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トップページ都道府県別索引へ城と星空のコラボは、なかなかに難しいものがある。市街地にある城だと光害で星はろくに見えんし、星空のきれいな場所にある城は森の中なことが多いし。だいたいからして急峻な山の樹木を伐採すると下草の生育が旺盛になってヤブになってしまい遺構が見えるように維持するのに手がかかるようになるし、越前の玄蕃尾城などのように雨水に遺構が浸食されて損傷することにつながる。そのような中で星空とコラボが出来る城は、遺構を見やすくするために樹木を伐採し、浸食されぬよう芝生を張ったり
先週の日曜日と月曜日に、南紀・熊野に行ってきました。熊野を散策したのは2015年2月以来、10年ぶりでした。第一回の記事はこちらです:https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12941781331.html第二回の記事はこちらです:https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12942363198.html瀞流荘に泊り、二日目は7:47のバスで出発しました。このバスは平谷というところから瀞流荘まで来て、
名称:赤木城城郭:平山城築城年:1589年築城主:藤堂高虎主要城主:藤堂高虎所在地:熊野市紀和町赤木122指定文化財:国史跡続日本100名城東郭へ主郭へ主郭西郭鍛冶屋敷地区城郭縄張図
前のブログ、「どうしてそこに建てられたのか分からなかった「赤木城」」6月25日(水)にNHK「戦国の築城名人藤堂高虎」を何気なく見ていた時に、行ったことのあるお城が出てきました。(戦国の築城名人藤堂高虎-歴史探偵-NHK)7、8年位前に、何もない山の中にお城があるということで、見に行ってきたものです。紀伊半島南部、三重県熊野市にある「赤木城」です。「日御碕神社の前に境港へ」昨日のブログ「日御碕神社の前に足立美術館」に引き続きの旅行記です。に関連してです。
6月25日(水)にNHK「戦国の築城名人藤堂高虎」を何気なく見ていた時に、行ったことのあるお城が出てきました。7、8年位前に、何もない山の中にお城があるということで、見に行ってきたものです。紀伊半島南部、三重県熊野市にある「赤木城」です。※三重県を入れなくて「くまのし」だけを変換すると、何回やっても「クマの死」になってしまいます。6月28日の東北新幹線のクマの祟りか。→クマ、コンプリートしてしまった!そばに有名な街道や川があるわけでもなし、本当にただ山の中にあるだけの
今日はお休みも母が愚痴ばかりで精神的に休まらず。お昼すぎからお出かけし鉄道雑誌の最新号を立ち読みしたりお買い物やマッサージに行ったりしてました。本題はここから4月20日の過去ログです今日もネタがないので昨日に続き過去ログ消化で。4月20日の夕方に紀和町へとお出かけしてました。県道沿いの展望台から丸山千枚田の景色を堪能。夕暮れ時
晩は友人とゆっくり話して翌日チェックアウト前に再び丸山千枚田にもっと早起きして行くべきですが起きれません名前は千枚田ですが実際には1340枚の水田近くの赤木城跡に来ました藤堂高虎によって作られた城石組みが残っていますこんな山奥によくぞ作ったものです凄い働力開けた展望木々が美しい帰りは道が通行止めへたっぴな運転で集落の狭い道を抜けて遠回りしましたやっと丸山千枚田まで
ファブとあも続日本100名城155『赤木城跡』に行きました赤木城は三重県熊野市紀和町にあります和歌山県新宮市の新宮城からの最短道路は通行止めで迂回して三重険道780号から田平子峠を通り赤木城駐車場へ(YouTubeモアぶひ巡り参照)この時の時間は16時16分続日本100名城のスタンプは道の駅熊野・板屋九郎兵衛の里にあり17時まで(電話したら16時30分まで)ママさんがスタンプをしに行きました駐車場にはパンフレットがあるのでそれを見ながら登城しました駐車場
