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私と同世代もしくは若い男性でも、お世話にならなかった方は殆どいないでしょう。それは、漫画雑誌の週刊少年マガジン(講談社)週刊少年サンデー(小学館)この2誌が同時に創刊されたのが、今から65年前の今日・1959(昭和34)年3月17日のことでした。漫画本とはいえ、漫画自体の紙面占有率が4割程度で残りは文字だったという両誌の価格は、マガジンが40円でサンデーが30円。何で価格が違ったのか?それは、たまたま両誌とも大日本印刷が契約先だったことから、当時の
大学一年とか二年の頃、下宿生だったツレが「赤いペガサス」というマンガにハマっていました。当時、日本では「F1」など誰も知らなかった時代でしたが私は個人的に、親父が初めての車を買ったと同時に車にハマり小学生の頃、何で知ったのかポルシェが大好きでした。(小学生が知るくらいですから日本グランプリでしょうか)授業中、この車の絵ばかり描いていました。で、「赤いペガサス」の主人公は「ボンベイブラッド」という極めてまれな血
私の頭の中のスーパーカーを書き出します偏見や独りよがりがあります。気にしないで下さい。写真はイメージです【名前の覚え易さでまず覚えた車】ミウラ、イオタ、カレラ、ボーラ、メラク和製英語にありそうです。【漫画サーキット狼で覚えた車】ロータス、ポルシェカレラ、カウンタックトヨタ2000GT、BMW3.5CSLなど。【市販して欲しかったショーカー】フェラーリレインボー、ランボルギーニマルツァル、アルファロメオカラボ、ストラトスゼロ、ランボルギーニブラーボなど。【実車を見た事が無い
徳丸のセリフ『いつまでこれが続くんだろう・・・』が良かったです。リアルな本音だと思いました。徳丸のセリフは本音と思える部分が多いです。本音だけに、普通はこんなこと実際に言わないよね?という内容が多いと思います。実在の人の、本音だけ抜き出したらこうなる、というところでしょうか。レース中の本音など、ファンが聞ける機会はないのでなるほどこういう気持ちもあるのかも知れないと楽しめました(選手の実話に取材していると仮定して)。そういえば、自分としては『いつまでこれが続けられるんだろう』と思って見ている時
京都国際マンガミュージアム「村上もとか展」講演会編③タイヤもの他京都国際マンガミュージアムで開催中の「村上もとか展」後期展示と京まふイベントの一環として「村上もとか先生講演会とサイン会」が行われた。講演会禄その③こうやってブログに残さないと、自分自身、村上もとか先生のお言葉を❝聞いただけ❞で忘れてしまうので、忘備録としても残しておきたい。トークの内容はドルフィンがノートにメモした内容をリライトしたものです。言葉遣いや内容に違いがあるかもしれませんのでご了解を。タ
京都国際マンガミュージアムで開催された「村上もとか先生講演会」に行ってきた。6月から始まった「村上もとか原画展」も一部入れ替えた後半の展示になっている。月末にMotoGPもてぎ観戦が控えてはいるものの「村上先生にお会いできるチャンスはこれが最後かもしれない」と思い参加を決意したのだった(『熱風の虎』を読んで以来、この7月の講演会でようやく初めてお会い出来たくらいだから)。ちょうど『京まふ』とのアニメイベントも開催されているので、みやこめっせ会場も覗いていこうかと思ったら、会場に入る
京都国際マンガミュージアム「村上もとか展」村上もとか先生、かわのいちろう先生ライブドローイングトークショーの後、村上もとか先生が『侠医冬馬』の生原稿にペン入れをする様子をモニターに映し出す「ライブドローイング」イベントが行われた。トークショー同様、撮影は禁止。年末頃に誌面に掲載される予定の「鉛筆下書きがなされた1ページ」にペン入れをする手元をカメラで写して投影するというもの。村上先生が人物が鉛筆で描かれた原稿とペン類を取り出されて準備をされる。「一昨日ネームにO
