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昭和の「元始、女性は太陽」赤松良子さん赤松先生が亡くなりました。労働省に入り常に「女性」の権利や立場を理解し改革にまい進した人でしたね。1985年の「男女雇用機会均等法」。本人は不満だったようですね。でも少ずつ変わることを信じ、その後も取組んでいきました。後半は日本ユニセフ協会会長としても尽力しました。「女性に参政権がないのはおかしい」と、小さい時から思っていたとか。「女のくせに」という言葉が嫌いだったとか。今で
土曜日朝にNHK総合で放送されている「あの人に会いたい」今朝は今年2月に亡くなられた赤松良子さんでした女性官僚の草分け的存在でお飾り的だった女性官僚の扱いに「もっと私に仕事をさせて下さい」と直談判して子育てもしながら道を切り開かれ女性の地位向上のために大変尽力されました今回の放送で知ったのですが赤松さんが女学生だった頃日本ではまだ女性に投票権はなかったそうです調べてみると、日本で婦人参政権が認められたのは昭和20年(1945年)79年前実際に女性が投票したのは翌年
今年になって90代女性の訃報が続きます。安倍洋子さん95歳岸元首相妻安倍晋三母書家名門政治一家を長年支え「政界のゴッドマザー」と呼ばれた。晋三元首相の最期お辛かったことでしょうね。赤松良子さん94歳1942年(昭和17年)大阪府立夕陽丘高等女学校を終戦の混乱の中、1946年(昭和21年)に卒業し、神戸女学院専門学校(現:神戸女学院大学)の中退を経て、津田塾、東大を卒業。労働官僚、外交官、政治家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。播磨地方の守護大名赤松氏に連なる家系である
2024年2月、元文部大臣で日本ユニセフ協会会長の赤松良子氏が亡くなりました。赤松氏は、労働省職員であった時代から男女平等の推進に取り組み、1985年の(a)制定に尽力しました。この(a)には当時、財界からの反発が根強くありましたが、赤松氏は、日本が(b)の批准をするために必要な国内法であり、批准できなければ日本が先進国としての立場をまずくすると訴えて説得し、制定の実現に貢献しました。その後日本では、1999年に(c)、さらに2018年には(d)が制定されましたが、男女の格
2024年2月8日朝日新聞朝刊先週男女雇用機会均等法の成立に尽力された赤松良子氏が亡くなられた。訃報を聞くまで寡聞にも氏のお名前は存じ上げなかった。赤松良子-Wikipediaja.wikipedia.org官僚、そして政治家として議員のクオーター制や夫婦別姓など男女平等にむけて活動されていたそうです。また日本ユニセフなどにも貢献されていました。このような先人の女性たちが築き上げてくれたものに大いに感謝します。ウーマンリヴなどを経験された上の世代の
今日は神田明神へ遅い初詣です!本日のあかりちゃんは微動だにせず日向ぼっこ!かわいいです!!先週ユニセフの赤松先生の訃報のニュースが…前のお店のお客様だったのでとても残念ですご冥福をお祈り致します北綾瀬の美容室ASILEのホームページ
赤松良子さん死去94歳、男女雇用機会均等法成立に尽力:日本経済新聞元文相で日本ユニセフ協会会長の赤松良子(あかまつ・りょうこ)氏が死去した。7日、同協会が発表した。94歳だった。お別れの会を行うが日取りなどは未定。1953年に東京大法学部を卒業後、旧労働省に入省。婦人局長として85年の男女雇用機会均等法の制定にあたった。駐ウルグアイ大使などを歴任し、93〜94年に細川護熙内閣で文相を務めた。2003年に旭日大綬章を受章。08年に日本ユニセフ協会の会長に就いた。議席や候補者の一定比率以上を
男女雇用機会均等法の産みの親である赤松良子さんの著書。『男女平等への長い列』男女雇用機会均等法(均等法)が成立したのは1985年5月17日施行されたのは1986年4月1日だ。同法が施行されてから37年、私たち女性が今、当たり前に手にしている権利は先人たちの絶え間ない努力によってもたらされている。私が社会人になったときには、女性は2,3年で退職するのが当たり前だった。しかも、名目は寿退職でなければならならない。定年も男女で差をもうける会社が多かった。男性上司が
タイトルの本につきましてご紹介させていただきます====================内容紹介(出版社より)これから人生の半分を生きるすべての「妹」たちへ50代からの女性たちに贈る珠玉のメッセージ!世代と世代のはざまで、さまざまな現実に向き合わねばいけない50代からの女性たちの毎⽇は、想像以上に大変です本書はそんな⼥性たちに心を寄せ、人生の少し先を歩く「姉たち世代」である12人の女性たちが「そっと背中を押すような」メッセージをまとめたものです=====
この一家ってなんですか👿pic.twitter.com/kZmXaykj69—ものちゃんmk2(@monochian_mk2)August13,2022『亡くなった中村哲医師もユニセフは1割しか貧困者に寄付金が回らないと語っていました。』『9割はユニセフ内部で消化されてしまうそうです。』https://t.co/Ln7VH4qVhz—チャメゴン(@chamegon1027)August13,2022『ユニセフ募金1割しか被災者に渡らない…9割はどこへ‼️
こうした活動の意義には賛同する者であり、大切なことと思っていますが、先述の私の記事内では、クオータ制に頼らない方法として<女性主体政党・政治会派>の創設を提案しています。率直な感想を述べますと、こうした活動よりも、女性自らが政党あるいは政治グループを創り、政治参加を自ら行なう方が、大変ではあるけれど、有効と考えるのです。特に赤松さんは、その創設発起人の代表に相応しい方と思うんですね。この続きはWANへの投稿と「クオータ制を推進する会」活動と(ohnoharuo.com)