13日の日曜日に赤木城跡に桜を見に行った。まずは、腹ごしらえで「HaneCafe」でランチ。私はハンバーグ定食。ハンバーグは目玉焼きの下に隠れてる友達は今だけ限定の牡蛎グラタン。食べさせてもろたんやけど、牡蛎がぷりぷりで美味しい。新商品のサクサクパイにカスタード生クリームのスィーツ(名前忘れた)をサービスしてくれた。赤木城は、紀伊国牟婁郡北山郷の丘陵(現在の三重県熊野市紀和町赤木字城山)に築かれた平山城である。標高約238mに位置し、高さ(比高)は約30-4
2018年に100年ぶりの新種として発見されたクマノザクラソメイヨシノの開花時期が3月下旬から4月上旬なのに対してクマノザクラは2月から3月と早く咲きます南紀エリアを走っていてもあちらこちらでクマノザクラの看板やノボリが目に付きますクマノザクラってこんなにもあるのかと思ってしまうほど一昨年の夏、クマノザクラの標本木が古座川町にあるって聞いて行ってみたんですけど↓世界に一つだけの桜|南紀
武将・大名で、お城好きの間で異常なくらい人気のあるのが藤堂与右衛門(→佐渡守→和泉守)高虎である。築城の名手という評価がその理由であろう。築いた城・縄張(設計)した城が10を超えるし、高石垣や建築に独創性があり、とくに塔層天守は彼の考案とされる。父兄の仕えた浅井家滅亡後、主を幾度も変えたのち、羽柴小一郎に仕官し家臣となる。紀伊国牟婁郡に特異点のような赤木城を築いたとされる。ただ、ぼくはそうは思っていないというのはここで何度か書いた。赤木城が築かれたのは与右衛門がまだ一万
三重県の観光スポットのお話🏯三重県熊野市紀和町にある、赤木城跡🏯に行ってきました。たまたま近くの温泉♨️に行き、帰り道に看板を見かけたので立ち寄ってみました熊野市紀和町赤木字城山の丘陵に築かれた平山城が赤木城🏯で、現在は城郭はなく、残った石垣のみの城跡となっています。紀南の熊野一帯は、南北朝の時代より入鹿氏など多くの土豪が勢力を倶持していました。1585年に豊臣秀吉の紀州攻めの後、紀伊国の平定を命じられた弟の秀長(後の和歌山城主)により検地が始まるが、1586年に山本氏ら熊野牢人衆に
三重県熊野市にある城。赤木城へ行くには何通りかありますが私は道の駅おくとろがある国道169号から県道40号を折れ、地図を確認しながら辿り着きました。城郭図左下の屋敷地区の下が駐車場で、等高線が表すように主郭は少し上った上にある。山中の丘陵部に築かれた平山城。赤木城へ向け散策開始。駐車場からすぐ現れる鍛冶屋敷跡。見上げると見事な野面積みの石垣。隙間が多く見えるのは、熊野は雨が多いので雨水を抜くための工夫らしい。さすが藤堂高虎。東郭・門跡登る途
来年の干支は巳🐍ですねー。蛇は、古くから豊穣神・天候神として信仰の対象とされてきました。脱皮をするヘビは「復活と再生」を連想し、不老長寿や強い生命力につながる縁起のいい動物と考えられています。また、蛇は餌を食べなくても生きながらえるため、「神の使い」として崇められてきました。脱皮した蛇の抜け殻を財布に入れたこともありました今年🐉は、元日から能登の地震で幕があけました。来年は復活と再生の年になりますように‼️令和七年のデザインです。家紋の色と日付の部分が変わります。紀州戦国屋オンラ
先日の赤木城訪問ですが、お城に引き続き、続日本100名城スタンプを目指し、再び車に乗って、西の方へ。途中、入鹿中学校の横を通ったんですが、↓オシャレ過ぎへん?そして、公式ガイドブックの記載に従って、スタンプを置いてあるという↓紀和町鉱山資料館へ。が、入口に行ってみると、「令和元年度末まで臨時で置かれたスタンプは、『道の駅板屋九郎兵衛の里』へ戻っています」ということで、↓お隣の”道の駅熊野板屋九郎兵衛の里”。置き場所変更と言って
