ブログ記事177件
曇り空だけどどうしても行きたかった「賤ヶ岳古戦場」へ登山もしたいけど、時間がないので賤ヶ岳リフトでGO⛰「賤ヶ岳の戦い」織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれたあと、後継者争いのために豊臣秀吉と柴田勝家が戦った場所です関ヶ原と同様に天下分け目の戦いと言っても過言ではありません曇り空でも良い景色!MotherLakeBiwako余呉湖も一望標高421m、山頂から各方面を見渡せるので戦場になった理由も分かる気がしました続いて、ぶらり長浜観光へ「大通
折角なので3種作ってみました縄張り絵もこのために作り今日のお気に入り一枚昨日UP分から↓加工あり加工なし↓↓1年前の今日書いた記事『国吉城5(美浜町佐柿)』『国吉城4(美浜町佐柿)』『国吉城3(美浜町佐柿)』『国吉城2(美浜町佐柿)』空調ベスト装着でさて登りますか~伝二ノ丸ま…ameblo.jp
決戦!シリーズの賤ヶ岳編です。歴史の中でも、全然この辺りは詳しくないんですけどね…新刊で、木下昌輝さんの作品が読みたくて入手しました。あとは箕輪諒さんもいいですね〜。決戦!シリーズ、たくさん出ているのだな。個人的には川中島と新選組を読んでみたいかもしれない。おお、伊東潤さんとか富樫倫太郎さんもいらっしゃるぞ。これは、要チェックかも…それでは、賤ヶ岳編。賤ヶ岳の戦いは、本能寺の変の後、織田信長の後継者をめぐる争いの中での羽柴秀吉VS柴田勝家の戦いです。もちろん
賤ヶ岳から下山の途につく。切り株に芽生える命
賤ヶ岳山頂の広場にポツンと佇む、石碑刻まれている意味がやや不明・・・
余呉湖から柴田勝家が陣を張った北方を臨む。柴田側の佐久間盛政が秀吉側の余呉湖東側(右側)の大岩山(中川清秀~戦死)と岩崎山(高山右近)の陣を陥落させたことを皮切りに、激戦へと至ったという。そのような戦いの経過に思いを馳せながら眺める景色は、また少し違った感覚を与えてくれる。
甲を脱ぎ、槍を支えにして佇む兵士の姿戦い終え、命長らえ、土煙と血と汗の匂いが染みつき接した命の最期を脳裏に掠めながら明日の命を燃やすための、ひとときの休息
天下分け目の戦い。何千、何万もの兵が命を落としたこの付近の野山に点在していた石仏。それらを合祀していたものを昭和57年に賤ヶ岳の山頂付近に移転したものといいます。
山を登る、息が上がって振り返る、葛折りの道。
本能寺の変の後、その後継者を巡る覇権争いで柴田勝家と羽柴秀吉が衝突。両陣営がこの賤ヶ岳周辺で天下分け目の大激戦に至ったという。
その昔弘法大師が全国巡錫中、この地に立ち寄って伊香保神社に参拝した際、神社の前で1人の女性に出会った。大師は(なに人ですか)と尋ねられると「西方に高き山あり。これ賎の住む處なる」と応えたことから後この山を賎ヶ嶽と呼ぶようになったと伝わる(賎ヶ岳観光協会設置看板から)この会話、成り立ってるのだろうか・・・
「日本探訪」と銘打った旧友とカメラを携えての2人旅。今日は織田信長亡き後の天下分け目の決戦の地、滋賀県長浜市の賤ヶ岳に来た。(2022年5月17日)
賤ヶ岳に想う「原因と結果」穀雨(こくう)の時期です今日は久しぶりに雨が降るようです農耕社会を支えた暦(こよみ)の智慧には恐れ入ります21日は大師縁日弘法大師の月命日です弘法大師の偉業に感謝しご利益をいただけるといいですね天正11年(1583年)4月21日賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い羽柴秀吉が織田家筆頭家老の柴田勝家に勝利し天下人になりました秀吉が信長の仇を討った「山崎の戦い」に勝家は参加しなかったことが二人の立場を逆転していたよ
先日、某SNSで「近年、秀吉のダーティさが周知されてきている」というような話題がありました。何の話の流れだったのかは忘れてしまいましたが…まさか大河じゃないし、ねぇ。最近になって、「秀吉って本当は狂気の人だったんじゃね?」と思われ始めているな…というのは、確かに雰囲気としてはありますね。たぶん、大河ドラマ『真田丸』あたりからそんな傾向になった…のかもしれない。役者さん自身も「無邪気さ」「冷静さ」と並んで「嫉妬心」を念頭に置いて演じたと言っているくらい。三谷サンが解釈した秀吉の
新潟も桜が咲き始めたようで。特に花見の予定とかはないんですが、通勤路から桜並木が見えるポイントあるので、視界の隅にピンク色を感じながら運転しております。そんな花見の季節になったので、夏仕様の服装で会社に行ったら「早っ」と言われてしまいました。だって、暑いんだもん。暑がりとしては、桜から衣替えまでが長いんですよね…。そんな桜の季節に何故か手を出した(笑)、大雪から始まった「賤ヶ岳の戦い」、前回からの続きを。夏の夜の…(関連)https://ameblo.jp/
4月に入り、新潟もすっかり暖かくなってまいりました。週末には桜も咲くかな?今年の冬は、あんまり雪が降らなかったですね。酷暑&厳冬を告げる「ラニーニャになった」と聞いた時には、ちと覚悟したんですがねー。豪雪で大変だった去年とは比べ物にならないくらいな少雪で、本当に良かった。いやー、あの2021年冬の大雪は一体何だったんでしょうかね?日本史で「大雪」といえば、上杉謙信が真っ先に思い浮かぶでしょうか。関東管領職を上杉憲政から譲り受けた謙信は、関東で俺様街道を爆走する小
