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やって来たのは足利市にある鑁阿寺(ばんなじ)です。歴史的な足利氏ゆかりの地だそうで。お寺の堀には大きな鯉がたくさんいましたよ。落ち着いた静かな秋の雰囲気です。本堂には例により参拝いたしましたよ。
「一条家」「二条家」「三条家」と、計らずも「○条家」紹介のシリーズと化してしまった当ブログ。だったら「四条家」もやってしまおうと、今日はそんな試みです。自己満足もここまでやるとかえって清々しいってもんよ。四条家は、大河ドラマ『平清盛』と『鎌倉殿の13人』の時代ドンピシャ(ちょっとオーバーするけど)なので、今年のうちにやるとちょうどいいですしねw四条家は、藤原氏善勝寺流の流れをくむ家です。善勝寺流は、以前に紹介した奈良時代に左大臣にまで登り詰め、そして失脚した藤原魚名の
北条からたどれる足利氏の歴史。実に面白い。太平記の最初の回の祖父切腹は、無かった(北条にくっついていた)か。3代目で天下獲れ云々も創作?など。でも高時の時代になれば北条、いい加減にせいや‼️も、わかる気がするわい。
『鎌倉殿の13人』では「畠山重忠の乱」が終わり、北条家最後の晩餐が描かれたそうですね。「鎌倉殿の13人」オンベレブンビンバの謎が判明!(外部リンク)https://www.cinematoday.jp/news/N0132553「畠山重忠の乱」は、時政と政子による権力闘争の、明らかな第1ラウンドになってしまい…。これに限らないけど、「どうしてこうなっちゃったのかなぁ」と、そんな想いで一杯になりますね。ただ、畠山重忠がいなくなった後の世界を義時&政子が掻っ攫っていく過程に
そういうわけでもありませんが、21日(水)、たまたまほんとに久しぶりに、市内の宮原にある宮原御所跡だというお寺の前を通りかかりましたが、たまたま花が見えたので、緊急停止して、恒例でスマホで撮影した次第でした。花が見えたので、スマホで撮影でした。宮原御所跡ですが、現在は、明照院というお寺が建っている。場所は、姉崎~今富~新生~茂原方面に向かう県道の海上農協付近は、下の広大な養老川下流域の平野部からみると高台になっ
治承・寿永の乱、第63弾ですこれまでの話はこちらから。義仲の上野入国治承4年(1180年)10月13日。源義仲は信濃国から上野国に入国しました。この事はこれまで度々話に出てきましたが、改めて以下にこれを記した『吾妻鏡』の記事の訳と読み下しを書き出してみます。13日壬辰(みずのえ-たつ)。木曽の冠者義仲は亡き父・義賢の旧跡を尋ね、信濃国を出て上野国に入国した。それにより上野の住人等はようやく従うようになってきたので、足利俊綱(あしかが-としつな、足利太郎)の妨害で民が困
4年ぶりかな。久々に、山形県山辺の弁天そばを食べにいってきました。山辺の弁天水お水が美味くて、わさびも自家製。コシがあって食べごたえ十分。賑やかなお蕎麦屋さんです。そば屋の天ぷらって美味しいですよね~。家で作っても、こんなにサクサクできない。コロナ前に初めて訪れた時は、団体が多くてとても混んでましたが、この日は、空いてました(土日のみ営業)おそばを食べたら、必ず立ち寄るのが、この上にある弁天水。勢いよく流れる湧水。(大雨とかでなければ
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡栃木県足利市にある「出世稲荷神社」に行ってきました。足利義兼公ゆかりで、光得寺のすぐ近くにあります。参道がうっそうとした木々の中に続いてます。結構な角度の階段を上ると拝殿があります。手前に手水舎がありましたが、枯れていました。奥に本殿がありそうでしたが、ここも少し朽ちていましたのでここで引き返しました。参道入り口に社務所はありましたが、無人社でしたので御朱印はいただけませんでした。もう少しお手入れしてくれると嬉しいのですが。では、(*^-^*)ノ~~
