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午後からの授業をさぼって、私たちは「その場所」へ向かった。そこは、前々から行ってみたいと思っていた場所だ。吉祥寺駅の北口を降りると、すぐに古い商店街のアーケードが見えた。逸る気持ちを抑えながら、アーケードをくぐるとすぐに「その場所」にたどり着くことができた。「ここだ!」感嘆とも喜びともつかない言葉をほとんど同時に口にした友人と私は、互いの眼で何かを確認したように頷く。おもむろにドアを開けて入っていく友人の後に、私も続いた。ドアを開けた瞬間に、大音量の音楽が胸にズシンと響
運命の赤い糸。吉祥寺まで。結構時間見計らって行ったんだけど、何だか乗り物の連絡が良くて、30前に着いちゃった。それにしても、バスも中央線も「ガラガラ」怖いくらいだもんで、ちょいと探索。昔行った「赤毛とそばかす」どの辺だったけかなぁ…。「この辺だったっけ」VELOCEが…やってないだけだよね閉店とかじゃないよね「時間潰せない…」偶然にもほどがある…。しょうがないので「弁天湯」の写真でも…、と撮っていたら、声をかけられて、振り返ると、何と「みめさん(笑)」
吉祥寺探索。ちょいと早めに着いたので、昔懐かしい場所を…。すっかり変わっちゃってるね。養老の滝。世の中が「吉野家」の牛丼で盛り上がる中「養老の滝」が「養老牛丼」を出した。吉野家の並盛りが300円、それに対抗して養老牛丼の並盛りが200円…。貧乏学生は、その「100円」が惜しくて「養老の滝」へ行った。味は…。とにかく腹が膨れればよかった。「3軒隣で並んでたんだ…」赤毛とそばかす。ロック喫茶。自分がリクエストしたレコード(LP)を大音量でかけてくれる。初めて行ったのは大
最近は常に住みたい街ランキングで上位に入る武蔵野市吉祥寺エリア、でも、古くからこの街にかかわりのある人からすれば、全く違う街並みに変わってしまったと思うはずです。かく言う私もその一人で、生まれ育った場所ではありませんが、吉祥寺のアパート三ヶ所で都合16年暮らし、その後一旦離れてから、持ち家として三鷹市に居を構えておよそ20年、吉祥寺にはひとかたならぬ愛着を持っています。吉祥寺をただの町から、サブカルチャーの先陣となる街に変えた一人の人物がいたから、ここまで名前を知られるエリア