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昭和45年(1970年)高校一年生私は同じBクラスの3名、平野、山下、西尾と共に住宅研究部に入部した。Aクラスから1名のみ、古田が入部して、新一年生は5名の入部となった。先輩達が、T定規と三角定規の使い方、鉛筆の線のひき方等を教えて呉れる。それは存外、意外と難しかったのである。真面目な生徒・古田、独り真剣に取り組んでいた。いつの時代も、そういう奴が居るものである。←クリックして画像を拡大平野、・・・リンク・鎖緣『共に野球部に入ったけれど』/酢豚の想い出水阪、
近年の大相撲。横綱は昇進後1年経つか経たないかの豊昇龍、大の里で絶対的な力がつくのはこれから。そのせいか、関脇以下の上位陣と力の差が少なく、土俵際でもつれる相撲が多い。今場所の宇良と大の里、伯乃富士と豊昇龍の一番では、横綱が負けることを期待してか、SNS上では横綱が負けているとの書き込みを多く見た。自分が見て、宇良や伯乃富士は胸側が上を向いてしまった死に体常態で、物言いで下った協議結果は妥当と感じた。死に体かそうでないかでもめたのが、半世紀以上前の北の富士と貴ノ花の一番。貴ノ花の驚異
こんばんは🤗昨日の大の里ー宇良戦で宇良関が可哀想だという方の多いですね~🤔https://youtu.be/5y1EPp85CrM?si=Eo1j3b-emSowjbud-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.beこれは大の里が先に手を着いているように見えますね(´-`).。oOでも宇良の足の親指が天井を向き、腰砕けのようになっています🤔すると宇良の体は死に
あす(火)金田をはじめ多数の人気スターがやってくる!――。昭和47(1972)年12月、日本橋高島屋8階催場にて開催の金田正一歳末チャリティセールの新聞広告。イベントの目玉は、「金田氏と交友のあるスポーツ界他有名スター100余名が愛用品を提供」されるという楽しいチャリティオークションだ。司会は金田正一と芳村真理。ちなみにカネやんは11月にロッテオリオンズの新監督に就任したばかり。広告内のどこにも「ロッテオリオンズ」の文字が見られないのは何故???そんなカネやんの前では、
九州場所での安青錦-大の里戦での反響がすさまじい。ほとんどの人が安青錦が勝っていたという意見だ。私も個人的には安青錦の勝ちだと思う。写真やビデオでみても大の里の方が「死に体」で安青錦の体はまだ生きている。大の里フアンからはまげをつかんでいる」という難癖もでているが、どこを見て言っているのか分からない。相撲を見る価値のない人の話だ。問題となっているのが「死に体」「しにたい」と読むのだが「死にたい」のではないのでご注意を。要するに、「死に体」は相撲用語で姿勢のバランスが崩れた状態を
先ほどの初代貴ノ花の驚異のフロント・スープレックスに続き、これも熱戦名勝負として有名になったのが、1980年秋場所7日目の東大関貴ノ花と、西前頭10枚目の高見山の一番!どちらも人気力士同士の好一番でしたが、投げの打ち合いになり、貴ノ花の髷が先に土俵に着いていたとしてこれも行司差し違えで、貴ノ花の負けになりました。なおこの翌日貴ノ花は現役引退を発表しました。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人た
スポーツ観戦好き3貴ノ花プリンス貴ノ花玉の海はなくなったが相撲界にアイドルが誕生しました貴ノ花満花田満土俵の鬼若乃花の末弟貴ノ花はオリンピックレベルの水泳選手水泳では飯が食えないといい大相撲へ兄の若乃花(二子山親方)へ弟子入り親方は親とも兄とも思うな今日から敵だ!と思えといい厳しく指導というエピソードが毎日、取り組みで放送されました身長は180ちょっとだが体重がない始めの頃は100キロなかった相撲取りらしくない均整とれたスリムな身体と