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡栃木県足利市にある「吉祥寺」に行ってきました。足利頼氏公ゆかりのお寺です。あじさいが素敵なお寺でもあります。お寺周りにあじさいが一杯咲くそうです。6月頃が見頃です。私がお邪魔したときはほとんど枯れてました。立派な本堂です。お賽銭箱の所にさいころあります。やってみました。「参」でした。イヤハヤ耳が痛いw本堂の裏山一派に檀家さんのお墓があります。少しお邪魔してみました。足利市内が一望出来ます。かわいい仏様もいます。あじさい満開の時に来てみたいですね。因
今日は、2022年に中学受験で出題された「足利氏に関する問題」を紹介します。親子で挑戦してみてください!2023年に出題された「足利氏に関する問題」は、下記を参照ください。『2023年に中学受験(歴史)で出題された「足利氏に関する問題」』今日は、2023年に中学受験で出題(首都圏国立・私立中学校152校)された「足利氏に関する問題」を紹介します。親子で挑戦してみてください!2022年に出題…ameblo.jp--------------------------------
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡栃木県足利市にある「八雲神社」に行ってきました。足利の祖、源義国ゆかりの神社です。手水舎龍のお口から水が出てきます拝殿本殿ここ、絶えず人が来るんですよ。無人になったと思ったら直ぐ別の人がお参りに来ます。では、(*^-^*)ノ~~マタネーにほんブログ村
【龍の書庫YouTubeチャンネル】を立ち上げたのは2021年12月14日、吉良義央公のご命日でした。まだやるの?忠臣蔵・桶狭間【馬鹿のひとつ覚え】足利一門を叩きたくて仕方ないそうです※動画で語るのはこれが限界!続きはブログにて※どんなに国家予算・税金・受信料を注ぎ込まれようが、もう国民は踊らされない。歴史を取り戻すー国民それぞれ自らが思い込みを疑い、【歴史】という事実を調べ、学ぶ新時代の幕開けを迎えました。なんでもかんでも【センゴクサンエイケツ】、このネタさえやっておけばいいと
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡栃木県足利市にある「鑁阿寺」の御朱印です。直書きです。実にシンプルですね。では、(*^-^*)ノ~~マタネーにほんブログ村
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡栃木県足利市にある「鑁阿寺」に行ってきました。大日様の名前で親しまれている、足利で一番有名なお寺です。足利家ゆかりのお寺で、足利学校の真後ろにあります。室町時代建造の山門下がハトの糞で大変な事になってます。足利氏の自宅があった場所です。東門北門は工事中でした。西門手水舎大銀杏多宝堂本殿。鎌倉時代の建造物です。ここのお寺は全てに重厚感あります。御霊屋お寺から駅に向かう途中に足利尊氏公の銅像がありました。絶えず参拝客は訪れてました。
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡栃木県足利市にある「樺崎八幡宮」に行ってきました。足利義兼公死去後、義氏公が整備したみたいです。ここにも茅の輪がありました手水舎ここも無人ですこの鈴は鳴らした方が良い?と思ってたらお参りする前に鳴らして、神様に「お参りに来ました。」と知らせるみたいです。源氏をめちゃくちゃアピールしてます。ここもボチボチ人が来るんですよ。帰ったなぁ。と思ったら入れ替わりで別の人がお参りに来る。その繰り返しなので、常に1人、2人はいました。では、(*^-^*)ノ~
