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浄妙寺⑤極楽将軍父の墓前回に続いて、鎌倉の浄妙寺です⬇️『鎌倉浄妙寺④極楽征夷大将軍』鎌倉浄妙寺極楽征夷大将軍鎌倉御家人の足利氏の菩提寺【浄妙寺】です。最近の直木賞作品の『極楽征夷大将軍』を読みました。足利尊氏や弟の直義など南北…ameblo.jp足利尊氏・直義兄弟の父の貞氏の墓です。鎌倉末期の幕府の御家人として活躍した足利貞氏です。足利家は源氏の一族で、鎌倉時代に北条家とは常に親族関係にあった家柄です。北条家と上
鎌倉浄妙寺極楽征夷大将軍鎌倉御家人の足利氏の菩提寺【浄妙寺】です。最近の直木賞作品の『極楽征夷大将軍』を読みました。足利尊氏や弟の直義など南北朝時代の物語です。そんな事で、南北朝の鎌倉関連中心に廻りました。作中で弟の直義が、兄の尊氏の事を述べています。『兄の唯一の、そして最大の美点は底なしに人が良いと言う一点のみだ』殆ど政事に興味がなく、弟の直義や執事の高師直が政策の担当しました。本人は、褒美をあげる役を好んでして
足利学校の後は足利氏の氏寺である鑁阿寺へお参りに行きました。御本尊の大日如来さまの御朱印を拝受しました。広々とした境内は自然が豊かで癒されました。◇続きます。
美術館から歩いて10分程で足利家の菩提寺、鑁阿寺(ばんなじ)に到着です。寺の周りは堀に囲まれていて自分は太鼓橋門から入りました。ここには足利氏歴代の住居跡もありましたので外堀は防御の意味合いもあったと思います。以下は鑁阿寺の本殿や宝塔等の画像ですが先日訪れた高野山を思い出しました。っていうかその壇上伽藍を参考にしたのかもしれません。ウィキによればここ鑁阿寺は1197年、高野山は816年の創設です。鑁阿寺の後は織姫神社に向かいましたが道筋の商店街の荒廃ぶりは何処の地方都市も同じですね、まあ人口
今迄、用語集を、端から端まで、読む事は無かったのですが、この「室町時代用語集」を、読むことによって、金閣や、銀閣しか知らなかった、室町時代が、結構劇的で、面白い時代だなと思いました。特に、私の注目を引いたのが、後醍醐天皇です。また、天皇中心の、世の中を作る為に、島にながされても、何度も、足利氏に、戦いを挑み、彼の根性には、感心させられました。室町時代用語集Amazon(アマゾン)
鑁阿寺の門前通りの喫茶店八蔵足利学校を離れ、足利氏の邸宅跡でもある鑁阿寺(ばんなじ)に向かいました。人が歩いている方向になんとなく付いていくと、鑁阿寺の門前通りに出ました。その頃には意外に暑くて休憩したくなっていました。ちょうど、ネット検索していた喫茶店を見つけたので早速休憩です。とても人気のあるお店で、予約をして席が空いたら電話で呼んでもらうことになりました。門前通りに戻ってぶらぶらしながら鑁阿寺の門を見つけたところで呼び出しがかかり、お寺に入る前に戻りました。家人は、アイスコ
前から足利に行ってみたいと思っていて、どうせなら藤も見たいと思い、あしかがフラワーパークに寄って足利の町を訪ねてみることにする。天気は上々で、来週になるとゴールデンウィークに入るので混むだろうかとその前なのだが、すごい人だ。駐車場もすごく広いのだが、それもいっぱいになっている。ナンバーを見ると県外ばかりで、福島、千葉など愛知まである。パークに入るとすぐに藤の花が広がっていて、一本の幹からこんなになるのはすごいものだ。1980年代に町の整備で移動したというのをどこかで聞いた覚えがあって、書いて
最近知ったYouTubeチャンネルこの動画見てから室町時代好きになりそうちゅーぎしんちゅーぎしんここから芋蔓式に見て頭から離れない室すぎて町!の方が有名なのかな?でもこの替え歌も大好き足利氏とかほぼ興味なかったのにもう1回日本史勉強しようかな