みなさん、こんにちは!!なんちゃってパパのshinです👨てなわけで、10月27日月曜日この日も堺へ🚗まずはお昼ご飯を食べに、はっぷうサンへ!!目的はもちろん…😬この日は、日替わりの牛肉カレーうどんセット(¥1,210)をオーダー🙋♂️前回食べた八風カレーうどんは、思わずうなるほど美味しかったけど、普通の肉カレーうどんはまぁ唸る程ではなく、やっぱり溶き卵とバラ肉が入っている八風カレーうどんの方が断然美味しかったかな🤔そして2人を迎えに行き、神戸の病院で予防接種💉結夏チャン、注射
こんばんは🤗今宵も寝る前にもうひとネタ(≧∇≦)ノ💞💞💞今のように突く・押す・引く・投げる・寄るの決り手が増えています🤔小よく大を制すというのが相撲の醍醐味です(人´∀`).☆.。.:*・゚💞💞💞YouTubeで昔の珍しい決り手を集めたのがありましたのでご紹介します(≧∇≦)ノ💞💞初代貴ノ花脅威の粘り腰で北の富士のつき手か否かで行司さんが謹慎になった1番😳💦今では見れなくなった技が多いですよね~(人´∀`).☆.。.:*・゚💞💞💞💞
横綱の最後の仕事は負けること物言いがつく様な相撲を取った横綱が悪い未来ある若者を怪我させてしまった申し訳ないという横綱の心、優しさ若武者貴ノ花に負けてその次の日に引退会見をした大鵬びっくりするぐらいの笑顔で晴れ晴れとした顔で私もびっくりした自分の役目を果たしてそして横綱として後を託せる若者と戦って負けてこれなら大丈夫と大満足の引退だったのかもしれない割れんばかりの笑顔はまさにそういう心だと思う少し前に心がとても未熟で
渡辺プロダクションタレント友の会会報「YOUNGヤング」1981年11月号に掲載された「沢田研二コーナー」の2回目です。当時の沢田研二さんの本音を知る事が出来る貴重な資料です。今月の標語は「コーヒーにクリープ賞レースにジュリー」でした。今月の鮮烈な出逢いとして映画監督の山田洋次さんとの出逢いが紹介され、「今月のよろこばしいこと」として翌年に開催が決まったタイガース同窓会を紹介されています。この号から始まった「沢田研二交友録」では鳴戸親方(元貴ノ花)のインタビューが載せられて
特養に入所している母との会話の為に何十年かぶりで見始めた大相撲でしたが最近は私の熱量の方が凄いですその昔は若乃花・貴乃花のお父さんの大関貴ノ花が大好きで高校時代には輪島ファンの友人と激論を交わしたりしてましたYouTubeお借りしました大関貴ノ花引退後は暫く大相撲テレビからも遠ざかっていましたが、貴ノ花の子供達が活躍するようになり又見始めて両国国技館にも何回か行きました。今はあるかどうか知りませんが当日券の立ち見席を求めて朝早くから並びました。その時に間近に見た旭道山が素敵過ぎて大好
大関のデータベースを作成したので、項目別のランキングはすでにシリーズで紹介した。『大関ランキング①優勝回数(通算/在位中)まずはメジャーどころから』序論昨秋、大関貴景勝が引退。その実力を測るべく、以前その成績を洗い出した。詳細は、こちら。『令和の名大関貴景勝の評価』令和の名大関大きな存在感…ameblo.jp続いて、力士ごとの数字をデータカード化して、数字で詳細に評価していく。以下ページにてご覧ください。大相撲パラサイト大関データ分析大関
6月7日土曜日〜その6衣装を着けてスタンバイ。講師の初代NETプロレス実況アナウンサー舟橋慶一さんと御挨拶。(写真)小学校の高学年、大相撲ファンだった私。輪島・北の湖・貴ノ花・魁傑の時代。年6場所が待ち遠しくて仕方有りませんでした。そんな時に出会ったのが、毎週の新日本プロレス中継『ワールドプロレスリング』。其の実況を担当しておられたのが舟橋慶一さん。既に河内音頭と浪曲に取り憑かれていて、無駄な言葉は無く、歯切れの良い口調を名人芸として聴いていたのでしょう。大相撲はNHKの北出清五郎アナウン
名大関古くは貴乃花の父初代貴ノ花だろう私はやはり魁皇が真っ先にアタマに浮かぶそして貴ノ花、最近なら豪栄道少し古いところでは霧島、若島津
