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12月29日朝、新東名駿河湾沼津サービスエリアのスマートICで降りて興国寺城へ。興国寺城は一般的にはそれほど有名じゃないかもですが、続日本100名城に選ばれた名城です。北条早雲が今川氏親から与えられた城で、早雲はここを根拠に堀越公方を襲うところから戦国時代が始まったとも言われます。2022年には鎌倉殿の13人絡みで訪れた願成就院で敗れた側の堀越公方足利茶々丸のお墓を発見した(「伊豆村の駅から北条の里へ」というブログに上げました。)件とここで繋がりました。駐車場は三ノ丸にあり、
【問題】足利茶々丸が伊豆国を離れた理由として、正しいものは次のうちどれか?【選択肢】幕府により京へ召喚されたため下総国に新しい館を築いたため伊勢宗瑞により追放されたため長尾景春に伊豆国を与えたため【正解】伊勢宗瑞により追放されたため【解説】足利茶々丸は初代堀越公方・足利政知の子で、父の死後に跡を継いだ。しかし、領国経営に躓き国内は混乱し、これに乗じた伊勢宗瑞(北条早雲)により伊豆国を追放された。
講談社現代新書:黒田基樹著:「下剋上」河出書房新社:西股総生著:「東国武将たちの戦国史」北条早雲の前に、鎌倉公方だった足利成氏が古河に移り古河公方になり、それを認めない室町幕府が将軍家の血筋の足利政知を堀越公方として韮山を本拠に擁立した。一方、長尾景春の乱で大活躍した太田道灌が関東北部の長尾景春領を接収し、扇谷上杉家が兄分の山内上杉家をしのぐ勢いを持とうとした。山内上杉家の中から乱の時の太田道灌(扇谷上杉家の家宰)の差配に不満を持つ者もいた。やがて両家は対立を深めて、この原因は
前回まではこちら⬇️目次世は争乱…我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。話は前後するが…「攻めよ!!」伊勢盛時(後の北条早雲)明応2年(1493年)10月、関東で戦が起きた。将軍・足利義高(あしかがよしたか)の異母兄で力尽くで伊豆の堀越公方・足利茶々丸(あしかがちゃちゃまる)を駿府の興国寺城主・伊勢盛時(いせもりとき)が攻めた。伊勢盛時さんが後の小田原北条氏の祖、北条早雲(ほうじょうそううん)さんなんだ茶々丸は義高の母と同母弟を殺し、堀越公方の座
アルターから登場です!切れ味鋭いダーク・ストーリーが綴られるノベルゲーム「装甲悪鬼村正」より、“足利茶々丸”が登場。なまにくATK氏のイラストを元に、不敵な笑みを向けながら大胆に衣服をはだけた姿を立体化しました。背中から腰にかけての肉感表現が魅力的な仕上がり。引き締まったボディラインも丁寧に再現され、肌色と衣装とのコントラストが目を惹きます。振り返ったポージングに合わせて広がる髪の毛の造形も相まって、臨場感ある出来栄えとなっています。・本店
こんにちは。今回は北条時政(ほうじょう-ときまさ)ゆかりの寺である願成就院(がん-じょうじゅ-いん)のご紹介ですでは、さっそく願成就院門前です。やはり伊豆国屈指の名刹だけあって、しっかりした佇まいをしていますね。この願成就院は、縁起によれば、北条時政が文治5年(1189年)の奥州征伐に際して、戦勝を祈願するために建立したお寺で、その後鎌倉政権第2代執権(しっけん)・北条義時(ほうじょう-よしとき、時政の子)、第3代執権・北条泰時(ほうじょう-やすとき、義時の子)の3
前回まではこちら⬇️目次世は群雄割拠の戦国時代。わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。1565年、わしは関宿城(せきやどじょう)を攻めるべく氏政(うじまさ)、氏照(うじてる)、そして綱成(つなしげ)の子・康成(やすしげ)を従え出陣しました。その頃、綱成は忍びの美咲(みさき)と共に伊豆国にいました。綱成のいた場所は深根城(ふかねじょう)の跡地でした。現在の深根城跡(静岡県下田市)綱成はある墓の前に立ちました。美咲「殿、こちらはどなたのお墓で?」綱成「足利茶々丸(あしかがちゃ
前回まではこちら⬇️目次世は群雄割拠の戦国時代。わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。1564年1月8日、国府台の戦い(こうのだいのたたかい)の後の北条の陣中で氏政(うじまさ)をかばい、風魔(ふうま)の棟梁・小太郎(こたろう)が賊に撃たれ亡くなりました。その賊は綱成(つなしげ)や美郎(よしろう)に追い詰められて、その正体を明かしたのです。賊「わしは足利茶々丸(あしかがちゃちゃまる)の子、高政(たかまさ)だ!」足利茶々丸さんって北条氏の祖・早雲(そううん)に討たれたんだ。綱成「
前回まではこちら⬇️目次世は群雄割拠の戦国時代。わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。1562年、古河城の足利藤氏(あしかがふじうじ)の謎の死は小田原城のわしの元にも報せが来ました。上杉方に古河公方として擁立された藤氏さん、綱成(つなしげ)さん率いる北条軍に攻められたんだけど、古河城内で死んでいたんだ。氏康「藤氏が我らと戦い、討死ならわかるが、既に死んでいたとは…。」小太郎(こたろう)「我が手下の美郎(よしろう)が言うには藤氏を暗殺した者は、北条家で暗殺を繰り返した者と同一人物
ゴールデンウィークも終わりですね。そんな今回は、先週に引き続き現在の静岡県伊豆の国市(旧田方郡韮山町)にあった城、韮山城です。韮山城跡へは、韮山駅から徒歩20分くらいで行くことができます。韮山駅。伊豆箱根鉄道の駿豆線が乗り入れています。先週と同じ説明を繰り返すことになるので、この辺にしておきます。堀切のような地形でとてもテンションが上がりますが、土塁を分断しただけかもしれません。曲輪跡らしき地形。土塁に囲まれています。物見台跡(?)。城池。周辺は城池親水公園として整備されて
@韮山城を堪能した我々。ここでsyunpatsuが次の目的地の前に行きたい場所をリクエスト。その場所に遺構はないのですが、全員(と言っても僕含めて3人ですが)の了承を得て向かったのは堀越御所です。正確に言うと「伝」堀越御所ですが----------------------------------------現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。