室町時代のナンバー2「管領(かんれい)」になれるのは「斯波氏」「畠山氏」「細川氏」の3つの家がありました。名付けて「三管」。室町時代のナンバー3「侍所所司」になれるのは「山名氏」「赤松氏」「京極氏」「一色氏」の4つの家がありました。人呼んで「四職」。「三管四職(さんかんししき)」の「信長が登場するまで」の歴史語りも、今回で7回目。最後は「一色氏」を、いつものように好き勝手に語り散らかして、このシリーズを〆たいと思います。一色氏は、「四職」の中で唯一の「足利
言い訳になっちゃうんですけど、「信長までの室町時代の歴史」シリーズ、最初は本当に「織田氏」だけのつもりだったんです。それが、時事ネタ絡みで「斯波氏」をやり、「じゃあ三管だけやるか…」で「畠山氏」「細川氏」に手が伸びて、ここで本当に終わり!…というつもりが、「応仁の乱」の東軍「細川氏」をやったら西軍の「山名氏」もやらないとね…となり。ならば山名氏と張り合った「赤松氏」も…と、気が付いたら芋づる式に「四職」も2家をやってしまってしまいました。こうなってしまっては仕方がありませ
今回は室町幕府の公務員について考察できた限りのことを述べさせていただきます。公務員の分類これより室町幕府の場合は国家公務員と地方公務員の棲み分けは下記のように理解することができることを説明していきます。・国家公務員征夷大将軍征夷将軍奥州探題羽州探題蝦夷沙汰職代官守護国衆将軍代官将軍家出向国衆格公家将軍家出向国衆格寺社将軍家女房及び侍女・地方公務員将軍家領役所詰め役人征夷将軍家家臣奥州探題家家臣羽州探題家家臣蝦夷沙汰職代官家家臣守護家家臣国衆
「室町幕府」のナンバー2「管領」を務めることができる3つの家「三管」。これまで「斯波氏」「畠山氏」をやってきたので、今回は最後の「細川氏」について語って行きます。なお、「細川氏」といえば以前、こんなブログをやったことがありました。系図で見てみよう(細川家/細川護熙サン)(参考)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-11750197395.html「日本新党」党首にして内閣総理大臣・細川護熙サンまでやるのは、さすがに行き過ぎでもあり(笑)
土器と古墳を見たあとは近くの城跡を見に行って来ました🙆埋蔵文化財調査センターから歩いて30分ほど、小弓(おゆみ)城跡に行って来ました😃(石碑は北小弓城となっているが北小弓城と南小弓城があり、南小弓城は最前線を防御する砦的な機能をしてたので一つの城だったという説もあるらしい)小弓城は千葉氏の重臣である原氏によって築かれたとされていて、足利氏に1回、里見氏に2回、計3回も城を奪われているが3回とも原氏が取り返したという😳原さん強いじゃん🤣小弓城の陣屋跡とされている生実神社(こちらも“
以前にも語りましたが、「三管四職(さんかんししき)」とは、室町時代の家柄を表す言葉。室町幕府のナンバー1は「将軍」で、ナンバー2は「管領(かんれい)」。「管領」になれる家は「細川」「斯波」「畠山」の3家だけ。人呼んで「三管」(「三管領」)。管領に次ぐ重職、室町幕府の軍事機構「侍所」の長官「所司」になれる家は「京極」「山名」「赤松」「一色」の4家だけ。名付けて「四職」。で、先日「三管」の一角である「斯波氏」を特集したので、どうせなら他の2家もやってしまおうよ…と、思い立ちま
今日は旧暦で「丙午年正月元日」なんだそうです。ハッピーニューイヤー♪(ご挨拶)先日、「織田信長」が登場するまでの「織田氏」について特集しました。「信長」までの織田氏(関連)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12955591599.html織田氏は「尾張守護」を補佐する「守護代」の一族で、信長の家は「守護代」の代理である「又守護代」に仕える「守護代奉行」の出自。いわば分家の分家、下っ端の下っ端という家柄。ここから、やがて頭角を現