ティンカーベルです☺️姉が家にあった浴衣でリメイクを頼んだものです義兄用の家ではくズボンを作ってもらいましたもうひとつは、姉の五男のハーフパンツ貴ノ花のネーム入りです姉は、誰に浴衣をもらったか記憶にないようでずっと家にあったようですポケットにバッチリ名前が入っていました😁✨✨しかし、五男は貴ノ花を知らないようです近日中に、姉に送る予定です私もお嫁に来る時に母が持たせてくれた夫用の浴衣があったのでリメイクを頼みました義兄のsizeでは、全然小さすぎるので
こんばんは🤗寝る前にひとネタ(≧∇≦)ノ💞私が子供の頃観ていた大相撲は今とちょっと違い、粘り腰や信じられないような相撲が多かったような気がします(´-`).。oO例えばこちら若貴兄弟の父、初代貴ノ花対するは去年お亡くなりになった横綱北の富士さんこの二人の1番が凄かったですね((o(´∀`)o))ワクワク💞https://youtu.be/MZshGFzj3K8?si=hJiLNh2IXdnvra9--YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコ
今から50年前の今日75年3月23日に大阪府立体育館で行われた大相撲春場所千秋楽は、初優勝を狙う大関・貴ノ花が13勝1敗と優勝争いのトップで12勝2敗の北の湖と対戦するが敗れて決定戦に。優勝決定戦で貴ノ花は北の湖に右上手を取られるも左を差して頭を付けて食い下がると強引な上手投げに乗じて押し込み、そのまま寄り切って勝ち悲願の初優勝を飾ったのだが館内は座布団が乱れ飛ぶ凄まじい状態だった。初代貴ノ花といえば土俵の鬼といわれた初代・若乃花の末弟という事で角界のプリ
50年前の1975年って、今年と曜日配列が一緒。つまり、3月23日が春場所千秋楽が同じであります。今年は、高安が先頭に立っている。大関経験があるが優勝は決定戦に出るも負け続け、今日優勝を決めれば悲願の達成となる。悲願の優勝と言えば、ちょうど50年のこの日に初優勝を決めたのが大関貴ノ花。貴ノ花は、力士らしくないお腹が出ていないスラッとした体型。顔も男前で女性人気がすごかった。母親も貴ノ花の勝敗に一喜一憂していた。貴ノ花が優勝を決めた相手は、最年少で横綱になり、元気満々の北の湖。横綱の風格
ネガティヴな要素も分析しておこう。それが少ないほど安定感の証明になる。角番率1北葉山.000※2豊山.029※3琴風.0453栃光.045※5把瑠都.0676若羽黒.077※7朝潮.0838北天佑.0919貴ノ花.10010琴ヶ濱.107※角番率:角番に追い込まれた回数÷在位数。ないに越したことのない『角番』。大関が聞きたくない言葉の最たるもの、『角番』。この率が低いほど、最も角番と縁がなく、安
大関vs横綱どちらも看板力士ではあるが、昇進の難易度からしてその差は歴然。横綱に達しなかった大関たちは、格上相手にどのような戦いを見せたのだろうか。ランキング対象者の平均勝率.249昨今のプロ野球におけるチーム打率くらい。試合を通してヒットが出る確率くらいは勝っている。横綱戦勝率大関たるもの、格上の横綱を倒してこそ昇進への活路も開ける。綱取りに際しても、補足的に評価される点である。それぞれの在位時に対戦した横綱が強かったか、多かったかという違いが
「二桁勝利=10勝は大関としての勝越し」とも言われる。(現役中に豪語したのは千代大海くらいしか知らないが。)10勝では優勝は望めないが、2敗で終盤を迎えて最後横綱戦3連敗とか、出遅れて早期に脱落したが終盤横綱大関を破って盛り上げたとか、大関で10勝するにはそれなりに見せ場があったはずだ。大関の平均成績を取ると実は9勝にも満たないのだが、9勝6敗だとクンロク大関という蔑称があるように頑張ったとは言われない。やはり二桁勝利には意味がある。二桁勝利の回数二桁勝利をどれだけ記録したか。勝越
在位場所数長く在位した大関ほど、存在感は高まる。場所数は、平成中期に活躍した千代大海と魁皇が双璧。10年以上も在位した。それ以前の長寿大関と言えば貴ノ花。豊山の34場所を大きく更新し、50の大台に乗せた。北天佑や小錦、貴ノ浪といった横綱を期待された面々もこれには届かなかったが、ついに千代大海が更新。千代大海の引退後、魁皇は39歳まで大関を張ったが、あえてかどうか同じ65場所で身を引いた。角番ではなかったので、引退しなければ更新は可能だった。1千代大海651魁皇653貴