京都国際マンガミュージアムで開催されている「村上もとか展」のイベントとして村上もとか先生と、『侠医冬馬』を共同執筆しているかわのいちろう先生のトークショー&ライブドローイング&サイン会が行われたので行ってきた。トークショーは事前にHPから参加希望の申し込みを済ませていた。子どもの頃―『熱風の虎』から読んできた大好きな村上もとか先生にお会いできる貴重な機会なので本当に楽しみにしていた。ミュージアム内多目的ホールの開場が12時30分。事前申し込みの際にもらった番号順での入室だ
京都国際マンガミュージアムで開催されている「村上もとか展」と「トークショー&サイン会」に行ってきた。子どもの頃から大好きだった村上もとか先生。東京・弥生美術館で「原画展」が催されていて「関西圏でもやってくれないだろうか?」と思っていた。さすがに東京までは行けない。京都で開催してくれるなら行ける!―と、喜んだ。さらには村上もとか先生のトークショー&サイン会まで開いてくれるのだから胸躍った。初めて村上先生にお会いできる!!と。今回の自作マスクは『赤いペガサス』の「BIRTONサ
こんにちは。あいおい(@Dkk8a)です。今日は猫の日ですね。2が三つ並ぶ(二月二十二日)ということでにゃんにゃんにゃんのゴロあわせで猫の日。良いぞ良いぞ猫好きのあいおいとしては大歓迎ぞ明日は祝日なのだから、いっそ猫の日も国民の祝日にしたら良きだってさ、食物連鎖の頂点は猫でしょ?人間は等しく猫の下僕であれと思ってる。世界の支配者ガーシーがどうのと言ってるんじゃなくて、猫の日を祝日にする話を進めて頂けませんかね。国会の皆さまさてさて。今日、Twitterのトレンドを見ていると
格闘系なら昭和からはあしたのジョー平成からはYAWARA!今なお連載中はじめの一歩球技だと…キャプテン翼スラムダンクタッチ最近ならMAJOR村上もとか氏のジャンルを問わない読者を引き込むストーリー性豊かなスポーツ漫画なら赤いペガサス(F1レース)六三四の剣(剣道)岳人クライマー列伝(登山)一作に絞るのはムリ
ボクを軽~く凌駕するF1オタク(70年代後半から80年代前半限定)のデンキンとのやり取りで黒ちゃん夫婦と共にスベリ込みの最終日村上もとか展デビュー50周年記念村上もとか展~「JIN―仁―」、「龍―RON―」、僕は時代と人を描いてきた。~村上もとか(1951~)のデビュー50周年を記念し、半世紀の軌跡をたどる。幕末医療ロマン「JIN-仁-」「侠医冬馬」、日中近代史を壮大なスケールで描いた「龍-RON-」を中心に、F1(「赤いペガサス」)、剣道(「六三四artexhi
今晩は仕事で疲れていると言うのに地区の自治会の会合が夜7時からあり2時間近く話し合いが行われ、やっと終わり今日こそは、うたた寝せずに記事を書こうと今パソコンに向かっております(汗)まだ、なぜか外付けハードディスクは相変わらず【アクセスが拒否されました】と画面に出るだけで何も解決しておらず全くハードディスクから取り出すことができないので今日のブログはブログ内の画像フォルダに入っていたのを使って書かせてもらいます。今日6月3日は漫画家の村上もとかさんの誕生日(1951年生
’70年代後半から’80年代初頭のF1ウイングカー時代には多くの❝変わりF1❞が登場した。ロータス78&79の大活躍によりベンチュリー効果でダウンフォースが得られると分かり、各チームが様々なボディ形状をトライしていた。1979年南アフリカGPに投入されたコパスカー・フィッティパルディF6/フォードもその1台。ロータス78をデザインしたラルフ・ベラミー氏が設計。ロータス79形状のウイングカーよりもマシン後部にダウンフォースの作用点を置きたかったため、サイドポンツーンを後部に移動させて
ベルトーネ308GTレインボーです。赤いペガサスで主人公:赤馬研の妹:ユキが乗っている仕様にしました。追加点は前後のナンバー、ドアミラーとアクセサリーでケン・アカバのヘルメット。ドアミラーは同じベルトーネのストラトス(ハセガワ)からチョイスしました(正確には判らないので)。レインボーそのものは、①.外装はデタッチャブルルーフの窓改造、ワイパー追加など、②.内装は246GTのキャバリノとオーディオらしきものを追加、③.シャシーはハセガワ製328GTBのホイールベースを延長したものをニコ