先日、丸一日フリーな日があり、ちょっと遠目のお城に行ってみようということで、三重県の赤木城へと行ってきました。(今までに訪問した東海地方のお城は→こちら)赤木城は、三重県・奈良県・和歌山県の県境付近にあり、なかなか行きづらい場所にあります。同じ三重県の続日本100名城・田丸城や北畠氏館からも遠く、赤木城だけで訪問するしかないなと思っていましたが、今回実際に行ってみると、和歌山県の新宮城が意外と近かったです。お城の歴史としては比較的新しく、wikiによると、天正
赤木城は、築城の名手・藤堂高虎によって作られた、中世と近世の築城法を併用した平山城で、近世城郭の萌芽ともいうべき城郭機能が兼ね備えられています。また、朝もやに浮かぶ城跡は、幻想的で天空の城とも言われています。主郭には桜が多く、桜の名所としても知られています。田平子峠刑場跡は、豊臣、徳川両政権の重鎮であった藤堂高虎らの新領主に農民一揆で抵抗した北山の人々が処刑された刑場の跡で、こうした新領主に対し、在地の旧来勢力が抵抗を繰り返しながらも鎮圧されていく過程を示す重要な遺跡です。藤堂高虎は、天正1
伊勢の城巡りをしました。五箇篠山城→熊野古道高野坂→新宮城→鵜殿城→赤木城赤木城は訪城済ですが、同行者の希望で寄りました。三重県の城めぐりの履歴↓ーーーーーーーーーーーーーーー阿坂城→大河内城→霧山城比自山城、柏原城、伊賀上野城長野城➡伊賀丸山城➡東海道鈴鹿峠➡亀山城2016-12-24鳥羽城→田丸城→御在所岳→湯の山温泉2018.08.05熊野古道伊勢路→赤木城2020-01-04伊勢遠征:采女城→峯城→津城→2023-11-25伊勢遠征2:→霧山城→熊
小旅行2日目は良いお天気です道の駅ほんぐうでお散歩の後はお目当ての三重県赤木城続日本100名城No.155山の中ですが案内板がキチンとあるので迷わず到着〜ちゃんと駐車場もトイレもありますよ〜🅿️から見えてます少しだけ上ります石垣は残っている所あります天守は残っていませんが山頂部は平らに整備されています下から頂上を見た感じ駐車場にはこの
【2城目赤木城】新宮城からの転戦になります。赤木城は標高230m、比高30mの小規模な平山城ですが、尾根を利用した郭配置は中世山城の様式、高く積まれた石垣、虎口など戦国期の様式も合わせ持ったお城です。1588年頃に起こった北山一揆を鎮圧するために豊臣秀長公の家臣であった藤堂高虎公が築城したと考えられています。駐車場入口に建てられている案内板駐車場の様子、トイレとあずまやが併設されています。またトイレ入口にパンフレットが置かれています。パンフレットに記載されている縄張り図駐車場に建
『赤木城①・続日本100名城』赤木城2023年紀伊半島のお城3ヵ所と観光地1ヵ所を攻略します津城・続日本100名城新宮城・続日本100名城・初赤木城・続日本1…ameblo.jpの続きでラストです14:31これより赤木城を攻略します駐車場は10台ほど駐められトイレもありますトイレの面隠しを利用して、赤木城の縄張り図やパンフレットが置いてあります資料の補充も完璧ですツバメの巣🐤鍛冶屋敷跡東郭へ向かいま
赤木城赤木城2023年紀伊半島のお城3ヵ所と観光地1ヵ所を攻略します津城・続日本100名城新宮城・続日本100名城・初赤木城・続日本100名城・初丸山千枚田・初初攻略がほとんどで楽しみです三ヵ所目赤木城続日本100名城87番目に攻略したお城です続日本100名城はラスト13城です2023年12月26日13:32攻略スタートです水野家墓所(新宮城)より車で40分で到着しました通り
4月19日は、グレゴリオ暦で年始から109日目(閏年では110日目)にあたり、年末まではあと256日ある。====4月19日の出来事===1701年赤穂城が幕府に明け渡し。赤穂藩主浅野内匠頭の刃傷による浅野家断絶の為。(新暦5月26日)元禄赤穂事件。1775年ボストン市北西のコンコードで英軍と米植民地兵が武力衝突(レキシントン・コンコードの戦い)。アメリカ独立戦争開戦の契機となる。1880年新約聖書の日本語訳が完成。1897年第1回ボストンマラソン開催。1903年-ロシ