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。本日取り上げるのは足利氏(´Д`)!源氏の一族で、室町幕府の将軍家としてよく知られています。室町幕府を開いた足利尊氏、金閣を建てた足利義満、銀閣を建てた足利義政などは特に有名ですよね。大河ドラマの「麒麟がくる」を見ていた人
今日は栃木県足利市までツーリング。約1時間ちょいでしたね。最初(実際は2ヵ所目)に訪れたのは、天台宗乾坤山徳蔵寺。山門本堂(奥)とお庭五百羅漢堂お堂の中には514体がピラミッド状の台座に安置されています。かな地蔵尊庚申塔愛染明王堂いただいた御朱印はこちら↓気さくなご住職に見開きで五百羅漢尊と揮毫していただきました。納経料1,000円数種の御朱印ありました。栃木県足利市猿田町9-3次に訪れたの
宮城県加美町中新田の中新田城跡にある【斯波家兼の銅像】です▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼斯波氏は足利の姓を公称する御家人で、足利尾張家とも号する名門であった。徳治3年(1308年)斯波宗氏の子として生を受ける。父は早世したらしく、早くから3歳年長の兄・斯波高経が公式の場で公務を務めている。やがて鎌倉幕府が倒れ、建武の新政に叛旗を翻した足利尊氏が延元元年6月(1336年)九州から京都に戻ると、7月若狭守護に任じられる。北陸へ赴くと南朝・新田勢と争い、越前守護の兄と協力して南朝
『太平記』において、主人公である足利尊氏と武家の棟梁の座を争うライバルとして位置づけられている新田義貞ですが、本当にこの二人は対等の存在だったのでしょうか?否、断じて否!鎌倉幕府なる軍閥がこの世に産声を上げる前であればまだしも、治承4年に源頼朝が平家打倒の兵を挙げ、足利氏当主・足利義兼の後に新田氏当主・新田義重が頼朝の軍門に下った時点で対等とは言えない関係にあったことは明らかなのです。義兼が頼朝から上総介に推挙され、頼朝と相婿関係になるなど源氏一門の御家人の中でも「門葉」と呼ば
足利政氏の館跡の次に訪れたのは加須市にある足利持氏・春王・安王の供養塔。久喜市の政氏館跡からは30分ぐらいで着いたのでおそらく15kmぐらいの距離だと思う。親子関係を整理すると4代目の鎌倉公方、足利持氏の子供が春王・安王丸、そして生き残ったのが永寿王丸(=後の足利成氏)でその息子が足利政氏と名前が”氏”だらけでややこしい。足利持氏は永享の乱で敗れて自害、その息子春王・安王丸は弔い合戦(=結城合戦)を仕掛けるも敗れて捕らえられ、護送中に斬首と共に悲惨な結末を迎えた。この親子三名の供養塔がこの龍興寺
ふー、気が付けば初夏!おかしいですねぇ、まだ弥生な気がするんですけれどね・・・会計ソフトじゃないよ!あ、でも会計ソフトも決めませんとね、税理士決めてから・・・Excelだと、誰も引き受けてくれないでしょうしね・・・暴露可の銀行アカウント決めておきませんとね。そうそう、昨日のフリーザ様第二形態の件ですが・・・急病センター小児科の患者数の推移-新しい風<公益社団法人宮崎市郡医師会のBLOG>本年8月以降の患者数の増加は、新型インフルエンザの流行を反映しているものと思われます。
最寄りの図書館の新着図書コーナーで見かけた一冊、思わず手にとってしまいましたですよ。先ごろに武蔵国分寺跡などを訪ねまわった折、その堂宇は鎌倉幕府打倒を目指して戦った新田義貞軍の敗走に際して焼失した…なんつうことに触れたばかりであったものですから。手にした一冊のタイトルは『対決の東国史3足利氏と新田氏』というものでありました。「対決の東国史」の3巻目ということですので、既刊である2巻「北条氏と三浦氏」とか、これから刊行されるらしい「源頼朝と木曾義仲」とか、そういう内容のものの方が(大河
