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大河ドラマ「豊臣兄弟!」第27~29回を振り返って。本能寺の変のあとに、光秀の本心を聞くのを描いたのは、新しくて面白かったですね。秀吉は生け捕りにすることにこだわる。それにより、秀吉軍はあえて戦場から光秀を逃がし、密かに竹藪で捕まえ、秀吉の前に連れてくる。光秀の本心を知りたい、と思うのはほとんどの日本人が思うところである。それを秘密の茶会という形で実現する。ぶつかり合う秀吉の本心と光秀の本心。
呪)足利義昭:不撓の鞆公方呪)蒲生氏郷:寛厳の妙呪)真田幸隆:世渡りの深謀呪)滝夜叉姫:魍魎の呪姫呪)斎藤朝信:武功の証左呪)呪)菅原道真:雪辱の疾雷呪)瀬名姫:気位傲然呪)徳川家康:無事長久の基呪)酒井忠次:猪切の猛士呪)立花道雪:雷神斬りの勇©コーエーテクモゲームス
今晩は❗️歴史人タケ海舟です😋本能寺の変の直前…明智光秀は表敬訪問のため安土城を訪れた徳川家康の饗応役を務めていました‼️この頃、方面軍の指揮を担う有力武将はそれぞれの任地での戦闘指揮に忙殺されていて不在‼️方面軍司令官の中で、唯一手の空いていた光秀が信長の命により家康の接待にあたっていました‼️ところが…備中高松城を水攻めにしていた羽柴秀吉より…高松城を救援すべく、毛利の当主輝元が出馬‼️同じく叔父である吉川元春と小早川隆景が先鋒として高松城近くに布陣‼️高松城を挟んで秀吉
今晩は‼️歴史人タケ海舟です‼️先週の「豊臣兄弟!」…織田連合軍と明智軍との決戦となった…山﨑の合戦❗️勝敗の行方が決した時点で…内藤剛志さん演じる斎藤利三が…要潤さん演じる光秀に対して…戦場からの撤退を進言していました❗️「殿がご無事であれば我らはまだ戦うことができまする❗️」利三の進言を受け入れ、坂本城へ逃れることを決断した光秀は…「坂本城で会おう❗️」「必ずそなたも参れ❗️」と利三に生きて戻って来るように言葉を掛けていました🆕そして…その直後の利三の言葉に…
総理大臣が統一協会だから今、統一協会による日本乗っ取りの過程なんだ、とか絶望日本壊すのが野望なんでしょと、うすうす民たちが気づきはじめた時不信の時比べてみれば真面目な明智光秀が慕う足利義昭将軍さま(今でいう総理大臣)がいい人に見えてくる件最低でも日本人ならまあ、いいという変な感覚
大河ドラマ「豊臣兄弟!」29話「天下への道」を見ました。わざわざ明智光秀を生け捕りにして動機を聞く内容でしたね。自分の思う足利義昭黒幕説を補強してくれてありがとうです^^自分の思う足利義昭黒幕説とは?毛利領鞆の浦で堂々と生きている足利義昭。浅井長政、朝倉義景、武田信玄を失っても影響力を持ってたと考えます。本願寺や上杉謙信や雑賀衆や備前や播磨や摂津や丹波にも書状を書きまくって織田信長を倒そうとしていたと考えます。別所長治や荒木村重の謀反も足利義昭の影響と考えます。織田信
いよいよ天王山の語源となった「山崎の戦い」です。1582年(天正10年)になります。織田信長・信忠父子を討ち果たし、一時は天下をその手に掴みかけた明智光秀(要潤さん)も驚異的な速さで迫りくる羽柴軍に窮地に立たされています。一方、摂津の地に集結した織田信孝(結木滉星さん)は早期の総攻めを命じます。秀吉(池松壮亮さん)と軍師・官兵衛(倉悠貴さん)は、冷静に別の計略を提示します。小一郎(仲野太賀さん)らの説得で一時は信孝は納得しますが、兄の信雄(山脇辰哉さん)から「合流するまで絶対に動くな」
おはようございます❗️歴史人タケ海舟です🙂今ブログを書いている最中…朝から熊蝉が鳴いています😅酷暑に加えて蝉時雨🆖皆様ご自愛願います🤲今夜の放送で「豊臣兄弟」は山﨑の合戦が描かれます🆕要潤さんが好演していた明智光秀の最期となる訳ですが😔どのようなラストシーンになるのか⁉️今から楽しみであります🤲さて,本能寺の変の原因について…四国説が有力視されていますが…織田政権における四国外交の窓口が…明智光秀でした🆕当時四国で最も勢いのあった長曾我部元親の取次を務めていたのですが
