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「源氏」と「平氏」の起源は、もともとは、平安時代のはじめ、嵯峨天皇(桓武天皇の子)が、沢山の子供を作り、そのうち皇太子と数人の皇子をのぞき全員一律に「源」の姓を授けて臣籍降下させたのが始まりです。中国風に漢字一文字にしたほうが「カッコイイ」と考えられてのことでしょう。それまでも、臣籍降下したもと皇族は沢山いました。天武天皇(飛鳥浄御原のみかど)の子孫の清原氏とか、平城天皇の子孫の在原氏とか、高市皇子の子孫の高階氏とか。こういうふうに、皇族が臣下になるときは、先祖の天皇にまつわる姓がその都度
嵯峨天皇の以降の天皇は、度々、皇族を源氏として、臣籍に下したため、各々の祖とする、天皇毎に集団を形成し、氏爵を受けるようになった。その集団は、年号により、「弘仁御後(嵯峨天皇の子)」、「延喜御後(醍醐天皇の子)」等と呼ばれていた。各々の祖と仰ぐ、天皇の号によって、嵯峨源氏、仁明源氏、文徳源氏、清和源氏、宇多源氏等と呼ばれる。しかし、実際、「嵯峨」源氏等、祖となる、天皇の号は、同時代的に使用されておらず、1897年(明治30年)以降に編纂された、『国史大系』に使用されたのが、最初の例
しかし、実際に、皇女が、臣下に嫁ぐのは、前代未聞であり、平安時代中頃までにおいて、同様の待遇を受けた人物は、宇多天皇の皇女、源順子と結婚した、藤原忠平のみであった。嵯峨天皇は、藤原良房を気に入って、特別に勅命を下し、皇女を嫁がせたと言われる。長男の長良を差し置いて、良房が、降嫁の相手に選ばれたのは、個人の資質の差による。嵯峨天皇は、その治世において、藤原氏の一門に対する、強力な競争相手を創出している。賜姓源氏、即ち、臣籍降下した、元皇族である。臣籍降下は、皇族が、その身
敏達天皇~橘~牛島家一門の家系図が完成しました!(20230603版)
敏達天皇~橘~牛島~牛嶋治太郎への家系図が完成しました!
敏達天皇~橘~牛島家一門の家系図が完成!
敏達天皇~橘氏~牛島氏へのわかりやすい系図を発見!国立国会図書館デジタルコレクション姓氏家系大辞典.第4巻姓氏家系大辞典.第4巻-国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館デジタルコレクションは、国立国会図書館で収集・保存しているデジタル資料を検索・閲覧できるサービスです。dl.ndl.go.jphttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123910/51
第30代(即位572年)敏達天皇末裔の牛島一門織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も愛読した古文書『古事記』『日本書記』『吾妻鏡』からも明らかになりました!尊卑分脈に始まる、賜姓皇族「四大姓」源平藤橘、氏長者「橘(たちばな)」から牛島氏誕生~現代へ伝承2681年の歴史。皇族が臣下の籍に降りる「臣籍降下」の際に、天皇が源、平、藤原、橘の氏を授けたことにはじまる、賜姓皇族(しせいこうぞく)、つまり天皇の子孫の一族です。※皇族は「氏(うじ)」と「姓(かばね)」を有していません。なぜならば姓が無いのが建
時代の出来事と橘氏末裔子孫~牛島一門への継承従兄弟(いとこ)、親戚たちも登場します古書来歴、文献です。家系図作りの時代背景■弥生時代239年卑弥呼が魏に使いを送る■古墳時代538年仏教伝来■飛鳥時代587年7月丁未の乱(ていびのらん)蘇我氏と物部氏の対立は仏教をめぐっての政権争い丁未の変、丁未の役、物部守屋の変ともいう。物部氏が滅ぼされた。⇒物部氏の滅亡<引用文献>・刀剣ワールド丁未の乱古戦場https://www.touken-worl
尊卑分脈源・平・藤原・橘氏系図引用文献名字・名前・家系図/家紋ニュース源・平・藤原・橘氏系図「日本最大の名字・名前・家系図・家紋+お寺・神社」専門ニュースチャンネルです。源・平・藤原・橘氏系図運営:ルーツ製作委員会,株式会社リクスタ代表:小山和子mnk-news.net日本古典籍ビューア尊卑分脈http://codh.rois.ac.jp/iiif/iiif-curation-viewer/index.html?pages=200018797&lan
天照大神(紀元前660年)から男系男子継承の第30代(即位572年)敏達天皇末裔の牛島一門天照大神天照大神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に主神として登場する神[2]。女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。『記紀』においては、太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ。天岩戸の神隠れで有名な神で、神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が
牛島当家に伝わる「家紋」玄関に飾ってあります実物の家紋写真は後日アップ致します。今川家紋と同じなのですが、天皇からうけたまわった家紋だそうです。引用文献:家紋の由来家紋の由来_引両紋■家紋、家系、系図、神社、紋どころ、戦国時代、姓氏、名字、苗字、戦国大名、戦国武将www.harimaya.com
日本を代表する名門・名家の系家図集引用文献:日本人の名字※姓氏研究家・森岡浩先生の運営するサイトですhttps://office-morioka.com/myoji/genealogy/keizu.html【皇族】天皇家天皇家(現代)伏見宮家閑院宮家【古代豪族】安倍氏在原氏大伴氏越智氏小野氏春日氏葛城氏賀茂氏紀氏清原氏日下部氏熊野氏久米氏毛野氏巨勢氏佐伯氏坂上氏菅原氏蘇我氏高階氏高橋氏丹波氏中臣氏中原氏土師氏秦氏春原氏
天照大御神からの天皇男子直系子孫第30代敏達天皇末裔牛島一門【運営理念】皇尊弥栄帝王学①四書五経(ししょごきょう)四書『論語』『大学』『中庸』『孟子』五経『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』「楽経」を含めて四書六経ともいう。②武経七書(ぶけいしちしょ)『孫子』『呉子』『尉繚子』『六韜』『三略』『司馬法』『李衛公問対』※その他『史記』『左伝』『老子』『荘子』③韓非子(かんぴし)④貞観政要(じょうがんせいよう)⑤鬼谷子(きこくし)⑥五常(仁、義、礼、智
足利の正統?将軍にもなり得たという吉良・今川の主張(歴史エピソードNo.34)に続く歴史エピソード。足利は新田を討って清和源氏の嫡流を確固たるものにしましたが、そもそもこれらの源氏は本当に「清和」源氏なのか・・・という疑問に答えるべく色々と追究していたところ、やはり「陽成」源氏よりも「清和」源氏の可能性の方が濃厚というのが現段階の認識です。これに就きましては、まだ大きな謎がございますので後回しにして・・・今回は、考察の途中で派生した、表題の様なテーマを用意いたしました。(1)おさ