1月30日木曜日〜その9(写真)「追悼北の富士伝説の一番本心吐露負けてたと思う」(R6年12月5日号週刊文春)の切り抜き。(写真)コレクションのS47年2月号『月刊相撲』。初場所總決算號の八日目のグラフ。此のページに切り抜きを挟みました。(写真)つき手、かばい手の微妙な一番が巻頭カラーページ。軍配は貴ノ花に上がり、物言いが付き、差し違いで北の富士の勝ち。二十五代木村庄之助は翌日から謹慎処分。そして、辞表を提出。晩年、北の富士さんは「負けていたと思うなあ」とメディアで語っておられたの
1月も後半に入りましたね早いです今日から数日暖かいようでただ私年末からの腹痛が未だ続いていて食欲あり快食快便ながらもお腹の深い所で冷えているような緩い痛み血液検査では炎症無し名医処方の薬(トリメブチンマレイン酸)も効かず冴えない日々が続いておりますなんですかねぇ物言わぬ臓器の囁きでないことを願うのみ外出する気にもなれず記事も途絶えがちだったので投稿ネタから久し振りにご挨拶です(^_^)団塊の世代の後ですからなんだろう三無主義シラケ世代の少し後新人類の前位に
今夜のゆく年くる年は〔'71年夢いっぱい〕です――。昭和45(1970)年12月31日(木曜)。民放4局(日本テレビ、TBS、NETテレビ、東京12チャンネル)共同製作によるゆく年くる年の番宣広告。司会は人気絶頂のザ・ドリフターズとベテラン・高橋圭三。各界の豪華スターが出演する中、格闘系のゲストは貴ノ花(当時・関脇)、小林弘(WBA世界スーパーフェザー級王者)、大場政夫(WBA世界フライ級王者)、アントニオ猪木(アジアタッグ王者、インターナショナル・タッグ王者)、輪島(当時・十両筆
ちょうど半世紀前の昭和49(1974)年12月。おなじみ“カネヤン”のたたき売り!――。第4回金田正一歳末チャリティセール(高島屋)の新聞広告。別に、この年に監督として日本一に輝いたカネヤンこと金田正一(当時・ロッテオリオンズ監督)が他球団等にたたき売られてしまうワケではなく、その豊富な人脈をもって各界豪華スターからかき集めてきた愛用品を、その巧みな話術をもってたたき売りするという企画のようだ。その中身も目玉商品の「ハイセイコーの馬蹄」をはじめ、スター100余名が愛用品を提供‼と豪
昨日の夕方。NHK総合の放送で、映像を修復した昭和46年の紅白歌合戦前半の部分を見入っていた。昭和46年。自分は小学生になる一つ前の幼稚園、保育園の年長組。仮面ライダー等の特撮やアニメ番組を夢中に見ていた時でしたが、この年のヒット曲もしっかり覚えて、最初に登場の尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」、南沙織さんの「17才」は、一番だったら歌詞を見なくても歌えます。他にも小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」や五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」も懐かしく聴きました。審査員も大相撲からは、大関に上
12月1日日曜日〜その3P125〜128「十年前」に、大関貴ノ花の初優勝の事が出てくる。(写真)S50年4月号『月刊相撲』。表紙には、ご子息の平成の大横綱貴乃花さんのサインと共に「私当時三歳」と書いてもらっています。池波正太郎さんは、十年前のことを振り返っておられるので、S51年に執筆されたのでしょう。
北の富士さんが亡くなられました第52代横綱北の富士最近では大相撲の解説でその語り口が人気でした私が北の富士さんを知ったのは中学生の時で当時大関でしたお相撲さんを見て初めてカッコいいと思いました左四つ右上手で速攻の寄り切り、上手投げ、外掛け何をやっても絵になる力士でした今で言うと尊富士の相撲が速攻の寄りでちょっとだけ似てますかね先代貴ノ花(ふるなびの人のお父さん)とのかばい手の名勝負は今でも目に浮かびます北の富士さんとライバル玉の海の取組みの際に流れる場内ア