスの貯蔵庫。現存するいちばん大きな遺構、発電所跡浜から発電所に通じるトンネル発電所発電所正面入り口発電所横の建物
千葉遠征⑷のつづき次の隧道は入るなりコウモリがすっごい「ひえ〜ちょっと見学させてくださーい」なるべくライトを下に向けてお邪魔ここは派生する横穴なしただひたすらまっすぐの人道隧道だったなぜかカエルもいたよちなみに現在地はここ(昭和22年の空中写真)人道隧道の向かい側には火薬庫へ繋がる隧道2.3.4.5があったッ2は写真撮り忘れそれぞれにやっぱり廃火薬庫があるッ1は???1の火薬庫は木々に隠された石段の上にあったもよう倒壊していてよくわかんなかったこれにて廃火薬庫群の見
千葉遠征⑶のつづきホントにホントにこの時期の藪漕ぎは拷問並みッようやく…とは言え100メートルもない距離だったけど隧道に到達し内部調査開始ッおおっコレはッッ【横穴式水畜第三火薬庫】【最大貯蔵量爆薬弐百トン】す、す、水畜?原子炉格納容器みたいな仕組みかな爆発したら一大事だから液体に火薬を沈めとく的なこの隧道には横穴が5〜6つ程あり、どこも中は二重の鉄扉仕様、中はだだっ広く、ものすごい湿度だった写真は撮ってないけど、フロート式水栓や湿度計なんかも落ちてたし、これは扉につ
千葉遠征⑵のつづき柵を避けて尾根を乗り越えたところには穴2つと火薬庫と思われる構造物があったッ早速ヘッデンを装着し内部調査中はカーブしており、すぐに外の明かり見えてがっくり明かりの場所は3つの隧道への分岐隣の隧道は、さっきの柵で塞がれた隧道だった斜上部にもぽっかり口が開いていたり隧道を出ると向こうにも隧道口が見えたりとよくわかんないとこだったあまり参考にならないけど動画貼っとく斜上部の穴を正面に一番左から攻めるどう見ても照明器具は戦時中のものではなさそうところどころ、外から
震洋特別攻撃隊鵜原火薬庫⑴つづき写真じゃ伝わらないけど、結構な勾配の登り坂からスタート厳重な柵を通過柵の先は民家だけど、多分空き家藪漕ぎぃ〜この時期、こういうところに来るのは間違ってるんだよねこの日、MIMIZUは人生で一番藪漕ぎしたわ尾根に出るとそれなりの道があり…いや道ではないけどねそこそこ踏まれてるとこがあるなんだろこれ…お山のマークに見える81年前の1937年って日中戦争が始まった年だよね歩きやすい尾根をどんどん進んでしまい、気が付くと違う方向へ向かっていたので
この日は千葉に遠征探索降り立った駅は無人の鵜原駅鵜原海岸沿いを歩くと見えてきたのが穴穴穴穴!!そこら中、穴だらけなのッまずは雑な木製バリケードで塞がれた隧道反対側の漁港へ繋がってるっぽいけど塞がれてるフナムシの洗礼を受け、少し岩を登ると祠のある穴しばらく人が来ていない様子まだ時期じゃないから海岸の駐車場は、がら〜ん駐車場隅にある隧道もしっかり柵で塞がれてる手前まで行くと柵に頭と両手が挟まったまま息絶えた新しめの猫の…すぐ隣にも隧道があり、こちらも厳重過ぎる程厳重な鍵付きの
旧陸軍軍馬補充部白河支部事務所。西郷村指定重要文化財。昭和10年竣工。現在は、西郷村歴史民俗資料館として活用されています。軍馬補充部は、青森県十和田市、岩手県金ケ崎町、北海道本別町、標茶町などに関連する明治から昭和にかけての施設や資料が展示されています。西郷村もいいところです。メイプルサーモン1尾分半身2枚・約1〜1.5Kgx2枚不定貫4320円/Kg+加工代400円価格:12548円(税込、送料別)(2017/7/9時点)
宇佐の軍事遺構巡りに引き続き佐伯市で。倉庫か何かに使われていたのでしょうか?たくさんの穴がありました。興人の工場敷地内に掩体壕が保存されていました。敷地外から撮影しましたがこちらも遺構のようです。軍事用ではないようですが興人の工場へ延びる線路があった跡。平和祈念館やわらぎの敷地内にて。街・建物写真ブログランキングへ
JR柳ヶ浦駅の近くにあるこのサイクリングマップにほぼ従って軍事遺構巡りをしてきました。ただし歩きで。いきなり農機具置き場から始まりますが元はエンジン調整室。落下傘整備場とされる建物。機銃掃射の跡が無数に。通称「レンガ造りの建物」だそうですが、私が見慣れた赤い粘土を焼いたような煉瓦ではなく砂を固めて焼いたように見えます。珍しいものではないのかもしれませんが。当時は軍事秘密であったとは思いますが、戦後になってもこれが何だったのかよく分からないというのが戦争なのでしょう