足利とは将軍とはそれが何か見せつけてやる足利とは、将軍とは、それが何かゆりかごから墓場まで、最新研究を基に実情を解説した「事典」です。近年の室町時代ブームの追い風を受け、このような将軍に特化した一冊が発売されるようになりました。歴代将軍のみならず、簡潔ながらその子弟にも触れられており、『室町幕府将軍列伝』まで手が出なくともこの一冊があれば一通りは知りたい情報に手が届くと考えています。『鎌倉殿の13人』では兵衛府の唐名(中国風の呼び名)が「武衛」であることから
おはようございます。浄妙寺の裏山の鎌足稲荷神社がある右手の方向へは、道が見つけられませんでしたが、左の方向へは、道が見つけられました。鳥居がありました。この辺りには、足利尊氏の弟で、尊氏を補佐して室町幕府成立に大きな働きをした足利直義の屋敷がありました。上の方の境内は直義の創建しました大休寺が廃寺になった場所に作られたのだそうです。直義は尊氏と対立した為、1352年(文和元年・正平7年)に浄妙寺の場所にありました尊氏の兄高義が創建した延福寺に幽閉され、2月26日に急死しております。
足利尊氏公や大鎧が好きだから、名乗ってみたい名字は足利です。他には、スクウェアエニックスの『フロントミッション3』のエマ編の武村和輝も好きだから、武村ですね。足利尊氏公の大鎧のレプリカ名乗ってみたい名字は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
「鎌倉武士物語」今井信雄著河出書房新社1991年刊こんばんは~やっと読み終わりました~先日の紹介の続き、書きます!後半は、ほぼ教科書レベルの人たち(親鸞・日蓮・阿仏尼)がいて、そこはフムフム読みました。以下、気になった内容memo〔星また消ゆ・三浦一族〕前将軍・頼経、三浦光村(泰村弟)、大蓮坊覚地入道(安達景盛)。三浦館~現・横浜国大附属中学校の付近。安達館~甘縄神社の東。泰村~法華堂、光村~栄福寺まで後退。泰村妹婿の西阿入道、同・千葉秀胤。〔八幡宮の
支藩のこと、100円書斎Love。Club大人の休日倶楽部会員誌2021年12月Clubは大人の休日倶楽部の会員に送られてくる会員誌なんだけど、けっこう面白い記事があったりして楽しみにしていたりする。2021年12月号は「源氏の名門足利一族の選択」と題して足利氏の紹介、特に尊氏以前のことは、なかなかマイナーなんで面白い。もうひとつ江戸時代の支藩という存在とその城下町について。一ノ関とか黒石とかがそうだったんですね。地方でもちょっとした小都市を訪ねるのも楽しいかもしれませ
●德川家康の家系図1(先祖・世良田氏)新田氏(ウィキペディア)世良田氏(ウィキペディア)松平氏(ウィキペディア)得川氏(ウィキペディア)徳川氏(ウィキペディア)世良田氏(系図)世良田東照宮由来武家家伝・新田氏松平氏と世良田氏世界帝王辞典・徳川氏日本通信百科事典・世良田氏清和源氏系図9(義国流下野源氏)(吉良有信・大河内宗綱)清和源氏氏系図13(新田義重)徳川氏系図1(松平氏・18松平1・平手氏)松平氏(三河国加茂郡松平郷。愛知県豊田市松平町。ヤフー地図)源
●青木氏・華陽院の家系図※参考文献武家家伝(青木氏・青木氏丹党系、混在)青木氏(ウィキペディア)ニッポン旅マガジン・青木さんのルーツを探せ!秀吉と家康とを繋ぐ青木一族(ヤフー地図)◎甲斐国巨摩郡青木(山梨県韮崎市清哲町青木)(青木樹海ヶ原)。武田青木氏。◎武蔵国入間郡青木郷(埼玉県飯能市青木)。武蔵7党青木氏。◎近江国坂田郡青木(滋賀県湖南市石部。青木大明神?)。近江青木氏。◎美濃国安八郡青木村(岐阜県大垣市青木町)。美濃青木氏。◎
●蜂須賀正利の家系図1(大橋氏・豊臣秀吉)蜂須賀氏(ウィキペディア)蜂須賀系図1蜂須賀城主(尾張国海東郡蜂須賀村)(愛知県あま市蜂須賀。ヤフー地図)武家家伝・蜂須賀氏※ウィキペディア・蜂須賀系図1清和天皇(850年5月10日~881年1月7日)貞純親王(873年?~916年6月10日)源経基(みなもとのつねもと)(?~961年12月25日)源満仲(912年4月29日~997年10月6日)源頼信(968年12月21日~1048年6月1日)源頼義(988年~1075年8月2