【問題】賤ヶ岳の戦い前、滝川益重が籠城し、羽柴軍の大軍相手に善戦したのは、次のうちどの城か?【選択肢】峯城福地城松ヶ島城波切城柏原城【正解】峯城【解説】賤ヶ岳の戦い前、滝川一益は柴田方に与し、一益の家臣であった益重は、峯城(三重県亀山市)に籠城した。大軍の羽柴勢相手によく戦ったが、最後は降伏開城した。
戦国時代の庶民にとって戦とは、最高の見せ物であった戦こそ、最高の娯楽、スポーツの見せ物みたいなものであっただから、落人狩りとかあるし高台に行って水筒と弁当をもってお花見みたいに戦の見物をする将兵が命を懸けたスポーツのただ見の見物である・・・政治とはパフォーマンスで見せつけた人間の勝ちのようなものである・・・『戦国時代の合戦と庶民』「歴史からの発想停滞と拘束からいかに脱するか」堺屋太一(さかいやたいち1935~2019)日本経済新聞
本日よりボートレースびわこで開催中の、GⅠ近畿地区選手権競走の明日2日目のドリーム戦「賤ヶ岳の戦い」の私の予想です。◎①馬場貴也○④中島孝平▲⑤湯川浩司△②吉川元浩注⑥澤田尚也馬場は今回は地元エースとしての期待が大きい。初日の気配は正直あまり良好とは言えないが、他もさほど出ている印象がないだけにここは絶好のイン逃げのチャンスだ。アタマ固定で狙う。中島がこのメンバーの中では初日のレースに見所があった。元来道中の追い込みを身上とするだけにこのカド戦もまずは先に攻めたいところだ。ここ攻め
滋賀県余呉町にあった岩崎山城賤ヶ岳の戦いの舞台となった城・砦#滋賀県余呉町#お城#岩崎山城#賤ヶ岳の戦い#イベント#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
滋賀県余呉町にあった大岩山城。賤ヶ岳の戦いの舞台となる。#滋賀県余呉町#お城#大岩山城#賤ヶ岳の戦い#イベント#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
岩崎山城の縄張り完成
賤ヶ岳の戦いの舞台岩崎山城の土台の下塗りが完了。明日までこのまま寝かせます。
滋賀県余呉町にあった岩崎山城の柵を作るだけで5時間半程掛かった。作業的には簡単なんですが、ジオラマとして見て頂けるお客様にこのお城としての特徴を一目で判る様にしてみた。こんな厳重では無いかも知れないが、生死を賭けた戦いをするのだからこれでも少ないかも知れない。夢ある仕事だと感じる
滋賀県長浜市にあった賤ヶ岳城。賤ヶ岳の戦いの舞台となった城。#滋賀県長浜市#賤ヶ岳城#賤ヶ岳の戦い#お城#ジオラマ#イベント#日本の歴史
昨日は、滋賀県の戦国史跡めぐり。安土城。石垣だけでもスゲー。石垣以外、何も無いと思い込んでいましたが、信長が建立した摠見寺の三重塔と、仁王門は、信長時代のものが、現存していました。知らなかった!賤ヶ岳古戦場。40分のトレッキングのご褒美に、絶景がお迎えしてくれること、知らなかった!帰り道、暗くなるまで少し時間あったので、小谷城。日本5大山城らしい。知らなかった!
信長亡き後の、ぐっちゃぐちゃな戦国時代。秀吉の時代が確立するまでの間の、様々な人間模様が描かれます。今回は日本とルソンの二元中継でございます。笑日本では、信長様の跡継ぎの攻防戦。かの有名な清洲会議が行われております。助左は石田三成に頼まれて、お子ちゃまの心をつかむものを持参します。助左が持ってきたのは、オルゴールとビスケット。信長の孫である三法師を手なずけるための作を考えてる秀吉の恐ろしさ。笑跡継ぎ三法師を抱きかかえ、多くの先輩武将たちをひれ伏せさせちゃいました
こんにちは、たけちです。朝夕はだいぶん過ごしやすくなりましたが、まだ昼は30℃近くの暑さの近畿地方それも今日までらしく、明日からいきなり秋の気温になるとか。そこで気をつけたいのは体調管理ですね。今は咳をするのも憚ますよね咳をしても一人尾崎放哉咳をするなら一人たけち・・・・さて、今日は玄蕃尾城を紹介します。内中尾山城こと玄蕃尾城は山城玄蕃尾城の築城時期は諸説ありますが、1583年羽柴秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家の本陣が置かれた城として有名です。たけちの愛読書「センゴク
こんにちは!2021年10月2日、コロナワクチンを接種してまいりました。今回が2回目の接種になるのですが、体がダルいですねー(;^ω^)私がコロナワクチンを接種した会場が福島正則の生誕地と近かったので、ついでに行って参りました!『愛知県あま市の戦国武将ゆかりの地へ前編』こんにちは!今回は愛知県あま市の戦国武将ゆかりの地へ行って参りました。愛知県あま市というのは2010年に海部郡美和町、七宝町、甚目寺町が合併した市になります…ameblo.jp↑↑2021年1月にも行っ
【問題】織田信孝が自害したのは、賤ヶ岳の戦いの7日前のことである。○か×か?【選択肢】○×【正解】×【解説】織田信長の死後、羽柴秀吉と対立していた柴田勝家は賤ヶ岳の戦いに敗れ、その後居城で自害した。勝家が奉じていた織田信孝も、その約1週間後に自害を余儀なくされた。