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勝央町黒土〈くろつち〉と美作市上相〈かみや〉の境を東西に走る道路は、江戸時代、津山藩によって整備された出雲街道にあたります。現在、その脇で発掘調査を行なっている上相遺跡では、この道路に沿うように延びる2本の切り通しが見つかりました。この切り通しの底にはいずれも細かな砂利が敷かれており、出雲街道に先立って使われた道の跡と思われます。特に、上幅9m、深さ3.5mもある南側の切り通しは、断面がV字形をした山城の堀とよく似ていて、あるいはその技術を応用してつくられたのかも知れません。山城が築かれは
播磨・城山城その3最終章中世の山城である主郭部へ突入しました。あらかじめ申し上げておきますが、ご期待に副える遺構はありません。そして後は、下山するだけです。現地説明板赤松満佑自害し落城後、山名宗全(持豊)(応仁の乱西軍総大将)の統治を経て再び赤松氏の城となったが、天文年間(1532~1555)に尼子晴久(山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任し、当時の中国地方随一の大大名)に攻め込まれて陥落し播磨攻略の拠点とされた。しかし、尼子軍が撤退するといつしか廃城となった。
場所京都市下京区八百屋町、西八百屋町七条赤松家の由来の地赤松範資の屋敷があったと云う。西堀川通。こちらが平安京の堀川通。以前訪れた芹根水の碑。西堀川通を北上。梅ヶ枝手水鉢。かつてあった説明板。梶原景季の逸話が残る。暗渠となった堀川はここで東へ逸れて行く。さらに北上し堀川七条へ。下魚棚通を渡ると八百屋町。でも、下魚棚通の南側の町名、鎌屋町と書いてあった???そして西堀川通が七条通と交差。どこにあるのかな?赤松兵部邸跡を訪ねる時に見た『中昔京師地図全』を見る
所在地京都府京都市東山区小松町587山号-宗派臨済宗建仁寺派本尊観音菩薩創建室町時代開基蘭洲良芳雪村友梅が一時居たと云う建仁寺の境外塔頭です。祇園のメインストリート花見小路。初音小路を西へ。当初はこの辺りに清住院があったと云う。通りを西へ進むと清住院に突き当たる。清住院の開基は蘭洲良芳(1305−84年)。天文年間(1532−55年)に火災に遭い焼失。承応2年(1653年)に茂源紹柏(1599−1667)が再興した。開基の蘭州
今日は引き続き信長の野望武将風雲録の続きです。前回、讃岐を大苦戦しながらも占領した後ですね・・・1567年10月播磨の赤松氏に臣従するように迫ったのですが姫を人質に出してきました。1568年2月因縁の因幡の三好討伐へ出陣します。なんと3か月に渡る攻防戦・・・本当にきつかったですが敵ながらあっぱれということで三好家臣は全て許します。因幡を占領したことで毛利討伐も本格化・・・備前へ出陣。だけど播磨の赤松氏が微妙に邪魔になりつつあります。陸路侵攻ができないですからね。1569年5月
9月6日
7/31(月)、気温が低くなりそうだったので、「青春18きっぷ」を使用して「有年山(うねやま)城」(兵庫県赤穂市)に登城してきました。JR「大阪駅」から7時58分発の新快速で「姫路駅」まで行き、この時間帯は「姫路」発「岡山行」の直通普通電車がなく、「相生駅」で乗換えて次の「有年(うね)駅」には9時38分に到着しました。下車して駅隣接の観光案内所的な所でレンタサイクル(300円)をお願いし、「有年山」麓まで行きました。以前「有年」で下車して「千種川」沿いの「鍋山城」へ行き、「有年山城」
<速報>本日、気温が低くなりそうだったので、「青春18きっぷ」を使用して「有年山(うねやま)城」(兵庫県赤穂市)に登城してきました。JR山陽本線「有年(うね)」で下車して駅隣接のレンタサイクルで「有年山」麓まで行きました。「有年山城」↓ルートが何本かあって、まずは一般的な「八幡神社」側の「南郭」から上がりましたが、気温は最近の中では低い方でしたが、やはり比高差約180mは非常にキツく、何度も休憩を繰り返しますが汗がどんどん湧いてくる感じで、凄くバテました。途中の「岩場」