♫おっれの血は〜ガソリンの匂いがす〜る〜知ってますかねのこの歌、このレコード…TBSラジオでラジオドラマにもなりました。主役のケンアカバの声は古谷徹がアテてました。このレコード持ってたはずですが、何処に行ったのか、捨てちゃったのか…。『赤いペガサス』は、後に『六三四の剣』『龍-RON-』『JIN-仁-』といった作品も手掛けた村上もとかが1977年から1979年にかけて小学館の週刊少年サンデーに連載したF−1を題材とした漫画。映画『ラッシュ』のクライマックスとなったのが1976年の富士スピ
グッドスマイルカンパニーから待望の発売になった村上もとか先生のF1漫画『赤いペガサス』のサンダーボルトSV01改1/43ミニカー。架空ロゴ以外は全くロゴが入っておらずボディが寂しい。加えて主人公のケン・アカバは日系英国人なのでマシンには日の丸とユニオンジャックの二つが並んで描かれているはずなのに日の丸しかない。待ち望んでいただけに不満が残るミニカーになってしまっている。ならば、デカールを自作して貼り付けるしかない!今まで度々自作デカールは考えたが実行に至らなかった。つ
グッドスマイルカンパニーから発売された1/43ミニカー、サンダーボルトSV01改。村上もとか先生のF1漫画『赤いペガサス』の主人公マシンだ。13,800円とめっちゃ高価。だが昔から欲しかった1台なので速攻で飛びついてしまった。ミニカーの勢いがあった頃は京商1/64シリーズで「赤いペガサス・シリーズ」をやってくれないかな?と願っていたが叶わなかった。’70年代に発売されたポピニカは既に入手困難。ガレージキットが売られていたが納得がいくように作ることは自力では無理。15年くらい前
1977年から少年サンデー誌で村上もとか先生が描いたF1漫画『赤いペガサス』。レース漫画のバイブルだ。少年ジャンプ誌で『熱風の虎』を描いた村上もとか先生がF1漫画を連載している―と友人から聞いて「輸血リレー」くらいから読み始めて夢中になった。日本のサンダーボルト・エンジニアリングがBIRTON(バートン)タバコをメインスポンサーに1977年F1GPにフル参戦したというストーリー。エースドライバーはバートン推しのロック・ベアード選手。セカンドは日本人ドライバーが候補に挙がったが、
1977年連載の漫画の主役のミニカーが、令和のこの時期に新規で発売されるとは・・・グッドスマイルカンパニー(スパーク)1/43バートンサンダーボルトSV01改カー№31ケンアカバ1977オリジナル(カスタム)台紙70年代後半の第1次F1ブームと言われた頃に連載されていた漫画「赤いペガサス」の主人公、赤馬ケンの乗る“SV01改”のミニカーがグッドスマイルカンパニーから発売するという突然のアナウンスに、ミニチャンプスばりの価格なのを躊躇せずにポチってしまうという所謂“衝動
(*゜∀‘*)ノ☆。゚+.おはようございます.+゚。☆ペットのご飯は、当然人間様の後。私たちがお食事中は、ソファに座って、お食事終わりを待っています。まだですかぁ?もういいですかぁ?って、ちゃんと待てる良い子です。今日の間違い探し「赤いペガサス」少年サンダーで連載されていました。今日も良い日でありますように・・・
「ミニチュアグッズの魅力」えーと。実はワタクシ、いろいろあって免許は取らなかったのですが、車自体は好きでした。こどもの頃。だからスーパーカー消しゴムとかF1消しゴムとか持ってて、ボクシーのボールペンでレースをやったクチです。ワタクシの場合、同時期にF1漫画の『赤いペガサス』(村上もとか/小学館)にハマっていたことも災い(?)して、方眼紙(だったかな)でF1サーキットのミニチュア(F1消しゴムでのレース用)を作ったりもしました。まだ外国のことなんかロクに知らないのに、なんやかんや想像しな