浪人で流れ者だったと言われていた、北条早雲。そもそも本人は北条を名乗っていません。あくまで伊勢新九郎盛時。最近の研究では室町幕府の直臣だったと言われています。8代将軍義政の弟の義視に仕える、申次衆でした。申次と言うのは、作戦を立てたり、外交に関与する軍師にあたります。所謂、参謀役、補佐役でした。伊勢盛継が、室町幕府初代足利尊氏に仕えました。伊勢氏は、代々足利氏に仕えます。駿河太守の今川義忠が遠江遠征中に討死し、後継を巡って争いが起きます。盛時
正解は…栃木県宇都宮市の宇都宮城と足利市のあしかがフラワーパークでした。以前からTVであしかがフラワーパークのイルミネーションを見て、行きたいなと思っていました。で、最近あしかがフラワーパーク駅も出来てアクセスしやすくなったので、足利氏の館のついでにイルミネーションを観ることにしました。岐阜旅行記事がまだ終わっていませんが、こちらも書き出そうと思いますのでご覧くださいね
足利学校の竹灯りと竹毬。落ち着いた雰囲気の中の足利学校の図書館。さて、足利学校の次は---鑁阿寺(ばんなじ)にやって来ました。鑁阿寺は足利氏の菩提寺だったかな。
『この国のかたちー五』ー司馬遼太郎●室町の世ー①✪本来、関東に置かれてきた武家の政権(足利幕府)が、京におかれたのは、14世紀の京がもつ旺盛な文化と経済の勢いに、足利氏が乗ったといっていい。1374年、足利三代将軍義満がこの町域(北小路室町)に一大第館を営んだ。以後、人びとは、「室町殿」と呼び、後の世では室町幕府とよぶ。ほぼ200年つづくが、ほとんど乱世であった。政治制度を鎌倉幕府にまねながらも、質朴さは真似なかった。室町殿には花をもつ草木がさまざまに植えられた。『本朝通鑑』では「世人之
清和源氏では元服後は添臥の姫を迎えて経験させる。添臥姫に子が出来れば当然庶流として新たな領地を得て名字を名乗る事になる。清和源氏嫡流は軍事的に強大で公卿と繋がりが有る事が必須条件で有る。奏任官ー自分の権限で朝廷の役職を任じれる官職ーを持つ事は冊封出来る土地を持つ事と共に重要になる。但し清和源氏は源氏相剋の歴史と言われるくらい氏の長者で当主の座を巡った争いは凄まじい。特に源を名乗れる家が鎌倉時代に三代で絶家してからは次の嫡流で有る足利氏内での争いは激しく原因は足利氏嫡男を新田に封じて分家させて
日本最古の学校、足利学校へ。1549年には、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されている。入徳門をくぐると、窓口で"足利学校入学証"と"學生証シール"が交付される。サプライズ!休憩所のロッカーに荷物を預け、ビデオ上映を観てから入場しました。学校門は足利学校のシンボル。字降松(かなふりまつ)読めない字や
室町幕府・・・足利氏が京都に開いた幕府、足利幕府とも。足利尊氏が建武式目を制定し、京都に幕府を創始した延元元年(建武3年;1336年)から、15代将軍義昭が織田信長のために京都から追放された天正元年(1573年)までの237年間の武家政権を指すことが多い。3代将軍義満が京都室町の新第を幕府としたので足利政権をこの名でよぶ。ちょっと前に、歴史的に有名な足利義満が、大河ドラマで役者さんによって演じられたことがなかったことを書きました。『【あ】足利義満
