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きょうは赤穂鉄道(有年駅〜播州赤穂駅)が1921年4月14日に開業した記念日です。赤穂鉄道は1951年12月12日に廃止されました。写真は赤穂市内のバスの車庫の前にある立札です。
今日はスマホの写真。ドクターイエローを撮ったときに寄った坂越駅でこの看板を見た。千種川を渡った南側に観光名所があるが、私が注目したのは千種川の北、赤穂鉄道の二つの駅跡。もし見れるなら、と行ってみることにした。ただ砂子駅跡は見つけられず次回以降の課題となり坂越駅跡に行った。赤穂鉄道は現在のJR有年駅から播州赤穂駅を千種川に沿って走っていた軽便鉄道。赤穂から山陽本線へのアクセスを担っていたと同時に赤穂の塩を輸送していた。1915年に開業して鉄道のほかバス事業も行っていたが、1951
今日は暖かかったです。坂越から赤穂までのウオーキングに参加しました赤穂鉄道砂子停車場跡の桜桜を見ると心がウキウキしますね▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
■【有年駅跡周辺】→【富原駅跡周辺】有年駅南口の駅前に赤穂鉄道・有年駅に関する看板がありました。昔はこんな感じだったんですね。現状はこんな感じです。大きな空間があるだけでした。こんど廃線跡巡りに来たいと思いました。参考資料【廃線探索・赤穂鉄道】【廃鉄の処女2:赤穂鉄道1999】【追記用スペース】(作成2022)【旧赤穂鉄道:(起点駅)有年駅跡周辺→富原駅跡周辺(赤穂方面)】【リンク:富原駅跡周辺】■のりかえ【JR山陽本線・有
アイヌ協会長がサケ“密漁”「和人の許可は要らぬ」の波紋Yahoo!ニュース知人が続ける。「自由にサケ漁を行っていたのに、明治時代に和人が一方的に禁じ、権利を奪っ...「家父長制」今も根強くラジオ商事件弁護士、角田由紀子氏講演要旨徳島新聞歴史を振り返ると、明治時代から敗戦までは男性優位の家父長制が基本構造だった。妻は男子を産むのが務めとされた。生殖の義務化は、性行為において妻の...(かあさんのせなか)養老孟司さん名言「心かけたが手はかけず」朝日新聞母は明治生ま
この春休みを利用して、またまた親戚の子供さんが来られたので、広島まで1泊でお連れすることにしました。さて、このブログで何度か登場している彼ですが、私の鉄道好きが完全に移ったようでして…(汗)ただ、以前は私が主導権をとって訪問していたんですが、少し自我に目覚めたようで、今回は自分から広島の国鉄型電車を撮影したいとリクエストがありましたので、普通の方の観光旅行とは違い、単に鉄道を撮影するだけのために訪問します。さて、我らが「軽トラック」での移動になりますので
赤穂鉄道廃線跡ロングジョグその1からの続きです。時々、チャリダーさんとすれ違ったりしながら進むと、赤穂鉄道・真殿駅跡に着きます。この辺りは木々に覆われて見所がないうえに、薄暗いので気味が悪い(ノдヽ)スピード上げて走りたいけど、足の裏のこともあるし、スローペースで進んでいきます。しばらく走ると民家が見えてきて、集落に入っていきます。赤穂鉄道・富原駅跡に到着。あとは有年駅跡を目指すのみです。しばらく走ると、R2に出るので、相生方面へ進んでいきます。
四万十に向けての練習ができておらず、今日こそはと思い、ロングジョグに行くことにしました。予定としては、赤穂城跡→有年駅→相生→御津→姫路城のルートで50kmは超えるだろうという感じ。赤穂城跡からスタート。快晴だけど暑くはなくラン日和♪大石邸長屋門赤穂城大手門を抜けていきます。しばらく走り、ウエスト神姫赤穂営業所前に到着。なぜ、ここで立ち止まるのかというと、ここに赤穂鉄道播州赤穂駅があったそうです。赤穂鉄道は戦後、国鉄赤穂線が開通するまでの間、山
4月の月間走行距離、130km。今年の目標は年間通して月150kmなのです。今日、20km走らないと目標に届かないということです。目標ありきで練習はしていないのですが、月末にLSDにいくと決めていたので、30km走ると決めて走ってきました。スタートは海浜公園から。今日はがに股走法にならないよう、足の運び方を意識し、走る姿勢も意識していくのがテーマです。少し走っていくと、ツツジの花が咲き始めていました♪やはり春が本格的に訪れると、色んな草木の花が咲いて華やかになり
探索日1999/07/20、2009/01/11山陽本線有年駅と播州赤穂駅を結んでいた12.7kmの路線軌間は762mm1951年12月12日廃止砂子駅跡の碑播州赤穂駅から2.5km北にある停車場で、乗客がある場合にのみ列車が停車していた。駅舎は待合所のみの簡便な建物であった。また、裏山には保線用の土取場があった。線路跡は奥へまっすぐ続く田んぼ脇にわずかに路盤が残っている看板が立っている位置が線路跡路盤が残っているこの道路が廃線跡?それとも、川の右