三連休明けで、11日火曜日から本格始動。「心理学研究」のコロナ特集と「大学教育学会誌」の研究論文を読んだ。コロナ特集は遠隔授業について、いろいろ考えさせられた。いろんな「強者の論理」があるなあ…と。オンデマンド授業が良いという意見は、自分自身で学習や健康の管理をしっかりできる強者の論理でもあり、他方で同時双方向が良いというのは、ネットワーク環境や家庭の学習環境(自室があるかなど)に恵まれた強者の論理であったりする。さらに対面授業が良いというのは、普通に毎日通学できる人たちの論理だった
日本経済新聞に連載されている「私の履歴書」は、赤松良子さんが今月のご担当でした。これまで、「私の履歴書」に登場される方は、会うことがない遠い存在でした。ですが、赤松良子さんは、政治分野における男女共同参画推進議員連盟や、同じ趣旨の会合でよくお会いします。沿いう意味で、私にとっては大先輩ながら身近に感じられる存在です。「私の履歴書」を通じて、赤松良子さんが、これまでの人生で、多くの苦労を乗り越えつつ、道を切り拓いてこられたことを改めて知ることができました。そして、道を切り開くことができた
今月の日本経済新聞朝刊の私の履歴書は、日本ユニセフ協会会長赤松良子氏です。赤松氏については、日本ユニセフ協会会長というより、元文部大臣いや男女雇用機会均等法立案にあたった当時の労働省婦人少年局長と言った方がぴんとくるのではないでしょうか?彼女の半生を今回改めて知るほどに、彼女の頑張りが、今の女性活躍の基礎を作ったに違いないと思います。私自身は、男女雇用機会均等法以前世代であり、先輩同期の女性は皆、当時の一般職・事務職といわれ、総合職と呼ばれた大卒男子とは、まさに差別・区別されており、同期の
今月の日経新聞連載の「私の履歴書」は日本ユニセフ協会会長、赤松良子です。最初、「知らない人だな~」と思ったのですが、「いや、待てよ。最近、この名前を見たぞ」と思って思い返してみると、つい最近読んだ本の中に出てきた名前だったからでした。「津田梅子」著:大庭みな子赤松さんは津田塾出身だったんですね。津田塾から東大法学部に入り、労働省へ。この連載の第7回に労働省に入ったときのことが書かれていますが、そこに出てくる藤田たき、森山真弓も津田塾出身。この人達の女性の地位向上にかけ
こんにちは。男女雇用機会均等法は社労士試験の一般常識でも重要な法律ですし、実務でも常に頭に入れておくべき、大切な規定ばかりです。この法律が制定されたのが1985(昭和60)年。当時その中心となって動いたのが、旧労働省婦人少年局長だった赤松良子さんです。現在、日本ユニセフ協会会長として、92歳を迎えた今も現役で活躍されています。⚫︎私の履歴書で知る赤松さんの情熱毎朝、日経新聞を読んでから出勤するのが日課になっていますが、その最終面「私の履歴書」に12月1日から赤松さんの連載が始まってい
今の職場をパラダイスにしながら公務員を辞めた翌月に50万を稼いだ「いきなり売れるための起業術」をお届けする「新・勤め人ライフ」コーディネーターのんです初めましての方は、のんのプロフィールをご覧ください。:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-+:最近、テレビの録画を観ていて(ちなみに録画したのは夫)私がかっこいいー!!!と魂が震えるレベルで感動したりしびれた女性達が何人かいてみんな
好きな事を仕事にしたい自分の才能を発見して活かしたいもっと自分らしく活躍したい仕事とプライベートのバランスをうまく取りたい仕事にまつわる様々な想いや願望があると思います。働く環境、人間関係、色々な課題もあると思います。働く自由働かない自由それを選ぶ権利って女性はなかった時代がありました。今でも色々と課題はありますがこの課題すら当時は夢のまた夢。男女雇用機会均等法が制定されたのは1985年、施行されたのは翌年の86年。それまでは女性は宿場の花でお茶汲みや雑用がメ
敬老の日今年は本当に素敵な先輩たちとのご縁が広がり深まっている年だと思います。元文部大臣/現日本ユニセフ協会会長男女雇用機会均等法が出来た立役者先日、88歳になられた赤松良子先生。ティーンエイジャーの時に戦争を経験され女性と男性がまだ別々の教科書で学んでいた時代に違和感を感じ働く権利を今の世代に広げて下さった方。今もなお、後輩たちにその知恵や人脈などの宝をシェアされています。そんな赤松良子先生とお仲間が展開される赤松政経塾では様々な世代、様々な分野の女性たちが集い、
今日はお昼に日本で三人目の女性大臣、男女雇用機会均等法をつくられた立役者でもある赤松良子先生の米寿のお祝いの会がありました。赤松先生のお陰で私達はいまキャリアを選んだり、追求したり様々な可能性のある人生を歩む事が出来ているのだと思うと素晴らしいロールモデルが今もなお輝き続けてお元気でいらっしゃる事に感謝の気持ちでいっぱいです。清く楽しく逞しくがモットーの赤松先生。社会のためにも、人のためにも、大切な人たちのためにも、自分のた
先週末は、国立公文書館主催の講演会へ。登壇者は、元文部大臣の赤松良子氏と、作家の森まゆみ氏のおふたり。赤松氏といえば男女雇用機会均等法の立役者。社会を大きく変えたこの法律の制定にあたり、どのように会社のトップたちを説得したか、など驚きの事実も多々あった。今回の講演会は女性の社会進出に関するもので、赤松氏は、男女雇用機会均等法、森氏は、平塚らいてうの話。両方とも聞きごたえのある内容だった。特に赤松氏の話を聞くにつけ、あのとき労働省婦人局長が別の人だったら、日本における女性の