1年前の今日あなたが書いた記事があります↓紀和町は今日も雨だった|南紀のシーバス事情TeamI’z(ameblo.jp)そう、1年前の今日書いた記事があるようです見てみると紀和町の赤木城へ行った時の事を書いてるんですけど1年前の今日も雨お昼にマグロ丼を食べてから赤木城へ行ってみましたなんせヒマなんで毎年この時期の早朝に桜を見に行くんですけど午
トップページ都道府県別索引へ城と星空のコラボを狙い始めた3年ぐらい前から、ここは絵になるんじゃないかと狙ってた、赤木城。しかしココの天候は気難しく、夏秋冬と3度挑戦して全て曇られた😅諦めて日の出後にサッと見て回った時の様子。→過去記事紀伊半島の内陸は、冬の寒気団が強すぎると日本海の雪雲が消えずに流れてきて雲が湧くが、暖かい年末年始になると聞いた2024年元旦、近江から紀伊半島の西を大回りして突入した。早速…見えてるヨ✨東郭の虎口と石垣の上に、夏の名残を惜しむように天の川が
公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~南紀・三重編~和歌山県南部と三重県にある7城を3泊4日で巡る旅。今回は2023年2月26日(日)の2日目をお届けします。2日目は新宮城と赤木城を中心に巡ります。(初日はこちら)『日本100名城巡り~南紀・三重編~2023.02.25~28①』公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~南紀・三重編~和歌山県南部と三重県にある7城を3泊4日で巡る旅。今回は2023年
新宮市から北へ30㌔ほど。すぐ近くが海とは思えない深山の熊野山中、熊野市紀和町の赤木城へ。海は見えないが、絶景の山並みを望む城跡があるという。というわけでまず、いかがでしょう、城跡からのこの景色。城の向こう側の山からのこの景色。いや、それよりも何よりも、ブロ友のろくもんさん、ひっくんさんが赤木城をとうの昔にブログにアップしていたとは知らず、あわてて見直したとは、ったくもう。見てから行くべきだったなぁ、ま、いつもそんな類の反省が多く情けない…。ともあれ、本郭へと歩を進める
先日(7/1)、三重県熊野市にある続日本100名城の赤木城に行きました。これで165城目です。これまで三重県は未踏の地でした。残る未踏の地は鳥取県、島根県、山口県の3県のみです。熊野市紀和鉱山資料館の近くにある熊野・板屋九郎兵衛の里に行き、ランチと続日本100名城のスタンプをゲットしました。そばを食べました。(=^x^=)
全国お城の「石・石垣シリーズ」もいよいよ最終コーナーとなってきました。『「石」の使われ方』において「石積み(石塁・石列)」が見られるお城をご紹介しています。本日は、「東海・三重(後編)」からお届けします。「石積み(石塁・石列)」は、「石垣」とは区別して分類していますが、この区別は見た目ではなかなか難しいと思っています。というのも、「石垣」は石を積み上げていきますが、その際に石の裏側に「裏込石(栗石)」や「土」を入れて排水を良くする等の技法を用いて、近世城郭化が進められた過程の中で築か
2月に三重県のお城3城攻めて来ました。まずは名手藤堂高虎氏築城の赤木城からスタート赤木城の麓に無料駐車場があります。トイレもありで縄張り図パンフも設置されてます赤木城は奈良(吉野方面)へ抜ける北山街道と和歌山(入鹿・本宮方面)に通じる十津川街道が走っており金銀銅鉄の鉱物資源や木材に恵まれた場所にあります。縄張り見ると主郭を中心に東西南北の郭に守られてるんやな駐車場から攻める事すぐに鍛冶屋敷跡があります。資料によると入鹿で刀鍛冶が盛んに行われたとあります東郭と主郭の間にある虎口。赤木城の