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第28回、「急げ!秀吉」の感想です。(続きです。)<越中魚津城>柴田勝家:「どけ~!邪魔だ~!」勝家が暴れている。柴田勝家:「おのれ!明智ぃ~!」佐々成政は勝家を抑えようとする。暴れる勝家の前で、座りこんで、勝家を抑えようとするのは前田利家であった。利家:「……とがめられるとすれば上様ただお一人。」利家:(信長を代弁して)「この愚か者めが!これしきのことで取り乱すでない!」利家
福山市鞆の浦歴史民俗資料館の企画展「足利義昭と鞆の浦」関連行事として開催される記念講演会のご案内です大河ドラマ『豊臣兄弟!』で時代考証を務められる柴裕之先生を講師にお迎えし、近年見直しが進む「足利義昭の実像」についてのお話です室町幕府最後の将軍・足利義昭とはどのような人物だったのでしょう?日時:8月2日日曜日13時半~場所:鞆支所(鞆交流館)定員:200名(先着順)参加:無料(事前申し込み不要)この投稿をInstagramで見る
こんにちは❗️歴史人タケ海舟です❗️何処に行っても酷暑の極みですが🥵皆様、くれぐれもご自愛を🤲「豊臣兄弟!」では二条新造の戦は描かれず…「信忠様の遺体はまだ見つからぬ❗️」という秀長のセリフで触れたのみでした😅どうしても本能寺での信長の最期がメインとなりがちで…信忠の最期についてはナレ死で終わってしまうケースが多くなってしまいますね🆖しかしながら…信長が斃れても織田家当主の信忠が健在だったら…織田政権は信忠を新しい天下人にして存続していた筈で…信忠が予定を変更して上洛❗
7月18日の歴史室町幕府滅亡1573年(元亀4年(天正元年)7月17日宇治槙島城に立て籠もってた将軍足利義昭が織田信長に降状し京を追放されるこの事により事実上室町幕府は滅亡【昔歴史人公認ブログでUPした槙島城跡記事】室町幕府終焉の地宇治槙島城跡(任天堂宇治工場近くに建つ槙島城跡の石碑)槙島城は巨椋池の東の端にあった島にあった足利家家臣真木島昭光(槙島氏)の城です田畑の中にある槙島公園内に槙島城記念碑が建てられてます槙
織田信長は足利義昭から天下取ったのに京都に入らなかったそれはなぜだろうか京都には餓死以前に地方から彷徨い歩いて出てきて乞食になるものがいて母はよく道で行き倒れになるくらいなら乞食なったほうがましだともいっていたが織田信長だが足利義昭倒して天下人になったのに京都に入らなかったのは何故だろうか天帝は織田信長を天子にはしなかった敵は本能寺にありの本能寺だが河原町三条にあるのではなくて本能寺町という本能寺があった場所がある明智光秀は本能寺攻めいったが織田信長
本日は旧暦5月29日ですが、永正十四年(1517年)五月二十九日は後奈良天皇の第二皇子方仁(みちひと)親王が誕生された日です。※単純に旧暦にあてはめています。この時代は、応仁の乱以降、戦乱の中で朝廷が一番困窮していた時期でした。朝廷は宮廷行事の費用調達を長らく幕府に頼っていたため、戦乱の時代となり幕府が経済的困窮に陥ったため、朝廷も非常に困窮しており、譲位もできず後土御門天皇以降、崩御後の即位が続いていました。そして、方仁親王も後奈良天皇の崩御により践祚されています(正親町天皇)。弘治三
こんにちは❗️歴史人タケ海舟です😛昨日の「豊臣兄弟!」本能寺の変が描かれました🆕明智光秀が信長を討った動機として…四国摂説、遺恨説、黒幕説、野望説、過労による衝動説…古今を問わず諸説展開されていますが…今回取り上げられた説は…四国説を真正面から取り上げながらも…これに黒幕説と衝動説の複合させたような展開でした🆕黒幕説といえば…朝廷や秀吉、はたまた徳川家康…挙句はカトリック教会などの様々な説が開陳されていましたが…まさかの織田信澄黒幕説が取り上げられていました🆕足利義昭