場所神奈川県伊勢原市串橋播磨志方城主櫛橋氏の故地と云う。最寄駅は大山登山の起点、小田急伊勢原駅。大山街道田村通りを北上すると、伊勢原大神宮に着く。伊勢原由来の地。伊勢原開村400年。開村前は千手が原だった。伊勢原交差点から国道254号線を西へ進むと、八雲神社があります。由緒書。もうここは櫛椅郷(櫛橋郷)らしい。隣りに毘沙門天社。相模国府がこの付近にあった時、国府の北の毘沙門池畔に祀られていたと云う。ワープ!八雲神社から北西に行った所に毘沙門池があります。池
全国お城の「石・石垣シリーズ」もいよいよ最終コーナーとなってきました。『「石」の使われ方』において只今は、「石積み(石塁・石列)」が見られるお城をご紹介しています。本日は、「近畿(兵庫③)」(兵庫は⑤まであります)をお届けします。「石積み(石塁・石列)」は、「石垣」とは区別して分類していますが、この区別は見た目ではなかなか難しいと思っています。というのも、「石垣」は石を積み上げていきますが、その際に石の裏側に「裏込石(栗石)」や「土」を入れて排水を良くする等の技法を用いて、近世
明徳3年(1932)、室町幕府将軍足利義満は、南北朝の合一を達成。吉野に居た後亀山天皇は、京都に戻ることになる訳ですが、この時、決められた「天皇は、南朝系、北朝系、交互に出す」という約束は、守られなかった。そのため、後亀山天皇以降、その血統を継ぐ小倉宮や、南朝を支持する人たちが、室町幕府に対して、度々、反乱を起こすことになる。それらの勢力が、その後、「後南朝」と呼ばれたそうです。闇の歴史、後南朝後醍醐流の抵抗と終焉(角川ソフィア文庫)Amazon(アマゾン)584円この
登城日2023年5月6日(土)曇難易度☆☆☆場所滋賀県甲賀市信楽町下朝宮37赤松満祐が在城したと云う京都から伊賀へ抜ける時よく通る国道307号線沿いに赤松氏ゆかりの城があったなんて…目印は茶のみやぐら。向かいの山に朝宮城山城があった。登城口。朝宮城山城跡(赤松城跡)と書いてある史跡碑が目印。登って行く。倒木で道が良く解からなかった。後で、ここを直登すれば着くことが解ったが…今回は断念。少し西へ進み、ここから登る。緩やかな傾斜で登り易い。ここ
自称トキの赤松氏自分の息子でもおかしくない成相手にギリギリの3ラウンド持ちました北斗天帰掌とは実力伯仲同士が奥義を出し合い相手の拳で倒れようとも怨まずってあくまで実力伯仲同士がって事こんなクリーンヒット久しぶりに見て狭いリングで相手を見失う53歳を見ました送別会来ないのに殴られまくったのに送別会代頂きました週のはじめの月曜日無茶した赤松氏心配です久しぶりに大笑いさせて頂きました北斗天帰掌!
英賀城(姫路市飾磨区英賀宮2丁目)岩繫城ともいう。南は海、西は夢前川、東は水尾川に面し、北は湿地帯で守るのに大変都合のいい城であった。鎌倉時代には砦が造られていたが、室町時代になると播磨の守護大名であった赤松氏の一族が守った。しかし嘉吉の乱(1441)によって勢力を失った後、三木氏が城主となって城をさらに整えた。天正八年(1580)秀吉に滅ぼされるまで約140年間三木氏は、的形から室津の間を中心にその周辺を支配し一大勢力を誇っていた。城内には本丸・二の丸を始め、一族がそれぞれ大きな屋敷を構
寝て起きて、寝て起きてしても続きに三回も由加神社のお祭りの夢を見たと先日ブログに書きました。銀行回りの帰りに、ふと目に入ってきた由加神社の看板。『そうそう、ここの広場にお店が沢山出てる夢だったんよね~・・・』そう思っていたら、なんだが素通り出来ない気がして、お参りしてきました。だれかお参りしてるご近所の人もいるみたいだから、行ってみよう!・・・と思って思い切って駐車場に車を止めた時には先ほどまでいたご老人の姿も無く・・・『あれ・・・平日に勝