2025年の中学入試・社会では、「足利氏」に関する問題が数多く出題されました。足利尊氏が開いた室町幕府から、義満・義政・義昭と続く将軍たちの政治や文化は、入試で定番のテーマです。金閣や銀閣、東山文化や北山文化といった文化史の知識に加え、応仁の乱や南北朝の合一など、歴史の流れをしっかり整理することが求められています。ここでは実際に出題された問題をまとめましたので、復習や学習の参考にしてください。📚実際の入試問題にチャレンジ!■問題1神奈川大学附属中学校足利義政が
清和源氏系図━56清和天皇━━貞純親王━━源経基━━満仲━┳頼光━━頼国━━頼綱━┓┃┏━━━━━━━━━━┛┃┗━仲政━━頼政┗頼信━━頼義━┓┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┗┳義家━┳義宗┃┣義親━━為義━┳義朝━┳
ちょいと前、先月末のEテレ『古典芸能への招待』で取り上げられた『仮名手本忠臣蔵』の大序を見ていて、「そうだったなあ、赤穂浪士の話は室町時代、足利の世の話に移し替えられていたのだっけ」なんつうことをうすぼんやりと思い返しておったりしたところで、こんな一冊を手にとったのでありますよ。題して『足利の血脈』と。本書は、戦国を語る上で欠かせない「足利氏」をテーマに、7名の歴史時代作家が書き下ろした短篇小説を収録したアンソロジー。…これまで戦国史を語る上で、メインで書かれることがなかった「足利氏」を軸
白川藩大名墓所で丹羽長重の墓など見学し、戊辰戦争の痕が市内各所にある事を知りました。そういえば復元された白河小峰城にも戊辰戦争の銃痕がある木材が使われていたな。最終日、栃木県さくら市喜連川にも寄りました。10000石から大名と呼ばれる中、5000石なのに国持ち大名と同格・参勤交代免除という、とんでもない大名家の墓の見学です。龍光寺の門が閉まっていたので横から。璉光院。こちらは㊁の家紋がよく写っていますが、龍光寺にも同じ「ふたつひき」の家紋。足利氏です。
※上杉憲顕墓所国清寺・・・憲顕は、当初畠山国清の菩提寺であったものの、畠山国清が反乱を起こし、畠山国清弟義深にも放置され、荒れ果てていた国清寺を再興、国清の供養をするとともに、自らの菩提寺として中興しました戦国期には北条家、江戸時代には伊豆韮山の代官江川家に保護されています上杉憲顕の墓7️⃣南北朝〜室町中期の墓・供養塔シリーズ関東管領上杉家パート1.⑨上杉憲顕の生涯〜上杉氏による関東管領世襲化
※上杉憲顕墓所中央の石塔・・・中央に4基(残欠含むと5基)あり、右端の小型の宝篋印塔が憲顕ではないかとのことですこの石塔群も、残欠を集めて組み合わせたものにみえますが、宝篋印塔は、ほぼ完形をとどめています上杉憲顕墓所はあくまで、「伝」ですが、憲顕一族(山内上杉宗家)の菩提寺は国清寺ですので、銘文が読めず、石塔も組み合わせ、後補の形跡が見られるため、伊豆の国市文化財課は「関知していない」そうです住職の話では、先々代と先代、檀家の方々が裏山にあった石塔を移してきたので、自分も知
※上杉憲顕一族墓所左側五輪塔・・・後補があり、残欠を組み合わせたような気がしますが、かなり古い五輪塔で、中世(南北朝、室町初期)の石塔であると思われますが、摩耗が激しく銘文が読めないので誰のか分からないとのことです上杉憲顕の墓5️⃣南北朝〜室町中期の墓・供養塔シリーズ関東管領上杉家パート1.⑤上杉憲顕の生涯〜観応の擾乱へ足利尊氏、義詮期=室町幕府初期の「将軍権力基盤の脆弱
※上杉憲顕と一族の五輪塔群・・・左手前の3基の五輪塔は大きく、一番大きい五輪塔が憲顕のものかと思いましたが違うようです上杉憲顕の墓4️⃣南北朝〜室町中期の墓・供養塔シリーズ関東管領上杉家パート1.③上杉憲顕の生涯〜上杉氏の台頭憲顕は、南朝残党を駆逐して、何とか越後一国を平定します。しかし、憲顕、上杉氏にとって「一大事」が起こります。それは、尊氏と直義の対立が激化し、大きな