足利義昭(1537-1597)室町幕府15代将軍足利義昭、織田信長に推挙され上洛し15代将軍となりました。徳川幕府も15代徳川慶喜で終わりましたが、足利幕府も15代義昭で終焉しました。また同じように滅亡はせずある程度の地位は残したまま生涯を終えました。本能寺の変では首謀者は明智光秀にまちがいありませんが、いまだに判明していないのは黒幕の存在はいたのか?それは誰か?と言うことです。13代将軍、足利義輝は三好三人衆に討たれました(永禄の変)。義輝の弟である覚慶(義昭)は興福寺に幽閉され
【感想】肝心の手取川の戦いのシーンとそれ以降については、独自の推測が随分目立ったが。手取川に至るまでの上杉謙信と織田信長についての記述がよく纏っていて、面白かった。近年、信長は、室町幕府を重視していたという分析がなされているが。筆者の説によると、信長は、将軍足利義昭を京都から追放した後も、義昭の息子を奉じて「安土幕府」を打ち立てるという政権構想を持っていた。そして、その“後見人“になる事を考えていた、らしい。一つの見解として面白く、信長像は変貌したのだなと思う。筆者には、今後もこういう本を出し
「四国問題は、すなわち中国問題」という話の、続きですが。以下は、ドラマでは描かれていない話になりますが。信長が長宗我部に「四国は斬り取り次第」を許したのは、瀬戸内の制海権を奪取するため、水軍を支配する阿波、讃岐、伊予の大名たちを征服させよう、ということです。そのため、明智光秀に長宗我部との外交関係を担当させていたわけですが。現に中国攻略に四苦八苦している羽柴秀吉にしてみれば、「それって、あと何年かかるんだ?」って話なわけですよ。今すぐにでも、毛利与党の村上水軍と対抗できるような織田方の
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第25回、「変事の予兆」の感想です。(続きです。)天正9年2月。信長は京都で盛大な馬ぞろえ(軍事パレードですね)を行い、その勢力を諸国の人々に見せつけました。その見物客の中に、小一郎は長宗我部元親の姿を見つけた。長宗我部元親:「おまんも馬ぞろえを見に参ったがか?」小一郎:「はい。」小一郎:「なぜ、そのようなお召し物を?」長宗我部元親:「ああ、好きじゃき。」小
ご飯を見つめるポメラニアンのなごみちゃん飼い主さん「お手」飼い主さんが声をかけると、片足をあげて、ジャンプして、お手!勢いが良すぎたのか、最後は両脚で飛び込みます。早くご飯を食べたい気持ちが強すぎるのだそうですご飯食べた~い!!ワンジャ~~ンプ!!この気持ちわかって【豊臣兄弟25話】秀吉は蜂須賀正勝を西播磨の龍野城城主に任命します。秀吉の部下になって15年がたっていましたが正勝は、改めて秀吉に忠誠を誓いました。織田信長の新たな
全然諦めていない京都から織田信長に追い出されてそれでもまだまだ諦めない諦めていない↑↑↑かなり前向きhappy諦めてないよ!❣️打倒織田信長前のめりhappy↑↑↑この時からアヤシイと思えた足利義昭による織田信長『絶対絶命』荒木村重も茶碗を抱えて諦めなかったワールドカップ日本🇯🇵代表諦めないで!!🆚ブラジル🇧🇷
『変事の予兆』変事の予兆なんて変なことの予兆?すごく変だったあの頃徳川家康家臣団が殿が変になっちゃったと泣いて泣いて泣いたあの頃みんなみんな変なことの予兆を感じてる。戦国時代のミステリー↑↑これは昔の麒麟がくる!の足利義昭将軍様のこの名台詞の意味謎が解ける!!‼️まあ、現代は、大地震の予兆じゃなくてよかった。あーよかった。
今夜の豊臣兄弟です。織田信長は、宴会を楽しみながら、粛清も兼ねた相撲大会を開きました。年老いた家臣を殺してしまうか、追放してしまうかの思案でした。信長の残酷さが、よく分かりました。まずは、土佐国守長宗我部元親の舞で皆んなが楽しみました。若い森蘭丸の登場でした。彼に相撲の相手をさせました。森は、織田信長に、危ないから、多少の手加減をさせていただきます、と、言っていました。最初に信長が指名したのは、林秀貞家臣でした。彼は、もう老人でした。あっけなく、森に負けました。信長の家来に何処かへ
ちょっと自信はなかったことだけども当たり🎯🎯🎯🎯🎯🎯🎯🎯🎯!‼️やっぱり!‼️足利義昭将軍さまの命令か!!がんばれ!!アギト!!‼️あなたはツオイ!!❣️アギトなら出来る!!!