ロータスので有名なウイングカーのちょっと前。ということで75年や翌年の並べてみました。6輪のだったりとか跳ね馬とかじゃないけど。というか悲しいことに両方ともまだ持ってないし(^_^;)。あ、タバコデカールはまだ貼ってない!後ろの2台、インダクションポットがこんなにそそり立ってたら、そりゃ規制の対象になりますよね。手前の、サイドのラジエーターが危なっかしいというかあやしいというか…でもスピードはピカイチ。ほんとカラーリングもそうだけど、この70年代テイストのデザイン、まさにかっこい
こんにちはいいお天気なので、うちで先生と遊んでおりましたよ(・ω・)ノ先生が遊び飽きて、寝転がってしまったので...更新をしてみましょうねこのようなミニカー出るそうですぞ(* ̄- ̄)SV01改発売元は、グッドスマイルカンパニーグッドスマイルカンパニーって、ねんどろいどを作っているところですよ(・ω・)ノお値段は...13800円お高いですね...1/43だから、掌にのせて、ちょっと大きいくらい持っているときに、先生にそばにいてほしくない感じのものですね、きっと..
電撃ホビーウェブ@hobby_magazine『赤いペガサス』主人公のケン・アカバの駆るサンダーボルトSV01改が、1/43スケールでミニカーに!グッドスマイルカンパニーより2021年8月発売!https://t.co/n2XjxtqWEd#赤いペガサス2021年02月16日12:00グッドスマイルカンパニー【公式】@gsc_goodsmile新商品情報!:「1/43サンダーボルトSV01改」▼商品情報はこちらhttps://t.co/NzsTj290FA#goo
いらっしゃいませ!相模原店ブログへようこそ!!ミニカー担当Nです。昔から車が活躍するマンガっていろいろありまして、そんなマンガの中の車たちは、結構ミニカーになっています。ここ十数年間の人気がある車マンガといえば『頭文字D』ではないでしょうか。そんな『頭文字D』のミニカーが本日2種入荷しました!!ひとつ目がコチラ!モデラーズ「1/64頭文字DセットVol.1藤原拓海トレノ(AE86)&乾信司トレノ2ドア(AE86)」タムタム価格:¥4,858(税込)-----
サーキットの狼読了懐かしさと同時に大人になったからこその再発見と感慨に浸りましたよ①最終回の伏線は序盤からあったこと②少年マンガの見栄え故かやたらと車両のクラッシュが多いこと③主人公の節目となるレースは3回(公道グランプリ・流石島レース・ルマンインジャパン)しか無かったこと④当時のレース環境を考えるとリアルだが主役級も含めてレース中の事故死が4名も描写されたこと(病死1名除く)⑤作者個人の体験がストレートに反映されたアツいマンガだったことスーパーカーブームを牽引したマ
・この漫画が原点でしたF-1を見るようになったのは、日本GP(76年、77年)の影響とこの漫画でした。76年の頃は訳も分からず、ニュースで流れる映像をみてハントのチャンピオン獲得を知りました。この漫画はそんな時代にケン・赤羽というドライバーがF-1に挑むストーリーで、その活躍に自分も夢を見たものでした。・あの時あったチームは漫画の中で出てきたチームはSVE(ケンのチーム)を除くと、実在のチームでした。フェラーリは当時からあり、ラウダが乗っていました。マクラーレンもあって、ハ
献血したことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう僕は献血も輸血もしたことはありません。だから僕個人は社会への貢献度はプラスマイナスゼロですかね。子供の頃、ふくらはぎに大穴が開くほどの大怪我をしましたが、その時も幸い輸血はせずに済みました。自転車に乗っての事故でしたがあまりの衝撃で未だに事故の前後の記憶が完全に抜けてしまっているほどです。ちなみに、子供の頃から体が弱く、飲み薬を飲んでいない時期がなかったほどだったので、そういう人が献血してはダメなんじゃない