前回のブログでお届けしましたが、2/12(日)の午前中に、城友と一緒に「三石城」(岡山県備前市)に登城し、午後からは2駅東寄りの「有年(うね)駅」まで移動しました。「三石駅」からJR「山陽本線」で「有年駅」へ移動「鍋子(なべこ)城」(兵庫県赤穂市)へは、「有年駅」前でレンタサイクルを300円で借りて3.7kmの道を進みます。レンタサイクル貸出場には、赤穂市教育委員会発行の「文化財をたずねて」というパンフレット各種置いてあり、その中で今から登城する「鍋子城」についての情報と縄張り
嘉吉の乱――室町幕府を変えた将軍暗殺(ちくま新書1683)Amazon(アマゾン)242〜3,010円嘉吉の乱、というよりは室町時代の播磨の豪族・赤松氏の盛衰がまとめられています。足利義満は強大な権力を背景に、複数の国の守護を占めていた山名氏や大内氏など有力大名家の内紛を焚きつけて介入し、その勢力を削ぎ落とします。その子、義持も同じことを企み、目を付けられたのが赤松氏でした。父の跡を継いだ赤松満祐は備前・美作守護の継承は認められましたが播磨守護は没収され、又従兄弟で将
所在地京都府京都市左京区上高野水車町17山号朝崇山宗派臨済宗大徳寺派本尊弥勒菩薩創建康永年間(1342~1345)開基竺堂円瞿(じくどうえんく)禅師赤松範資開基の寺紅葉の隠れ名所です。高野川から八瀬と比叡山を見る。紅葉の名所、蓮華寺。以前は穴場だったと思う。今日は人一杯でパス。鯖街道をさらに進む。崇道神社。早良親王を祀る。小野妹子の子、毛人の墓があるという。何か良さそう…いつか訪ねてみようと思う。崇道神社の参道の東隣に
登城日2022年11月23日(水)雨難易度☆場所兵庫県加古川市野口町野口391-3三木城の支城です。古大内城から国道2号線を挟んで北に三木城の戦いで羽柴秀吉が攻めあぐねた野口城があったと云う。真北に進むと教信寺。山陽道に面する山門。山門脇の説明板に野口城跡の表記。野口城は近世山陽道の南北どちらかにあった。本堂。教信寺では野口城の御城印が貰えるらしい。秀吉の三木城攻めの際に全焼してしまったと云う。境内の沙弥教信の墓所。説明板。もう一つの説明板。境内の東側
登城日2022年11月23日(水)雨難易度☆場所兵庫県加古川市野口町古大内457赤松氏の祖、源季房の居城と云う賀古駅家跡に築城されたと云う。JR山陽本線東加古川駅が最寄駅ですが、新快速が停まらないので、加古川駅から向かいました。せっかくなので、昭和59年(1984)に廃止された高砂線の廃線跡を進みました。駅の北側から。東へ進みます。しばらくは加古川線と線路を共有。この辺りから分岐。廃線跡に家が建ち並んでいます。廃線跡に建った家は周囲より新しい。ここ
まず最初に場所はココ:白旗山細野登山口地図通り、国道から少し入ったところ。国道沿いに案内板がたくさん出てますので、道に迷うことはないと思います。駐車場は広めなので停められないことにはならないと感じました。余裕で5、6台は停められるかと。登山口入口付近、秋ですね、柿が鈴なりに実ってます。手を伸ばせば届くようなところに、ですが、採りはしませんよ、(・・;)一応、渋柿ではなさそうだし・・・登山口まで来ましたが、入場は次回へ持ち越し、m(__)m
場所東京都千代田区永田町1丁目旗本赤松氏江戸屋敷跡約1306坪あったそうです。江戸の古地図を見ていて見つけてしまった。たまにお世話になっている国立国会図書館の近くにあったとは…昨年訪れた赤坂見附交差点を外堀跡から見る。青山通り大山道の始点。赤坂御門。赤坂門から江戸城内へ入る。富士見坂の南側には出雲松江藩松平氏上屋敷があった。現在は衆参議院議長公邸になっている。東京女学館発祥の地でもある。懐かしの東京メトロ赤坂見附駅9a出口。富士見坂を登った先で首都高が分岐。