サッカー⚽️の応援📣はなぜか、、本田圭佑さんの『解説』!が楽しくてそれが1番happyになっているプレイヤーでは長友佑都さんを応援📣している理由は、他が全然わからないから。全然わかりまてん名前が、、、ゼット世代プレイヤー、絶望しすぎじゃない?次↩️ブラジル🇧🇷だからな、、と、え?諦めないで!!諦めない精神が1番大事なのだから。豊臣兄弟👬!大河ドラマでは(歴史では)足利義昭将軍様が全然諦めていないのよ、、happyすぎるほどに諦めていません。。。対
【問題】永禄11年、織田信長が足利義昭を擁して上洛した際、三好義継は次のうちどの国の半国守護に任じられたか。【選択肢】丹波国山城国伊勢国河内国【正解】河内国【解説】永禄11年(1568)、信長が義昭を擁して上洛した際、三好義継は松永久秀とともに信長に出仕した。その結果、義継は河内国の半国守護(北半国)に任じられた。
醍醐寺三宝院です。昨年に訪れた時と違って今回はローバーにとって天下人が有する「藤戸石」の存在感は大きかったフォーカス大河ドラマ「豊臣兄弟」に登場しました。信長への不信や焦燥や恐怖や不安も感じていたであろう足利義昭の思いが怒りへと転じ、藤戸石を斬りつけるというシーンが目に焼きついちゃって、尾上右近さん演ずる足利義昭の悔しくも情けない心情の表情が胸に迫っちゃって、現在は醍醐寺三宝院にある藤戸石を再び見たくなりました。憤懣の名シーン今回は拝むような気持ちで「藤戸石
5月に似顔絵仕事で訪れた岡山県。前日入りして近くの遺跡巡りへ!『賞田廃寺でハイジのパン!?岡山県岡山市』仕事で訪れた岡山県。仕事の前に遺跡巡り岡山市にある唐人塚古墳を訪れたあと…ameblo.jp『西車塚古墳、宿寺山古墳。岡山県総社市』5月に訪れた岡山県、毎年呼んでいただいている似顔絵お仕事…ameblo.jp古墳巡りもお目当てなのですが今回、岡山へ行ったらぜひ行きたかった場所、こちら農地の中にぽつんとあるこれ、、削平された古墳?いえいえこれは浮州岩が
福山での「城攻めトレーニング」第4弾。仙酔島から戻ったボクは、鞆の浦にある医王寺へ向かった。ここには太子殿へ続く583段の石段がある。583段。数字で見ると、大したことがないように思える。しかし実際に目の前にすると、「これは参拝なのか、筋トレなのか」と考え込んでしまうレベルだ。しかも、この日はすでに仙酔島で山を歩いている。足はまだ元気だが、太ももが何やら不穏な空気を醸し出している。それでも一段一段登っていくと、ご褒美が待っていた。太子殿からは鞆
豊臣兄弟!第11話「本圀寺の変」―新旧秀吉、時代を超えた対面|レッ津!ローカライズ!|津を訳す人第11話「本圀寺の変」は、織田信長によって足利義昭が将軍に擁立された直後の、まだ不安定な京都を舞台にした回である。義昭が滞在する本圀寺は、三好系勢力の襲撃を受ける。将軍の居所そのものが攻撃されたことで、信長が築き始めた新体制が未だ盤石ではなく、旧勢力がなお抵抗する力を持っていることが露わになる。結果として襲撃は失敗に終わるが、本圀寺の変は「信長が擁立した…note.com