春のポカポカ陽気に誘われ低山ハイクを兼ねた久しぶりの城跡巡りへψ(`∇´)ψ場所は家からすぐ近所姫路市内からだと北に10kmほど行ったところにある標高370m山城置塩(おきしお/おじお)城跡室町時代後期播磨国を中心に勢力を伸ばした守護大名赤松氏5代が居城としていたその山城...そう、何を隠そう我がご先祖さま筋が主君としてつかえた赤松氏の山城現在、登山口から整備された道を登っていく事が出来ます。とは言え、かなりの急斜面...九十九
前回は六角で横道に逸れてしまったけど、姫路市Webマップによると『この碑は、明治33年、六角公の450回忌を記念して子孫の本城氏が建立した。碑には、始祖は赤松氏で、山名氏との戦いに破れ書写山に遁れていたが、やがて山を下り、荒地を拓いたとある。』ここにも嘉吉の乱の足跡が…ここから六角村の名前が付いたんやろうな。花山法皇か性空上人を訪ねて来られた頃はまだ香山と言われていたのでしよう。昨日の記事にした地蔵尊は、この辺りに在ったのでしょう。六角氏の子孫の本城氏は今も名士のようです。こちらの
場所静岡県賀茂郡東伊豆町稲取3175赤松氏の史跡?最寄駅は伊豆急行稲取駅。稲取は築城石を切り出した地と云う。石丁場。石を運ぶ様子。切り出した西国大名たち。駅前の通りを東へ下って行くと、稲取漁港に突き当たります。きんめ処なぶらとと。金目鯛の煮付食べたいなぁ~なぶらととの南に三嶋神社が鎮座。鳥居脇のお地蔵さま。手水舎。石段を登って境内へ。右の狛犬。左の狛犬。社殿。境内から海が見えました。稲取の鳩?由緒書。旧地には赤松社があると書いてある。御縁起。
小谷区に来ました。公民館嘉吉の乱で有名な赤松氏の居城跡地があるようです。また覗いてみますか。
所在地東京都台東区寿1-11-7山号満照山宗派真宗大谷派本尊阿弥陀如来創建寛正2年(1461)開基赤松満照(釋浄欣)播磨赤松氏ゆかりの寺三河から移って来たと云う。眞敬寺は浅草蔵前近くに建つ寺。平成23年(2011)の東日本大震災で本堂が半壊してしまったのを機にビルに建て替えられたという。山号の満照山は赤松満照に因む。赤松満照は赤松満祐の三男で、嘉吉の乱で城山城が落城した時三河に落ちのびたと云う。その後、蓮如上人に帰依し浄欽の法
【戦国こぼれ話】三木城主・別所長治は、なぜ織田信長を裏切ったのだろうか-Yahoo!ニュースYahoo!ニュース-Yahoo!JAPAN来る1月17日(天正8年・1580)は三木城が羽柴(豊臣)秀吉の軍勢によって落とされ、城主の別所長治ら一族が切腹に追い込まれた日だ。後藤健生の「蹴球放浪記」第93回「ロシアで食した美味しいものたち」の巻(1)「世界最古のワイン...サッカー批評後藤健生の「蹴球放浪記」第93回「ロシアで食した美味しいものたち」の巻(1)「世界最古のワイン
昨日(12/30)、「青春18きっぷ」3回目を使用して、雪の無い東方面の「三日月陣屋」(兵庫県佐用郡作用町)と「龍野城」「鶏龍山(けいろうざん)城」(兵庫県たつの市)を攻めた”速報”をお届けします。詳細は、追って来年早々にでもお届けしたいと思います。「青春18きっぷ」3回目いずれのお城も、JR「姫路駅」から「姫新線」に乗り換えて北西方向へ進みます。まず「三日月陣屋」は、JR「姫新線」で「播磨新宮駅」まで2両の列車で行き、そこから1両の列車に乗り換えて「三日月駅」で下車します。
今年の正月は初詣を自粛しましたが、来年は近場の書写山圓教寺と開山性空上人の隠居寺弥勒寺に行こうかと考えてます。そこで、書写山圓教寺のおさらい(というほど知ってる訳では無いけど。実はほとんど知らない。)で、書写山の周辺を彷徨いてみようと思います。播磨はなんと言っても赤松氏を抜きに語れません。説明書を読むと小さな城のようです。行政機関のための城というから、今で言えば市役所の出張所のような物?或いは圓教寺との連絡施設?なんと言っても西の叡山と言われ、3人もの天皇▪法皇が参拝に来てるんやから